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2004年09月 アーカイブ

2004年09月01日

『故郷に帰ります』の潔さ

13時過ぎ、mailを読み始める。ゴルドーニHPの『GOLDONI推奨の本』『劇場へ美術館へ』の毎月一度の更新日、「面白い」「精力的に観てますね」「GOLDONI Blog、日記じゃないのにネタがつきませんね」などの便りが5通ほど。同様の電話も続く。14時前、亀戸文化センターの村田曜子さんから、舞台芸術財団演劇人会議発行の季刊「演劇人」の次号に掲載予定の原稿を(せっかちに)事前に読みたくてFAXで送って戴いている最中に、静岡文化芸術大学教授の伊藤裕夫氏が来店。「(依頼されている原稿を)僕はまだ書いていないんです」。研究会や会議、シンポジウムでお会いし、お話する機会は度々あるが、ゴルドーニの整理整頓の出来ていない(書斎のようだと言われること度々の)狭い応接ブースでの久しぶりの密談いや雑談、原稿執筆のお願いなど。
15時過ぎ、伊藤氏と入れ替わるように若い男女の二人組。腰を据えて戯曲を探しているので、いつものように「お茶が入りました」。昴演劇学校の2年生だという。ゴルドーニは劇団文学座と提携し、座員や研究生に本の無償貸出や新刊・古書・洋書の割引販売などの便宜を図っているが、ここ三ヶ月の来店者は、女優の本山可久子さん、演出の松本祐子さんや企画事業部のスタッフくらい。代わって四季や昴の若い劇団員や研究生がよく現れるようになった。女性の方に「半年後に、昴に入れなかったら、どうする」と訊くと、「昴が良いと思って学校に入ったので、選考されなければ他の劇団の養成所に移らず故郷に帰ります」。だらだらと演劇ヤッテルつもりの「演劇人」や、その予備軍が量産されるこの時代、こういう潔さに触れることは稀だ。彼らの精進、達成を祈る。

2004年09月03日

同輩、先輩、後輩との一日

11時、ある東証一部上場企業の子会社で食客をしていた折に出会ったその当時の親会社の営業部門の岡山事務所長が、東京・台場での『アミューズメントマシン・ショー』見学のため上京、店をはじめて訪ねてくれる。山川高紀さん、今は元の部下や次男と倉敷・岡山などで事業を営んでいる。偶々二人とも12年前の同じ日に、その会社を辞めた事を知ったが、彼は東京本社への昇進含みの転勤、私は親会社の経営幹部への誘いを断っての退職。彼は、病妻を岡山に置いての単身赴任が出来ないこと、私のほうは、四十歳を機に7年近い客分暮しに見切りを付け、演劇のインフラ作りを手掛けようと思っていたことが退職の理由。「残っていれば、経営ボードのおひとりでしたね」との優しい彼の言葉に、「すぐに出来の悪い役員たちを殴って辞めていたでしょう」。12年ぶりの再会だったが、昔話に終始せず、事業の進め方や社員のモラールをどう上げるかなど、実践的な話を伺った。部門の会議や打合せなどで見せた私の発言(思考方法)や行動が、創業経営者の顔色を見ることだけに汲々として官僚化した他の幹部社員とかけ離れていて、「やっぱり、あそこでは収まりきれない人でした」と冷静な分析。
15時前、入れ替わりに劇団民芸制作部の木佐美麻有さんが来店。明治大学演劇専攻3年生の頃からGOLDONIに来ていたが、「演劇製作者を目指すなら、新しくて小さな組織に入るよりも、出来るだけ古くて大きなところに就職しなさい。組織が抱える問題点、改良点も大きく、深刻なはずだから勉強になる」との私の説得を聴き入れてくれたのか、他を幾つか断っての民芸入団。彼女の近況を聴いていたところに、元電通総研監査役の岡田芳郎氏が来店。二十五年ほど前(『キャッツ』企画が生まれる以前)、電通と劇団四季で定期的な勉強会を開いたが、電通サイドの責任者が当時の営業企画室幹部だった岡田氏で、私は四季側の連絡係、最年少メンバーだった。昨日の電話で、氏所蔵の『ディアギレフのバレエ・リュス展』のパンフなど無心したので、届けてくださる。木佐美君ともお話戴き、17時前に、浜離宮朝日ホールにお出掛け。ご常連や親しい年配の方の多くは、オペラ・クラシックの熱心な観客だ。
早稲田大学第二文学部演劇専攻4年生の大石多佳子さんが来店。卒論のテーマについて、先輩格の木佐美君も交えて訊く。ある上演団体を取り上げると言うので、「今のものは、なま物だけに難しいね」と言うと、「卒論指導の岡室先生にも言われました」。「現代が良ければ、ヨン・フォッセあたりはどうだろう、べケットとも繋がるし、彼の出身地ノルウェイのイプセンとも繋げられるかな」など話していると、「すみません、お勘定」。声の主は、フォッセを日本で初演出した太田省吾氏が主宰した『転形劇場』の鈴木理江子さん。今はベケット作品を中心にリーディングをしているそうで、半端な指導をお聞かせしたか赤面の至り。

