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2008年12月 アーカイブ

2008年12月01日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2008年12月の鑑賞予定≫

[歌舞伎]            
*26日(金)まで。           半蔵門・国立劇場
『通し狂言 遠山桜天保日記』
出演:菊五郎 田之助 左団次 時蔵 菊之助 ほか

[能楽]
*8日(月)。             京橋・ル・テアトル銀座
能「邯鄲」 梅若 玄祥(六郎)
狂言「成上がり」 野村 萬斎

*21日(日)。             水道橋・宝生能楽堂 
能「猩々」  佐野 登
狂言「隠狸」 三宅 右矩

[演芸]
*28日(日)。              上野・鈴本演芸場
『年忘れ吉例鈴本鹿芝居』
出演:馬生 正雀 ほか

[音楽]
*12日(金)。       虎ノ門・JTアートホールアフィニス
『アフィニス・アンサンブル・セレクション』
―読売日本交響楽団のメンバーによる
「リュミエール弦楽四重奏団と仲間たち」
演奏曲目:ブラームス:弦楽六重奏曲 第1番 第2番

[展覧会]
*23日(火)まで。            丸の内・出光美術館
『やきものに親しむⅥ 陶磁の東西交流
 ―景徳鎮・柿右衛門・古伊万里からデルフト・マイセン―』

*25日(木)まで。            三番町・山種美術館
『琳派から日本画へ―宗達・抱一・御舟・観山』

*1月12日(月)まで。      白金台・東京都庭園美術館
『1930年代・東京―アール・デコの館
(朝香宮邸)が生まれた時代』

*1月24日(土)まで。       日本橋・三井記念美術館
旧金剛宗家伝来の能面」54面の重要文化財新指定記念
『寿ぎと幽玄の美―国宝雪松図と能面』

推奨の本
≪GOLDONI/2008年12月≫

『元禄快挙録』(上・中・下) 福本日南著
 岩波文庫  1940年

 およそ酷烈俊厳なのは当時の制法である。その父罪を犯せば、その子もまた免かれるを得ない。したがって幕廷は一党に尋常ならぬ同情を寄せたにも関わらず、これに切腹を申し付けた以上は、その子を不問に付する訳には行かぬ。それでかねて徴しおいた親族書に拠り、一党の処分と同日に、その遺子十九人に欠席裁判を宣告された。その申渡しは実に左の通りである。
 父ども儀、主人の仇を報じ候と申し立て、四十六人徒党致し、吉良上野介宅へ押し込み、飛道具など持参、上野介を討ち候始末、公儀を恐れざる段不届に付き、切腹申し付け候。これによって伜ども遠島申し付くる者也。
                                    (「二九七 一党遺子の処分」より)
 
