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2006年03月 アーカイブ

2006年03月02日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(壱)

GOLDONIご常連の内山崇さんと、昭和音楽大学オペラ研究所から、同研究所が昨年4月に開催したシンポジウムの講義録を頂戴した。
『提言と諌言』の昨年8月15日には、<バイエルンの招待者は大統領ただ一人>として、ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の総監督であるサー・ピーター・ジョナスの手腕や、世界でも高い評価を受ける同歌劇場の製作運営姿勢と、わが新国立劇場の体たらく振りを書いた。今回から数回に分けて、この講義録から、ジョナス氏の基調講演と質疑応答の幾つかの発言を要約しながら書いてみよう。
ジョナス氏は講演の冒頭、「オペラが何を意味しているのか、なぜ必要なのか、そしてなぜ皆様の将来のために必要か、また私たちが文化的施設、オペラ・カンパニーをいかに運営して、偉大なアーティストたちに芸術を表現する舞台を与えているか」を語るとし、20世紀後半を代表する文芸批評家のジョージ・スタイナーの言葉を引用していた。その一部を採録する。「悲しむべき事実は、人類の95%ないしそれ以上がバッハのフーガや、イマヌエル・カントの総合的先検性や、フェルマーの最終定理などにはいささかの関心も持たず、おおむね満足しながら(あるいは事情次第では苦しみながら)暮らし」、「世界的信仰の対象は目下のところサッカーである。午後の遅いお茶の時間のダンスミュージックやロックは、ベートーヴェンのソナタが退屈以外のなにものでもない何億という人々を狂喜させ、感動させ、慰める。」「テレビのメロドラマやクイズ番組とアイスキュロスではどっちが好きかと訊けば、前者を選ぶわれらが同胞の数は後者のそれの千倍にも達するだろう。ビンゴとチェスの場合もまた然り。選択肢がメディアと大衆市場の経済的支配によってあらかじめ決められ、まえもってパック詰めになっている場合でも、民主主義の理念や制度と基本的に一致しているのはまさにこの選択の自由なのだ。」(『G.スタイナー自伝』訳:工藤政司、みすず書房刊)
ジョナス氏は、上記の引用に続けて、
ほとんどの方は、≪アリオダンテ≫を見るより渋谷に行くことを選ぶ、同様に野球を見に行く方が、≪タンホイザー≫を見るよりはいいだろう。そして、テレビの前に座ってうつらうつらしたり、枝豆にビールを飲みながらテレビを見るほうが≪マイスタージンガー≫に行くよりよいだろう。それに対して、私たちは闘わなければならない、と語る。
なぜ芸術はそれほど重要なのか。それは、芸術が私たちの持っている社会を形成する儀式の一つだからだ。それは、集合的な儀式によって成り立っている。宗教、スポーツ、そして芸術である。しかし、現在一番人気があるのはスポーツで、過去数百年の間も私たちの生活に重要なものであった芸術の価値が、今は低下の危機に瀕している。……

2006年03月10日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(弐)

「私がミュンヘンで学ぶ必要のなかったことが一つあります」と前置きして、ジョナス氏は講演を続ける。以下はその要約である。
それは、英国人が生まれ持っている、権力を疑うことが市民にとって最優先される義務であり、また、芸術世界で働く者すべての義務でもある。政治家は都合よく、民主主義を標榜するが、それは逆に人々の発言を阻止して初めて効果的なのである。政治家は自らが代表する社会と同様に、芸術団体によって高尚な立場に置かれたがり、芸術団体を自らが所有するものとはき違えている。忘れてならないことは、政治家、特に大臣たちは、現実と婚姻関係にあること。だから、私のように、どの政党にも属さず、将来的野望も持たない者が、カンパニーの何百人のためにも、特に芸術的表現の自由が損なわれる危機がある時は、声を大にして発言しなければならない。また、芸術団体自体も、苦しい時代には援助、資源が限られるだけでなく、削減されかねないことは理解すべき。しかし、私たちが注意を払って行動しなければ、国家はグローバルな消費市場とマス・メディアとともに、ぎこちなくとも生き続けなければいけない芸術や芸術家、芸術団体を簡単に飲み込んでしまう。
「私がいるバイエルン州が一番得意なことは… 」とジョナス氏の話は続く。
それは、自動車を作ることだったり、ハイテクではない。あるいはサッカーでもない。ビールを作ることでもない。バイエルン、ミュンヘンが一番優れていることは文化である。町や州にとって、文化で栄えること、文化で知られることが最も尊いこと。同じことは西洋の社会、町、州についても言えることである。
文化が産業の繁栄の影響、きっかけになっている。企業の考え方、あるいはデザインにそれが現れている。アップルコンピュータしかり、BMWしかりで、同じことがシーメンスやポルシェにも言える。こういう企業は、利益のことだけを考えて成功したのではなく、文化とヴィジョンをビジネスに付け加えて栄えたのである。
今回は、ジョナス氏の政治権力、そして産業界との相互の影響関係についての意見を拾った。