2004年09月04日

非売本の貸出もする『GOLDONI』

海外公演チケット販売の(株)カーテンコールの小林秀夫氏が来店。続いて若い男女の4人組が入ってきたので、小林氏には奥で待機して戴く。演劇とは縁のなさそうな、素朴さと悧発さを持った4人組は、信州大学の人文学部や教育学部の3、4年生。その内のひとりが、GOLDONIでは将来の舞台芸術図書館の蔵書にするつもりで非売品扱いの『コメディア・デラルテ』(ミック著・梁木靖弘訳。未来社刊)を探しているが見つからないと言うので、期限付きで貸して差し上げる。泉澤君、読後レポートを求められるとも知らず、嬉しそうに帰っていく。4人組がいたので店に入れず、外に待つ青年ふたり。音楽公演を企画する団体のメンバー。いつもは企画のことで話を伺ったり、PCのことを教わったりするが、やっと本を探し始めた小林氏に、再度の交流のお願いは憚られ、外で立ち話。
小林氏からはご自身の事業のことなど伺った。当方の、夢の『舞台芸術図書館』についても、長い時間話し合い、また諭されもした。忝し。
フランス演劇の岡田正子さんから、久しぶりの電話。私の陳腐な啓蒙運動を知ってか、相当の年配だと思われたのか、ご自身よりふた回りも下の年齢であることに驚いていらした。
  ×         ×
専門書店に来て、それも品切・絶版の、売値が定価の倍にもなる本を、初めての来訪者が借りられることに本人は驚いていたかもしれない。4年(準備期間を入れれば6年)前に始めたこの演劇書専門GOLDONIは、何度でも言うが、最初から採算度外視の、演劇の啓蒙運動。GOLDONIに来たことのない知り合いの「演劇人」や「演劇研究者」の多くは、劇場や大学などで出会えば、「商売、どう」とお気遣い下さる。彼らの同僚、先輩後輩、教え子が、他では読めない本を借りたり閲覧していることも知らないで、だ。著名なライターの永江朗氏の取材を受けたときには、「こちらは劇団四季とか文学座とか文化庁とかの支援でおやりになっているのですか」との永江さんの最初の問いに、「私の支援だけです」の一言で、彼にバツが悪い思いをさせたが、永江さんほどの目利きでなくとも、普段に本探しをする人ならば、GOLDONIの店の規模では採算が取れないことと同時に、レファレンス中心の日本では稀有な専門書店であること、目的が他にあることは瞬時で判るはず。GOLDONIに来る演劇を学ぶ学生や劇団の研究生は、ほぼ例外なく、「うちの先生はゴルドーニに来ますか」と訊く。「来ないね」と言うと、彼らは一様に悲しそうな表情になる。どういうことか、いまどきの「演劇人」たちに理解できるだろうか。

