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2020年09月 アーカイブ

2020年09月02日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年9月》

 『直観を磨くものー小林秀雄対話集ー』
 小林秀雄ほか著  新潮文庫2014年刊


福田 翻訳劇じゃなくて創作劇の場合、新劇を見にいって面白くないっていうのは、小林さん、どういうところですか。まあ、なぜ面白いのかじゃなくて、なぜ面白くないのかなんていうことは、話したって詰らないかも知れないけど、なぜ詰らないんでしょうね。根本は戯曲ですか。

小林 俳優でしょう。

福田 しかし、もっとその前の問題として、芝居嫌いっていうことですね、それはどういうところから出てくるんでしょう。

小林 ぼくの?

福田 ええ、小林さんの。もっともぼくも学生時代には戯曲を書いたことがあるんですが、それはもうバカバカしいもんだけど、とにかく書くくらいまでに面白かったんですがね、それから詰らなくなって、芝居嫌いになってしまったんですね。自分は芝居嫌いであるとばかり思っていたんですけど、そのうち、また書きたくなって来たんです。だから、小林さんだけじゃなくて、芝居嫌いっていう人は、ずいぶん多いと思うんですけど、人のことは兎に角として、小林さんはどういう所で芝居嫌いなのか‥‥。

小林 ぼくは歌舞伎ばっかり見てたからですよ。だから築地小劇場が詰らなかったんです。片っ方で小説読んでたでしょ? 片っ方で歌舞伎を見て、あれは踊りだとかなんとかいうけど、やっぱり芝居なんでね。面白いところは芝居なんでね。それはやっぱり、あそこで人間が何かやるうまさですよ。そういうものが‥‥。

福田 歌舞伎はスペクタクルじゃないですね。そういう要素はたくさんあるけれども、根本はそういうところじゃないですね。

小林 ええ、根本は俳優ですよ。なんとも文句のない魅力っていうものはね。だから、ぼくはそういうものはたいへん好きなんですよ。まあ、画も好きだし、音楽も好きなんだけど、そういう感覚から入ってくるものはね。ぼくを芝居嫌いにさせたものは、新劇なんだよ。

福田 大抵の人がそうかも知れない。

小林 面白い芝居があれば、きっと小説なんかよりズッといいですよ。とにかく目で見て、耳で聴くんだからね。こんな魅力のあることは、ほかにはない筈なんだよ。

福田 新派はご覧になりましたか。

小林 見ませんね、あんまり。

福田 新派でも新劇よりいいと思うんですよ、まだ。

小林 それはつまり成り立ったということでしょう。

福田 ええ。

小林 とにかく芝居というものは、成り立つことですよ。

福田 その根本は‥‥。

小林 俳優でさあ。作曲家だってピアノでもヴァイオリンでも、本当に知悉してなきゃいけないだろう? 劇作家にとって俳優というものは、もっと大切なものでしょう。芝居は一つの実際の協同組織ですからね、実際のね。そういう協同っていう意識を無くしてしまえば、これは散文芸術さ。散文という孤独な芸術の流行が、だんだん芝居の協同生活を壊していったんでしょう。

福田 ぼくは、俳優っていうものを作曲家の楽器と同じように知悉することが一番大切だ、ということは判るんですがけどね、同時に俳優は楽器でもあり、演奏家でもあるわけです。その場合、例えば現代の名優がモリエール劇やラシーヌ劇をやりますね、そうすると、モリエールやラシーヌは、現代の俳優を目当てに書いたものじゃ勿論ないでしょう。その当時の俳優を目当てに書いたんだけど、当時の俳優というものは、その当時の俳優というものは、その時の生活とか文化を背負ってるわけですね。その文化は今日にいたるまで連続していて、今日の俳優でもラシーヌやモリエールをやってのけられるんです。そういうことが、今日の日本にはないでしょう。だから役者も劇作家もつらいんだけれど、役者が演奏家として自由に解釈しうる戯曲を書かなければならないとぼくは思っています。
(略)しかし理屈はとにかくとして、書き始めると絶対に俳優が頭に浮びますね。

