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2010年05月 アーカイブ

2010年05月04日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2010年5月の鑑賞予定≫

[演劇] 
*30日(日)まで。           浜松町・自由劇場
劇団四季ミュージカル『春のめざめ』
原作:フランク・ヴェデキント 
脚色:スティーヴン・セイター  作曲:ダンカン・シーク
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/


*30日(日)まで。        下北沢OFFOFFシアター
『モジョ ミキボー』
脚本:オーウェン・マカファーティ  翻訳:平川 大作
演出:鵜山 仁  美術:乗峯 雅寛   
出演:浅野 雅博  石橋 徹郎 


[音楽]
*5日(水)            赤坂・サントリーホール
『イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル』

*12日(水)            上野・旧東京音楽学校奏楽堂    
『シューマン生誕200年記念企画
 室内楽コンサート~ライプツィヒ弦楽四重奏団を迎えて~』


[展覧会]
*6日(木)から12日(水)まで。 新宿・京王百貨店 京王ギャラリー
『杉村聡 漆芸展』

*23日(日)まで。    六本木ミッドタウン・サントリー美術館
『和ガラス 粋なうつわ、遊びのかたち』

*23日(日)まで。              広尾・山種美術館
『奥村土牛展
 ―開館記念特別展 生誕120年』

*30日(日)まで。            上野・国立西洋美術館
『フランク・ブラングィン
 ―伝説の英国人画家 松方コレクション誕生の物語』

*6月6日(日)まで。           丸の内・出光美術館
『茶 Tea ―喫茶のたのしみ』 

2010年05月06日

推奨の本
≪GOLDONI/2010年5月≫

『明日を支配するもの』P.F.ドラッカー著 上田 惇生訳
 ダイヤモンド社  1999年

 (略)日本の官僚は、絶頂期にあった一九七〇年当時さえ、経済的な影響力はヨーロッパの官僚に遠く及ばなかった。フランスやドイツでは、政府自らが経済活動の相当部分を所有する。ヨーロッパ最大の自動車メーカー、フォルクスワーゲンの株式の五分の一はザクセン州が保有し、完全な拒否権をもつ。ごく最近まで、フランス政府は主な銀行と保険会社のほとんどを所有していた。ヨーロッパ大陸第三の経済大国イタリアも同様である。
 ところが日本では、政府が所有する大きな経済活動は郵便貯金だけである。日本では行政指導や影響力の行使によって行なっていることを、ヨーロッパでは、経済の計画化と企業の所有、経営者としての意思決定権によって行なっている。
 
 はたして日本の官僚の力を弱めることはできるか。これまでの彼らの実績は、さほど優れたものではない。この二五年間、失敗ばかりしてきた。六〇年代から七〇年代にかけては、補助すべき対象を誤り、メインフレーム・コンピュータに力を入れた。その結果、今日日本は、情報産業だけでなく、ハイテク全般で大きく遅れをとっている。
 日本の官僚は、八〇年代にも失敗した。景気後退に脅えてバブルを招き、今日の金融危機をもたらした。銀行、保険、メーカーによる株と土地への過剰投資を招き、価格高騰を引き起こした。その結果、最悪ともいうべき不良債権を発生させた。
 九〇年代の初めにこのバブルがはじけたとき、官僚は経済を立ち直らせることができなかった。そこで株価と地価を引き上げ、消費と投資を刺激するために、ニューディール時代のアメリカさえ上回る資金を注ぎ込んだが、効果はなかった。しかも一九九七年には、アジアの金融危機に不意を打たれ、アジアへの投資を奨励することぐらいしかできなかった。
 そのうえ、権威ある大蔵省や日銀の不祥事が明るみに出た。彼らのリーダーシップに疑問が投げかけられ、官僚システムを支持しつづけてきた大企業さえ批判的となった。大企業を代表する経団連は、規制緩和と官僚の権限の縮減を求めている。 
 だがこれまでのところ、大きなことは起こっていない。ある有力な高級官僚を棚上げしようとした政治家のささやかな動きさえ、わずか数週間後にはうやむやにされている。たしかにアメリカの目には、日本では異常なこと、特殊日本的なことがまかり通っているように見える。
 しかし日本のような、家柄や富ではなく、能力に基礎をおく指導層というものには、恐るべきしぶとさがあるものである。信用をなくし、敬意を失った後も、長い間力をもち続ける。(略)

