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2007年03月 アーカイブ

2007年03月02日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI・3月の鑑賞予定≫

[演劇]
*3日(土)から22日(木)まで。   浜松町・自由劇場
劇団四季公演『はだかの王様』  
詳細:劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*3日(土)、4日(日)。      松本・まつもと市民芸術館
イルホム劇場[ウズベキスタン]公演
『コーランに倣いて』
原作:アレキサンドル・プーシキン
演出:マルク・ヴァイル

*1日(木)から18日(日)まで。    初台・新国立劇場
『コペンハーゲン』
作:マイケル・フレイン  翻訳:平川 大作
演出:鵜山 仁
出演:村井 国夫  今井 朋彦   新井 純

*17日(土)から24日(土)まで。  六本木・俳優座5階稽古場
 劇団俳優座LABO公演『地獄の神』
作:サム・シェパード
訳・演出:田中 壮太郎  装置:宮下 卓

*21日(水)から25日(日)まで。    下北沢・「劇」小劇場
『伴侶』
原作:サミュエル・ベケット  
コンセプト・翻訳:宇野 邦一  演出:三浦 基
出演:鈴木 理江子 ほか

[歌舞伎]
*2日(金)から26日(月)まで。    東銀座・歌舞伎座
 三月大歌舞伎 
通し狂言『義経千本櫻』 
出演:菊五郎 幸四郎 仁左衛門 藤十郎 ほか 

[音楽]
*8日(木)。           紀尾井ホール
『日本の作曲・21世紀へのあゆみ』第40回 室内楽・補遺
シリーズ第3期(1976~2000年)Ⅲ(最終年)
 
*27日(火)。           紀尾井ホール
『エルサレム弦楽三重奏団』

[展覧会]
*3月13日(火)まで。      大丸ミュージアム・東京 
『華麗なるハリウッド映画衣装展』

*3月31日(土)まで。      白金台・東京都庭園美術館
『だれもしらなかった
   アルフレッド・ウォリス
    ある絵描きの物語』
  
*4月8日(日)まで。        目黒・目黒区美術館
『チェコ絵本とアニメーションの世界』

*4月22日(日)まで。   丸の内・出光美術館   
『志野と織部』 ―風流なるうつわ―

2007年03月16日

推奨の本
≪GOLDONI/2007年3月≫

 『金と芸術』  グラムブックス刊
ハンス・アビング著 山本和弘訳 2007年

 芸術の仕事を始めようとする若者の多くは、懸賞金や競争者、自分の能力について曖昧な考えしか持っていない。それらについて知っていたとしても、勝ち目を正確に査定しようとはしない。もし勝ち目を正確に査定できれば、芸術を目指そうとする若者など、ほとんどいなくなってしまうだろう。自信過剰が彼らを正確な判断から遠ざけている。(略)
 芸術について与えられている情報は極端に不十分なものであることが多く、このような事態がひたすら自信過剰につながる。これとは対照的に、サッカー選手を目指す十八歳の若者は、自分の能力についてかなり明快なイメージを持っている。このことは現代音楽の作曲家を目指す十八歳や現代美術のアーティストを目指す十八歳には当てはまらない。彼らは芸術と自分の能力についての明解な情報をほとんど持っていないために、自信過剰になる様子が容易に見てとれるのである。さらに、サッカー選手は四年のトレーニングを積んだ後、自分の可能性についてより豊富な知識を得るのに対して、若い作曲家や若い美術家が同じ年月を経た後に持つ情報は、そのキャリアをスタートさせた頃とあまり変わらない。こうして、過大な自信を持ったまま、多くの時間を費やしていくことになる。
 こうしてみると、スポーツ界との違いが明らかになってくる。ここでは、プロになるべきかならざるべきか、そして、いつプロを辞めるべきかの明確な理性的判断を下すことは、そう難しいことではない。他の人と比較して自分の能力と自分の進展を測ることが可能なのである。スポーツ・マーケットは芸術マーケットに似ている。ほんのわずかの勝者と多くの敗者がいる、勝者がすべてを得る極端なマーケットだからである。しかし、スポーツはより情報が豊富なため、行き過ぎということは少なく、平均すれば最終的に敗者が支払うコストは、芸術を目指す場合よりも少なくて済んでいる。
 また、与えられる情報が誤って解釈されたり、無視されたりすることがある。後者の場合は、自己欺瞞という形をとる。自信過剰と同じく、自己欺瞞はアーティストの過剰と低い収入に結びつく。例えば、若者が自分の能力をチェックするための情報に当たろうとしても、おそらく最終的には自分を騙すことになってしまう。オーディションに行ったり、画廊と接触したりしなければ、彼らはマーケットに留まるべきか、去るべきかを決めるために、自分の能力を査定することができない。しかし、その結果が自分の能力についての自己評価に見合うものでないことを恐れるために、しばしばオーディションや面接に行くことを拒否する。このように、彼らは知らざることを選好するのである。若いアーティストは自分のキャリアに多くの投資をしてしまっているので、すでにゲームが終っている、という事実を受け入れることが難しい。このように、回避の姿勢が芸術においては比較的強いのである。
 芸術における懸賞金が高い一方で、アーティストは他の人々よりもリスクをとり、自信過剰で、自己欺瞞の傾向が強いために、より多くの人々が芸術に参入し、結果として、平均収入は他の職業の場合よりも低くなる(テーゼ38)
(「第5章 アーティストにとってのマネー」より)

