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2007年06月 アーカイブ

2007年06月01日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2007年6月の鑑賞予定≫

[演劇]
*6月9日(土)から7月21日(土)まで。  浜松町・四季劇場[秋]
『ジーザス・クライスト=スーパースター』
 ―ジャポネスク・バージョン―
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*6月17日(日)から            汐留・電通四季劇場[海]
『WICKED』
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*6月15日(金)から7月5日(木)まで。 信濃町・文学座アトリエ
文学座アトリエの会公演「別役実のいる宇宙」
=新旧書下ろし連続上演=
『数字で書かれた物語』『犬が西むきゃ尾は東』 

*6月15日(金)から27日(水)まで。   森下 ベニサン・ピット
演劇企画集団THE・ガジラ公演
『かげろふ人』
作・演出:鐘下 辰男
出演:千葉 哲也  若松 武史  大久保 鷹 ほか
 
[歌舞伎]
*2日(土)から26日(火)まで。      東銀座・歌舞伎座
 六月大歌舞伎 
昼の部『妹背山婦女庭訓』『閻魔と政頼』『侠客春雨傘』
夜の部『元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿』『盲長屋梅加賀鳶』『船弁慶』 
出演:藤十郎 富十郎 吉右衛門 幸四郎 仁左衛門 梅玉 ほか 

[オペラ]
*13、16、19、21。           初台・新国立劇場
『ファルスタッフ』
作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ 原作:ウィリアム・シェイクスピア
台本:アッリーゴ・ボーイト
指揮:ダン・エッティンガー  演出:ジョナサン・ミラー
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
出演:アラン・タイタス ヴォルフガング・ブレンデル
セレーナ・ファルノッキア カラン・アームストロング ほか

[音楽]
*15日(金)。               銀座・王子ホール
『ダニエル・ミュラー=ショット チェロ・リサイタル』
ピアノ:ロベルト・クーレック
曲目:ベートーベン チェロ・ソナタ 第3番イ長調
  :プロコフィエフ チェロ・ソナタ ハ長調 

*21日(木)。              勝どき・第一生命ホール
『グスタフ・レオンハルト チェンバロ・リサイタル』
曲目:ルイ・クープラン 組曲イ短調エット/ピエモンテーズ)
   J.C.バッハ プレリュード ハ長調
   J.S.バッハ プレリュード/フーガとアレグロ変ホ長調
   ラモー     やさしいプラント/メヌエット/エンハーモニック
   フォルクレ   組曲第5番より

[展覧会]
*7月1日(日)まで。        白金台・東京都庭園美術館
 モダン日本の里帰り『大正シック』
―ホノルル美術館所蔵品より―

*7月1日(日)まで。           桜木町・横浜美術館
『水の情景―モネ、大観から現代まで』

*6月9日(土)から8月19日(日)まで。 砧公園・世田谷美術館
『青山二郎の眼』

推奨の本
≪GOLDONI/2007年6月≫

ソーントン・ワイルダー『わが町』(訳・鳴海四郎)
 2007年5月  ハヤカワ演劇文庫

 『わが町』は二十世紀初頭のアメリカの片田舎に暮らすジョージとエミリーの日常生活、結婚、死を描いたものだが、すべては何もない舞台で演じられ、さらに舞台監督が物語全体を断片化していく。ここには通常の時間の流れに沿って、劇的な物語が舞台に再現される写実的な「お芝居」はない。さらに数億年という時間の流れ、宇宙的な広がりの中で彼らの姿を眺めることにより、登場人物の個別性は後方へ押しやられる。ローマで遺跡を発掘した時の感覚だ。想像力を使い、それぞれの『わが町』を再構成する観客の心の中には連綿と続く人間の日常的な「生」の姿が浮かび上がってくる。ワイルダーはジョージとエミリーの話をしながらも、ある特定の場所、時代の個人の物語を巧妙に普遍化していく。これは舞台を観ている現在の「わたし」の話でもあるのだ。(略)
 目に見えるものだけに価値があり、数字に置き換えられることのみが問題にされ、説明できることだけが真実だと考え、比較の中だけでしか自分を語れないような時代に、ワイルダーの作品はあまりに漠としているように見えるかもしれない。が、劇場で、あるいはこの作品を読んで、何か心動かされたとするなら、心の奥底で起こったその変化に目を留め、忘却の彼方から浮かび上がってくるわたしの姿をしばし眺めてみるべきだろう。そしてわたしがここに「いる」ことの奇跡に思いをはせるべきだろう。舞台監督の言う「何か永遠なるもの」をうっすらと感じ取れるに違いない。二十一世紀はその後でしか来ないような気がする。
 だからこの戯曲が初めて舞台にかかったのが、今から約七十年も前のことである意味もちょっと考えてみたくなる。
(「解題」より  執筆・早稲田大学教授 水谷八也)  