 ここに愍れむべきは、吉田伝内、間瀬定八、中村忠三郎、村松政右衛門の四人である。これらはいずれも母への奉養を命ぜられ、父兄に引き離れて、後に留まった者である。しかるにその年齢十五歳以上というので、四人倶に一旦江戸に呼び出され、ここに置かれること三か月にして、この歳四月二十七日伊豆の御代官小笠原彦太夫に引き渡され、伊豆の大島へと送られた。
 当時の法制として遠島に配流せられる者は金ならば二十両、米ならば二十俵以上を配処に持参することの出来ぬ掟であった。それで吉田伝内及び間瀬定八が寓した姫路の城主本多中務大輔、並びに中村忠三郎がいた白川の城主松平大和守は、いずれも深くその境遇を不愍がられ、銘々へ金十九両と白米十九表宛を支給された。独り村松政右衛門が仕えた旗下小笠原長門守は小身であったから、僅かに金四両を給与された。
 それで多いというではないが、前の三人はとにかく当分の支度はあれど、後の一人は最もそれが手薄いのである。さすがに義徒の子は子である。既に船に乗り込んでから、三人は辞を揃え、
 「我々は御領主からの御恵みで、当分事は欠きませぬが、政右衛門殿には御支度御不足の御容子、さぞお心細く思し召そう。なれどもお互の父兄既に一処に死に、今またお互一処に流人となれば、何時召し還さりょう当もなく、同じ辺土に朽ちる身にござれば、衣類金穀に自他の別を立つべきでもござりませぬ。一様に分けて、食いもし、使いもいたしましょう。決して御憂慮なされるな」
と慰めた。政右衛門はこれを深謝し、
 「御芳志のほど千万忝のうござりまするが、結句は用意の手薄いのが優しかも知れませぬ。今日の境遇では、ただ飢えるか凍えるかして、死を待つよりほかはござらぬ」
と冷やかに一笑した。
 日頃は貪欲な船頭・水手、流人の財貨と見る時は、多くはこれを奪い取り、配所に達する頃までには、幾何も残さぬが常であるが、天下何人か良心なからんだ、彼らはこれを聞いて、感涙を催し、人をも物をも大切に保護して、やがて大島まで送り著けた。
 一党忠節の噂は早く沖の孤島にまで伝わっていたので「それ義士のお子さんが送られて来るそうな。お互に目を掛けてやれ」と粗雑ではあれど、小屋ををしつらい、四人の来着を歓迎した。
 されど永の年月であれば、当初の蓄え何処までも続くべきに非ず、四人は蓆を打ち、篷を編んで、その生計を助けていたが、江戸を発してから全二か年、宝永二年の四月二十七日、間瀬定八は生年二十二歳を一期としてこの地に痩死し、永く不還の客となった。かかる不幸中にもまた世に往々有心の人を欠がず、江戸の商人戸屋三右衛門は、かつて政右衛門と旧誼があったので、配所の辛苦を想い遣り、遥かに金三両を贈って、その薪水の費を助けた。それで残る三人は宝永六年まで都合七年間、とかくして鹹風蜑雨と闘い来た。
                                      (「二九九 同 四人の配流」より)

2008年12月02日

「新国立劇場の開館十年を考える」(三十一)≪三十回までの総目次≫

第1回<「世界の三本指に入る」と豪語する天下り劇場理事長>から 
第30回<次期芸術監督の人事迷走 尾高氏「納得できねば辞退も」朝日新聞7月9日朝刊>まで。

 このブログ『提言と諫言』では、昨07年の12月3日から今年の9月24日まで、「新国立劇場の開館十年を考える」を書いてきた。その後、9月末から体調を崩したことで、新国立劇場についての検証作業、作品チェックを二か月ほど出来ずに過ごしてきた。その間に、新国立劇場と「声明」に名を連ねた演劇関係者、あるいはメディアとが、どういう「手打ち」をしたのかは不明だが、いつもながらの「腰砕け」、国の補助金がなければ作品を作れず、また演劇関係者たり得ない「補助金中毒患者」と化して久しい大多数の演劇人は無論のことだが、現役の論説委員が社説で批判を加え、記者OBも「声明」に名を連ねたほどこの問題と深く関わり、主導したかに見えた朝日新聞を始めとする新聞メディアが、今では全く何事もなかったようにおとなしくなった。この二か月の当方の沈黙を訝った演劇界のある長老からは、「新国立劇場執行部(文化庁)と話でもついたからか」と、何ともあからさまで、また過分の評価(?)を戴いたばかりだが、幸か不幸かそんなことはない。
 本復したとは言い難い体調ではあるが、もうしばらくはこの問題を考えていこうと思っている。今回は30回までの総目次を作った。ご笑読戴きたい。

