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2007年12月 アーカイブ

2007年12月01日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2007年12月の鑑賞予定≫

[演劇]
*12月24日(月)から1月19日(土)まで。    浜松町・自由劇場
劇団四季公演『ハムレット』
原作:ウィリアム・シェイクスピア 訳:福田 恆存
演出:浅利 慶太  美術:ジョン・ベリー   照明:吉井 澄雄   
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*13日(木)まで。          信濃町・文学座アトリエ  
文学座11月・12月アトリエの会
森本薫=作 
『華々しき一族』演出:戌井 市郎
出演:飯沼 慧  稲野 和子  高橋 克明  高橋 礼恵 ほか
『かどで』 演出:森 さゆ里
出演:倉野 章子 中村 彰男  浅野 雅博  添田 園子 

*5日(水)から20日(木)まで。     日本橋・三越劇場
民藝公演『坐漁荘の人びと』
作:小幡 欣治  演出:丹野 郁弓
出演:大滝 秀治  奈良岡 朋子  伊藤 孝雄  樫山 文枝 ほか

*2、3、8、9、13、16、19、23日まで。  
Port B ツアー・パフォーマンス
『東京/オリンピック』
構成・演出 高山 明

*22日(土)から24日(月)まで。    初台・新国立劇場中劇場
BeSeTo演劇祭
『廃車長屋の異人さん』
原作:マクシム・ゴーリキー「どん底」
演出:鈴木 忠志


[歌舞伎] 
*3日(月)から26日(水)まで。        半蔵門・国立劇場 
『それぞれの忠臣蔵』
「堀部彌兵衛」「清水一角」「松浦の太鼓」
出演:吉右衛門  歌六  芝雀  歌昇  染五郎 ほか 


[音楽]
*7日(金)。       初台・オペラシティコンサートホール
『ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル』
演奏曲目 シューマン:子供の情景
     シューマン:3つの幻想的小曲
     シューマン:交響的練習曲 

*9日(日)。              日比谷・日比谷公会堂
『ショスタコーヴィッチ全曲演奏プロジェクト2007』
指揮:井上 道義
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
演奏曲目:交響曲第8番 第15番

*13日(木)。            元赤坂・サントリーホール
『NHK交響楽団1609回定期演奏会』
指揮:下野 竜也
ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル
演奏曲目  フンパーディンク:「ヘンデルとグレーテル」前奏曲
        プフィッナー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調op.34
      R.シュトラウス:交響詩「死と変容」op.24 ほか


[寄席]
*28日(金)。               上野・鈴本演芸場
『年忘れ吉例鈴本鹿芝居 与話情浮名横櫛』
出演:金原亭 馬生  林家 正雀  ほか 

[展覧会]
*17日(月)まで。           六本木・国立新美術館
『「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展』

*24日(月)まで。            上野・東京都美術館
『フィラデルフィア美術館展』


[散策]
*16日(日)まで。               駒込・六義園
『紅葉と大名庭園のライトアップ』 

2007年12月02日

推奨の本
≪GOLDONI/2007年12月≫

森 銑三 『傳記文學 初雁』
 1989年  講談社学術文庫

    一
 文政十年の初冬のことであつた。中国地方へ到つた浪華の名優三代目中村歌右衛門、俳号梅玉を、備中国賀陽郡宮内の吉備津宮の社家頭藤井長門守高尚が、秘かにその別荘鶏頭樹園に招いて、芸道に関することどもを何くれとなく問うた。
 歌右衛門は安政七年の生れでこの年五十歳、その芸はますます円熟の域に入らうとしてゐた。体は小がらで、風采は甚だ揚らないが、さすがに大役者らしい貫禄がある。高尚は鈴屋門の国学者として広く知られてゐる。明和元年に生れて、この年六十四歳、歌右衛門よりは十四歳の年上であつた。柔和な面ざしの裡に犯し難い何者かがあつて、いづこへ出しても恥づかしくない人品である。
 高尚は趣味が豊かで、物の趣をよく解してゐた。これまでしばしば上方にも江戸にも遊んで、当時の一流の役者の舞台をも知つていた。それでこの度歌右衛門の来たのを幸に、わざと自宅ではなく、吉野町の東の普賢院という寺の北隣に建てた別墅の方に呼んで、一夕を清談したのである。それで二人の話を傍聴した人はごく僅かであつたが、その内に橋本信古といふ人がゐて、対話を書留めておいてくれたものが伝へられてゐる、それには「落葉の下草」という」名が附けてある。内容は僅々七条に過ぎないが、さすがにとりどりに面白く、多少は演劇史の資料ともなるものがある。以下それを順次紹介して行つて見ようと思ふ。
 