2007年06月04日

劇団文学座の七十年(五)
≪『演劇統制』下の『文学座』と『岸田國士』(二)≫

 ―世界を通じて、演劇は今や膠着状態にあるやうである。歴史的にみてさういふ時代が過去にもむろんあつたが、この状態は當分続きさうな氣がする。
なぜこんな風になつたか、その原因をひと口に云ふのはむつかしいけれども、つまりは現在が藝術の開化に適しない社會情勢にあることをまづ考へなければなるまい。そのうへ、演劇は特に近代企業として様々な矛盾する面を含んでゐて、その點、映畫の生産と普及に押され勝ちであり、且、純粋藝術としての發展進化のうへでは、一定文化水準の觀客層がこれを支持すべき物質的精神的の餘裕をもつといふことが最大要件なのである。
 これはわが國についてのみ云つてゐるのではないことをもう一度明かにしておいて、さて、歐米に於ては、この危機が如何に當面の問題として處理されてゐるかはその國々によつて異るやうである。私は、自分の國のことについて識者の注意を促したいと思ふ。
 
 こんな書き出しから始まるのは、1939(昭和14)年4月に発表された、岸田國士の『演劇統制の重點』である。続く後段を採取する。 

 ―古典劇としての歌舞伎は例外として、現代劇、即ち、現代日本人が現代の思想と感覺とをもつてする舞臺表現なるものをまだ完全に育てあげてゐない今日、早くも演劇の不振時代が來たといふことは、まことに由々しいことである。一部の演劇關係者は、私のこの言葉に不審を抱くであらう。なぜなら、劇場は到るところ滿員に近く、殊に新劇の如きでさへいづれも豫想外に客足がつきだしたといふ現象を極めて樂觀的にみてゐるからである。
 私は逆に、この現象のなかに、演劇の停頓乃至退化を指摘することができる。が、この議論はしばらく預かるとして、私の若干の經驗は、今こそ、日本演劇の整理と改革の好機だといふことを教へる。演劇當事者の間でその動きがなくはない。
 しかし、これまた私の觀察によれば、わが國の風潮の悲しむべき一面であるが、これをいつまでも民間の努力にのみ委ねておくことは、百年河清を待つにひとしいことを茲に私は宣言せざるを得ぬのである。
 戰時の要求に應ずる文化部門の身構へといふ意味とは別個に、また、政治理論の藝術的扮装などと混同しない範圍で、國家は速かに演劇統制に乗り出してほしい。最近新聞の報ずるところによれば、そのプログラムも一應できあがつてゐるやうである。われわれはその内容について直接當局からはなにも聞いてゐないけれど、各項目をざつとみたところでは、別に驚くやうなことはひとつもない。

 この文章の、特に後段を整理してみる。
 ◎現代の思想と感覚を以って成立する舞台表現が育っていない。演劇の不振時代の到来であり、由々しいこと。
 ◎しかし、一部の演劇関係者は、満員の劇場、新劇でさえ予想外に観客がつき出した今日の現象を、極めて楽観的にみている。
 ◎自分の経験で言えば、今こそ日本演劇の整理と改革の好機である。
 ◎この整理と改革を、民間の努力にのみ委ねるべきではない。
 ◎国家は速かに演劇統制に乗り出してほしい。
 
 戦時時局とはいえ、或いは戦時時局だからか、軍人でも官僚でもない、まさに民間の演劇関係者であり、いわゆる芸術派の劇作家である岸田國士の主張は、煎じ詰めれば、「国家は演劇統制に乗り出すべき」というものである。
 この主張が奏効してか或いは災いしてか、本格的な「奨励助成」「統制」を目的とする「演劇法」の制定を目論む文部省が設置した『演劇、映畫、音樂等改善委員會』の演劇部會委員に岸田が任命されるのは、この半年後の39(昭和14)年12月、劇団文学座の監事を辞し、大政翼賛会の文化部長に就くのは、翌40(昭和15)年10月のことである。
 同じ40年8月の新協、新築地両劇団への弾圧とその解散は、「これまでの横丁の店屋だった文学座が区画整理でいきなり表通りにでてきた」(『文学座五十年史』)との、久保田万太郎の名言を引き出す。プロレタリア派の転向や収監による総退場、上述の「演劇統制」を主張する民間人・岸田國士の権力への大きな協力、「敵失」による文学座の躍進を足掛りに、「世界的日本建設」(岸田國士)に向けての「統制」「翼賛」「迎合」の『演劇の時代』が幕を開ける。