2006年03月13日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(参)

And so, my fellow Americans. . .ask not what your country can do for you. ..ask what you can do for your country.

一昨年の12月4日の『提言と諌言』<ケネディ大統領の就任演説>で、ケネディのこのあまりにも有名な就任演説の一部を使って、演劇における自助努力の必要性を述べたが、ジョナス氏もこの講義でこのケネディの言葉を引用したあと、オペラ、芸術に対する国家や行政などの貢献や支援を当然視することなく、逆にオペラが持つべきそして尽すべき公共性、公共サービスについて語っている。以下は要約である。

『オペラが仕えるものは何か』、である。それは、聴衆、観客にだけではない。オペラという芸術様式、オペラの発展、芸術家、オペラを助成する国家や自治体、後援者や寄付者など多岐にわたる。伝統や遺産、オペラの同業者、歌劇場の職員、社会変革、民族意識、ファッション、流行、スタイル、財政上の責任、同業者による評価、マスコミ、一般社会、興行収入についてなど、さまざまなプレッシャーがある。とくに大切にしなければいけないものは、オペラという芸術様式とその発展であり、同業者の評価であり、歌劇場の職員であり、財政上の責任であり、そして一般社会と興行である。

また、ジョナス氏はマネジメントにも言及する。

歌劇場における統率、マネジメントに介在するものはインスピレーションである。そのインスピレーションによって、ヴィジョンによって、明確なリーダーシップによって、同僚にやる気を起こさせなければいけない。
オペラだけが人間の営みで一番創造的な分野ではなく、芸術に仕えるからといって特権的であるのでもない。我々オペラ・カンパニーで働く者の大義は、オペラという芸術様式によって、我々の精神の内なる声を探る、社会における我々の役割を探る、そしてこの地球という惨めな惑星の中にいる仲間とともに、我々の存在という問題について語り合う場を作るということである。

2006年03月19日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(四)

ジョナス氏の講義は続く。「オペラ・カンパニーとその統率」について語っているところを要約する。
忘れてならないことは、多くの成功しているオペラ・カンパニーには、高い社交性と高い連帯意識とがある。そしてその殆どの職員は他との競合を意識していて、自分たちを脅かす事象、たとえば政府や地方行政やスポンサーからの支援を失うことも経験している。また、自分たちの長所と短所も理解している。競合が、生き残ろうとの本格的な決意とヴィジョン以外にも、組織的問題であることも理解している。結局、成功しているカンパニーは、自らの存在理由、自らの使命、自らの社会的な務めを自覚している。
バイエルン州立歌劇場での我々の仕事は、今シーズンを例に挙げると、352回の公演をこなすこと。それは、53のオペラのプロダクション、20のバレエ・プロダクション、コンサートや実験的公演、リサイタル、レクチャー等々の開催である。
我々の目標は、出来るだけ幅広いレパートリーを取り上げること、そして出来るだけ高いレヴェルの公演を適正な価格で提供すること、オペラそのものを振興させ、アーティストを援助すること、そして多くの民衆にオペラを聞いてもらうようにすることである。
バイエルンでのオペラ制作は、次の基本姿勢を念頭に置きながら構想している。
その一、モーツァルト、ワグナー、シュトラウス、ヴェルディの4人の「この歌劇場の神様」の作品を取り上げる。
その二、この劇場でないがしろにされていたバロック時代の作品を復活させる。
その三、世界初演となる新しい作品を委嘱する。
その四、必ずしも人気があるとは言えない前世紀の作品を取り上げる。
その五、ベルカントの新制作を毎年組み入れる。
その六、一演目は私の好みの作品を観客に届ける。
そして、芸術ディレクター、マネジング・ディレクターの二人のインテンダント代理、音楽監督、バレエ監督、主任ドラマトゥルグ、制作監督、技術監督、広報・プログラム開発部長、音楽部長などのシニア・マネジメントの面々と、この六つの基本姿勢から選んだ企画を、インテンダントである自分の考え方、ヴィジョン、夢などを交えて話し合う。このプロセスがあることによって、自らが作るオペラや民衆に仕え、またそのことへの使命を認識することが出来るのである。
インテンダントの役割とは、チームのエネルギーや創造性を高めながら、自らの持つヴィジョンを貫くことである。

