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2011年10月 アーカイブ

2011年10月01日

GOLDONI開設11周年のご挨拶(続)

 拝復
 先日はご祝意を賜りまして有難うございます。
 学生時分から十年余り続けていた舞踊、演劇の現場から離れ、その後に企業経営の真似ごとを七年ほどして、齢四十で舞台芸術の環境基盤整備、樹木医に擬えて劇場医のような仕事などもして二十年近くなります。
 この二十年の間にも、作品、人材の質の低下、劣化は止まらず、相変わらずのハコモノ行政による公共ホールの乱造や、税金を使った助成金のバラマキなどに見られるお粗末な文化行政もあって、舞台芸術の世界はより悪化しています。それらを正すことが、真の舞台芸術振興だと思い定め、舞台芸術の環境基盤整備をライフワークとしてきましたが、果たして身を削ってまで、経済的な負担に耐えながら遣るべき務めかと、諦めそうになったことも幾度かはありました。しかし、乏しい才能、微かな専門性を生かす道は、やはり幼少からプロフェッショナルになるべく周囲から望まれ、鍛えられ、学び、実践してきた「舞台」とその基盤整備しかありえず、可能であればあと数年でも、自分なりの集大成にしてみたいと今は思うようになりました。

 先日お送りしましたように、不躾ながら、メールで年に一度、開設の御挨拶をさせて戴いています。これは、挨拶と言うよりも決意表明だと言われることも多いのですが、無名の演劇人がひたすら、その環境を少しでも良好なものに、また豊かなものに、そしてより厳格なものにと、徒労に終わりそうなことに厭きずに続けていることの報告です。

 私のささやかな活動を私の知人から聞かされた映画監督の熊井啓(故人)さんは、「映画には啓蒙家は出てこない。こんな時代に、演劇の啓蒙家がいるとは驚きだ。演劇というのは痩せても凄いものだな。」と言われたそうです。
 熊井監督の映画も知らず、また面識もありません。ただ、映画人に「演劇というのは痩せてもすごいものだな」と言われた演劇人として、その言葉を裏切らない活動を、この先もささやかでも続けていこうと思っています。

 九代目市川團十郎の、そして市川三升の墓に手を合わせれば、そしてGOLDONIの書棚に飾ってある両先達の写真を見つめれば、いつも、「辛い仕事だが、お前しかいないのだよ」の声が聞こえるような気がします。   
 九代目を、三升を、彼らの演劇人生を裏切らない活動を、暫くは続けていこうと思っています。
 
 また、厳しいご指導ご鞭撻を賜りたく存じます。
 ご多忙かと思いますが、偶さかのお手隙の折にお出掛け下さい。

2011年10月03日

推奨の本
≪GOLDONI/2011年10月≫

『社会百面相』(上・下) 内田魯庵著 
岩波文庫 1953年 
 

 ≪急速な変化を遂げる日清戦争後の日本社会。政治家、官僚、実業家から学生まで、社会の各階層を諷刺的にスケッチした異色の短編集。(文庫カバーに記載)≫


 「はァ、局長の咄では大臣の三番目の娘とかが丁度年配が宜かろうと申し升ので…」と若きフロットコートは一段と醉顏を熱らしつグツと盃を呑乾した。
 「貴公の方の大臣なら政黨と違つて新華族中の資産家だし、名望も力量もあるから之から猶だ中々働けるし、貴公が出世の踏薹には至極持つて來いぢや」
 (略)「殊に局長の内密の話では、愈々私が貰ふことになれば官等を一等進めた上に海外へ遣つて呉れる筈です。」
 「そりやァ巧いナ。貴公、餘程大臣に取入つたと見えるナ、」と主人公はシゲシゲと靑年の顔を瞻めつ莞爾々々と微笑を含みながら、「磊落を看板とした貴公が餘り早く官員臭くなつたと思つたら、爾う云ふ見掛けた山があつて謹愼しおるンだね。油斷ならない男だ。」
 「そういふわけぢァありませんがナ、代議士になるさへ一萬二萬の運動費が要るですから我々無資力者は民間政治家たるよりは矢張刀筆の吏となつて鰻登りに行く方が近道だと、着實な方便を取ることにしたです。」
 「さうさう、貴公のやうに高等官試験に及第して官吏となつて大臣、新華族、或は紳商の娘を貰ふのが最も當世流だよ。成程着實と云ふのかも知れんナ。今の社會を渡るには之が保險附の一番安全な方法だからナ。」
 (略)「併し先生は此次の内閣には大臣におなりのやうに専ら申しますが…」
 「大臣には誰だつて成れる。刀筆の吏には容易になれないが大臣なら木偶だつて出來る。併し大臣になつたッて仕様が無い。自分の抱負が實行出來るぢやなし、五百や千の月給を取つたッて我輩のやうな負債家は燒石に水だ。(略)政黨の出身者は秘書官だつて官房長だつて大臣だつて悉く同様に政黨の後援を恃むんだから役割の都合で各々任に當るんで個人の人物力量に甲乙があるわけぢやァない。例へば芝居で主人の塩谷判官に扮る俳優が家來の大星由良を勤むる俳優より良いといふわけではないのと同じ事だ。我輩なぞは高等官二等の微官に居るんだが心持は既に大臣になつておる。此上大臣になりたくもない。成つたッて仕様があるものか。」(後略)
(「新高等官」より)