 自らの力を奪おうとするあらゆる試みを挫折させてしまうという、時の指導層の恐るべき力は、日本だけのものではない。そもそも、先進国とくに民主主義の先進国というものは、指導層を不可欠とする。何らかの指導層が存在しないことには、社会と政治が混乱に陥る。その結果、民主主義が危うくされる。
 そのような観念とらわれていない国は、アメリカと若干の英語圏の国だけである。アメリカは、一九世紀の初め以降、指導層なるものをもったことがない。まさにアメリカ社会の特質は、トクヴィルをはじめとするアメリカ研究者が指摘したように、あらゆる層が、正当に評価されず、十分な敬意を払われていないと感じているところに、その強みがあることにある。
 だが、そのようなアメリカは例外であって、日本が普通である。アメリカ以外の先進国では、指導層が存在しなければ、政治の安定も、社会の秩序もあり得ないことが常識となっている。(略)

 先進国社会に不可欠の指導層は、自らの地位に執着する。支配者というものはそういうものである。しかしそれが可能となるのは、彼らに代わるべきものが存在しない限りにおいてである。ドゴールやアデナウアーのような者が現れて、新たな指導層を構築しないかぎり、旧来の指導層は、たとえ信頼を失い、機能できなくなっても、そのまま残る。
 日本には、この変わるべきものがない。将軍政治の後継だった軍部が、日本の指導層として返り咲くことはありえない。たしかに経済界は、かつてない影響力をもつにいたった。だが、社会そのものの指導層となることはできそうにない。学者も自由業も無理である。今のところ、いかに信頼を失墜させようとも、指導層たりうるのは官僚だけである。
(「付章 日本の官僚制を理解するならば」より)

2010年05月23日

財団法人地域創造について(一)

 事業の見直しを迫られる「地域創造」

 5月21日に行われた行政刷新会議の「事業仕分け」では、宝くじ関連の9財団法人(すべて総務省所管)の15事業も取り上げられた。その評価結果としては、「総務大臣に天下りが解決するまでは宝くじの発売を停止するよう要請する」とし、8事業が「廃止」、7事業が「見直し」と、すべての事業が「廃止」「見直し」となった。
 今回の事業仕分けでは、財団法人地域創造の「地域の文化・芸術活動支援事業」と「公共ホール活性化事業」も対象になっていて、このワーキンググループ(WG)の評価結果は、
 
 ≪(当該法人の所管官庁である総務省において、当WGの以下の結論に沿って、必要な指導を行っていただきたいとの前提で)
 ☆国と地方の役割分担の在り方について整理するとともに、地方の総意に基づき行っていると言われる事業については、このような「地方の総意」の再検討を行う
 ☆対象事業の見直しを行う 
 ☆地方自治体の負担の在り方を見直す ≫
ということになった。
 以下は、評価者のコメントである。

 <対象事業について>
①「自治体単独ではできない事業により限定することが必要だと考える」
②「文化庁との連携も強化すべき」
③「文化芸術の専門ではない総務省の人材を使うのではなく、自治体は民間の力を活用すべき」
④「地方の仕事。埋められないホールがあるならば、順次廃止すべき」
⑤「他省庁との重複を見直す」
⑥「いずれも廃止」
⑦「文科省(文化庁)の事業との融合を検討すべき」
⑧「判断基準、あるいは意志決定の責任を明確にすべき」
⑨「宝くじ協会、自治総合センター、地域活性化センター、地域創造のどこがイニシアティブをとるのか、地域創造がとるべきではない」
⑩「事業の必要性が不明確である」
⑪「他の公的組織の活用をはかる。地方六団体で見直して頂きたい」
⑫「地域文化芸術活動支援は、地域活性化に役立つ部分があるが、地域に根ざした事業となっていないので、見直す必要がある」
⑬「公共ホールが乱立するハコモノに対して、利用する文化芸術活動の支援は、宝くじに頼るだけでは不十分であり、多様な財源の確保こそが(財)地域創造の重要事業である」
⑭「各自治体が責任を持って一般財源により行うべき。この財団が行う必要はない」
⑮「廃止する」
⑯「宝くじ収益を用いた地域文化芸術の支援は一本化して受け取れるようにする」