     二 
 高尚は問うた。
「後に小六といつた雛助は、芸を少くして心持を出さうとしましたが、なくなつた団蔵の方は芸をば大変細かにしました。この優劣を、あなたはどうお考へですか」
 雛助は嵐雛助、俳号は眠獅である。この年文政十年を遡ること三十一年の寛政八年に、五十六歳で死んでゐる。その小六の名を襲いだのは、なくなる二年前のことだつた。雛助は、芸の余韻余情を尊んだ。晩年倅の二代目雛助の評判がよくて、しきりに見物の声のかかるのを却つて苦々しいこととして、「その場で褒めるのは浜芝居の見物達だ。小屋を出ればすぐに忘れてしまふ。ただ声さへ掛かれば嬉しがつて、余計なところで見得をしたり、場当りの台辞をいつたりしてわざと褒めるやうに仕向けるのは、大歌舞伎の者のすることではない。昔の名人達は、誰も皆あだ褒めせられぬやうにと、舞台を大事に勤めたものだ。以後慎しむがよい」といつた。さういふ逸事などもある名優である。
 団蔵は四代目市川団蔵である。雛助よりも十二年遅れて、文化五年に六十四歳でなくなった。この人は幼時から小芝居で鍛え上げて、小がらではあるが小手ききといはれてゐた。器用な芸風で、宙返りや早変りを得意とした。さういへば、雛助の芸とは大いに相違するもののあつたことが知られて来よう。
 雛助と団蔵との優劣は如何といふ問に、歌右衛門は答へていつた。
「小六が芸を少くして、心持を出さうとしましたのは上手の業で、余人の及びもつかぬことでございます。何の役をしても情を尽して、見る人々の心をそれぞれに動かすといふのが小六の独特の芸で、さやうな役者は昔も稀でございました。只今は絶えてございません。先の団蔵は芸を細かにして、見る人達の心に少しもさからわなくて、何をしても褒めそやされましたのは、これもたぐひの稀な上手でございます。けれども今時の役者の上手といはれます者は、誰も団蔵のまねはしますけれども、小六を学ぶことは出来ません。ただ嵐吉三郎一人が、小六を学ばうとする志がございました」
 この後に「評云」として、「此答にて小六より団蔵の劣りけること知られつ」としてある。歌右衛門の返事に、高尚もうなづいたのであらう。ただ一人雛助を学ばうとした嵐吉三郎は、数年前の文政四年に五十三歳で逝いた。この人はその芸風を花三分実七分と評せられて、少しも芸をゆるがせにしない役者だつた。歌右衛門には第一の競争者であつたが、さすがに歌右衛門は、その長所をよく見抜いてゐたのである。
 (「歌右衛門と高尚」より)

