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2007年01月 アーカイブ

2007年01月01日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/宮島惠一の2007年1月の鑑賞予定≫

[演劇]
*6日(土)から2月28日(水)まで。   浜松町・四季劇場[秋]
劇団四季公演『コンタクト』  
詳細:劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/


*18日(木)から21日(日)まで。     下北沢・ザ・スズナリ
三条会公演『ひかりごけ』
原作:武田 泰淳  演出:関 美能留
 
*26日(金)から2月4日(日)まで。   新宿・紀伊國屋ホール
劇団俳優座公演『国境のある家』
作:八木 柊一郎  演出:安川 修一
出演:大塚 道子  川口 敦子  可知 靖之  中野 誠也 ほか

[歌舞伎]
 *2日(火)から26日(金)まで。    東銀座・歌舞伎座
 寿新春大歌舞伎 
昼の部『俊寛』『勧進帳』ほか 
出演:中村 吉右衛門  中村 富十郎  松本 幸四郎 ほか 

*3日(水)から27日(土)まで。    半蔵門・国立劇場
1月歌舞伎公演『梅初春五十三驛』
出演:尾上 菊五郎  坂東 三津五郎  中村 時蔵 ほか

[能楽]
*19日(金)             千駄ヶ谷・国立能楽堂
一月定例公演
 狂言(大蔵流)『石神』  山本 則直
 能 (喜多流)『百万』  友枝 昭世  

[音楽]
*5日(金)               銀座・王子ホール
『ウィーン・リング・アンサンブル演奏会』
演奏:ライナー・キュッヒル エクハルト・ザイフェルト ほか

*15日(月)           赤坂・サントリーホール大ホール
『イーヴォ・ボゴレリッチ・ピアノリサイタル』
曲目:ショパン:前奏曲嬰ハ短調
        夜想曲ホ長調
        ピアノ・ソナタ第二番 変ロ短調
   ラフマニノフ:楽興の時

[展覧会]
*14日(日)まで。      日本橋・三越本店新館 ギャラリー
『川崎小虎と東山魁夷展』

*31日(水)まで。          日本橋・三井記念美術館
『新春の寿ぎ』―国宝雪松図、「卯花墻」を中心に―

*2月25日(日)まで。   北の丸・東京国立近代美術館工芸館   
  漆芸界の巨匠 人間国宝 松田権六の世界』

2007年01月02日

ひと場面・ひと台詞
≪―12、1月の舞台から―『鹿鳴館』 作・三島由紀夫≫

清原  しかしですよ。あなたが政治がおきらひだと言ふことはきこえてゐる。惡い政治や惡い外交の渦中にゐて、さうお思ひなのは尤もだ。だが、マリア・ルーズ號事件をご承知でせう。明治五年の日本には、ああいふ立派な自主的外交もあつたのですよ。痛快な正義漢の大江のやうな人物もゐたのですよ。當時の副島外務卿も偉い人物だつたし、法律顧問のアメリカ人のぺシャイン・スミスも、自主的外交のいい協力者でした。何もかも薩長の藩閥政府になつてからだめになつたのです。かつてパークス公使の恫喝に屈してゐた時代に逆戻りをしたのです。今鹿鳴館に招かれてゐる外國人のうちで、誰が政府の期待するやうに、文明開化の日本を見直して尊敬してゐると思ひます。彼らはみんな腹の中で笑つてゐるのです。あざ笑つてをるのです。貴婦人方を藝妓同様に思ひ、あのダンスを猿の踊りだと見てゐます。政府の大官や貴婦人方のお追従笑ひは、條約改正どころか、かれらの輕侮の念を強めてゐるだけだ。よろしいか、朝子さん。私は外國を廻つて知つてをるが、外國人は自尊心を持つた人間、自尊心を持つ國民でなければ、決して尊敬しません。壯士の亂入は莫迦げたことかもしれん、しかし私はそれで政府に冷水を浴びせ、外國人に膽の据つた日本人もゐるぞといふところを見せてやれば、それで満足なのだ。抜身をふりまわすからと云つて、お客にかすり傷一つ負はせてはならんと命じてある。若い者たちは剣舞の一つも踊つて、威勢よく引揚げるでせう。それだけの話だ。……私はそれ以上のことは望まない。世間では私のことを人殺しの親分のやうに云うてをるが、根も葉もない噂にすぎん。これだけのことをして私が殺されるなら、犬死にはちがひないが、あとにはつぎつぎと私の素志を継ぐものが出るでせう。……おわかりですね。私は若いころから、自分の屈辱にも、人の進んで演じてゐる屈辱的行為にも我慢のならない人間なのです。   (第二幕)