 <地方自治体の負担の在り方について>
㋐「事業見直しを踏まえて再検討する」
㋑「廃止する」
㋒「地方自治体の負担が大きい。負担軽減とともに、もっと主体的に運営できるように見直す」
㋓「この枠組みとしては負担ゼロ。もちろん、個別に判断すべき問題」
㋔「希望する自治体と文化庁の橋渡しを行い、希望する自治体が文化庁と負担割合を決めればよい」
㋕「地方団体の負担軽減を図る」
㋖「地方団体は、公共ホールを作った責任を感じながら、徹底的に利用状況の改善を図るべきで、予算増もやむを得ない」
㋗「分担金の負担は完全に廃止すべき。この仕組みのままであれば、宝くじの認可を与えるべきではない」
㋘「宝くじのお金は入れない」

 <その他のコメント>
ⓐ「天下り止める」
ⓑ「宝くじマネーに頼った運営では緊張感が生まれない」
ⓒ「総務省所管の財団がコントロールすべき事柄ではない」
ⓓ「宝くじ分担金ありきで、あえて文化庁との違いを強調して事業化したとしか思えない」
ⓔ「質と効果に対する判断材料が曖昧」
ⓕ「地方六団体が本気で設置者責任を果たすべきである」
ⓖ「このようなオートマチックな負担で適切な効果測定や改善が行われるはずがない」
ⓗ「理事への総務省関係者の天下り根絶」


2010年05月26日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十八)

 悪役モデルにされた「遠山敦子元文科相」の言論統制 『週刊新潮』5月27日号

 『週刊新潮』5月27日号の写真ページ[discover]は久しぶりに面白い。タイトルは≪路駐 とんこつ ベントレー 「松野頼久内閣官房副長官」のアンバランスな休日≫。日曜の夜、渋谷区広尾のラーメン店に妻子を伴って出掛けた松野氏。価格2千万超のベントレーを路上駐車させ、店に入る前の歩道上で煙草を吸っている瞬間を撮られている。ベントレーから降りる姿も、路上で一服している姿も、「松野頼久」とのタイトルがなければ、そこらの地回りと見紛うばかり。不適切行動が指摘される多くの閣僚、民主党議員たちの中にあって、違法駐車、路上喫煙くらいで週刊誌の餌食にされるのは可哀想でもある。
 独身、まだまだ修行中の身で外に子供を作り、その母と子を捨てて結婚した染五郎、海老藏。酒に酔って警察官と大立ち回りを演じて逮捕された七之助など、戦後に活躍した歌舞伎俳優たちの三代目はあっぱれな虚けばかり。政治稼業の三代目である松野氏、違法駐車と路上喫煙はいただけないが、政治家の資質が全くないことを自らの言動で証明、それでも批判を恐れて夫婦での大好きな夜遊びを控えている、今やその虚けぶりはアメリカでも知られる政治稼業四代目の代わりに叩かれたのだろうか。それにしても、日曜夜の家族揃っての優雅な夕食も摂れるはずのお出掛けでラーメンとは、「民の竈」、庶民の暮らしを知ろうとの立派な心掛け。少しは称揚すべきことだろうが、どのぞの四代目同様、時と場所と機会を弁えられない、まさに「アンバランスな休日」が、その称揚すべき心掛けを無にしてしまった。
 永田町や霞が関の住人たちの風格のなさ、面構えの悪さ、貧相なさまにはこの数十年、驚くこともなくなった。三代目の松野氏は別だが、霞が関から永田町に移った新「過去」官僚、「脱藩」官僚たちや、自民、社会、民社などの既成政党を飛び出し、幾多の弱小政党を彷徨い、偶さか吹いたフォローの風に載って手にしたタナボタの政権でポストを得たものたちの「お子ちゃま内閣」(『週刊文春』)の面々、「廃園寸前の鳩山幼稚園」(『週刊新潮』)の園児たちの貧相な面構え。一週間でも宮崎に行き、畜農家や自衛隊員に交じって、殺された牛や豚の埋却作業でも手伝えば、呆れ果てた性根も面構えも、少しはマシなものになるのかもしれない。
 