2007年12月03日

「新国立劇場の開館十年」を考える(一)
≪「世界の三本指に入る」と豪語する天下り劇場理事長≫

 新国立劇場はこの10月、開館十周年を迎えた。
 11シーズン目に入った今期は、オペラ部門の芸術監督に指揮者の若杉弘氏、演劇部門の芸術監督に文学座演出部の鵜山仁氏が新任され、また、大劇場(オペラ劇場)には公募により、「オペラパレス」との愛称がつけられた。
 開館十周年という節目でもあり、一部の大手紙ではこの十年を評価検証する記事が書かれており、また、年末の各紙文化面に載る「回顧」記事でも、多少は触れられるだろう。
 今のところは、肝心の新国立劇場(正式名称は財団法人新国立劇場運営財団)、或いは上部団体たる独立行政法人日本芸術文化振興会、或いは監督官庁の文部科学省・文化庁が、この劇場の十年についての業績評価・検証をしているのかは公にされていず、実施しているのか不明である。
 新国立劇場は、凡そ毎年八十億円規模の予算で運営されており、その七割に当たる五十数億円は、日本芸術文化振興会からの新国立劇場事業費(受託業務費)などとして国費が投入されている。これに対して、公演事業収入は十六億円弱、協賛金・賛助金収入は七億円弱である。簡単に言えば、国税七割、公演収入二割、民間支援一割の比率であり、国民の税負担なしでは運営出来ない典型的な国立の文化施設の一つである。
 
 昨06年1月に発行された新国立劇場・情報誌『ジ・アトレ』の巻頭に載った遠山敦子理事長の「新しい年に向けて」と題した挨拶には、「わが新国立劇場は国際的にも大変評価されるようになりました。」「新国立劇場を訪れた芸術家たちからは、その専門的な観点からしても世界で三本の指に入る優れた劇場との言葉をいただいております。」との言葉があった。新国立劇場が世界の三本の指に入るとしたら、他の二つの歌劇場はどこなのか。世界中に歌劇場と呼ばれるものが何千あるか知らないが、オペラ愛好家でもない私でも、十や二十の世界の歌劇場の名を瞬時に挙げることが出来る。初のオペラハウスが誕生したばかりの、それもオペラ後進国である日本の劇場が、そんな著名な歌劇場を押しのけて、世界の三本の指に入るほどになったとは驚きである。が、そんな事は、遠来の訪問客の過剰なリップサービスであり、それを真に受けたとも思い難いが、国税を投入され、運営のことごとくを詳らかにして臨むべき国立の劇場の最高責任者である財団理事長の公式な発言としては、それも優秀なる高級官僚出身者の発言としては相応しくないものと思われる。
 この劇場の開場時に使われた宣伝コピーに、「世界中の注目を集め、いよいよ日本初のオぺラハウスがオープンします。」とあった。オペラハウスがない国に、初めてそれが出来ることで世界の注目が集まるとは思えず、このコピーの論理矛盾した表現に笑ってしまったが、さすがは文部科学大臣も務めたほどのエリート官僚、「世界中の注目を集め、日本初のオぺラハウスがオープン」したからには、開場八年で、世界の三本指の歌劇場になっていて何の不思議もない、とでも思われたのであろうか。
 

2007年12月04日

「新国立劇場の開館十年」を考える(二)
≪「役所体質から劇場組織への転換が急務」と語る若杉芸術監督≫

 つい先日の朝日新聞に、新国立劇場のオペラ部門の芸術監督になった若杉弘氏への取材記事が出ていた。また、10月末には産経新聞にも若杉氏への取材記事、先月は日本経済新聞に関連記事が出ていたので、それらを一部引用しながら、書き進めていこうと思う。
 
 ―「ヨーロッパの400年のオペラ史に比べ、日本は100年。専用劇場ができて10年に過ぎない」と言いつつ、「様々な試行錯誤があったと思うが、基礎固めは十分だったのか」と、疑問を投げかける。(「朝日新聞」)―

 若杉氏の劇場の現状分析が、昨日のブログで取り上げた遠山敦子理事長の、「世界の三本の指に入る優れた劇場」であるとの認識とは随分とかけ離れていることを知った。
 また、
 ―「目先の数字より、長い視野で歌劇場の果たす役割を考えてほしい。まずは現在のソフト面の役所的体質から劇場組織への転換が急務です」(「朝日新聞」)―
 
 と、本来ならば劇場組織に向けての改革提言を、敢えてか新聞取材に答え一般に知らしめようと発言しているところが気になる。
 因みに10月末の産経新聞の取材記事でも、
 ―「人的組織はまだ“お役所”です」と巷間(こうかん)言われる同劇場の縦割り体質への批判も隠さない。「任期中できる範囲で変えていくのも使命」と、まず、この10年まったく行われていなかったオペラ、バレエ、演劇の各芸術監督との定期的な会合を行うことにした。(「産経新聞」)―