2007年06月18日

劇団文学座の七十年(六)
≪『演劇統制』下の『文学座』と『岸田國士』(三)≫

国家権力が制定を急いだ『演劇法』について述べる前に、我が国初の文化立法である「映画法」に少し触れておく。
 この法律案は、内務省、文部省と、前年に内務省から独立した厚生省によって立案され、1939(昭和14)年3月に帝国議会に上程、成立し、同年4月に公布、10月1日から施行された。
 倉林誠一郎著の『新劇年代記 戦中編』には、映画法の全文二十六条の骨子を、岩崎昶著『映画史』から引用して次のように記している。

 1 映画製作及配給業者の許可制
 2 映画製作従事者(演出者、演技者、撮影技術者)の登録制
 3 劇映画脚本の事前検閲
 4 文化映画、ニュース映画の強制上映
 5 外国映画の上映制限 
 6 映画の種類、数量、配給組織に対する命令権 
 7 違反者への罰則

 ここでは、映画法の全文を記載はしないが、その骨子は、概ね岩崎昶が要約した通りであり、統制の為の法律であることは疑いがない。敢えて付け加えるとすれば、この法律の目的、保護奨励策についてだろう。
 その第一条には、
 「本法ハ國民文化ノ進展ニ資スル為映畫ノ質的向上ヲ促シ映畫事業ノ健全ナル發達ヲ圖ルコトヲ目的トス」
 とあり、また第十条には、
 「主務大臣ハ特ニ國民文化ノ向上ニ資スルモノアリト認ムル映画ニ付選奨ヲ為ス」
 とあり、その具体的な策として、その第十五条に、
 「主務大臣ハ命令ヲ以テ映画興行者ニ対シ国民教育上有益ナル特定種類ノ映畫ノ上映ヲ為サシム」
 「行政官庁ハ命令ノ定ムル所ニ依リ特定ノ映畫興行者ニ対シ啓發宣傳上必要ナル映畫ヲ交附シ期間ヲ指定シテ其ノ上映ヲ為サシム」
 とある。

 劇団俳優座の俳優で、また、演劇研究者、演劇資料収集家でもあった松本克平(4月26日の『提言と諌言』[(劇団文学座の七十年(三)「無定見」「方向性がない」との批判を招く初期の舞台)]で記したように、1940(昭和15)年8月の、新協劇団、新築地劇団に対する弾圧の時に検挙されている。)の著書『八月に乾杯―松本克平新劇自伝』(1986年、弘隆社刊)によれば、当時、文部省の官僚で、内務省、厚生省の革新官僚達と映画法の制定を画策していた不破祐俊が著した『映画法解説』(1941年、大日本映画協会刊)の記述の中に、ヒットラーの映画政策を取り入れ、「従来の出来上った映画を検閲でカットしたり禁止したりするという消極的方針を一擲して、企画の段階で監視、批判、指示、訂正、或いはやめさせると同時に、映画製作に従事する各技術者の思想と姿勢を予め調査し、不適格者を日本映画界から完全に追放することを目指した、ファッショ的な法律であることを示している」(『八月に乾杯』)とある。
 松本克平と一緒に検挙された千田是也は、その著書『もう一つの新劇史』(1975年、筑摩書房刊)で、この映画法の制定される直前、また彼が新築地劇団を退く直前の1938、39、40年を次のように回想している。
 