第1回  < 「世界の三本指に入る」と豪語する天下り劇場理事長>07年12月3日

第2回  「役所体質から劇場組織への転換が急務」と語る若杉芸術監督07年12月4日

第3回  明暦・寛文期のインテンダント・村山又兵衛に学ぶ07年12月6日

第4回  六十歳で勇退したバイエルン歌劇場総裁07年12月9日

第5回  本物が退散し、偽物が蝟集する『綻びの劇場』07年12月12日

第6回  国立劇場の理事だった大佛次郎の苦言07年12月21日

第7回  無償観劇を強要する演劇批評家、客席で観劇する劇場幹部08年1月1日

第8回  劇場のトップマネジメントは及第か(上)08年1月9日
     ―税金で賄われる「民間の財団」という不思議な劇場

第9回  劇場のトップマネジメントは及第か(中)08年1月17日
     ―芸術監督は「ギャラの高いアルバイト」で良いのか

第10回  NHK副会長を引責辞任した新国立劇場の評議員08年1月26日

第11回  就任会見で「専念しない」と発言、朝日新聞に「無自覚」と批判されたNHK会長も兼ねる新国立劇場の理事職08年2月5日 

第12回  劇場のトップマネジメントは及第か(下)08年2月7日
     ―専念しない、専門家でない天下りの劇場最高責任者を頂く、世界で稀れな歌劇場  

第13回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(一)08年2月18日
      ―肩書は年齢の数を越えるといわれる六十九歳の遠山理事長

第14回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(二)08年2月26日
     ―「官と民の持たれ合い」を象徴する、元文化庁長官の被助成団体会長兼任 

第15回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(三)08年2月29日
     ―経営の健全化を指摘されるNHKの子会社の取締役も務める遠山理事長

第16回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(四)08年3月7日
     ―パチンコ施設業者の団体の長に収まる元文部科学大臣

第17回  官僚批判喧しい最中、電通の社外監査役に就任する天下り劇場理事長08年6月19日

第18回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(五)08年6月30日
     ―公務員改革に慎重な福田首相も、「適材適所でも天下りは二回まで」。

第19回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(六)08年7月5日 
     ―「新国立劇場芸術監督交代 演劇部門 唐突な印象」 読売新聞7月1日朝刊

第20回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(七)08年7月8日
     ―「新国立劇場 芸術の場らしい議論を」 朝日新聞7月7日朝刊 社説

第21回  巨額な年国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(八)08年7月9日
     ―「演劇部門の芸術監督交代 「1期限りで代える必要あるのか」の声」 毎日新聞7月8日夕刊

第22回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(九)08年7月11日
     ―<次期芸術監督の人事迷走 尾高氏「納得できねば辞退も」> 朝日新聞7月9日朝刊

第23回  巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(十)08年07月13日
     ―22回分の総目次 <「世界の三本指に入る」と豪語する天下り劇場理事長>から <次期芸術監督の人事迷走 尾高氏「納得できねば辞退も」朝日新聞7月9日朝刊>まで。

第24回  次期芸術監督人事について(一)08年07月24日
     ―<監督人事、詳細開示を>朝日新聞7月14日夕刊、<劇場側「運営は透明」>朝日新聞7月18日朝刊、「芸術監督選定プロセスの詳細開示を求める声明」、「芸術監督選定プロセスの詳細開示を、再度求める声明」  
第25回 次期芸術監督人事について(二)08年07月31日
     ―「芸術監督人事 なぜもめる?」 日本経済新聞7月26日夕刊、「新国立劇場の次期芸術監督選出 対立が泥沼化」 東京新聞7月30日朝刊