 とあり、長くドイツの歌劇場でも常任指揮者を務め、また芸術監督として滋賀県立芸術劇場<びわ湖ホール>の運営にも十年間も関与してきた若杉氏の目からは、この「世界の三本の指に入る優れた劇場」たる新国立劇場の「役所」「縦割り」体制は、世界中の歌劇場の運営から比べても異常であり、改革すべきものと映っているのだろう。開館以来十年を経ても、新任の芸術監督に、「劇場組織に変えていくのも使命」と言わしめる劇場であれば、オペラ、舞踊、演劇の三部門の芸術創造の責任者が、定期的、日常的な意見交換すらしてこなかったという、信じがたい運営手法もまた当然と言える。これなどは、劇場管理者の無策ではなく、「縦割り」或いは「秘密主義」の結果であり、作為的なものだろう。
 では、この劇場の管理運営体制とはいかなるものか。
 日本経済新聞の記事によれば、メトロポリタンやバイエルンなどの大規模歌劇場の職員数は、八百から千人を超えているが、新国立劇場は百四十六人。しかし、「管理部門の人数だけは拮抗しており、バイエルンと新国立劇場は共に二十人ほど」だそうである。三本の指に入ると遠山理事長が誇ったのは、管理部門の人員数、あるいはその人件費、経費の事だったのかもしれない。
 また、開館以来十年の劇場の運営についての業績評価は、どこで、どのように進んでいるのか。
 もし評価検討を始めているとしたら、それを諮るべく委ねられているのは、この劇場、或いは日本芸術文化振興会、文部科学省・文化庁との契約・業務委託・雇用などの過去も現在も利害関係の無い人たちなのだろうか。
 或いはその前提とも言える情報公開はどうなっているのか。
 また、作家や出演者などとの上演についての契約書の取り交わし、公演製作費用や運営経費などの適正化・基準作成はどのように行われているのか。
 
 
 この『提言と諫言』では、新国立劇場について、たびたび書いてきた。
たとえば、2005年5月25日には<『危険な綱渡り』を上演中の新国立劇場>
http://goldoni.org/2005/05/post_93.html
2005年7月24日には<チケットをばら撒く『新国立劇場』>
http://goldoni.org/2005/07/post_108.html
2005年7月27日には<先達の予想的中の『新国立劇場』>
http://goldoni.org/2005/07/post_110.html

 などである。ぜひお読み戴きたい。
 政府・地方自治体の補助・助成金(税金)を当てにしなければ演劇活動が出来ない、或いは助成金の受給を当然視する貧しく卑しいこの国の大多数の演劇人と、そういう問題に対しても批判を持たない、或いはすでに失くした批評やジーナリズムの貧困を承知の上で、というよりも、だからこそ、腹を据えて、腰を据えて、この「新国立劇場」について、演劇の在り方について考えていこうと思う。
 「本質は些事に宿る」という。新国立劇場が些事とは言えないが、新国立劇場の在り方を考えることで、この国の舞台芸術の状況、劇場文化、敢えて大袈裟に言うならば、今日のこの国の姿までが見えてくる、と思うからである。