2004年09月05日

北千住・THEATRE1010

14時前、北千住駅到着。THEATRE1010の開場記念公演『月の光の中のフランキーとジョニー』観劇。フランキーは40歳を超えた未婚の女、ジョニーは50歳を目前にした離婚歴のある男。出演の竹下景子、萩原流行はともに51歳。そして観客の中心世代は60代の夫婦あるいはこの世代の女性の二人連れ。舞台となっているニューヨークのフランキーのアパートがある地域は、東京に置き換えるとすれば、中野、三軒茶屋、中目黒あたりか。最近のテレビに出てくる若い「芸無し」芸人や演劇やってるつもりの者が住み着くエリアでもある。共通点は、お笑いライブハウスやお手頃のホールも多く、取り敢えずは今していることを疑うことなく、なんとなく続けられそうな気にさせる街なのだろう。北千住はこの舞台を連想させるところか気になり、終演後に駅の周辺を一時間ほど歩いた。この劇場も、外形的には街に突き出した独立の建造物ではなく、ビルの中に収まったホール。この街の中核文化施設としてのハンデキャップは、行政があるいは運営会社・劇場幹部が考えているものより遥かに大きいのではないか。初めての観劇、初めての街歩きだったが、そんなことを強く感じた。先日の柿落しでは市川森一館長が、自分たちが劇場の土台を作ったので、この後は劇場の若いスタッフに譲りたいと、自身と朝倉摂芸術監督の早期の辞任を仄めかしたという。市川氏らの作った土台とは何か、それは、これからの演目とその評価から判断されることなのだろう。

2004年09月07日

『TERRA NOVA』と爆睡招待客

台風の影響で、強い風が吹き晴れたり曇ったり、雨になったりの午後。京都府立大学文学部教授の佐々木昇二氏が来店。エリザベス朝演劇の研究者だが、頻繁に出掛けるイギリスでも、あるいは東京に出てでも演劇をご覧になる。戯曲翻訳をする一握りの研究者は例外だが、現代演劇の稚拙さに愛想が尽きてか観客であることをやめた老練な研究者や、研究者・教育者としては駆け出しながら、才能が有り余るのか年に数十本にも満たない観劇で立派に批評も手掛ける若手研究者が多い中で、真っ当に観劇習慣を身に付けた演劇・戯曲の研究者は少数なのではないか。大学に代表される学問・研究と、実際の演劇現場との乖離が言われて久しい。『ゴルドーニ記念舞台芸術図書館』がその溝を埋める触媒・施設になるのでは、と考える毎日。さて、賛同者は出てくるのだろうか。「シアターガイドでゴルドーニを知りました」と佐々木氏。数多いGOLDONIの紹介記事の中でも特に鋭く興味深い記事になっている、『日経流通新聞』12面「先探人」(2000年10月7日)のコピーをお渡しする。
18時50分、信濃町・文学座アトリエ公演『TERRA NOVA』。左隣の日本経済新聞編集委員の河野孝氏、「帝劇の話は良かった」(8月30日)。忝し。幕間にこの劇の翻訳者・名和由理さんが席まで来てくれる。二言三言の会話の後、厳しい表情になって「宮島さんの右隣りで爆睡しているのは誰ですか」。「マーチン・ネイラー(氏じゃないと良いんだが)」。

