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「新国立劇場の開館十年」を考える(二)
≪「役所体質から劇場組織への転換が急務」と語る若杉芸術監督≫

 つい先日の朝日新聞に、新国立劇場のオペラ部門の芸術監督になった若杉弘氏への取材記事が出ていた。また、10月末には産経新聞にも若杉氏への取材記事、先月は日本経済新聞に関連記事が出ていたので、それらを一部引用しながら、書き進めていこうと思う。
 
 ―「ヨーロッパの400年のオペラ史に比べ、日本は100年。専用劇場ができて10年に過ぎない」と言いつつ、「様々な試行錯誤があったと思うが、基礎固めは十分だったのか」と、疑問を投げかける。(「朝日新聞」)―

 若杉氏の劇場の現状分析が、昨日のブログで取り上げた遠山敦子理事長の、「世界の三本の指に入る優れた劇場」であるとの認識とは随分とかけ離れていることを知った。
 また、
 ―「目先の数字より、長い視野で歌劇場の果たす役割を考えてほしい。まずは現在のソフト面の役所的体質から劇場組織への転換が急務です」(「朝日新聞」)―
 
 と、本来ならば劇場組織に向けての改革提言を、敢えてか新聞取材に答え一般に知らしめようと発言しているところが気になる。
 因みに10月末の産経新聞の取材記事でも、
 ―「人的組織はまだ“お役所”です」と巷間(こうかん)言われる同劇場の縦割り体質への批判も隠さない。「任期中できる範囲で変えていくのも使命」と、まず、この10年まったく行われていなかったオペラ、バレエ、演劇の各芸術監督との定期的な会合を行うことにした。(「産経新聞」)―

 とあり、長くドイツの歌劇場でも常任指揮者を務め、また芸術監督として滋賀県立芸術劇場<びわ湖ホール>の運営にも十年間も関与してきた若杉氏の目からは、この「世界の三本の指に入る優れた劇場」たる新国立劇場の「役所」「縦割り」体制は、世界中の歌劇場の運営から比べても異常であり、改革すべきものと映っているのだろう。開館以来十年を経ても、新任の芸術監督に、「劇場組織に変えていくのも使命」と言わしめる劇場であれば、オペラ、舞踊、演劇の三部門の芸術創造の責任者が、定期的、日常的な意見交換すらしてこなかったという、信じがたい運営手法もまた当然と言える。これなどは、劇場管理者の無策ではなく、「縦割り」或いは「秘密主義」の結果であり、作為的なものだろう。
 では、この劇場の管理運営体制とはいかなるものか。
 日本経済新聞の記事によれば、メトロポリタンやバイエルンなどの大規模歌劇場の職員数は、八百から千人を超えているが、新国立劇場は百四十六人。しかし、「管理部門の人数だけは拮抗しており、バイエルンと新国立劇場は共に二十人ほど」だそうである。三本の指に入ると遠山理事長が誇ったのは、管理部門の人員数、あるいはその人件費、経費の事だったのかもしれない。
 また、開館以来十年の劇場の運営についての業績評価は、どこで、どのように進んでいるのか。
 もし評価検討を始めているとしたら、それを諮るべく委ねられているのは、この劇場、或いは日本芸術文化振興会、文部科学省・文化庁との契約・業務委託・雇用などの過去も現在も利害関係の無い人たちなのだろうか。
 或いはその前提とも言える情報公開はどうなっているのか。
 また、作家や出演者などとの上演についての契約書の取り交わし、公演製作費用や運営経費などの適正化・基準作成はどのように行われているのか。
 
 
 この『提言と諫言』では、新国立劇場について、たびたび書いてきた。
たとえば、2005年5月25日には<『危険な綱渡り』を上演中の新国立劇場>
http://goldoni.org/2005/05/post_93.html
2005年7月24日には<チケットをばら撒く『新国立劇場』>
http://goldoni.org/2005/07/post_108.html
2005年7月27日には<先達の予想的中の『新国立劇場』>
http://goldoni.org/2005/07/post_110.html

 などである。ぜひお読み戴きたい。
 政府・地方自治体の補助・助成金(税金)を当てにしなければ演劇活動が出来ない、或いは助成金の受給を当然視する貧しく卑しいこの国の大多数の演劇人と、そういう問題に対しても批判を持たない、或いはすでに失くした批評やジーナリズムの貧困を承知の上で、というよりも、だからこそ、腹を据えて、腰を据えて、この「新国立劇場」について、演劇の在り方について考えていこうと思う。
 「本質は些事に宿る」という。新国立劇場が些事とは言えないが、新国立劇場の在り方を考えることで、この国の舞台芸術の状況、劇場文化、敢えて大袈裟に言うならば、今日のこの国の姿までが見えてくる、と思うからである。