2007年12月06日

「新国立劇場の開館十年」を考える(三)
≪明暦・寛文期のインテンダント・村山又兵衛に学ぶ≫

 久しぶりに『役者論語』を読んでいて、二年ほど前の、このブログの「閲覧用書棚の本」に、十四冊目の本として紹介したことを思い出した。三百五十一年前の明暦二年、歌舞伎役者の橋本金作が舞台上で観客と口論になり、小刀を抜いてしまい、そのことで幕府(奉行所)から興行停止の処分を受けたという所謂「橋本金作事件」は、その折の京都の座元(劇場・興行主)であった村山又兵衛が、「御赦免」を求め、奉行所の表に起臥して毎日願い出ること十三年、遂に興行を許されるという、日本の演劇史上、興行史上で最も重要と思われる出来事について書かれている。
 ヨーロッパは歌劇場ばかりか、演劇専門の公共劇場、舞踊団などの舞台芸術の運営施設・団体のほとんどは、政府・自治体からの財政的支援を大幅に減らされている。そういう状況の中から、たとえばバイエルン歌劇場のインテンダント(総裁・劇場監督)だったサー・ピーター・ジョナス始め、演出家や製作者出身の優秀な経営者を輩出している。そうでなければ、厳しい状況を乗り越えられない。それは、オペラ(演劇・舞踊)への敬意と、組織や同輩への愛情、責任者としての矜持がなければ、出来ない事だろう。三百五十年前の村山又兵衛にみられる、芝居への敬意、配下の者たちへの愛情、責任感は、この時代のヨーロッパの、或いはアメリカのインテンダントが保持しているものと同質と思うがどうだろうか。
 (バイエルン州立歌劇場のジョナス氏については、このブログに『バイエルン歌劇場総裁の講義録』と題して書いている。ご笑読戴きたい。) 

 
 「閲覧用書棚の本」其の十四。『役者論語』(弐)
 今回は富永平兵衛著の「藝鑑」を取り上げる。
 この書を初めて読んだのはいつの頃か長い間思い出せずにいたが、近松研究の泰山北斗、乙葉弘教授の浄瑠璃講読の講義の教本を昨晩たまたま見つけ、その中に、「芸鑑を調べること」との走り書きがあり、それが18歳の頃であると判った。
 この『藝鑑』の、これから採録する條は、以来三十有餘年の間に幾度読んだことだろう。
映画やテレビの番組で見たとは思えないが、この一條に描かれた世界が、私の脳裏には映像となって大事に納められている。
 幼少の折に劇場主になろうとして四十数年、浄瑠璃と演劇製作を学んで三十有餘年、いまだに劇場を持てず、傑作を製作出来ないでいるが、劇場主、あるいは演劇製作者としての模範は、ここに描かれる座元・村山又兵衛である。

 一 明歴二年丙申。其比は京は女形のさげ髪は法度にてありしに、橋本金作といふ女形、さげ髪にて舞台へ出、其上桟敷にて客と口論し、脇ざしをぬきたる科によつて、京都かぶき残らず停止仰付けられたり。これによつて京都座元村山又兵衛といふもの、芝居御赦免の願ひに御屋敷へ出る事十餘年。しかれども御とり上なかりし故、又兵衛宿所へもかへらず、御屋敷の表に起臥して毎日願ひに出るに、雨露に打れし故、着物はかまも破れ損じ、やせつかれて、人のかたちもなかりしなり。其比の子供(色子)、役者ども、多くは商人、職人となり、又は他國へ小間物など商ひにゆくものあまた有。わづかに残りし子供、役者銘々に出銭して、食物を御座敷の表へはこび又兵衛をはごくみしが、芝居御停止十三年、寛文八年戊申にかぶき芝居御赦免なされ、三月朔日より再興の初日出せり。狂言はけいせい事也。此日は不就日なりとて留めけれども、吉事をなすに惡日なしと、おして初日を出しぬ。十三年が間の御停止ゆりたる事なれば、見物群集の賑ひ言語に述がたし。
村山氏の大功、後世の役者尊むべき事なり。