2004年09月09日

『TERRA NOVA』と『大手町』

昨夕は文学座アトリエ公演『TERRA NOVA』の翻訳者・名和由理さんがGOLDONIに訪ねてくれて、長い時間話し込んだが、今日は演出の高橋正徳君が寄ってくれる。初演出の稽古場は、つらく厳しいものだったようだが、「同世代の仲間内でやらず、台本を自分以上に読み込んで臨む先輩たちに揉まれたことは大きな収穫」と。1時間ほど話したが、「GOLDONIはほかにはないサロンですね」と言い残してアトリエに戻って行った。入れ替わるように、大手企業で人事戦略セクションの長をしていた友人が、隣町の大手町に所用で来た帰りに立ち寄ってくれる。「新委嘱・新任の組織・部門のトップというものが、着任の3ヶ月以内に新しい方針を打ち出せなければ、その組織は変わらない」、「部課長に意見を求め、その考えを少しずつ取り入れて出してきた方針は、当然のことだが骨格のないもの、誰の考えとも相容れないものになる」。大きくは中央官庁・地方自治体の施策、小さくは文化施設の建設・運営計画などで思い当たる話だ。ミニレクチャーが終るところで、『TERRA NOVA』で一緒になった日本経済新聞の編集委員・河野孝氏が登場。島根県安来市にある『足立美術館』の庭園の話から、日経本紙に連載されていた米子・今井書店のこと、出雲大社・氷川神社、本居宣長の山桜までの1時間の談義。現代演劇の話題では、互いに沈黙し溜め息が出ること度々だが、話が演劇から離れると、時の経つのを忘れ、のんびり豊かな会話になる。「長居してしまった」と仰りながら大手町に戻られる。
明治大学演劇専攻3年生の松本修一君が来店。彼が書いた俳優座劇場でのセミナー・シンポジウムについてのレポートの感想を求められる。30分ほど話して大手町のアルバイト先へ向かった。閉店時間の18時過ぎ、来客・本探しの客が引いたところで、『TERRA NOVA』でアトリエデビューの舞台美術・乗峯雅寛君からの、舞台の感想を求めるmailを読んでいると、親しくしている教育NPO『粋塾』代表の志村光一さんが現れる。一昨日、まつもと市民芸術館での小沢征爾指揮の『ヴォツェック』を観て来た、と。ヴァイオリン指導「スズキ・メソード」の鈴木鎮一氏の邸宅に出来た『鈴木鎮一記念館』にも足をのばしたそう。生前の鈴木鎮一氏の教育への情熱についても伺う。演劇についての教育のあり方を考える昨今、教育の実践家との対話は貴重なもの。
今日もまた、『会う人みな師』の一日だった。

2004年09月13日

最後の開業記念日、か。

今日は演劇書専門GOLDONIの4度目の開業記念日。来春からは『舞台芸術図書館』設立準備のため、週の半分だけ店を開ける変則営業に移行するつもり。新しい船出は、多くの方々の御支援・御協力を得ることなしでは出来ないが、来年のこの時期までには、開設か断念かを決めなければならない。そのような状況では、どっちに転んだとしても、5周年はないだろう。GOLDONIで是非本を買って欲しいとは思わないが(古書の値付では、神保町・早稲田の文芸・演劇書を扱う大型店よりはるかに安い、と言われること度々で、書店さんや本好きの方々からも、もう少し高くしなさいと注意されるほど。初めての方には原則4冊までしかお売りしないことにしている。)、演劇に関わる仕事をしている人には、どんな店か確認にいらして戴きたい、と思う。演劇に関わりながら好奇心は持ち合わせていない、ということはないだろうから。4年前の開業以来、6坪に満たない小体の店構えにしては、雑誌・ムックなどで取り上げられることが多く、その反響もあり、毎週末のように全国から尋ねてみえる方がある一方、数人の例外を除き、一般紙の文化・芸能・演劇の担当記者は来店したことがなく、無論紙面で取り上げられたこともない。有力な演劇人や新聞記者の嗅覚は鋭く、あるいは千里眼の持主で、GOLDONIに来なくとも、どんな店だか見えてしまっているのかもしれない。
開業記念の日が休業日と重なり、午後はセゾン文化財団主催のセミナー『指定管理者制度はビジネスチャンス?』受講の予定もあり、直近まで連絡を取っていた方や行き来の多い方には、夕方まで外出の予定があることなど(お祝いにお出掛け下さらないようにとのつもりで)、ご挨拶に一言添えてmailを送信。有楽町から戻ってPCを開くと、朝から送信した挨拶のmail(bccではなく、それぞれに一言書かせて戴いた)のご返事が三十通ほど。同様の電話も数通。18時半過ぎ、前触れもなく、立教大学文学部を今春卒業したばかりのT君が現れる。この夏からは、私と兄の二人の兄弟に別々の職場で仕えたという稀にして不幸な経験を持つ新潮社のOさんのところでアルバイトを始めて、海外戯曲・研究書を読み耽る毎日。御持たせのクッキー、到来物の葡萄・高尾、日本茶を喫しながら、「宮島さんは教育者」から始まり「ドイツ文化センターでドイツ語をしっかり学びなさい」で終る2時間半。よく聴き、よく話した。帰りがけ、「『GOLDONI Blog』での実名表記は、個人情報の漏洩にあたる」と諌められる。「そんなことはないが配慮はします」と応えたので、今回はT君の意見に従った。長幼の序を踏まえながらも、教え、教えられる、互いに腹蔵無く語り合える場、それが『GOLDONI』だから。