小林 それはそうでしょう。外国で何とかという役者の何とかという演技を見て来て、ひとつ、そんなふうに俳優をこさえてみようとか、育ててみようとかいうことは‥‥。

福田 それは役に立たないですね。

小林 ダメなんじゃないかと思うんだよ。理屈は確かに正しいかも知れないけれどね。歌舞伎だの新派と手を切るとなると、全部手を切る。俳優の演技の持続性がなくなっちゃうんだね。それで新しく俳優学校を建てて、新しく教育して、近代のナントカカントカ‥‥。これは理屈としてはあるんだね。だけども、俳優っていうものは、そういうものじゃないと思うね。芸人はね、そんなことからモノをおぼえるもんじゃないな。
 (〈「福田恆存 芝居問答」。昭和26年11月、『演劇』に掲載。〉より)

2020年09月04日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年9月》

 『直観を磨くものー小林秀雄対話集ー』
 小林秀雄ほか著  新潮文庫2014年刊


小林 僕は戦争後、映画も芝居も見ないが、先日諏訪根自子の演奏をきいて大変面白かった、感動した。そして色々な事が考えられたよ。よくあれまでやったものだ。まるでヴァイオリンの犠牲者と言ったような顔つきをしている。お辞儀をしてとってつけたような笑顔をするが笑う事ももう忘れて了ったようなあんばいだね。ヴァイオリンの為に何も彼も失ってしまったのだ。あの人から楽器を取上げたら何が残るかね。僕はあの人が自動人形だといっているのではない。確かに間違いのないセンチメントを持っている、実に純粋な。聞いていてそれがよくわかる。然しそのセンチメントは、カメンスキイならカメンスキイという先生の着物を着ているものだ。あの人は、自分の人間性をこれから回復しなければならんところにいる、しかも日本では恐らく出来ないよ。恐らく悪い環境が、あの人を汚して了うよ、今が一番美しいのだろう。そんなことを考えていると、実に気の毒な気がした、他人事ではない気もしたね。ともかくあの人の演奏には西洋文化にぶつかった日本文化の象徴的な意味合いがある。(略)

横光 日本の環境は芸術を育てない、殊に伝統のない外国芸術は美術だって同じだ。日本の悪い環境と戦って自分を推し進めてゆくことは大変なことだ。パリで日本人が勉強するには、まず遊ぶより手はないと思う。諏訪根自子は遊んだことがあるのかね。詩でも文でもそうだが、永井荷風が芸にならないところを芸に吸い込んでやっているのはなかなかできないことだと思う。コチコチのものになってしまうのを、うまくとかし込んでいる。しかしあの溶かし方は過去へ行っていて賛成できない。ああすると後の僕らは困るばかりだ。

小林 永井さんの「踊子」を読んだが少しも面白くなかったので他は読まない。永井さんは人生に負けた、それでは芸術に勝ったかというとそうとも思えない。

横光 永井さんの戦後のものは面白くない。落ちた熟柿の味で酸っぱいね、酢になっている。(略)演劇になるが久保田(万太郎)さんにいわすと芝居と演劇はちがうという。真船豊という人は演劇の方だがどうですか。

小林 これはあの人自身から聞いた話だから、確かな事だが、真船という人はシングをやったのだよ、シングに夢中になって芝居の魂をつかんだ人なのだよ。野人の鋭敏をもっている。あの人は文士や文壇につき合わぬ処がよい。先日久保田万太郎の「或る女」を見せられたが、痩せてカサカサの女が寝巻きを着て寝台に腰かけていた。あれでもう、あの芝居は落第だ。あの芝居は肉体的の色気が一つでもある女主人公をつかめば成功する。杉村春子がどんなに技巧をこらしても肉体的の貧弱さを掩うことは出来ない。小説はいいが芝居ではあの女で全部駄目になる、これを知らないで万太郎が営々と脚色しているのが気の毒になる。
 (〈「横光利一 近代の毒」。昭和22年1月、『夕刊新大阪』に掲載。〉より)