2006年03月24日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(五)

ジョナス氏のオペラ・カンパニーにおけるリーダーシップやカリスマについての話から、今回は氏の言葉を「講義録」から要約せずに(部分的には補足をしながら)書き写す。
「今までは、企画の骨格、カンパニーを促進させる骨格についての話をしました。いかに中枢をつくるか、どうやって肉づけをするか、その肉づけの周りに洋服を着せる。そうしてこのシーズンが、この(バイエルン州立歌劇場の)ブックレットにあるようにできていくわけです。また、人材の使い方も話しました。私が今日お話ししたことは、聴衆の皆さんの生活、それこそ医学、ビジネスなど、さまざまな面で取り入れられないことではありません。また、ドラマトゥルギーのことも話しました。やはり反復的な経営の中で、専門的な意見を取り入れることは大切です。そして自分の考え方を導入することによって財務的な結果につなげていくのです。すべてを実現するためには、やはりコストがかかります。コストを図ることと、私たちの夢を実現する過程とのバランスなのです。そのアイデアとは、だれが所有しているのでしょうか。一人の人間がそのプロダクションの一番のもととなる種を持っていたとしましょう。自分が大きなオペラ・カンパニーに属していれば、自分の種は、自分の持っているものではなくて、カンパニーのものになるのです。そのアイデアを所有するのは、インテンダントでもディレクターでもありません。最も有名な指揮者で、自分がそのアイデアを所有することにこだわってしまい、オペラ・ハウスをクビになってしまった人もいます。最近そういう例がありましたが、彼は間違っています。やはり自分の考えを皆のものにしていかなければいけない。その寛大さが必要です。」「芸術的、音楽的なだけでなく一般的なリーダーシップの面でも、それは知性やいろいろな失敗の経験から得たもの以上に、カリスマが重要になってきます。劇場の世界で「カリスマ」はとても大事です。人々を触発するだけではなくて、カンパニーの前に立って、彼等を政治的な攻撃や、多くの政治家からの非常に視野の狭い攻撃から守らなければいけないのです。」

「カリスマは自分のカンパニーを守るため、いろいろな政治的な、あるいはメディアの攻撃をかわす守りなのです。」

2006年03月26日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(六)

3月2日から続けている「ジョナス氏の講義録」だが、月末までにもう2、3回続けて取り上げる予定でいる。2006年3月のこの『提言と諌言』は、ジョナス氏の講義一色になりそうである。今回も、講義録から要約せずに(部分的には補足をしながら)書き写す。
「最後に一点、オペラ・カンパニーの統率については非常に難しい問題で、パフォーマンス(公演、公演の成果)をどうやって秤にかけるかです。ここで一ついいことがあります。それは、芸術というものは計れないのです。色々なマネジメントやメディアが、また政治家たちも、芸術の結果を計ろうとしました。しかし、パフォーマンスは一人一人の人間にみんな違う印象を与えるので、客観的に計ることは無理なのです。
今日この話の最初に、自分たちが仕える対象を挙げたと思います。そこに戻りましょう。その一つ一つに対して、どのように自分たちが業績を上げられたか、実際にチケットの売上がどうであったか。そういうことをもとに、自分たちを守らなければいけません。自分たちが仕える対象にいいものを提供できない、チケットが売れない、その二つがありますと、やはり自分たちを守ることは難しいです。もちろん、皆がすべての作品を好むわけはありません。彼等が何が好きで、何を好まないかもやはり受け入れるべきです。すべてのパフォーマンスに皆が色々な反応をします。ネガティブな反応というのは、やはり何か刺激されているということなのです。美的意識が刺激されたり、また自分の知らない世界を突きつけられたり、抑えつけていたものを見せつけられたりするときなのです。オペラの作曲家の中では、言葉がリブレットや歌詞として、プロメテウスの炎のように燃えています。でも、人々はリラックスして、ただ美しい音楽、美しい声に溺れるためにオペラには行きません。東京で一日働いた後、オペラに行ってリラックスしようとは考えないでください。リラックスするためには、サウナに行くほうがよっぽど効果的です。」
「オペラは、人々の考えを刺激するためにあるのです。」