 『週刊新潮』同号のワイド特集「ルージュの戦士」の書き出しも面白い。<頂点を極めた。名が売れた。形はそれぞれ違えど、斯く成功した女たちに限ってなぜか有為転変は付き物だ。政界への転身、引退と復帰、闘病に事件にゴシップ。目の前の山河を越え、世界を拓かんと疾走、奮戦する彼女らに、さて、ルージュをひく暇はあろうか…。>とある。そこでは、「参議院議員に当選しても、現役も続けてロンドン五輪を目指す」という盛りを過ぎた勘違い女柔道家、相次ぐスキャンダルで仕事をなくした自民党タレント候補、お友達の詐欺師を自身のブログで絶賛してしまった元首相夫人など、何とも何ともな女性たちの中に、「大臣経験者である天下り」という世にも珍しい存在たる遠山敦子女史が、このあっぱれ達と同列に扱われて登場している。題して、<悪役モデルにされた「遠山敦子」元文科相の言論統制>。
 <天下り官僚の横暴という、事業仕分けの動機にもなったテーマの芝居が上演された。永井愛作・演出の『かたりの椅子』。実は官僚のモデルは遠山敦子元文部科学大臣(71)だが、嫌がったご当人、〝言論統制〟まで敷いたというので……>との書き出しで、一昨年の新国立劇場の演劇部門芸術監督・鵜山仁氏の〝解任騒動〟の顛末を述べ、「朝日新聞は社説で<混乱のきっかけは、文部官僚出身で元文部科学大臣の遠山敦子理事長が、芸術監督全員を一気に代えようとしたことだ>と、異例の〝個人批判〟。」をしたことにも言及。また、同じ朝日新聞が昨年まで設けていた朝日舞台芸術賞の選考委員経験者で、演劇評論家の大笹吉雄氏は、<「自分が〝解任〟を決めた鵜山さんが新国で上演した芝居が賞を取ると、授賞式にノコノコと出て行き、〝いい演出家がいて、いいキャストがいて、いい戯曲があって、いい舞台ができるのです〟と、自分の手柄のようにスピーチする」と酷評する。
 文部科学省の政務三役、あるいは幹部職員の配慮でもあったからか、天下り官僚の典型でもある理事長を抱え、総事業費の過半を国費に頼り、独立行政法人にぶら下がる天下りのための財団でありながら、事業仕分け第二弾の対象から差し当たっては逃げ果せることが出来た新国立劇場。そのトップであれば、「事業仕分け」準備の間くらいは鳴りを潜め息を殺して嵐の過ぎるのを待つものだろうが、そこは天下り歴十数年の大物理事長、そういうあざといことはしなかった。理事長本人は否定しているそうだが、<「公演を取り上げないよう、マスコミに内々に要請してきた」(新聞社の幹部社員)>そうである。
 〝解任騒動〟以来、言われっぱなし、叩かれっぱなしの遠山氏、隠忍自重、不自由な、気の鬱ぐ日々を送っておられるのかと、ひそかに同情、案じていたが、まだまだご活躍の様子で安心した。この先の「事業仕分け」で、「悪役モデル」にされるほどの見事なお姿を拝見することが出来るかもしれない。