2004年09月14日

開業記念週の来客に教わるもの

朝から挨拶のmail送信、返信のmail、電話も多く戴く。お花や果物、電報など戴く。
17時過ぎ、文学座の山崎美貴さんが、横浜から『幸福の木』『栗饅頭』を抱えて訪ねてくださる。4年前の開店の前後数ヶ月、仕事の合間に準備を手伝ってくださった協力者のひとり。久しぶりの来訪で、増えた本の量と、店の散らかり様に驚いていた。御持たせの和菓子と到来物の果物、アイスティーで1時間半ほど話した。
19時過ぎ、弁護士の濱口博史さんが訪ねてくださる。彼は民間非営利法人制度に詳しい弁護士として知られているが、私的な事柄、法人登記などでお世話戴いている。彼が駒場の学生だった二十数年前からの付き合いで、今は、変則的・過激な手段・方法を選び進みそうな私に、原則、正攻法、筋目のある行動を取るよう諭してくださる。20時前、「接見があるので」と仰って店を出られた。
昨日は三十歳も年下のお嬢さんから、今日は一回り歳下の友人から、善意・優しさを教えられた。
 

2004年09月15日

泉下の演劇の先達たち

17時半前、外出の予定があり早仕舞いしようかと思ったところに、評論の菅孝行氏がお越しになる。富山県利賀村で行われた、演劇人会議主催の演出家コンクールでの、上位入賞者たちの作品について伺う。18時に店を閉め、菅氏は天王洲・スフィアメックスへ、私は六本木・俳優座劇場へ向かう。(劇団俳優座公演、宮本研作『ザ・パイロット』の初日)開演時間すれすれに客席へ入って着席した途端に後ろの席から声を掛けられる。声の主は、東京選挙区選出の参議院議員の鈴木寛氏。彼は昨夜の濱口博史弁護士の学友で、二十数年の付き合い。教育、IT政策、民間非営利活動、そしてサッカーのJリーグなどスポーツ振興の推進役。通産省勤務の時は、私の事務所での観桜会や月見の宴に駆け付けてくれたり、勉強会に誘ってくれたり、何の必要か私に「人脈リスト」の提出を迫ったり、京都の劇作家・松田正隆氏が拙宅に泊まる折には、自宅より遠いのに一緒に泊まりに来たりした。近々の再会を約して別れた。
俳優座がその養成所を閉じて三十数年。千田是也、青山杉作、小沢栄太郎、東野英治郎などの劇団員はじめ、木下順二、鈴木力衛、中村光夫、吉田精一、菅原 卓、三上 勲、吉田健一、伊藤熹朔などのビッグネームが講師を務めたあの俳優座養成所は、鎌倉アカデミア同様に、私の夢である、民間による『舞台芸術図書館』の理想像。最近の新聞記事によると、新国立劇場が演劇養成、研修所の設置を計画しているようだ。主唱する同劇場の演劇部門芸術監督がどこの劇団出身かも、どこの養成機関出身かも、寡聞にして知らない。海外の養成機関の実態調査を委嘱された人々のことも、その調査内容も詳らかにされていない。どんなものを構想しているのか具体的には不明だ。この俳優座養成所については検討したのだろうか。新劇旧三座で唯一残る養成機関である文学座研究所や、四季や青年座、昴、円の俳優養成機関に対する調査検討は充分になされたのか。研修所設置に向けての文部科学省の来年度概算要求には入っているようだから、税金で賄うつもりではあるらしい。かつての俳優座、あるいは三枝博音、林達夫、村山知義、青江舜二郎、服部之総らの鎌倉アカデミアなど敗戦後の経済的には貧しい時代に、自助努力の尽きるまで、手弁当で、演劇教育に心血を注いだ今は泉下に眠る先達は、演劇は国・行政の補助金(すべて税金)でするもの、と決めてかかっているかのような昨今の演劇人がしようとする『教育』を、どんな気持ちでみつめておられることだろうか。

