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2017年01月 アーカイブ

2017年01月04日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/劇場総合研究所 2017年1月の鑑賞予定

[演劇]
*6月25日まで。 浜松町・四季劇場[秋]
劇団四季公演
ミュージカル『ノートルダムの鐘』


[音楽]
*1月23日。 築地市場駅・浜離宮朝日ホール
『キット・アームストロング ピアノ・リサイタル』


[美術]
*1月9日まで。 六本木・サントリー美術館
『世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画』

*1月13日から21日まで。 アスクエア神田ギャラリー
『生賴制作所作品展』

*1月28日まで。 日本橋 ・三井記念美術館
『国立劇場開場50周年記念 日本の伝統芸能展』

*2月5日まで。 日比谷・日比谷図書文化館
『発掘された大名屋敷』

2017年01月07日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年1月》

戸板康二著 『家元の女弟子』 文藝春秋 1990年

「まだあんまり話したことはないが、歌舞伎の役者も、能役者と同じで、年をとってゆくにつれ、節目節目で、その年配相応の時分の花というものがあるんです。女形は娘形から人妻、つまり中年まで行き、時代物でいえば、片はずし(中年の女のかつら)のかつらの年ごろ、そのあとが当たり前ですが、ふけ女形と、大きくわけても、三段階」(中略)
「女形でない主役でも、『忠臣蔵』の役でいうと、力弥の年ごろ、千崎弥五郎の年ごろ、それから勘平だの定九郎の年ごろ、さらに由良助から白髪の本蔵と年をとってゆくわけです。人によっては、まだ千崎がしたいと頑張る役者もいるが、早くみきりをつけて、一段上ったほうが、いさぎよいと私は思う」
(「かなしい御曹司」)


五段目はとにかく、六段目で花道でおかると会ったあと、家の前に戻って来た勘平が、格子戸をはいりながら、客席のほうをチラッと見たのが、わかった。
そのあと、前夜の雨洩りのあとを見あげたりして、猟師の縞の衣装をぬぎ、おかるに紋服を持って来させて、すてゼリフをいいながら着かえ、かわらけ茶の色の帯をしめる。この芝居をしながらも録蔵はまた客席にチラリと目をやり、視線の定まらないような顔をしている。
「へんですねえ」
「へんですよ。録蔵、どうかしている。元来この男は舞台で客のほうをみない、行儀のいい役者として定評があったんだがね。」(「一日がわり」)


「大体、殺しというのは、ほとんど、定九郎でも道玄でも、村井長庵でも、宇都谷峠の十兵衞でも、刀で切ってしまうんだが、絞殺というのもたまにはある。ところで役者というのは妙なもので、切られ方というのは、馴れている。いわゆる手負いですね。一太刀で切って相手を花道の七三までバタバタで行って見得をする。そして舞台に帰って来て、お前の袖とわしの袖とか、露は尾花と寝たというとか、下座の唄で、いろいろな見得をしたあげく、最後にぐったりして死ぬという段取りだから、これは紋切り型で馴れてるんだ。ところが、締められて落ち入るという場面はめったにないから、どんなふうにしていいか、わからないんです。」
「そんなものですか」刑事は目を丸くしている。
「来月の求女はまだ若い丹五郎の役なのだが、何度も稽古にはいる前の申し合わせをして、どうもうまくゆかない。そこで波六は、ほんとうに人が首を締められた時、どんな格好をするのかをまず知りたかった。」
「だって黙阿弥の狂言だから、きまった型があるでしょう?」私が尋ねた。
「それをそのままやればいいのだが、このごろの若い役者は、実際には人間はどういう反応を見せるかを知った上で、その型をつけるようになった。これは私たちの時代にはなかったことです。」
もしそうだとしたら、やはり新劇のリアリズムの風潮が、歌舞伎の古典の芸にも影響を与えているのだろう。(「赤いネクタイ」)