2020年09月06日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年9月》

 『直観を磨くものー小林秀雄対話集ー』
 小林秀雄ほか著  新潮文庫2014年刊


小林 僕は伝統主義者ではないので、文学はやはり西洋ものを尊敬しております。自分の為になるもの、読んで栄養がつくものはどうしても西洋人のものなんです。若い人でやっぱり西洋文学をどんどんやるのが正しいと思います。なんと言っても近代文学は西洋の方が偉いです。併し物を見る眼、頭ではない、視力です。これを養うのは西洋のものじゃだめ、西洋の文学でも、美術でも、眼の本当の修練にはならない。日本人は日本で作られたものを見る修練をしないと眼の力がなくなります。頭ばかり発達しまして。例えば短歌なんかやっている方は、日本の自然というものを実によく見ている。眼の働かせ方の修練ができているという感じを受けますが、西洋風な詩を作る詩人のものを読むと、みな眼が駄目です。頭だけがいい。(略)
 僕は伝統というものを観念的に考えてはいかぬという考えです。伝統はものなのです。形なのです。妙な言い方になりますが、伝統というものは観念的なものじゃないので、物的に見えて来るのじゃないかと思うのです。本居宣長の「古事記伝」など読んでいて感ずるのですが、あの人には「古事記」というものが、古い茶碗とか、古いお寺とかいう様に、非常に物的に見えている感じですな、「古事記」の思想というものを考えているのではなくて、「古事記」という形が見えているという感じがします。

折口 宣長がしたところを見ると、漠然と出来ている「古事記」の線を彫って具体化しようとして努力している。私等とても、そういう努力の痕を慕い乍ら、彫りつづけている。だが刀もへらも変って来た気がする。も一度初めから彫りなおしてもよいのではないかという気もします。

編輯部 日本の演劇なんか見る機会がございますか。

小林 僕はよく歌舞伎を見ました、学生のときに、その後は余り行きません。(略)

折口 私は若い時から無駄に見て居るだけです。今でも、若い仲間が行きますから、つい誘惑せられまして。だから結果は、何十年も見ていても、何一つ見ていないのと同じことです。

編輯部 芝居は時代物の方が好きですか。それとも世話物の方が好きですか。

小林 何でも好きでしたね。あの頃は築地小劇場のあった頃です、私は新劇の方はあまり見ませんでした。僕は歌舞伎ばかり見ておりまして。新劇の方は芝居を見るより書物を読んでいた方がいい様に思いましてね。この間、随分久し振りで真船(豊)君の「黄色い部屋」を見て面白かったです。日本の新劇もやっとのん気に見ていて面白い処まで来た、という様な気がしました。観衆もいろいろで、新劇ファンという様なものではなかった様です。いつまでも新劇ファンを相手にしていて、新劇が発達するわけはないと思います。中国の新劇も日本の翻訳劇からもともと発達したのですが、どんどん大衆化しております。向こうの方が現実派です。日本人は理想派です。

折口 支那に行ってあちらの舞台を見ると、新劇もなかなか盛んなようですが、構成を改めたりしたことはありませんか。ーー古典的なものから新劇までみんなありますか。

小林 みんなあります。いろいろのものをやっております。

折口 技術や工夫は、そのまま出て来ますか。

小林 僕は、上海で洋画の展覧会を見ていましてね、日本人が実に理想主義者だという事を痛感しました。中国には西洋の技術だけがはいっているのです。日本の洋画運動は技術がはいったというよりも、新しい思想がはいった、思想運動だった。ゴッホが耳を切ったと聞けば、鼻を切る画家が出て来るという調子なのです。新劇だってそうなのですよ。西洋の第一流の近代劇の忠実な再現でなければ承知しない。芝居が経済的に成りたたなくても、それでなければ承知しない‥‥。
 (〈「折口信夫 古典をめぐりて」。昭和25年2月、『本流』に掲載。〉より)