影山  だから私は言ふのだ。骨肉の情愛といふものは、一度その道を曲げられると、おそろしい憎惡に變 つてしまふ。理解の通はぬ親子の間柄、兄弟の間柄は他人よりも遠くなる。私は久雄の父親に對する憎惡がよくわかる。實によくわかる。政治とは他人の憎惡を理解する能力なんだよ。この世を動かしてゐる百千百萬の憎惡の歯車を利用して、そこで世間を動かすことなんだよ。愛情なんぞに比べれば、憎惡のはうがずつと力強く人間を動かしてゐるんだからね。……いはばまあ、そうだ、その菊をごらん。たわわに黄いろの花瓣を重ねて、微風に揺られてゐる。これが庭師の丹精と愛情で出来上つたものだと思ふかね。さう思ふなら、お前は政治家にはなれんのだ。政治家ならこの菊の花をこんなふうに理解する。こいつは庭師の憎惡が花ひらいたものなんだ。乏しい給金に對する庭師の不満、ひいては主人の私に對する憎惡、さういふ御本人にも氣づかれない憎惡が、一念凝つてこの見事な菊に移されて咲いたわけさ。花作りといふものにはみんな復讐の匂ひがする。繪描きとか文士とか、藝術といふものはみんなさうだ。ごく力の弱いものの憎惡が育てた大輪の菊なのさ。 (第二幕) 


影山   やれやれ、又ダンスがはじまつた。
朝子   息子の喪中に母親がワルツを踊るのでございますね。
影山   さうだ。微笑んで。
朝子   いつはりの微笑みも、今日限りと思ふと樂にできますわ。(泣きながら)樂にできますわ。どんな嘘いつはりも、もうすぐそこでおしまひだと思ふと。
影山   もうぢき王妃殿下方がお見えになる。
朝子   氣持よくお迎へいたしませうね。
影山   ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦々々しさを噛みしめながら、だんだん踊つてこちらにやつて來る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして行くんだからな。
朝子   一寸の我慢でございますね。いつはりの微笑も、いつはりの夜會も、そんなに永つづきはいたしません。
影山   隠すのだ。たぶらかすのだ。外國人たちを、世界中を。
朝子   世界にもこんないつはりの、恥知らずのワルツはありますまい。
影山   だが私は一生こいつを踊りつづけるつもりだよ。
―後略―
(第四幕)

『三島由紀夫全集』第二十一巻 昭和49(1974)年 新潮社刊

劇団四季公演『鹿鳴館』 作・三島由紀夫 演出・浅利慶太
    平成18(2006)年12月から19年1月 浜松町・自由劇場 
 影山悠敏伯爵=日下武史
 同夫人朝子=  野村玲子
 清原永之輔= 石丸幹二 

初演 昭和31(1956)年11月 丸の内・第一生命ホール
    劇団文学座公演               

2007年01月03日

推奨の本
≪GOLDONI 2007年1月≫

『近代演劇の来歴』 森話社刊
神山 彰 著  2006年

 六 「団菊爺」の老人力――回想と記憶 
 かつての役者は、若年の夢の模倣から出発するのが常だった。それが正夢であれ悪夢であれ、敬愛する役者への崇拝、盲信は度し難いものすらあった。だからこそ、彼らにはどこか充たされない欠落感があり、それが反転して魅力を放っていたのだ。一方、現今の多くの役者にはその過去への信仰は欠落している。過去は都合のいい時だけ切り売りされ、父祖代々の「何代目」という権威づけにだけ利用される。代々名は単なる固有名ではない。そこから導かれる記憶、重層する記憶の連なりが重要なのだ。役者自身がそれを捨て去り、観客から失われたことを実感させる如実な例が、元来、公の場で観客と役者が過去との繋がりを確認し共有する唯一の機会であるべき「口上」の一幕である。「成田屋を追慕の言葉身に染みておろそかならず口上の幕」は団菊五十年際興行に際しての吉井勇の歌だが、評判記や演劇史に残る名口上は滅多にないのは承知しても、過去との繋がりの欠落した昨今の口上は誠に虚しい。
 だが、その責は演者だけが負うべきでない。観客もまた「舞台の面影」を追う思いに乏しい。赤瀬川原平の造語「老人力」は、もとより歌舞伎にこそ相応しい用語である。加齢と年輪による魅力、それと逆の、勢時を思うといや増す美貌の無惨な衰えや落魄や老残―数十年にわたる、演者と観客の共有する記憶の重層こそが、歌舞伎の舞台と客席という社会を繋ぐ掛け橋だったのだ。ギリシアのアフォリズムに「青年に知恵があれば、老人に力があれば」というのがあるが、青年の能わぬ老人の特権こそが回想であり、わけても歌舞伎の「老人力」の最大の発現が「回想力」だったはずである。だが、それもまた、急速に衰え、観客はもはや思い出す力を失ったように見える。もちろん、小林秀雄ではないが「上手に思い出す事は難しい」。観客はひたすら回想し、ただ記憶を集積する力や、記憶を引用し、導き出す力と方法を喪失してしまった。演劇的経験は希薄化し、数十年前と同じ趣向でも、たまたま出会った舞台を新しいとする無邪気な錯覚が一般化している。
 一九七〇年代までは、「団菊回想御三家」とも称すべき遠藤為春、高橋誠一郎、藤浦富太郎をはじめ、各界古老、市井の老人が、七、八十年前の追憶を生動感溢れる口調で語り続けた。彼らに共通するもの、それは一切の解釈を排してひたすら回想するだけの凄みだった。彼らは「評論家」でも「研究家」でもなく、「演劇回想家」とも称すべき連中だった。一九六〇年まで歌舞伎の座付歌人ともいうべき存在でもあった吉井勇も、ひたすら回顧する紋切型の、しかし往時の客席の空気や匂いの伝わる歌を作り続けた。「亡き友の書きし身替座禅見てわが回顧癖いまだ止まざる」。短歌という形式が詠嘆を伴う性質上、回想に向くのかもしれないが、そこには過去との繋がりを保持した、ただひたすら追懐し反芻するだけの断念と、同時にどれでも決して充たされることのない老人の官能の凄みが感じられる。解釈すれば、それは怖くない。彼らは目と耳の記憶を語り続けただけだ。もし「人間性」「現代性」だのといった紋切型の語彙で、したりげな解釈をすれば、「団菊爺」の思わずたじろぐようなグロテスクで不気味な「老人力」は消えて、ただの凡庸な評家にすぎなかっただろう。
  団菊爺のいた時代は、新派、新劇の「築地爺」はおろか、「アングラ」でさえ昭和初期のダダイズム隆盛期を知る「ダダ爺」ともいうべき風貌の古老がいて、二十歳前後の私どもが安酒場で昂揚した気分で喋ると、「そういうエンシツはムカシからアンだよ、ムカシッから」と一喝されてしょげさせられたものである。一九八〇年代以降、歌舞伎から「小劇場」に至る迄、そういう記憶の蓄積による凄みは消え、客席にはどこかで聞いた解釈と、仲間意識による充足と、他愛無い喝采とだけが横行しがちである。
(「Ⅱ さまざまな明治―「江戸育」の残像 第五章「江戸育」と「個性」の間」 より)