2004年09月17日

白洲次郎とスナフキン

ある演劇製作団体で今年から制作助手を務めている、劇作家志望のK君から送られた書下ろしの短編戯曲を繰り返し読んでいたら、大阪府能勢町の浄るりシアターの松田正弘事務局長と柴田佳明さんが訪ねてくださる。国立劇場に出演中の文楽の演者との打合せのための上京で、午前中は総務省の外郭団体『地域創造』にも行って来たという。同シアターの大内祥子館長とは、三十年近いお付き合い。能勢にも93年のオープン時から伺っていて、その時以来、松田さん始め元職・現職の方々とは親しくしている。全国中の行政立ホールと同様、事業予算・人員の削減など厳しいホール運営を強いられているが、『芸術』『文化』『演劇を活用したまちつくり』という前提、お題目を一度忘れて、「地域の経済活動、社会活動と連動したホールの企画、ホールの生きる道を探ろう」とアドヴァイス。近いうちの再会を約して、お二人は半蔵門に向かった。入れ違いに、文学座の本山可久子さんが、大ぶりの見事な二十世紀梨を抱えて御来店。先日お送りした本のお礼だそうだが、過分なお心遣いで恐縮する。
先々週、12年ぶりに再会した倉敷の山川高紀氏が、神田須田町での会合を終え、立ち寄ってくださる。かつての私の印象は、「自分たちの前をあなたが通ると、その後で風が吹く。その場が暖かければ冷たく、冷たければ暖かい風になって。本当に風のような男」だそうだ。私が尊敬する「風の男」白洲次郎の風とは大きな違いの風ではあろうが、ほんの少しだけ白洲さんに近付いたようで嬉しい。度々譬えられる「スナフキンのような男」よりは、はるかに嬉しい。山川氏のいる間に、ご近所のメディアプロデ゙ューサー・後藤光弥氏が来店。彼とはディアギレフの話をしているところに、背広姿の青年が登場。前に一度来たことがあると言うので、「名乗るな、あなたのフルネームを思い出すから」と言って、先客二人も参加しながら、記憶の糸を手繰るがついにギブアップ。早稲田大学文学部出身、この春出版社に勤め始めたO君。演劇とメディアについて研究したいので、来秋に大学院の受験をするつもり、と言う。早稲田かと訊くと、「あそこは学部の4年でこりごり」。話し始めた私たちを気遣ってか、(車の通らない路地にある)店の前で初対面の先客二人は談笑していた。壮大な夢に不釣合いなほど狭小な空間のGOLDONIは、路地までサロンなのだ。