 舞台芸術の世界では、バブル経済の破綻した1990年代から、遅れてきた文化バブルとでも言うべきか、文化庁の文化芸術、とりわけ舞台芸術への支援・助成制度が量的に拡大し、96年からは重点的支援策である現在のアーツプランが始まった。
 関西歌劇団の母体である財団法人関西芸術文化協会による助成金不正受給事件(05年10月22日、11月4日の『提言と諌言』をお読み戴きたい。)は、見事なほどに氷山の一角であろう。今までにこの制度で支援を受けたものは数百の団体・ホール・劇場に及ぶだろうが、不正をしていないと証拠を出して立証出来るところはほとんど無いだろう。この制度に先行して実施されている、現在の独立行政法人日本芸術文化振興会による芸術文化振興助成対象活動等の助成事業を含めれば、この十数年でも、延べ数千の団体が助成金を受けている。このような助成のあり方を、文辞正しきは『ばら撒き』と言う。この『ばら撒き』、新国立劇場の得意の「チケットばら撒き」程度の事であれば、私ひとりの批判で事が済む。
 事は国費(税金)に係わることである。「補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律」によれば、補助金の不正受給は5年以下の懲役もしくは100万円以下の罰金を科せられる犯罪行為である。
年間50億円を超える国費が運営委託費の名目で投入される新国立劇場の遠山敦子理事長、長谷川善一常務理事は、ともに文部(科学)省の出身、所謂天下り官僚である。遠山氏は、このアーツプランを当時文化庁長官として推進、長谷川氏は、この芸術文化振興助成活動を前任の日本芸術文化振興会理事として管掌していた。今後、文化庁が訴訟準備に入り、検察や警察が動くような事になれば、身内の文部科学省の後輩たちばかりか、あまたの芸術文化団体に累を及ぼすことになるだろう。その中には、嫌疑の係る人物も炙り出されるかもしれない。文化行政ばかりか舞台芸術の世界にとっても厳しい事態が来るだろう。
 アーツプラン始め助成制度の存廃を議論・検討すべき時期が来たのかもしれない。その際に、最初に取り上げられるのは、新国立劇場の50億円という巨額な国費投入の是非であろう。そして、もし仮にそんな動きが具体化したとしたら、理事長始め百数十人の役職員は、人事を尽して支援を訴え賛同を求めて行動するのだろうか。財務省前や国会議事堂の請願受付で、端座して訴えをするほどの心構えが出来ているのだろうか。
 村山又兵衛のように、気概と見識と行動力を持たなければ劇場経営者は勤まらないと思うのだが、民であれ官であれ補助金に慣れ切って自立心を持たない今日の舞台芸術の世界では、望むだけ野暮な話なのだろうか。

2007年12月09日

「新国立劇場の開館十年」を考える(四)
≪六十歳で勇退したバイエルン歌劇場総裁≫

 前回、昨年春と今年4月に続けて書いた『バイエルン歌劇場総裁の講義録』のご笑読をお願いした。表示が最後の11回目からの逆順になるが、お読み戴きたい。
 http://goldoni.org/cat14/
 今回は、この10回目に書いた歌劇場総裁のピーター・ジョナス氏の退任について、一部を採録しながら書いてみたい。
  サー・ピーター・ジョナスは、サセックス大学で英文学を学び、マンチェスターとロンドンとニューヨークの音楽院の大学院課程でオペラと音楽の歴史を修め、キャリアの殆どすべてを歌劇場の運営に携わった人物である。
 ジョナス氏は、13年務めたミュンヘンのバイエルン州立歌劇場の総監督を、06年7月 のシーズン終了時に退任し、1974年に名匠ゲオルグ・ショルティ率いるシカゴ交響楽団のアシスタント、芸術監督(76年)になってからの三十年余のインテンダント生活に別れを告げた。講義後の質疑応答では、「インテンダントの仕事は、自分の生活を捨てるということでもあって」、「引退して、自分の生活を取り戻したい。そして趣味の長距離歩行をしたい」と語り、「スコットランドの一番北から、ヨーロッパの一番南のパレルモまで。それから、ワルシャワからリスボンまで。リュックを背負って、毎日20キロ、30キロの歩行をしたい。60歳からは人間の体は変わり、特に膝が駄目になり、1日20キロの歩行は67歳を超えると出来なくなるというので、出来るうちにやりたい」と語った。
 なお、ジョナス氏は次の言葉で締めくくった。
 ―我々は我々の感情、思考、感覚を伝えていかなければいけない。朝食の席とか、シンポジウムでは伝えられないものを、「舞台」では伝えられる。愛、憎しみ、感情、善悪ということはどういうものかを伝えられる。社会に生きるとはどういうことかというメッセージ、あるいはインスピレーションを、「舞台」の中に見つけることができる。コミュニケーションの最大最高の形態、それが私はオペラだと思っている。―