2017年01月14日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年1月》

伊藤肇著 『左遷の哲学』 産業能率大学出版部 1978年

現職総理への直言

佐藤栄作が総理在任中に佐橋(滋・元通産事務次官ー引用者注)は「佐藤首相、あなたは今すぐ辞めるべきだ」という論文を発表した。
「……権力のポストには職務と責任が付随する。これを職責という。権力が増大するにつれて、その職責は大きくなる。 日本中で最も大きな職務と責任をもつものは総理大臣である。佐藤総理は本当に職責を痛感しておられるだろうか。六年、その職についても、いっこうに疲れをしらない。あとニ年、四年はその激務に耐えられそうである。まさにスーパーマンといえよう」
冒頭から佐橋一流の痛烈な皮肉だ。
たしかに総理は激務だ。総理をつとめて痩せなかったのは元老、西園寺公望くらいのものである。
総理とは、その激務においてはくらべものにならない社長のポストだって、三期六年、全力投球したら、ヘトヘトになるはずである。となると、「職務と責任とは二義的で、権力を十二分にエンジョイしておられるような印象をもつのは私だけだろうか」という佐橋の批判は、かなりドスがきいている。
「総理は利口ものである。利口と聡明とは違い。読んで字の如く、口さきがうまい、というのが利口の原義である。器用にふるまうのを利口ものといい、利口ものの本体は保身である。われわれが政治家に要求し、期待するものは偽りのない誠実さである。誠実を貫くためには勇気を必要とする。保身を心がけるものには勇気は生まれてこない。勇気は他人のために、真実のために、自らを投げ出すことである」
佐橋があるとき総理大臣に呼ばれて、経済問題を説明したあと、総理が「また遊びにきてくれよ」とお為ごかしをいったのがカチンときた。
「遊びにこい、といったって、私のような素浪人が、まともに筋を通しても総理には会えないような機構になっているじゃありませんか。そんなホンネとタテマエの違うことは最初からいわぬほうがいいのです。必要があるなら、堂々とよびつければよい。それが一国の宰相たるの見識ではありませんか」
佐藤栄作は苦虫を十もかみつぶしたような面をしたという。
最後に佐橋は「古今東西、どんな名君、名宰相といえども、長らく、その職にあれば、必らずマンネリ化し、飽きられるのは歴史の常則である。あまり、総理職を一人で楽しまないことをおすすめする」とバッサリきりすてている。
辞め方を会得すれば、政治家も経営者も一人前である。たとい、万斛の涙をのんでも、散るときには散らねばならぬ。それが出処進退の要諦というものだ。
興銀相談役の中山素平も「責任者は、その出処進退に特に厳しさを要するというより出処進退に厳しさを存するほどの人が責任者になるべきである」と喝破しているが、もし、その時点で、佐藤が辞める決意をしておれば、心ならずもロッキード事件の田中角栄に政権をわたして、あれほど無様な野垂れ死をすることはなかったであろう。

2017年01月17日

新刊書籍から《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年1月》

東洋文庫『渡辺崋山書簡集』別所興一訳注
平凡社 2016年12月刊行

真木定前宛(八の訓戒)
一筆啓上御安吉被成御在坂奉賀候。
一、面晤の情ニ常を忘スル勿レ。
一、眼前の操迴シに百年の計を忘スル勿レ。
一、前面の功を期シテ後面の費を忘スル勿レ。
一、大功ハ緩にあり、機会は急にありといふ事を忘スル勿レ。
一、面ハ冷ナルを欲シ、背ハ暖を欲スルト云ヲ忘スル勿レ。
一、挙動を慎ミ、其恒ヲ見ラルル勿レ。
一、人を欺んとスル者ハ人ニ欺ムカル、不欺ハ即不欺己とい
ふ事を忘スル勿レ。
右八勿御考奉願候。足下在江戸、大阪の地を踏ミ、出入益審
ナルべし。然らば基本を成丈踏ミ候様祈候。必一時の功、一
時の便宜を御顧有之間敷候。御文通ニて内事御かけ合有之半。
又在留之同席各在寄アリテ、足下の意に不適事もあるべし。
必憤怒スル勿レ。又見留メアラバ、一了見に取計ひも面白シ。
唯後来ト基本とを不忘候ハバ、不中不遠候。頓首
十一月廿八日 渡辺 登
真木十(重)郎兵衛様
(「崋山書簡原文」より)