2004年09月21日

『GOLDONI』の彼岸の入り

午前10時、東銀座の時事通信新本社内に昨秋オープンしたホールへ。案内役はこのホールの建築コンサルに参画した照明家・岩下由治氏。氏は、開場の1年ほど前からよくGOLDONIに見え、このホールについての話ばかりか、劇場や演劇と社会の関わり方など、広範なテーマで話し合ったが、私がこのホールに足を運んだのは初めて。
東京の一等地である銀座に、260平米、天井高6.6m、客席数200〜300のフリースペースは貴重だが、1日60万円の使用料金は、会議やセミナー、ファッションショーなど企業イベントが中心になり、席単価二千円を超えるホールは、演劇公演の会場としては不向きか。運営面で気になる点が幾つかあったが、杞憂で終れば結構なこと。ビル1階の『スター・バックス』で休憩。注文をして下さる岩下氏より先にテラス席に着く。向かいの新橋演舞場を見、旧演舞場の佇まい、客席の雰囲気、終演後におとずれた静謐、叔母・市川翠扇の楽屋や、新派の名優や総務の大江良太郎との想い出に浸った。アイス・カフェラテを飲みながら、二十五年前にともに観た、カルロ・ゴルドーニの『二人の主人を一度に持つと』(ジョルジョ・ストレーレル演出、ミラノ・ピッコロ・テアトロ)の想い出話。互いに舞台照明、演劇製作に従事しながら、演劇やその組織・環境に違和を感じたり、自信を持てなかったニ十代半ば、プロセミアムを超え、躍動的な演技、観客を演劇行為に参加させるという見事な演出のこの作品は、彼にも私にも、劇場人・演劇人としての理想と誇りと自信を与えてくれた。人生を決めたのは、あのゴルドーニ体験だった。
18時30分過ぎ、両国のシアターカイへ。『ピアノのかもめ/声のかもめ』。在独の作家・多和田葉子、同じドイツで活動するジャズピアノの高瀬アキとの朗読と音楽のパフォーマンス。客席は大手新劇団の公演以上に高齢者が目立ち、またその大半がシアターカイの招待者のよう。多和田葉子の朗読を初めて聴いたが、興味深かった。ただ、斜め後の席に座る昔のテレビタレントのYのあげる笑い声が、異常で不快であった。彼女の隣には劇場関係者らしい若い男女がいたが、彼女に注意はしなかった。十年も前のことだが、出張先の京都で、俳優座劇場製作の舞台を観ていた時、携帯電話を鳴らしたり、客席ドアの真近で大声で話す関西では著名な劇評を手掛ける新聞記者がうるさく、注意の鉄拳を振るおうとした直前、今は文学座の企画事業部長を務める、制作担当の青年が私の気配を察知し、この記者をつまみ出し、私の出番がなくなったことがある。
ロビーで。訪欧から戻られたご常連の内山崇氏は、「また、パンフなどお土産を持っていきます」。学生時分からお付き合い戴いている照明家で劇場コンサルの大御所・立木定彦氏は、「お前の蔵書の『もうひとつの新劇史』(千田是也著)、貸してくれ」。四季在籍時以来ニ十数年のお付き合いの朝日新聞・山本健一氏は、「佐藤清郎さんの件の本、取り置きしといてね」。終演後、玄関前で山本氏と談笑。氏と別れた後、前を急ぐオジ様を捕まえ「女子大は如何」。返ってきた答は「蛸部屋(非常勤講師室のことか)」の一言。「インターネットをご覧になるなら、GOLDONIのHPを観てください」とのお願いに、「Googleで検索すれば出てくるんでしょう」。私、うっかり、「そう。先生の上のトップにあるから」。カルロ・ゴルドーニの最高の紹介者である田之倉稔氏、おおらかに笑っておられた。
おりしも彼岸の入り。銀座や両国の出張GOLDONIは、「カルロ・ゴルドーニ」を迎えた一日だった。

2004年09月25日

イタリア文化研究

15時前、ドア越しに葉書を右手にかざして店を覗く人。先ほど郵便配達は来てくれたばかりなのにと訝って出ていくと、随分と貫禄のある普段着の郵便配達人は、実はイタリア文化研究の泰斗・田之倉稔氏だった。「GOLDONIのホームページを観て、推奨本を買いたくなったんだけど、アドレスが書いてないし、いくら電話を掛けてもFAXしても、あなたが出ないので葉書を書いたけれど、届けに来てしまった」。せっかくなので、差出人が手ずから届けるという稀にして価値ある葉書を戴くことにする。「朝から電話、FAXとも使っていますし、キャッチホンなのだけれど、掛りませんか。何番にお掛けになりましたか」と伺うと、何度も掛けてくださったのだろう、すらすらと、「××××の2771」。間違っていたけれど。今日はダヌンツィオについて小一時間伺う。最近の新聞記者の記者気質も。
GOLDONIを開いた頃に、「ゴルドーニという人は、どういう人ですか」と初見の客に訊ねられ、少し説明したら、その後に名刺を出された。イタリア演劇研究が専攻の大学助教授だった。悪戯心で訊いた訳ではなさそうだったが、口頭試問は落第だったのか、以来お越し戴いていない。礼節の国・韓国でも、礼節をかなぐり捨てた我が国でも、俗に染まらない大学人には、名刺を後で出すという変わった作法があるらしい。テレビ局や芸能プロダクションなど生き馬の目を抜く世界の人々との交流で学習したか俗なことでは人後に落ちないが、社会規範からは外れたいまどきの演劇人のいまどきの仕事は、先述の人たちとの新大衆演劇か地方自治体との協働、芸術監督そして大学での実技指導。こんなところで、社会性が身に付くのだろうか。