第26回 ≪次期芸術監督人事について(三)08年08月04日

第27回  次期芸術監督人事について(四)08年08月06日
     ―<「悪評交響曲」鳴り響く「新国立劇場」遠山敦子理事長> 週刊新潮7月31日号 

第28回  次期芸術監督人事について(五)08年08月13日
     ―芸術監督予定者をめぐる理事会でのやりとり 永井愛 7月14日 

第29回  次期芸術監督人事について(六)08年08月25日
     ―「公的芸術監督の役割 劇作家・山崎正和氏に聞く」 日本経済新聞8月19日夕刊 

第30回  次期芸術監督人事について(七)08年09月24日

2008年12月16日

「新国立劇場の開館十年を考える」(三十二) ≪遠山理事長の「反攻」について(一)≫

  前回(『提言と諫言』「新国立劇場の開館十年を考える」三十一回)、体調を崩して2カ月ほど執筆しなかったことを書いたが、このブログ、とりわけて「新国立劇場…」の拙なくそれもやたらと長く、決して愉快な内容ではない文章を、熱心にお読み下さる方々、それも大概が年長の方々からの御見舞を毎日のように頂戴している。中にはわざわざお出掛け戴き、激励と執筆の督促を下さる方々もあり、その心遣いには恐縮しながらも、病人を叱咤することは慈悲深いのか、無慈悲なのかと考えあぐねているが、「新聞記者には書けないことを厳しく書け」との思召しと諦めて、しばらくは書いていこうと思う。
 そんな二週間の間には、同様に「現役の論説委員が社説で批判を加え、記者OBも「声明」に名を連ねたほどこの問題と深く関わり、主導したかに見えた朝日新聞を始めとする新聞メディアが、今では全く何事もなかったようにおとなしくなった」と書いたことについて、「朝日は本当に手打ちをしたのか」との問い合わせ、というよりも詰問を幾つか受けもした。「手打ち」というものは、本来がその当事者にしか判らないもので、当方としても、そういうものが行われたと疑われても仕方がないような静観或いは尻尾を捲いて引き下がった姿勢を感じ、それ故にそう表現したのであり、遠山敦子理事長や朝日の経営幹部の証言を得ての発言ではない。ただ、自ら「手打ち」をしたと、何のつもりでか外部に漏らす当事者が全くいないとは言い切れない。新聞メディアが新国立劇場の芸術監督問題について書かなくなった裏に、「手打ち」があったか無かったかは判らない。
 遠山氏が自分にも向けられている批判に手心を加えて貰うべく、読売新聞の渡辺恒雄主筆に接触したとの噂を耳にしたが、その真偽は定かではない。また、日本経済新聞の文化面の記事が概ね新国立劇場側の主張に好意的である(同紙は山崎正和氏の談話を載せたが(「公的芸術監督の役割 劇作家・山崎正和氏に聞く」 日本経済新聞8月19日夕刊 08年08月25日)、そこには、氏が新国立劇場理事、芸術監督選考委員であることに、本人も解説記事をものする編集委員も全く触れておらず、氏の肩書表記にも「劇作家」となっている。同劇場の当事者のひとりに、客観的な意見、というよりも鵜山芸術監督批判を語らせる姿勢は些か異常である。)と度々聞くが、その理由として遠山氏が同社の経営諮問委員会の委員を務めているからだ、との情報も耳にした。新国立劇場執行部が火消しのつもりか反攻のつもりでかは判らぬが、この山崎正和氏の談話記事を劇場のホームページに転載、会報誌送付の折に別刷りにして同封するなどで利用していたが、この火消しか反攻の工作に、山崎氏のみならず、日本経済新聞も協力したことは確かである。
 遠山氏が電通の社外監査役を務めていることは既に書いたが(官僚批判喧しい最中、電通の社外監査役に就任する天下り劇場理事長 08年6月19日)、新国立劇場は少額小口とは言え、新聞各紙に広告を出稿している広告主の立場である。広告主の代表者を広告代理店が社外監査役に選ぶことに些か疑問があるが、電通の規定などを調べていないのでこれ以上は触れない。広告代理店の役員が、民間の報道機関の常勤或いは非常勤の取締役・監査役を務めることはあるだろうが、氏名も公表されない形の経営諮問委員会の委員を務めているとすれば、如何なものだろうか。電通の規定に則したものであろうか。
 広告主の代表者、或いは広告業最大手の電通の監査役である遠山氏は、新聞社の経営幹部に接触することに慎重であるべきだろう。以前に『週刊新潮』の取材を受け、自らの姿勢について「何らルールに反したことはしていない」と語った遠山氏だが、新国立劇場の理事長職に専念せず、数十の肩書ホルダーであることを批判すれば、「望んで肩書を増やしているのではない。私が有能有益だから向こうから頼んでくるんだ」と仰りそうだ。
 分を弁えること、けじめを持つこと、誠実であることが、何物にも優先されると、幼少の頃に親や師匠に教わったものだが、齢七十の元国務大臣閣下、親に「ルールに反さなければ何をしてもいい」とでも教わったのだろうか。