2007年03月30日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/宮島惠一・2007年4月の鑑賞予定≫

[演劇]
*4月15日(日)から5月12日(日)まで。  浜松町・自由劇場
『オンディーヌ』
作:ジャン・ジロドゥ 訳:米村 あきら
演出:浅利 慶太
装置:金森 馨   照明:吉井 澄雄
詳細:劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/
 
*5日(木)から8(日)まで。 三軒茶屋・シアタートラム
青年団国際演劇交流プロジェクト2007
日仏合同公演『別れの唄』
作:平田 オリザ 翻訳:ユタカ・マキノ
演出・美術:ロラン・グットマン

[歌舞伎]
*26日(木)まで。          東銀座・歌舞伎座
四月大歌舞伎 二代目中村錦之助襲名披露
昼の部 『頼朝の死』『鬼一法眼三略巻 菊畑』ほか
出演:中村 吉右衛門  中村 富十郎  片岡 仁左衛門  
中村 錦之助 ほか

[オペラ]
*15日(日)、18日、21日、24日、27日。 初台・新国立劇場
『西部の娘』
原作:デヴィッド・ベラスコ
作曲:ジャコモ・プッチーニ
台本:グェルフォ・チヴィニーニ/カルロ・ザンガリーニ
指揮:ウルフ・シルマー
演出:アンドレアス・ホモキ
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
出演:キャロル・ヴァネス ルチオ・ガッロ  ほか

[演芸]
*11日(水)から20日(金)まで。   半蔵門・国立演芸場
『4月中席』
桂 歌丸(「宇野信夫作『心のともしび』」ほか

[音楽]
*20日(金)          築地・浜離宮朝日ホール
『アンナ・マリコヴァ ピアノ・リサイタル』
 曲目:バッハ  トッカータ ホ短調
   :ショパン バラード 第1番ト短調 ほか

*25日(水)          銀座・王子ホール
『ウラディーミル・フェルツマン ピアノ・リサイタル』
曲目:ハイドン ピアノソナタ 第49番変ホ長調
:シューマン アラベスク ハ長調
:シューマン 謝肉祭  ほか

*29日(日)          紀尾井町・紀尾井ホール
『ペーター・レーゼル ピアノ・リサイタル』
曲目:ハイドン    ピアノソナタ 第52番変ホ長調
   :ベートーヴェン ピアノソナタ 第32番ハ短調
   :シューベルト  ピアノソナタ 第21番変ロ長調 