 「それぢやテ、代議政治は全て破滅ぢや、勿論議會は政府を仇敵視するが能事ぢやないから、及ぶだけは和哀協同の實を挙げたいのぢやが、政府をして頼らしむる能はず、議會却て政府の鼻息を伺ふて合槌を打つやうでは代議政治はまるで滅却ぢや。奈何も日本人は國家あるを知つて國民あるを忘れおるやうぢやから、國民を代表するといふ眞正の意味が理解出來んと見える。それぢやもんで、日本全國を代表する議會が國民全躰の利害を度外に置いて名々の撰擧區の利益を重んずる傾向があるやうなわけで、段々と詮じ詰めた處が終局には第一に自己の算盤を彈き出すやうになる。畢竟國民全躰の利益は即ち國民の一人たる自分の利益ともなる道理が解らんと見えて、國民全躰の利益を計つて己れの撰擧區民及び自分も其同一利益の恩に沐せしめやうとは考へない。皆其順序を顛倒して國民の幸福よりは撰擧區の利益、撰擧區の利益よりは第一に己れの慾を渇く算段に掛る。尤も一般に公徳の缺けておる國ぢやから獨り代議士を罪するわけには行かぬが、せめて代議士の品位を保つて政府に盲從するは仕方が無いとしても素町人の株屋風情に叩頭して愍を乞ふやうな醜躰の無いやうにと。」
 「でがアすナ、」と地方有志家らしき四十恰好の羊羹色のフロツクコートは不意に頓興な調子を合はした。
 「まだしも政府と議會と肝膽相照すは寛大に見られるが、株屋と議會と常に肝膽相照す醜狀は鼻持がならぬ。といふのも畢竟は國民一般が立憲の知識に乏しくて撰擧する者も撰擧せらるる者も代議士の本分を理解せんのぢやナ。元來日本は一千年來武士が天下を私しして他の農工商は武士に蹂躙けられおつた餘風が殘つて、御一新後四民全權になつても政治に容啄しする者は矢張士族に限つてゐた。然るに政府が大いに人材網羅をしたので少と小手の利いた奴は大抵官員に有附いて了つたから、其跡の篩漉しに漉して殘つた渣滓は無資無碌無學無才無能無分別といふ無い者盡しで喰ふ事が出來ない苦し紛れに初めたのが卽ち政治運動ぢやな。渠等は人權の自由のと云ひおつたが畢竟は人民を犠牲にして士族の喰場を發見けやうとしたのぢやな。それぢやから人民の總代となつて請願筋で地方廰或は中央官衙へ出る場合も日當旅費辯當代を目的としたもんで中には馬鹿正直に佐倉宗五郎を氣取る者もあつたが大抵は先づ何にも知らない百性をおだてて請願で飯を喰はうといふ連中なのぢや。それぢやもの、英國の代議政躰の發達とは大いに成立の順序を異にしおる。人民が自家の權利を自覺して自ら國政に参與しやうといふので血を以て憲法を買つて議院政治を創めたのでなく、士族が喰稼ぎに政治運動を創めて跳ね返りの彌次馬が面白半分に飛出し、御祭禮をする了簡でワイワイ囃し立てて憲法を祈り出したのぢやから、肝腎の代議政治の思想は少も發達しおらんのぢや。尤も我輩も其連中の一人で君達に對すると汗顏に堪へんがの…」(後略)
(「代議士」より)