2006年03月28日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(七)

サー・ピーター・ジョナスは、非常に説得力のある、的確かつ示唆に富んだ長い講演を終えて、会場からの質問を集約するモデレーターと再び壇上に上がった。
最初の質問は、ジョナス氏が芸術監督、劇場総監督として活躍してきたシカゴ、ロンドン、ミュンヘンの三都市のスタイルの違い、オペラ上演の違いについてである。
ジョナス氏は答える。以下は要約である。
私はロンドン生まれであり、ロンドンは非常に気楽に感じる。本当にいい都市だと思うが、生まれたところだから、あまり影響を受けない。シカゴは20世紀の新しい世界、建築、視覚芸術のエキサイトメント、いろいろな意味でニューヨークよりもエキサイティングで美しい都市である。ニューヨークとニースを組み合わせたところもあって素晴らしい。
シカゴからロンドンに戻って、エキサイティングな時を過ごした。サッチャー首相の時代で、私が総監督を務めていたイングリッシュ・ナショナル・オペラは、僅か3、4年の間に、それまでの助成金7割、劇場収入3割の劇場の総予算の比率を、50対50に変えさせられた。サッチャーからすれば、「芸術は権力に反対する」ものだが、芸術、芸術団体にとっては、「反対をする対象がある」ことが重要である。
90年代初頭のミュンヘンは、非常に保守的で、世界の代表的な文化都市だが、人口はたったの110万人で、オックスフォードの2倍ほどの小さな都市である。オペラとしては、シカゴは非常に保守的で、私がいたころよりももっと保守化している。ヨーロッパではよく言われることだが、ベルリンの壁は崩れたが、その壁は大西洋に行ってしまった、と。アメリカには11年住んだが、同じ英語を遣っても、通じ合わない。話が出来ない。最近はブッシュによってアメリカは変わった。そういうことは、オペラの解釈にも影響を与えている。ロンドンもオペラや演劇が保守化してきている。これは政治的理由よりは経済的理由からだ。今のロンドンは、経済のジャングル、容赦の無いところ。物質的な価値のみが大切になり、芸術団体にとっては大変につらいところになってしまった。ミュンヘンは芸術的な自由度も高いが、保守的でもある。新しいプリミエの製作はアイデアの戦場と化し、上演時には敵がずらりと並ぶほど。公演後はブーイングし合い、叫びあって攻撃し、また賞賛し合う。ミュンヘンは、こんなことが起るほど、芸術的に生き生きとしている都市である。

2006年03月29日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(八)

ヨーロッパやアメリカの都市が保守化する社会情勢が、バイエルンのオペラ劇場の運営、オペラの製作にどう影響しているか、また、若い世代にオペラを見てもらうためのバイエルンの具体的方法はどんなものか、とのモデレーターの質問に、ジョナス氏は答える。以下は要約である。
まず第一には、国家・地方行政の財政状況、税収の悪化などのマイナス要因がある。
従って、劇場予算のより多くを直接の事業収入から得なければならない。このことは10年20年と長期スパンで実施していくべきことであり、我々はアグレッシブなビジネスのように運営している。劇場のマーケティングも非常に現代的になっている。現在のドイツの経済状態は決して良くなく、厳しい運営を強いられているが、362年の途切れのない歴史を歩んできたバイエルン歌劇場は、現代のバイエルンの人々の精神にも根付いている。
マーケティング、料金設定にも充分配慮している。公演によっては、立見席は3ユーロ(約420円)、5ユーロ(約700円)で見られるようにしている。
その次には、舞台でどれだけ冒険ができるかだ。政治家や官僚たちは、こういう難しい状況では保守的であるべきだと言うが、我々は、人々を刺激し続けなければいけない。芸術を通してそういう活動を続けなければいけない。よりチャレンジングなオペラ製作が必要であると考えている。
若い人達には、劇場の公演に足を運んでもらいたく、低廉な席を用意している。彼等のためのプログラムも作り、また歌劇場のメンバーが学校にも出向く。小さな子供たちが歌劇場に通うという経験を憶えるようにしている。我々のオペラ製作では、現代的冒険的な作品は聴衆の中に若い人たちが多い。オペラがただ楽しむためのものではなく、自分たちのことを語っているものであることを理解させ、我々のメッセージを伝えなければならない。そのメッセージは、「オペラはみんなのため」という短いものである。短いメッセージであれば、つまみ食い的な選択を好む若い世代にも理解できる。そして将来的には、オペラは講演の中で写したビデオほどに短いものなっていくのかもしれない。バイエルンのオーケストラの演奏家たちにも、『マイスタージンガー』を5時間演奏するよりも、ビデオ・クリップの短さのほうが好きという若い世代もいるのだから。