2008年12月22日

「新国立劇場の開館十年を考える」(三十三) ≪遠山理事長の「反攻」について(二)≫

 新聞各紙の新国立劇場への過剰な配慮を疑う
 十日ほど前からの新聞各紙には、年末恒例、文化・芸能(論壇、文芸、美術、音楽、映画、演劇など)の一年回顧の記事が出ている。その一年に起きた事件・出来事に、その年の特異特徴的な共通項を見出し、象徴的な言葉で表そうとのご苦労は察するに余りあるが、マンネリで知恵もない編集企画、そんな「演劇回顧」記事と付き合うのも苦労ではある。 
 前回の『提言と諫言』「新国立劇場の開館十年を考える」(三十二回)で取り上げた日本経済新聞だが、12月11日に掲載された「回顧2008演劇」の書き出しには、「日本社会の行き詰まり感を映すかのように、海外との共同作業の中からすぐれた舞台が生まれる傾向が強まっている。」とある。当方には、「海外との共同作業」から優れた舞台が多く生まれることと、これが「日本社会の行き詰まり感」とがどう繋がるのかが皆目判らない。新国立劇場制作の日韓合同公演を最初に取り上げているが、そこには、「二人の韓国人俳優の力強い演技に日本人俳優が引っ張られる形で、舞台には熱気が渦巻いていた。」とある。後でも触れるが、朝日新聞の10日朝刊に掲載された演劇回顧でも「韓国人俳優の圧倒的な演技力が光った」、「この作品をはじめ、国際共同制作に収穫が多かった。」とあった。多くの批評家や演劇関係者からも、日韓の俳優の演技レヴェルの差を痛感させられたと聞いていたが、日本経済新聞も、朝日新聞もだが、それこそ「日本人俳優の養成、再教育の必要性を強く感じた。」などと書いて欲しいところであるが、ないものねだりかもしれない。
 日本経済新聞の「回顧」に戻るが、「若手劇作家の新作を経験豊富な演出家が手がける新国立劇場の「シリーズ・同時代」は面白い試みだった。」とし、「若手劇団の公演に足を運ぶことの少ない観客が作品に触れる貴重な機会となった。」と書いていたが、これは「面白い試み」で、「貴重な機会」を提供した劇場の企画力を評価してのことだろう。
 1200字程度の決して大きいとは言えない記事で、新国立劇場制作の作品について、その四分の一を費やすほどの高い評価は、さすがに同紙の経営諮問委員会委員経験があり、電通の監査役を務め、経営最高幹部はもとより、編集委員、担当記者とも懇意と言われる新国立劇場の遠山敦子理事長に配慮し過ぎてのものとは即断できないが、外部での新作演出依頼の殆んどを断り、劇場での上演企画立案に努め、「面白い試み」で、「貴重な機会」を提供した当の芸術監督の演出家・鵜山仁について、「鵜山仁芸術監督の企画力が光った。」くらいの16字程度の極小コメントがあっても良かったが、記事には鵜山の鵜の字も出してこない。そして肝心なところだが、この日本経済新聞の「回顧」だけはどうしたことか、6月から9月頃までは大きな騒ぎともなっていた新国立劇場の運営、芸術監督選考問題には一切触れていないところが不自然であり、奇妙である。同劇場を巡る夏の騒動を日本経済新聞の多くの読者は知っているはずだが、そのことに触れない回顧記事に疑問を持つのではないだろうか。
 この点について、他紙の「回顧」ではどう書いているか。
 遠山理事長が社を代表する主筆に直接にか連絡が取れるほどに親しい付き合いの読売新聞は、「新国立劇場が2010年からの新芸術監督として、演出家の宮田慶子を選んだと発表。しかし、昨年就任したばかりの鵜山(うやま)仁・現芸術監督の交代が任期1年目のシーズン途中で決められたことに対し、演劇関係者が抗議声明を出す騒ぎとなった。3年という任期の短さや芸術監督のあり方について課題を残した。」とこの問題に触れている。