2011年10月04日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2011年10月の鑑賞予定≫

[演劇]
*7日(金)から12月16日(金)まで。            浜松町・自由劇場
 劇団四季公演
『コーラスライン』
<オリジナルスタッフ>            <日本版スタッフ>  
原案・振付・演出:マイケル・ベネット     日本語台本・演出:浅利 慶太
       台本:ジェームス・カークウッド         翻訳:新庄 哲夫 
          :ニコラス・ダンテ             美術:金森 馨
       音楽:マーヴィン・ハムリッシュ         照明:沢田 祐二
       作詩:エドワード・クレバン
 劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/


[音楽]
*13日(木)                    紀尾井町・紀尾井ホール
『オーストラリア室内管弦楽団コンサート』
ヴァイオリン:リチャード・トネッティ
   ハープ:吉野直子
演奏曲目:メンデルスゾーン:シンフォニア第10番ロ短調
         ヘンデル:ハープ協奏曲 作品4-6
         武満 徹:ノスタルジア
       ドビュッシー:神聖な舞曲と世俗的な舞曲
      シェーンベルク:浄夜 作品4


*14日(金)                     晴海・第一生命ホール  
『ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団コンサート』
 ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル、エクハルト・ザイフェルト
   ヴィオラ:ハインツ・コル   チェロ:ゲアハルト・イーベラー
 クラリネット:ペーター・シュミ―ドル
演奏曲目:モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番変ロ長調「狩」k.458
            弦楽四重奏曲第21番ニ長調k.575
            クラリネット五重奏曲イ長調k.581    


*24日(月)                吉祥寺・武蔵野市民文化会館 
『ベルリン・バロック・ゾリステン』
 ヴァイオリン:ライナー・クスマウル、樫本 大進
演奏曲目:J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調
                    第2番ホ長調 
           2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 


*29日(土)                     赤坂・サントリーホール
『内田光子&ハーゲン・クァルテット』
    ピアノ:内田 光子
 ヴァイオリン:ルーカス・ハーゲン、ライナー・シュミット
   ヴィオラ:ヴェロニカ・ハーゲン  チェロ:クレメンス・ハーゲン
演奏曲目:ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調OP.131
       ブラームス:ピアノ五重奏曲へ短調OP.34


[展覧会]
*11月6日(日)まで。  浦和・うらわ美術館/埼玉県立近代美術館
『生誕100年記念 瑛九展』

*11月13日(日)まで。        早稲田・早稲田大学演劇博物館  
『七代目市川團十郎展』

*11月27日(日)まで。             茅ヶ崎・茅ヶ崎美術館
『川上音二郎・貞奴展』
(休館日:10月11、12、17、24、31、11月4、7、14、21、24)

2011年10月05日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(五)

 朝日新聞朝刊の経済面にある社外筆者による『経済気象台』はいつも目を通すコラムだが、9月22日「組織の3要素」は民主党、中央官庁批判として面白く読んだ。
 <経営学の泰斗、米のチェスター・バーナードは、組織成立の条件として三つの要素を挙げた。共通目標、協働意思、コミュニケーションである。>
 <わが国の官僚組織も、この3要素を立派に備えている。国民への奉仕という本来の目標を見事に無視し、官僚の相互繁栄という互助組織を共通目標とした。省あって国なしと言われ、退官した官僚をトップとするピラミッド型組織の中で、組織拡大を貢献基準とする協働意思を成立させている。外郭団体を含めて増殖を重ね、今や暴走状況に近い。> 
 <官僚を抑えるのは、本来政治家である。だが、現政権の民主党には、政党としての持続性にさえ疑問符が付く。驚くべきことに民主党は、組織目標となるべき綱領を持たない。このため構成員のベクトル合わせができず、コミュニケーションも成り立っていない。>
 <新首相は、組織を立て直すのではなく、官僚組織が担ぐみこしに乗ろうとしているように見える。だが、共通目標などの3要素を欠いた組織が存続するというのは、経営学的には成り立たない話ではある。(ドラ)>