2006年03月30日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(九)

ジョナス氏のマーケティングについての答えは続く。
我々が目指したものは、洗練されたターゲティングをするオペラ・ハウスを作り上げること。バイエルンのホームページなどのヴィジュアルや印刷物等でのグラフィックのイメージは、12年間変わらずに一貫している。地元の自動車メーカーであるBMWのロゴと同じように、歌劇場のイメージは聴衆に広く理解されている。それをマーケティングのテクニックに加えた。また、ボックス・オフィスをコンピュータ化して、聴衆のチケット購入の分析をしている。たとえばバロックのチケットの購入者にはバロックの情報を、ワーグナーの購入者にはワグナーの情報を送る。指揮者や演出家、歌手についての好みも分析してその顧客にあった情報を送るようにしている。そのためには多くのハードウエア、ソフトウエアが必要になってくるが、これを活用してメーリングをした時の効果は非常に高い。
我々は、すべての席、立見席が売り切れるまでは、「完売」と言う言葉は使わない。バイエルンが、いつも完売だというイメージを作り上げれば、人々はかえって来なくなる。
また、招待席をなくした。州の首相以外はどなたにもチケットを買って戴く。有力者がチケットが取れないと言ってくれば、「もちろんチケットを取って差し上げますよ。クレジット・カード・ナンバーは?」。これでクレームなしでチケットを購入してくれる。

2006年03月31日

バイエルン総監督・ジョナス氏の講義録(十)

サー・ピーター・ジョナスは、サセックス大学で英文学を学び、マンチェスターとロンドンとニューヨークの音楽院の大学院課程でオペラと音楽の歴史を修め、キャリアの殆どすべてを歌劇場の運営に携わった人物である。
ジョナス氏は、13年務めたミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の総監督を、2005/2006年のシーズンが終るこの7月には退くことになっていて、1974年に名匠ゲオルグ・ショルティ率いるシカゴ交響楽団のアシスタント、芸術監督(76年)になってからの三十年余のインテンダント生活に別れを告げようとしている。
氏は現在60歳、質疑応答の後半では、「インテンダントの仕事は、自分の生活を捨てるということでもあって」、「引退して、自分の生活を取り戻したい。そして趣味の長距離歩行をしたい」と語る。「スコットランドの一番北から、ヨーロッパの一番南のパレルモまで。それから、ワルシャワからリスボンまで。リュックを背負って、毎日20キロ、30キロの歩行をしたい。60歳からは人間の体は変わり、特に膝が駄目になり、1日20キロの歩行は67歳を超えると出来なくなるというので、出来るうちにやりたい」とも。
今月のブログ『提言と諌言』は、昨2005年4月9日、ドイツ文化会館OAGホールで行われたシンポジウム『オペラ劇場運営の現在・ドイツ』(主催・昭和音楽大学オペラ研究所)でのバイエルン州立歌劇場総監督のピーター・ジョナス氏の講義と質疑応答を取り上げたが、氏の質疑応答での最後の言葉を採録して、年度末の最後の「提言と諌言」とする。

我々は我々の感情、思考、感覚を伝えていかなければいけない。朝食の席とか、シンポジウムでは伝えられないものを、「舞台」では伝えられる。愛、憎しみ、感情、善悪ということはどういうものかを伝えられる。社会に生きるとはどういうことかというメッセージ、あるいはインスピレーションを、「舞台」の中に見つけることができる。コミュニケーションの最大最高の形態、それが私はオペラだと思っている。