ただ、この「3年という任期の短さや芸術監督(制度)のあり方について」こそは、演劇関係者から抗議声明を出された当の遠山理事長の主張でもあり、それを意識的にか無意識にか課題だとする記者の視線は、不自然すぎるほど同劇場に限りなく好意的だ。この姿勢は、政治部や社会部の行政改革や天下り問題への追及が他紙と比べても特段に鋭いと評判の読売新聞とは思い難いものだが、朝日新聞の「舞台芸術賞」に先行して「読売演劇大賞」 (「朝日、読売両紙が制定した舞台芸術褒賞制度については、以下のブログをご笑読戴きたい。『朝日』は 「制定賞廃止」で見識を示せ 06年02月09日  『朝日』は「制定賞廃止」で見識を示せ(続) 06年02月12日  「新国立劇場の開館十年」を考える(七)≪無償観劇を強要する演劇批評家、客席で観劇する劇場幹部≫ 08年01月01日 )を制定した読売新聞文化部、新国立劇場に上演作品の受賞を辞退されては敵わない、という懸念からでもないだろう。編集局本流の政治部社会部と同調、天下り批判の視点や意識を持っていれば、五十億円の国税が投入され、上部団体同様に文部(科学)省の官僚の天下り人事が繰り返され、またその運営能力の低さに批判が集まる新国立劇場を取材対象にカバーしている文化部はその流れに即した大きな記事を物し、社会に大きな警鐘を鳴らすことが出来るはずだ。愚劣な「芸能ネタ」、演劇を含む脆弱な「文化」を取り上げるのが文化芸能面と、文化部幹部や当の記者たちが思い込んでいるのであれば、それはどだい無理な注文だろう。
 次は朝日新聞の「回顧2008演劇」である。
 ここでも、日本経済新聞の「回顧」と同様に、「国際共同制作に収穫が多かった。」とあることは先に触れたが、「新作公演が相次いだ今年の演劇界は盛況だったかに見えた。しかし既視感のある物語や出演者の知名度に頼る作り手と、予定調和的な笑いや感動を求める観客による、微温的で閉塞した作品も目についた。」と記しているところは評価したい。新国立劇場についての言及は、「新国立劇場では鵜山仁芸術監督が10年に1期3年で退く人事をめぐり、選考手続きの不透明さが批判を浴びた。劇場執行部の統治・運営能力に疑問符がついた形だ。」の80字。遠山理事長批判の急先鋒とみられた勢い今何処、経営幹部と理事長との「手打ち」が噂され、敗退したはずの朝日新聞、「疑問符」を付けた記者氏に、経営幹部或いは遠山理事長得意のクレームが届いているのではと案じている。ちなみに、12月17日の朝日新聞朝刊に掲載された「回顧2008クラシック」には、「新国立劇場では、次期芸術監督の尾高忠明自身が納得いかぬままという不可解な交代劇。インテンダント(総裁)不在のまま官僚主導で動くという、歌劇場として世界的にも極めて特殊な運営形態が招いた事態だ。」とあり、新国立劇場の運営については音楽担当記者の方が、厳しい評価を下している。新国立劇場のこの先のあり方を心配する人々からは、演劇制作は止めて貸し出しだけにして、オペラとバレエ・ダンスだけを制作するオペラ劇場になるべきだとの、些か先走っているような声も上がる新国立劇場、オペラ劇場としての運営も酷いものであることが、「回顧2008クラシック」の記事からも充分に窺える。
 そして、「回顧」は続く。「音楽の世界に生きる人々への敬意こそを礎にした劇場へと、同劇場は来年こそ生まれ変わってほしい。」と。
 朝日新聞に限らず演劇の担当記者に、この劇場の危うさが見えないのだろうか。それとも充分に理解していながら、筆を曲げて、当たり障りなく書いているのだろうか。であるとしたら、何かの理由があるのだろう。劇場最高責任者が自社最高幹部と親しい、同様に劇場最高責任者が監査役を務めている広告代理店への配慮、自社が演劇賞を設けている、劇場制作の演劇公演を名義的であれ主催している、記者自身が公演チケット代を含む便宜供与を受けている、などの事情があるのだろうか。 
 新聞社、とりわけて演劇担当記者の、取材対象への過剰な配慮を疑う所以である。