[展覧会]
*5月6日(日)まで。    恵比寿・東京都写真美術館
『“TOKYO“マグナムが撮った東京』

*5月20日(日)まで。   竹橋・東京国立近代美術館 工芸館
『青磁を極める―岡部嶺男展』

2007年03月31日

推奨の本
≪GOLDONI/2007年4月≫

 『日本の芸術』  東洋経済新報社刊
 南 博編 1958年

 すぐれた創造的個性によって確立された高度の技術を、無能な子が世襲するとき、家芸は危機にさらされる。この危機を超越するためにコンクリートにされた制度、これが家元制度であるという歴史的な過去を持っているので、襲名によって家元の座につくということは、江戸時代いらい、当然のこととして踏襲されたきたのであるが、その当否や、新しい問題などが、公開の場で論じられたことがないので、世襲的に血縁者が中絶すると、技術的には優れた人がいても、その人が家元になることは、原則としてはなくて、家元預といった妙なことが行われている。日本舞踊の若柳流のように、どうして公選という近代的な形式による運営がなされないものなのであろうか。
 歌舞伎俳優の家々は、直ちに家元ではないが、家元的性格を多分に温存しているので、最近著しく豪華をきわめているこの世界の、襲名について問題を提起しておこう。
 近ごろの襲名に著しい現象は、権十郎は別として、勘三郎・羽左衛門・半四郎・左団次など、血縁よりは、むしろ技術によって、古い名優の家名が受けつがれることになり、その点では無能な血縁者がつぐより、はるかに進歩である。ただしかし、こうした襲名が、歌舞伎劇の演劇としての伝統的な強い要請によってなされたものかどうか。むしろ演劇以前の興行政策によって支配せれていることの方が大きいのではないかと疑いたくなるような印象が、どの襲名口上からも強くひびいてくる。もしそうだとしたら演劇の純一な伝統的要請に発していないことになり、残念なことであると思う。(執筆:西山松之助)
(「伝統芸術今日の問題 制度と機構 家元制度」より)


 本当にいい後継者を作るには、角力の親方が新弟子さがしに血眼になるように、金のわらじで素質のある子供をみつけて歩かねばならぬはずだ。代々伝わる名家の子でも、テストに外れた子はほかの職を選ばせるのが本当の親ごころというものだろう。そうやって厳重に選ばれた少年でさえ、何パーセントかは落伍せねばならないのが芸の道なのではないだろうか。それはともかく、素質の点では難のない子が稽古をはじめたとする。その子は怠け者ではなかったとする。それで、その子は立派な能楽師になれるかというと、またそれがそうはいかないのだ。(略)
 現在一流の能楽師を見渡しても、あれは師匠がよかったからあんなに立派になれたという人は、ほんの数人しかいない。あとはみな、こっそり師匠以外の人に教わったり、自分で努力をして芸境を高めていった人たちばかりだ。そういう努力がよく美談のようにうたわれるが、伝統芸術といわれる能や狂言が、いたずらに美談ばかり生んで、権威のある伝承の方法を確立しえないというのは、思えば情ない話である。本当は、能楽を含めた日本芸能専門の高校や大学ができ、そこで教育法の研究と実際の教育とをかねて行うというのが理想だが、これはいまのところ夢だ。(略)
 能は一生が修業だとはいうが、四十過ぎればもう自己完成の段階である。いや本当は二十代で基礎訓練は終り、あとは多くの先輩・友人・観客・批評家等の批判をよく噛み分けて、自己の研究で道を開いて行くべきもののようだ。三十過ぎて肉体の訓練に明け暮れるのではあまりに遅すぎる。
 こうして五十代になれば、一流の名手になるものはなり、虚名を売り出したものは充分売り込み終り、あきらめるものはあきらめて、落ち着いてそれぞれの道を歩む立場になる。だがごく稀に、六十過ぎて急に芸が伸びるというような例もあるから、あっさりきわめをつけるわけにも行かない。しかしまず五十代から六十代へかけてが能楽師の盛りである。七十の声を聞くと、どんな名人でも肉体的に故障が起りはじめる。常に好意的な能の観客は、障りには目をつぶって、名人芸のいい所だけ鑑賞してくれるからすむのだが、三度に一度は完全でないものをみせねばならなくなる。病気で体力が弱ったばあいはもちろん、いくら元気でも八十になって常時舞台を勤めるというのは、本当に芸に忠実な態度かどうか疑わしい。まあ立方なら六十代いっぱい、囃子方でも七十代の半ばまでだろう。それを過ぎたら、折をみて引退し、年に一、二回特別の機会に出演する程度にとどめるのが、立派な態度なのだと思う。(執筆:横道万里雄)
(「伝統芸術今日の問題 技術の伝承 能と狂言―能楽師―」より)