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2021年05月10日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2021年5月》

『表現のビジネスーコンテント制作論』浜野 保樹著
   東京大学出版会 2003年刊
 
 コンテントと芸術

 表現活動を経済行為としてみなすことすらも拒否する傾向がある。コンテント業界でも、クリエーターという言葉とともにアーティストという言葉がよく使われるが、それは芸術家は金に無頓着であるという意識を悪用している場合が少なくない。作家が金に無頓着でいてほしいという願いと、作家をアーティストと呼ぶ回数は比例しているかもしれない。また自らをアーティストという場合は、選ばれた人間であるという特権意識を持っているときで、どちらにしても思惑がある。ときに自分の作品が「当たらなくてもいい」という作家がいるが、それは自らが芸術の世界に属していることの表明である。
 (略)もちろん、コンテント・ビジネスは芸術と産業の二面を持っている。営利目的で芸術作品が生まれるのかという問いが発せられることがあるが、コンテント・ビジネスは芸術作品を作るためのシステムではない。結果的にコンテント・ビジネスのために作られた作品が芸術作品になることがあっても、コンテント・ビジネスのシステムはアートや芸術とは根本的に異なる。コンテント・ビジネスでは、定められた予算と期間のなかで作品を制作し、適正価格が決まっていて、その範囲内で利益をあげて再生産できることをめざす。芸術には定価や利益という概念は表だっては存在しない。ウディ・アレン(Woody Allen )がいうように、多くの人間を巻き込まざるを得ない仕事は、ビジネスであることをいくら強調してもかまわない。「もしショー・ビジネスがビジネスでないとすれば、ビジネスという言葉はやめて、『ショー・ショー』と呼ぶべきだ」

 コンテント・ビジネスの特殊性

 コンテント・ビジネスは特殊性が強調されることが多く、不信感も根強い。閉鎖的で、たとえばアメリカ人でさえ映画ビジネスに「入り込むことも理解することもできない」という。
 よくいわれることはこうだ。産業の定をなしていない。千三つ、水ものの域を出ておらず、ビジネスはほとんど賭けやくじ引きに近い。会社の離散集合が頻繁に起こり、もめごとが絶えず、トラブル・メーカーばかりでビジネスをコントロールできない。確かに改善すべきことも多いが、コンテスト・ビジネスと他のビジネスとの本質的な相違への無理解からくる誤解も含まれている。
 (「第1章 コンテントのコンテンツ」より)

 
 わが国のコンテント政策

 わが国の芸術保護政策について、藤村(島崎藤村ー引用者注)はいう。
  曾て文藝委員會なるものが文部省の中に設けられたことがあつた。その趣意は國家として繪畫や音樂を保護して來たやうに文藝をも保護することにしてはどうかといふにあつたらしい。あの時に私達の胸に浮かんで來たことは、兎にも角にも明治の文學が何等の保護もなしに民間の仕事として發達して來たといふ誇りに近い氣持であつた。痩我慢ではあつたかも知れないが、私達はなまじつか保護されることよりも、先づ眞に理解され、誠意をもつて取扱はれることの方を望んだ。

 一九五七年、フランスの映画監督と結婚することになった岸恵子は、日本の仲人にあたる保証人をフランスの日本大使に依頼にいった。大使は日本を代表する女優にこういったという。「大使館というのは、日本を代表する国家機関ですよ。その日本大使が芸能人が結婚するといっていちいち立ち会っていたらどうなります。あなたは『君の名は』(一九五三年)とかいうメロドラマで人気のある人だそうですがね。だからといって大使館を利用するようなことは売名行為。私はそんな暇もないし、義理もない」。
「文明国民の恥辱」だ。かつてイギリスでビートルズに女王から勲章を与えることになったとき、イギリス中が賛否両論にわきかえったが、勲章はビートルズに与えられた。一九九九年にナイトの称号が俳優ション・コネリー(Sean Connery)に与えられた。アイルランド独立論者のコネリーでさえ、「生涯最良の栄誉」として女王から受けている。谷崎(潤一郎ー引用者注)はいう。「芸術を尊重しないのは文明国民の恥辱だという虚栄心から分かったような顔をされるのは、却って有難迷惑」。形式的に認めているふりをしていても、作家たちを傷つけるだけだ。
 (「第12章 文化の産業化」より)