 ―だがその一方では、新築地の俳優たちの映画出演が急速に増えつつあった。
 この二年余の<新劇興隆>のおかげで、映画会社の連中が新劇団の存在、その統率力、素人ばなれのした企画力、個々の俳優の力量に関心をもちはじめたせいか、劇団にたいする出演要請や提携作品製作の提案が急に増えてきたからである。(略)
 一九三八-三九年度の公演収入が前年度に比べてずっと少なくなり、やっと実りかけた<職業化>への夢がまたあやしくなり始めていたし、築地小劇場が改築工事のため約五ヶ月閉鎖され、東京で充分な本公演を持つことが困難になったり、予定されたいくつかの上演脚本の出来あがりが遅れて公演のめどがたたなかったりしていたときだっただけに、この映画出演の増加は劇団にとっても大きな救いであった。したがって幹事会としては、映画進出を積極的におしすすめざるを得なかったのである。と同時に、このことが劇団の統一を乱したり、演劇活動の障碍になったりすることのないように、南旺映画と共同のユニット映画製作委員会に、岡倉、山川、八田などの演出部員を参加させるとか、各俳優の映画出演を幹事会で厳重にコントロールするとか、いろいろ気を遣いはした。しかしこの映画進出の結果、劇団の大部分の俳優の<職業化>への欲求と演出部員の芸術的意欲との間に大きな溝がつくられ、やがてそれは新劇団としての新築地の命とりになるのを喰いとめることはできなかった。
 そういうことが直接の原因であったとは言い切れないが、『海援隊』の関西公演を了え、『空想部落』の撮影にかかり出した頃から、私も、なんとなく、劇団などというもののなかにいて、いくら頑張ってみてもあまり意味はないような気がしてきた。正式にやめたのはその翌年の二月であるが、一度そう思い始めると、新築地の仕事にはちっとも気が乗らなくなり、その後もずっと書記長の<要職>にあったわけだが、何をやったのか、さっぱり憶えていない。(「Ⅸ 隠れ蓑をきたリアリズム」)

 1940(昭和15)年4月、文学座は東宝映画と提携して、「東宝映画文学座演劇映画研究所」を開設した。また、杉村春子が主演した豊田四郎監督の『奥村五百子』(製作=東京発声映画、現東宝の前身)が公開されたのは、同年6月である。これらは、「映画法」が施行され一年足らずの時期のことだが、映画出演で口を糊していた新協、新築地両劇団の俳優たち、たとえば滝沢修、小沢栄、松本克平、信欣三、宇野重吉、薄田研二、本庄克二、そして千田是也などがこの年の8月に一斉検挙されたが、彼等のその後は、起訴或いは不起訴と別れるが、その殆どの俳優たちは、千田が言うように、演劇人としての<職業化>も、映画出演での口過ぎのような<職業化>も不可能になった。
 いずれにしても、この1940(昭和15)年は、新協、新築地への弾圧と、「演劇法」の制定や大政翼賛会に深く参画していく岸田國士の「右旋回」(松本克平)という、対照的なモメントを昭和新劇史に遺したと言える。

 