2004年09月26日

木場、日本橋、丸の内

12時過ぎ、木場・東京都現代美術館に到着。『花と緑の物語展』の最終日。コロー、ピサロ、ルノアール、キスリングほかの七十数点の展示だが、なんと言ってもモネ作品がその内の十点近くで一室を占める。初期作品から後年のあの睡蓮までのコーナーだが、初めて観る「ルエルの眺め」に感心。茨城県近代美術館に収蔵の作品のようで、水戸に出かける機会があれば、また観てみたい。込んではいなかったので、じっくり2時間近く観てまわった。常設展も覗いていたら、15時を過ぎてしまい、次の日本橋・ブリヂストン美術館に急いだ。ここは、「マネ、モネ、ルノワールから20世紀へ-」との副題を持つ『巨匠たちのまなざし展』。所蔵品中心の構成で、ルノワール、シスレー、そしてモネなど、以前に観たものが大半だったが、浅井忠、藤島武二の数点は初見。17時半、ブリヂストン美術館を出て、日本橋から丸の内を散策。この14日にオープンした『OAZO』の丸善新本店を覗く。演劇書のコーナーは、研究書も充実、冊数も多く、GOLDONI店売用の四分の一ほど。30分ほど隅で見ていたが、客は一人も立ち寄らなかった。
現代美術館で思い出したが、17日に同館で開かれた『ピカソ展 -躰とエロス-』の開催レセプションに、スペシャルゲストだかで無芸タレントの叶某女が招かれていて、他の出席者の顰蹙をかっていたそうだ。しかし、ピカソのエロスにゴージャスのエログロで応じるなど、主催者はなかなか深い読みをしたものだ。さすが軽さで勝負のフジ・サンケイグループの産経新聞だけのことはある。天下の朝日新聞は無論、ナベツネ読売ですら教養・節度が邪魔して出来ないキャスティングだ。天晴れ。

2004年09月30日

GOLDONI JUGEND

 15時過ぎ、ある大手企業で経営計画を手掛ける友人から久しぶりの電話。本社オフィスから離れて、ある製品群の開発部門が二百人規模で、再開発地区のビジネスセンタービルに入居しているが、その区の芸術文化振興財団から支援・協賛のお願いに伺いたいと言って来たが、どんなものだろう、と。財政破綻している区本体からの、委託事業費や運営負担金が大幅に削減されていて、財団運営がキツイのだろう。一口幾らの協賛金目当てのもの。「百万や一千万では、焼け石に水で、お役に立たないのでは。財団への出資やホール・美術館の売却のお話ならば、検討しますよ」と言ったら、とアドヴァイス。小遣い銭を貰いに来たのに、ホールや美術館の買収を持ちかけられたら吃驚して二度と来ないのでは、とも。小遣い銭で思い出したが、三十数年前の高校生時分、駕籠町で体育会系の大学生四人組に金を強要(喝あげ)されかかったことがある。大学名を訊くと、東洋大学だと言うので、「母のいとこが、そちらの学生部長をしている。秋葉神社の、大東亜戦争肯定論者の千葉栄といいますけれど、ご存知ですよね」と伝えたら、彼らの態度が豹変した。以来暫くは彼らからボディガード役を申し込まれて迷惑したことがある。おとなしくしていても保守の高校生というだけでも危ない60年代後半のあの狂騒の中、せっかくのお申し出だったが、新左翼にも公安当局にも神道系右翼高校生と断定されては敵わないので拝辞した。不穏当と思える申し出には、優しく断ることが肝要と、このことで覚えた。
 昨日は、ロス留学組で、今はひとり演出家デビューを企てるK君が、寄贈された資料の整理を3時間ほどしてくれた。今日の昼には、東京理科大劇研出身、フランス留学を計画中の佐々木治己さんが、アテネ・フランセの授業の帰りに寄る。18時前、新潮社メディア室長・岡田雅之氏のお使いで、ドイツ留学を検討しているT君が本を届けてくれる。この三人はいまどきの演劇青年にしては珍しく戯曲・研究書をよく読み、議論も出来る。演出やドラマトゥルク志望というところだろう。私が作りたい『アレーナ・ゴルドーニ東京』は、こういう基礎学力、学問習熟度の高い二十代の青年たちの練成道場のようなもの。彼らは少しとうが経っているが、立派なGOLDONI JUGENDだ。