 本題である。
 『週刊新潮』9月8日号は、劇団四季の東北特別招待公演『ユタと不思議な仲間たち』を、≪被災地縦断「劇団四季」が原発30キロで届けた笑顔≫とのタイトルでグラビア2ページで大きく取り上げている。
 <9月に入って新学期を迎えた各地の学校。被災地の子どもたちもまた、震災の悪夢から夏休みを経て少しずつ笑顔を取り戻していた。
 そんな彼らの思い出作りに一役買ったのが「劇団四季」の被災地公演。7月下旬から約1カ月間、岩手、宮城、福島の被災地の13都市を回りのべ1万3000人を無料招待した。
 千秋楽を迎えた8月26日。会場となったのは、福島第一原発からおよそ30キロに位置する南相馬市立鹿島中学校だ。避難所だった体育館が、この日ばかりはミュージカルの舞台になるとあって、児童や保護者約1400人が詰めかけた。> 
 <招待された学校の中には、原発の警戒区域内にあるため、子どもたちは他校での疎開授業を強いられている。引率に来た同市立小高中学校の教頭が言う。「県外へ避難した友人に会えず寂しい思いをする子もいます。でも、今回の劇を見た生徒らの表情は活き活きとしていました」
 また、子どもたちも、「哀しいことがあったけど、今、生きているのはとても幸せなんだと感じた」と前向きな感想が多い。だが、内部被曝を恐れ未だマスクをつけた子どもの姿が今の"フクシマ"を示す。この地に安息が戻ってくるのはいつの日か。>

 

2011年10月06日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(六)

 佐々淳行氏の著書 『わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト』 (文藝春秋、2000年刊)を読んでいたら、「文化庁予算の大幅削減について」考える参考になる記述が多くあった。そのいくつかを、このブログの「推奨の本」の体裁で紹介する。

 圧巻だった「後藤田五訓」
 総理府一階の大会議室で催された内閣五室制度発足の式典における後藤田正晴官房長官の初訓示は、圧巻だった。
 「……以後、諸君は大蔵省出身だろうが、外務、警察出身だろうが出身省庁の省益を図るなかれ。
 『省益ヲ忘レ、国益ヲ守レ』。省益を図ったものは即刻更迭する。
 次に、私が聞きたくもないような、
 『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』
 第三に、『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』。「こういうことが起きました、総理、官房長官、どうしましょう」などというな。そんなこと、いわれても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は「私が総理なら、官房長官ならこうします」と対策を進言せよ。そのために君ら三十年選手を補佐官にしたのだ。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ。
 第四に、『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』。オレの仕事だ、オレの仕事だといって争え(積極的権限争議)、領海侵犯をし合え(テキサスヒットを打たれないよう)お互いにカバーし合え。
 第五に、『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』。大いに意見はいえ、しかし一旦決定が下ったらとやかくいうな。そしてワシがやれというたら来週やれということやないぞ、いますぐやれというとるんじゃ、ええか」
 隣りにいた国広外政審議室長が横腹をこづく。耳を寄せてきき耳たてると、「五項目、いう時、官房長官、佐々さんをにらみつけていたよ」と囁いた。
 
 実に簡にして要を得た名訓示だった。
 この五項を私は「後藤田五戒」または「後藤田五訓」と名づけた。
 この五訓を裏返すと、まさに危機管理最悪の敵の「官僚主義」になる。「国益」をそっちのけにして「省益」を争い、「悪い本当の事実」は報告せずに上司に耳に心地のよい情報ばかりあげ、大事な時には「意見具申せず」沈黙し不作為を守り、何か起きると「オレの仕事ではない」と消極的権限争議に耽り、「決定」が下っても従わず、「命令」はなし崩しにウヤムヤにする……これが「官僚主義」なのだ。
 ときの内閣五室長は、この後藤田五訓を忠実に守り、憎まれ役覚悟でそれを実行し、顔を見合せていいあった。
 「オレたちは隠密同心、内閣のため国益優先で本気でやったら、親元には戻れなくなるな、死シテ屍、拾ウモノナシだ」

 官房長官は国家行政組織法で設置された二十一省庁の役人たちの要で、政治と行政のジョイントである。だからこの要のポストに座る人が、
 「悪い報告をした部下をほめよ、悪い報告をしなかった部下を罰せよ」(五世紀。フン族のアッチラ大王)という発想の持ち主で、
 「よい報告は翌朝でよいが、悪い報告は即刻我を起こせ」(ナポレオン)
 という情報処理マニュアルを部下に示してくれる政治家だと、各省庁の次官・局長・官房長は、自省庁の大臣にもいい難いことを持ち込み、まるで「駆け込み寺」みたいになってしまった官邸にきて、後藤田長官や藤森副長官、さらには、お耳役の私たち室長に耳打ちして、重荷をおろしてサッパリした顔で帰ってゆく。
 
