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推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年1月》

戸板康二著 『家元の女弟子』 文藝春秋 1990年

「まだあんまり話したことはないが、歌舞伎の役者も、能役者と同じで、年をとってゆくにつれ、節目節目で、その年配相応の時分の花というものがあるんです。女形は娘形から人妻、つまり中年まで行き、時代物でいえば、片はずし(中年の女のかつら)のかつらの年ごろ、そのあとが当たり前ですが、ふけ女形と、大きくわけても、三段階」(中略)
「女形でない主役でも、『忠臣蔵』の役でいうと、力弥の年ごろ、千崎弥五郎の年ごろ、それから勘平だの定九郎の年ごろ、さらに由良助から白髪の本蔵と年をとってゆくわけです。人によっては、まだ千崎がしたいと頑張る役者もいるが、早くみきりをつけて、一段上ったほうが、いさぎよいと私は思う」
(「かなしい御曹司」)


五段目はとにかく、六段目で花道でおかると会ったあと、家の前に戻って来た勘平が、格子戸をはいりながら、客席のほうをチラッと見たのが、わかった。
そのあと、前夜の雨洩りのあとを見あげたりして、猟師の縞の衣装をぬぎ、おかるに紋服を持って来させて、すてゼリフをいいながら着かえ、かわらけ茶の色の帯をしめる。この芝居をしながらも録蔵はまた客席にチラリと目をやり、視線の定まらないような顔をしている。
「へんですねえ」
「へんですよ。録蔵、どうかしている。元来この男は舞台で客のほうをみない、行儀のいい役者として定評があったんだがね。」(「一日がわり」)


「大体、殺しというのは、ほとんど、定九郎でも道玄でも、村井長庵でも、宇都谷峠の十兵衞でも、刀で切ってしまうんだが、絞殺というのもたまにはある。ところで役者というのは妙なもので、切られ方というのは、馴れている。いわゆる手負いですね。一太刀で切って相手を花道の七三までバタバタで行って見得をする。そして舞台に帰って来て、お前の袖とわしの袖とか、露は尾花と寝たというとか、下座の唄で、いろいろな見得をしたあげく、最後にぐったりして死ぬという段取りだから、これは紋切り型で馴れてるんだ。ところが、締められて落ち入るという場面はめったにないから、どんなふうにしていいか、わからないんです。」
「そんなものですか」刑事は目を丸くしている。
「来月の求女はまだ若い丹五郎の役なのだが、何度も稽古にはいる前の申し合わせをして、どうもうまくゆかない。そこで波六は、ほんとうに人が首を締められた時、どんな格好をするのかをまず知りたかった。」
「だって黙阿弥の狂言だから、きまった型があるでしょう?」私が尋ねた。
「それをそのままやればいいのだが、このごろの若い役者は、実際には人間はどういう反応を見せるかを知った上で、その型をつけるようになった。これは私たちの時代にはなかったことです。」
もしそうだとしたら、やはり新劇のリアリズムの風潮が、歌舞伎の古典の芸にも影響を与えているのだろう。(「赤いネクタイ」)