推奨の本
≪GOLDONI/2008年4月≫
池波 正太郎 『又五郎の春秋』
中央公論社 1977年
去年(昭和五十一年)の、国立劇場・研修生一行のアメリカ公演は、十月四日の、カナダ(マウント・アリソン大学のコンボケーション・ホール)を皮切りに、ニューヨークのカーネギー・ホールからマサチューセッツ、コネチカット、ミシガン、ペンシルバニア、ウィスコンシンなどの諸州を経て、カンサス、カルフォルニア、ハワイを巡演した。
東京・帝国劇場の出演を終えた中村又五郎が、団長として、一行に参加したのは十月二十九日のカンサス大学・ロビンソン体育館の公演からである。
(略)「先ごろの、研修生のアメリカ公演ですがね。これからは歌舞伎そのものを教えることのほかに、研修所で、もっと人間として弁えていなくてはならないことを教えておかなくてはと、つくづく、そうおもいました。」
と、又五郎が語りはじめた。
「何か、あったのですか?」
「いろいろあったんですけど……いちばん、今度の彼らがいけなかったことは、自分たちの立場を忘れちまったことなんです」
「ほう……?」
「ご承知のように、このアメリカ公演というものは、国際交流基金やアジア協会、それにアメリカの演劇教育協会から費用が出ているんですね。ですから、われわれは、日本の伝統演劇を紹介するものとして、相応の使命というと大げさですけれど、やはり、これは、研修生もそういう気もちでいてもらわないといけないんです。自分の金で遊びに行っているんじゃないということなんです。それでね、公演は夜ですから、昼間は、自由な時間ということで、そのときに、どうもだらけているんですね。」(略)
ならばこそ、又五郎は、研修生たちの〔横着〕を肚にすえかねたのであろう。
あらゆる芸道にとって、横着ほど進歩をさまたげるものはないからだ。
「ですから昼間の自由な時間に、行く先々の、たとえばニューヨークならニューヨーク、カンサスならカンサスと、それぞれに博物館もあるし、美術館もある。歴史にむすびついた名所もあるのですから、そうしたものを目に入れておこうという若々しい好奇心をもってもらいたい。ただ、だらだらと時間をすごしてしまわないで、もっと若者らしく真摯な態度でいてもたいたかった。というのは、いま、おはなししたように、手前の金で遊びに行っているのではないからです。アメリカの人たちは、日本のカブキを紹介する国立劇場の研修生の行動を見まもっているわけです。そこのところに気がつかない。これはね、若い世代の、子供のときからの家庭なり学校なりの躾というものが、ここへ来て、さらに、おろそかになってきたのじゃないか……これは、ですから、研修所で、カブキを教えるのといっしょにやらなくてはいけないとおもいました。それでないと結局、彼らは、ひとかどの役者になり損ねてしまいますものね。研修生の中から、将来、ひとかどの役者が出ないのだったら、研修所やったって無意味ですもの。そういうことで、つくづくと今回は考えさせられました」
こういって又五郎は、嘆息をした。
(略) 中村又五郎の声を聞こう。
「……今度ではなく、二年前に、アメリカへ行って公演をしたときに感じたことは、向うのスタッフのすべてが、その芝居の開演中は、もう絶対に、全員がちからを合わせて芝居をこしらえようという意気込みのことなんです。これこそ、ほんとうのスタッフというものなんだとおもいましたね。役者のみではない。大道具も小道具も、裏方のすべてが一丸となっている。
日本の…まあ、歌舞伎の場合は、スタッフといっても、それぞれ、個別になっているわけですけれど、むかしは大道具なり小道具なり、裏方の人たちが、みんな、芝居を知っていたわけですわね。歌舞伎というものが、どんなものかを、よく心得ていたわけです。(略)それぞれの役者によって、大道具・小道具にちがいがありますから、この役者にはこういう道具、あの役者にはこういう道具と、同じ狂言でも、微妙なちがいを心得ていたわけです。
そういうことを知っていた人たちが亡くなったり、戦後はバラバラになってしまったりして、ほんとうに少なくなってしまった。歌舞伎座なんかには、そういう年をとった人が、まだ少しは残っていて、若い人たちを指導していますけれど、第一線からは、ほとんど消えてしまったということです。
(略)むかしのことになってしまいますけれど、大道具さんにしても小道具さんにしても、舞台で使う物は、みんな大切にしたものなんです。たとえば上敷き、ゴザのような物の上には土足であがらない。だって、それは、その上で役者が芝居をするんですから、もしも土足で上敷きにあがったりしたら、役者の衣裳の裾が汚れますわね。
いまは、そんなことはいってはいられないらしい。いまの芝居は、時間に追われながらやっているんですもの。幕間の時間を一分でも短くしなくちゃならないというんですから、ええ、ままよというので土足であがって汚してしまう。
お客さまも最後の幕が閉まりきらないうちに外へ出ようとなさるし、裏のほうでも一分でも早くおしまいにして家に帰ろうというわけですから、ゆったりとした気分で芝居を観たり、観せたりしようという雰囲気が世の中から消えてしまったわけです。
火鉢の中に巻煙草が入っているなんてことは、もってのほかの不注意ですね。たとえば、源氏店のお富が長火鉢へ煙管を出したとしてごらんなさい。そこに、たくさんのピースやセブンスターの吸ガラが突っ込まれてあったら、とたんにもう、江戸時代の女になれなくなってしまいます。
むかしは役者が気がつかなくても、裏方の人たちは気づいていて、直してくれました。むかしのことばかりいうようだけど、だって、歌舞伎はむかしのものの上に成り立っているんですものね。
いまはもう、何から何まで請負い仕事になってしまったわけですから、歌舞伎だけが、この世間の風潮に逆らえるわけもない。むずかしいことになりました。
いまでも、歌舞伎の役者は、白柄の刀を持つときは、その役がすんだとき、布とか紙とかを柄へ巻いて、汚さないようにしておきます。刀ばかりじゃない、衣裳にしても何にしても、汚さないように、汚さないようにとこころがけているわけです。
ともかくも、歌舞伎の役者たちは、いまのところ、まだまだ、うるさくしつけられていますけれど、ほかの若い俳優さんたちの全部ではないけれど、自分の持物を実に粗末にあつかいますねえ。
刀なら刀を二十何日の間、舞台で使うのですから、これは自分で管理しなくてはならない。人まかせではいけないんだけども、悪い意味の分業になってしまって、あてがわれた衣裳を着て舞台へ出て、引っ込んで来て、それを脱いだら、そのまま、ほっぽり出しておくわけです。
これまた、役者の横着ということなんでしょうね。
(「横着時代」より)