 「後藤田五訓」は様々な波紋をよんだ。
 その一つは、大蔵省の反応である。
 私たち新設の五室の職員たちが室長以下感激に浸っている頃、ときのY大蔵省事務次官は大蔵省幹部に対し、「後藤田官房長官がなんといおうと、大蔵省は大蔵省の『省益』最優先だぞ」という訓示を下したという。
(「第三章 内閣安全保障室の誕生」より) 

 最初の試練・大島三原山噴火
 後藤田官房長官が心配したとおり、もしも三原山の溶岩流が元町をのみこみ、さらに海中に流入したら、一大水蒸気爆発が起こり、大島一万三百人の住民と三千人の観光客の大多数が吹っ飛んでしまうだろう。
 まさに「多数の人命を脅かす治安問題にかかわる大災害」だ。
 国土庁は、夕方から十九関係省庁の担当課長を防災局に集めて延々と会議を催しており、官邸には一報もしてこない。
 こちらから私が電話をいれても、藤森副長官が名を名乗って電話しても、「会議中です」の一点張りで埒があかない。
 藤森副長官は、「国土庁に任せておけない。これは伴走しましょう」と方針を示す。
 会議嫌いの後藤田官房長官が怒り出した。
 「なんの会議をやっておるのか、議題は何か、すぐきけ」との仰せ。
 正規のルートでは、国土庁長官から内閣総理大臣へ情報報告がなされることになっていて、官房長官、副長官には制度上入らないようになっている。だから裏から手を廻して、一体なんの会議をやっているのか調べてみて驚いた。
 第一議題は「災害対策本部の名称」。
 大島災害対策本部か、三原山噴火対策本部か。
 第二議題は、「元号を使うか、西暦にするか」。昭和六十一年とするか、西暦一九八六年にするかだという。
 なんでそんなバカなことを……ときくと、万が一昭和天皇ご高齢のため、元号は変るようなことがあれば……、しかし、西暦は前例がないからと議論しているという。
 第三議題は、臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議にするか……だそうだ。

 後藤田官房長官にその旨報告すると、一瞬絶句したが、
 「そんなことしてると、一万三千人の人名が危い。よし、内閣でやろう。協定もへったくれもない。安保室長、君、やれ」
 と瞬時にして命令が発せられた。

(略)国土庁の会議は続いている。
 官邸では中曽根総理直接指揮の下、平沢秘書官と私の参考通報が効を奏して後藤田官房長官のところに関係省庁の局長級が自発的に参集し、テキパキと大救出作戦が進行していた。
 十九省庁の関係課長たちは国土庁で会議中だが、官邸には局長レベルの危機管理委員会がアドホックに編成されて機能しているという、およそ非官僚的な、政治主導型官邸直率型の災害行政が行われているのは、誠に壮観、奇観だった。

 国土庁の会議が終わったのは午後十一時四十五分。彼らが外へ出てみると官邸を中心に大島島民と観光客あわせて一万三千三百人の大救出劇がすでに進行していた。
 約三時間で海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の巡視船艇、東海汽船のフェリー船など、約四十隻が大島に集結し、元町港、波浮港などから老若男女の避難民を海上に脱出させる救助活動が行われた。
(「第五章 総理官邸の「危機管理」より)