2007年01月30日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2月の鑑賞予定≫

[演劇]
*18日(日)まで。          浜松町・自由劇場
『魔法をすてたマジョリン』
企画・演出:浅利 慶太
作曲:鈴木 邦彦 照明:沢田 祐二
詳細:劇団四季HPhttp://www.shiki.gr.jp/

 
*13日(火)から3月3日(土)まで。 三軒茶屋・シアタートラム
まつもと市民芸術館製作公演『ヒステリア』
作:テリー・ジョンソン 翻訳:小宮山 智津子
演出:白井 晃  美術:松井 るみ  照明:齋藤 茂男
出演:串田 和美  荻野目 慶子 白井 晃 ほか

[歌舞伎]
*25日(日)まで。          東銀座・歌舞伎座
通し狂言『仮名手本忠臣蔵』
出演:中村 吉右衛門  中村 富十郎  尾上 菊五郎
   片岡 仁左衛門  坂東 玉三郎 ほか

[オペラ]
*25日(日)、3月1日、4日、7日、10日。 初台・新国立劇場
『さまよえるオランダ人』
台本・作曲:リヒャルト・ワーグナー
指揮:ミヒャエル・ボーダー  
演出:マティアス・フォン・シュテークマン
管弦楽:東京交響楽団
キャスト:松位 浩  アニヤ・カンペ  エンドリック・ヴォトリッヒ
     竹本 節子  高橋 淳  ユハ・ウーシタロ ほか

[能楽]
*16日(金)            千駄ヶ谷・国立能楽堂
国立能楽堂定例公演
演目:狂言『財宝』(大蔵流) 茂山 忠三郎 
能『野守』(金春流) 金春 安明 

[演芸]
*27日(水)       赤坂・港区赤坂区民センターホール
『柳家小さん治独演会』

[音楽]
*13日(火)        上野・東京文化会館小ホール
『ペーター・シュミードルの世界』
ペーター・シュミードル(クラリネット)
アドリアン・コックス(ピアノ)

*15日(木)          紀尾井町・紀尾井ホール
『マリオ・ブルネロ アンドレア・ルケシーニ デュオ 』

*21日(水)       赤坂・サントリーホール小ホール
『ツェトマイヤー・クァルテット』
出演:トーマス・ツェトマイヤー(Vn) ルース・キリウス(Va)
 クーバ・ヤコヴィッツ(Vn)  ウルスラ・スミス(Vc)
曲目:ブルックナー  弦楽四重奏曲 ハ短調
   ヒンデミット  弦楽四重奏曲 第4番
   ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 ヘ長調
 
[展覧会]
*4月1日(日)まで。    木場公園・東京都現代美術館
『中村宏 図画事件 1953-2007』

*7日(水)から5月7日(月)まで。 六本木・国立新美術館
『異邦人たちのパリ 1900-2005 
ポンピドー・センター所蔵作品展』