2007年06月30日

推奨の本
≪GOLDONI/2007年7月≫

毛利 三彌 『演劇の詩学―劇上演の構造分析』
 2007年3月  相田書房

 
 新しい演劇の台頭する時期や場所には、その社会的環境にある種の共通性がみられる。人々が明白に意識せざるを得ない人間関係のずれの発生である。紀元前六世紀から五世紀にかけてのアテナイは、ペルシア戦争をはさんでの激動期であった。十六世紀のヨーロッパ精神は、中世世界を支配してきたキリスト教の内部に最大の亀裂を生じさせた宗教改革によって混乱していた。南北朝期は、日本の歴史上、前後に例のない二つの朝廷の並立した時期だが、それを可能にする精神土壌は下克上による武家支配体制の中で培われていったといえる。一六〇〇年の関が原の戦いは、まさしく天下分け目、中世的なものから近世的なものへと日本人の思考様式が変化することの象徴であったが、そのことが明白な意識となって社会変貌をもたらしはじめたのは、十七世紀後半であった。この過去と現代の激しく相克する転換期には、そのずれに対して否応なく何らかの判定が求められる。それは、新しい社会体制のための法づくりと重なる。古代アテナイの法は、紀元前六世紀を通じて激しく変容したといわれる。王制が貴族制となり、そこから民主制に移行するまでの中間段階として、紀元前六世紀後半に成立した僭主制は、一種のクーデターによる政権獲得でありながら、民心を掌握しなければ維持できない新しい政治体制であった。最初の僭主、ペイシストラトスが大ディオニュシア祭での悲劇上演を定めたと一般にいわれてきたが、実際には、現存最古の悲劇の作者であるアイスキュロスが、その後のヨーロッパ演劇の礎となる劇の原型を作り出したといってよい。すなわち二人俳優の制度である。それによって人物間の対話が可能になった。対話は、アイスキュロスの時代に成立したアテナイ民主制の基礎となる。その法は、裁判官は人民からえらばれ、被告には、告発するものと弁護するものがいるという、今日までつづく民主的な裁判制度によって裏打ちされるものである。アイスキュロスの最後作『オレステイア』三部作は、この新しい法の根拠を問うものにほかならない。それは、目には目を、歯には歯を、という復讐法から脱するために、過去の事件に対する異なる見解をたたかわせることによって、将来に意味をもつ対処方法をみつける過程である。その再現が劇の基本形式となる。したがって、『オレステイア』のように劇中裁判を行なう形でなくとも、すぐれた悲劇は、それ自体が自ずと裁判形式を模する。『オイディプス王』は、先王殺害者探しの劇ではなく、殺害容疑者を裁く劇である。証拠調べ、証人喚問といった裁判形式の対話が繰り広げられる。たまたま裁くものが裁かれるものだった、という特異な結末となるが、それもいわば裁判形式にのっとって明らかにされる。かくして、対話による対立がヨーロッパのドラマの基本形式になった。
 これに対して、日本人の法意識がヨーロッパ人のそれとは異なる様相をもつことを指摘したのは、法社会学者の川島武宜である。彼は、日本人の法意識を示す典型例の一つとして、黙阿弥の『三人吉三廓初買』のよく知られた「大川端庚申塚」の場をあげる。お坊吉三とお嬢吉三の争いの中に、和尚吉三が割って入って喧嘩をあずかるという場面だが、あずかるとは、白黒をつけることではなく、調停すること、解決ではなく和解することである。だがこのとき、川島武宜もいうように、双方納得しての和解というよりは、一段上の立場に立つものが争いをあずかって言い分をおさめさせる。今日の日本でも、裁判で争うよりも示談で決める方が好まれるが、この日本人の法意識は、江戸時代を通じて形成されていったものだろう。江戸幕府は長年つづいた日本国内の対立葛藤の調停(あづかり)の上に成立した。したがって、多くの歌舞伎劇にこの調停的判断姿勢は明らかであり、これが近代になってもなお、われわれ日本人を支配している。日本演劇に対話性が希薄であることは、ここに由来するのであろう。
(「日本演劇の特性」より)

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2007年7月の鑑賞予定≫

[演劇]
*7月1日(日)から8月4日(土)まで。       浜松町・自由劇場
劇団四季公演『エクウス(馬)』
作:ピーター・シェーファー 訳:倉橋 健 
演出:浅利 慶太  装置:藤本 久徳
衣装・マスクデザイン:金森 馨  照明:沢田 祐二 
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*7月15日(日)から9月12日(水)まで。   京都駅ビル内・京都劇場
劇団四季ミュージカル『エビータ』
作詞:ティム・ライス 作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー 
演出:浅利 慶太  
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*7月25日(水)から29日(日)まで。 新宿・紀伊國屋サザンシアター
劇団昴公演『うつろわぬ愛』
作:アントン・チェーホフ 
脚色:ロミュラス・リニー  翻訳:沼澤 洽治
演出:ジョン・ディロン
出演:西本 裕行  久保田 民絵  田中 正彦 ほか

[歌舞伎]
*2日(月)。               板橋・板橋区立文化会館
全国公立文化施設協会主催
 松竹大歌舞伎 
『仮名手本忠臣蔵』祇園一力茶屋の場 ほか
出演:中村 吉右衛門  中村 芝雀  市川 染五郎 ほか 

[音楽]
*12日(木)。               築地・浜離宮朝日ホール  
『ラウマ・スクリデ ピアノリサイタル』
曲目:F・リスト 巡礼の年 第2年 イタリアより
             ダンデを読んで ~ソナタ風幻想曲

*13日(金)。                紀尾井町・紀尾井ホール
『アレクセイ・ゴルラッチ ピアノリサイタル』
曲目:ブゾーニ 悲歌集より 第3曲
   :ショパン ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 葬送 ほか 

*25日(水)。              江戸川橋・トッパンホール
『ソル・ガベッタ チェロリサイタル』
ピアノ:ミハエラ・ウルスレアサ
 曲目:シューマン 3つの幻想小曲集Op73 
    :ラフマニノフ チェロ・ソナタ ト短調Op19 

[展覧会]
*8月12日(日)まで。           竹橋・国立近代美術館
『アンリ・ミショー展』

*8月19日(日)まで。        恵比寿・東京都写真美術館
『「昭和」写真の1945-1989』
第2部「ヒーロー・ヒロインの時代」

*8月19日(日)まで。         六本木・サントリー美術館
開館記念展Ⅱ『水と生きる』