 商魂が士魂を辱めた「リクルート事件」
 リクルート事件というのは、「金爵結婚」(明治・大正時代、華族と成金とが結婚したこと)だったと思う。
 同じ時期に大学を出て、私企業に入って利潤追求するよりは、法律と税金による予算とを使って、天下国家の大計、外交とか財政とか通商政策とか治安防衛とかを実施できる政治・行政の道を選んだ者たちが、日本の行政を支えてきた。
 しかし、その中には、定年が近づくにつれ退職金で家も買えず、子弟の大学教育や結婚の資金に苦労し、年金もつかない勲章という「名誉」だけが残る第二の人生に想いを致すような者もいる。
 他方、日本経済の発展と国民の生活の向上のために、また、家族にも豊かな生活を、と孜々営々努力し、成功した経済人の多くは、社会奉仕のために政府審議会委員になったり、各種のボランティア活動をするようになる。だが、中には、勲章とか宮中晩餐会や国賓行事への招待、栄誉礼など、社会的地位や名誉がほしくなってくる者もいて、名誉職である経済諸団体の役員や各省庁の各種審議会の委員に就くための運動をし、勲章に至る大臣表彰、褒賞などの加算点稼ぎに時間と金を費やす。
 だからリクルートの江副会長は、有力な政治家、経済人、マスコミの大物に利益供与し、褒賞、勲章への道である労働省と文部省に贈賄することとなったのではあるまいか。
(略)退官間近の高級官僚は、マイホーム・ローンとか、子弟の教育費とかに追われて、リクルート株を買う三千万円なんていう現金がある訳がない。「そこへ、貴方のような方にわが社の安定株主になって頂きたい。三千万円お出しになればすぐ五千万円になって返ってきます。お金がない? それはご心配ご無用。リクルート・ファイナンスが無利子・無担保、ある時払いの催促なしでお貸しします」とくる。
 二千万円の臨時収入といえば三十年公務員として勤務して手にする退職金の半分ぐらいにあたる。
 だが、待てよ、公務員が株式に手を出していいのだろうか? 公務員倫理観がブレーキをかける。
 すると「歴代総理や現職大臣、党三役も野党もマスコミも財界人もみんな買ってます。お堅いので有名な文部・労働の次官も買ってます」とさらにいわれれば、ではオレも大丈夫かな、買ってみようかとなる恐れは、誰にでも多分にある。
 それだけに、リクルート事件というのは、封建時代や戦前の「金爵結婚」の匂いがたちこめる誠に不愉快な事件で、まさに「商魂が士魂を辱めている」戦後日本を象徴する事件だったのである。
(「第六章 ポスト後藤田の「危機管理」」より)

≪後藤田五訓≫
『省益ヲ忘レ、国益ヲ守レ』
『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』
『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』
『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』
『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』

2011年10月11日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(七)

 長谷川孝治氏の著書『地域と演劇―弘前劇場の三十年』(寿郎社 2008年)に、文化行政のあり方、助成のあり方、そして「文化庁予算の大幅削減」について考えるに相応しい文章があったので、前回同様に「推奨の本」の体裁で紹介する。

 ≪芸術・文化に対して行政は一体何ができるか。この時期青森県の文化担当行政官であった私と同い年の白取功は、まず非常にバランスの取れた考え方をする人物で、さらに津軽弁で言う「ずるすけ」(直接的には不良を指すが、ずるいという負の意味よりもマキャヴェリズムという現実主義者を指す場合が多い)であり、しかも知的レベルも芸術的なセンスも群を抜いていた。
 「行政は才能を育てることはできない。その出現の土壌をこしらえることができるだけだ」という私の持論を深く理解していた。だが、広く浅く助成金を与えるという従来の行政手法を否定していた。真のパトロネージュとは彼の言葉を借りれば「一蓮托生」である。県民に対するアカウンタビリティーは自分が考える。長谷川はオマエの信じることをすればそれでいい。
 六年前、彼が癌で急逝したとき、「青森県の文化行政は一〇年遅れる」と考えたのは私だけではなかった。今では民間に移行したが「ファッション甲子園」の土台を作り、県立美術館にパフォーミングアーツ部門を作ろうと最初に構想したのも彼だった。「ハコモノは金さえ出せばできる。しかし、コンテンツはそうはいかない。これからの美術館に必要なのはスタティック(静的)な作品ではなくて、キネティック(動的)な演目だ」と堂々と語る彼は読書家で理論家で実践家だった。
 権利だけを主張する芸術団体への彼の態度は見事に行政的な振る舞いに貫かれていた。曰く「平等に助成を行うのは正しいことです。ただし、責任のないところに成果もあり得ません」「予算の半分は助成するにやぶさかではありません。そのかわりもう半分はあなた方がファンドレイズしてください」「向こう三年間の中期的な目標と、一〇年間の長期的な目標を出してください」
 後述するが、私は一晩で二年八本分の芝居のタイトルとシノプシスを書いたことがある。過剰さは日々の蓄積でしか発露しない。一年に一回だけ芝居をするというまるで「発表会」のような公演は演劇活動とは呼ばない。「文化祭という発想は私にはありません。そんなものは学生のときに卒業しました」。そう言い放つ白取功とは思いっきり喧嘩もしたが、徹底的に信用しもした。そして、行政が芸術文化に対してできることを両方から実施した。≫
(「第五章 地域の演劇から、より開かれた世界へ」より)