2020年09月07日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年9月》

『消費社会批判』堤清二著 
    岩波書店 1995年刊


 ここで明らかにしておかなければならないのは、マルクスが行った資本主義の矛盾についての指摘は、産業社会の存在を前提として、それの民衆のための作り替えという歴史的な位置づけを持っていたことである。彼は革命による資本主義の打倒、社会主義の実現、その政権による生産の発展、いずれは国家の止揚、共産主義社会の建設、という未来図を描いていた。しかしそのためには新しい政権は常に自由市場経済に立脚する政権以上に、果断な自己否定、革新を行わなければならなかったはずである。
敗戦後になって漸くわが国に紹介されたマルクスの「経済学批判要綱」序説の「生産・消費・分配・交換(流通)」に含まれている第四節“生産、生産手段と生産関係、生産関係と交易関係とにたいする関係での国家形態と意識形態、法律関係、家族関係”という長い名を持った節のなかに次のような記述がある。
 「芸術のばあいには、一般に知られているように、その一定の最盛期は、社会の一般的発展に、したがってまた、いわばその組織の骨格である物質的基礎の発展にけっして比例するものではない。」
 そうしてマルクスはこの文章に続けてギリシャの叙事詩やシェークスピアを例にあげる。この思想はスターリンが主張し、世界の共産主義の組織が文化・芸術・学問を鋳型に流し込むために利用した「上部構造と下部構造」という唯物論の卑俗化、それを梃子とした”社会主義リアリズム論”とは全く異質である。こうした権力による歪曲や雑音を排除し、また衆をたのんで「魔女狩り」をするような勢力に煩わされることなく、マルクス本来の思想に拠って資本主義制度を点検するなら、自由市場経済の欠陥に対して新しい視点を発見できるばかりでなく、産業社会そのものの成立過程と内部矛盾を見出すことによって、消費社会批判への思考の糧を獲得することが可能になるに違いない。

 ここで補足的に、自由市場体制以前の消費社会のひとつである江戸時代後期に触れておきたい。井原西鶴、近松門左衛門、上田秋成、与謝蕪村と続いた文学・演劇作家の輩出は、この時代に一種の消費社会が存在していたことを示しているように思われる。その際、大阪に三宅石庵、中井甃庵、富永仲基、五井蘭洲、中井竹山、山片蟠桃と続いた高等教育機関、懐徳堂が経済人の思想、理論指導機関として存在していたことは注目に値する。彼らは、利の源泉を、働き、努力、才覚、そしてまた技術の対価と考えていて、決して土地転がしや金融商品のバラマキによって利を得ようとは考えていなかった。彼らの思想は倫理的性格を帯び、また富永仲基のような思想家は文化の普遍性と個別性についての分析的認識論の体系を持ち、「インドの幻、中国の文に対し日本人は清介質直の語を好む」というように比較文化論的方法をも使ったのである。これらは徳川時代の思想、経世済民(「経済」という訳語の語源)のあり方を示すとともに、「消費社会」と呼ばれる社会の質が、エコノミック・アニマルが作った二〇世紀末のバブル・エコノミーとは比較にならないほどの倫理的、思想的水準を持っていたことを示している。
 ただし、産業社会以前の消費社会は、社会全体を覆うものではなかった。ギリシャの「市民社会」が奴隷の存在を前提としたように、江戸時代の消費社会は土地に縛りつけられた農民を前提としていた。ただし、懐徳堂の指導者の多くが、頽廃した武家社会とその制度の老朽化に対して鋭い批判を公然と述べていたことは、「万年与党」と言われる今日の経済人と対比する時に、これまた興味ある事実であろう。  (「第4章 消費社会(Ⅱ)ーーその構造」より)