 欧米の著名な劇場の最高責任者は、オペラ製作であれ、演劇製作であれ、舞踊製作であれだが、創造集団、劇場出身の専門家であり、日本の殆どの公共ホール・劇場のトップのように、退役の官吏が役所の延長のようにして任ぜられることは有り得ない。
 新国立劇場の理事長、3名の常務理事の経歴については、いずれ詳しく調べて書くつもりだが、舞台芸術の専門家ではないだろう。舞台芸術や音楽の専門教育を受けてはおらず、またそのような職場に長く勤めた劇場人、舞台芸術の仕事に従事した実践家ではないだろう。舞台芸術、音楽との関わりも、子供のころにヴァイオリンを習っていた、学生時代にアンダーグラウンド演劇を観たことがある、大学の合唱団に所属していたなど、嗜みとも言えない程度のところだろう。それでも劇場のトップ、責任者のポストに就いたのには、相当な覚悟があってのことであり、相当の決断でもあったのだろう。無論、覚悟や決断で劇場運営幹部が務まるわけではないことは、余程の厚顔無恥な者でない限りは判っているだろう。役所や団体や民間企業の勤め人だった舞台芸術の現場を知らない素人の彼らは、劇場人としての知識技術の習得、舞台芸術のエッセンスだけでも獲得するという学習を、日常業務の中で、或いは業務外の時間を駆使して遣っているはずだ。   
 新国立劇場の遠山敦子理事長にとって、劇場トップとしての二年九か月はどんなものだったのだろうか。ジョナス氏言うところの「自分の生活を捨てる」ような日常、専念専心して、劇場トップとしての執務で忙殺される毎日を、任期終了まであと三か月の今も送っておられるのではないか。
 

2007年12月12日

「新国立劇場の開館十年」を考える(五)
≪本物が退散し、偽物が蝟集する『綻びの劇場』≫

 ―タケルの話は日本中知らぬもののないくらい周知のものだ。これは、ワーグナーの考えたように国民的音楽劇を書く上で大きなプラスになる。だが同じ事情がマイナスにもなり得る。劇・音楽の進行が皆とっくに知ってる話を忠実になぞるだけなら伴奏つき絵本でしかないのだから。
 とはいえ、團は決してナイーブな芸術家ではない。逆に際立って賢明な人であり、日本に類少ない手だれのオペラ作曲家である。彼は台本の段階でよく用意していた。
 日本狭しと東奔西走、連戦連勝の末、赫々たる武勲を上げたタケルは、最後に異郷で死を迎えるに至った時、美しい故郷を偲ぶだけでなく、戦の空しさに目覚め、平和と人命の尊さを人々に説くまでになる。
 私はこのことを、そこだけ一ページ大の引用で印刷した解説書を読んで知ったのだが、これこそ驚くべき転調、突然降ってわいた転身であって、この曲の独創性の頂点はここに至って極まるというべきだろう。
 だが、これは命取りにもなり得る両刃の剣だ。この着想は、多くの血にまみれた近過去から現今の平和希求主義への転換という日本の歴史にあんまりぴったりなので、いつも物事を自分本位でやるのでなく、少しは他人他国の人の観点からも考えることをする人々からは、かえって、うまく辻褄を合わせす過ぎた。うさい臭い日本礼賛と思われかねないのは火を見るより明らかだ。そういう作品になるか、それともオペラ史上でも特筆に値する痛烈な風刺劇になるか。私には、これは二つに一つの綱渡り的曲芸と思える。
 團がそれをどう解決したか、それは最後までつきあった人の判断にまつことにしよう。ただ私としては新国立劇場初公演の晴れの舞台をこの曲で飾ったという事実に、最近の日本の歩みと思い合わせて、ちょっと言いようのない不安、危惧を味わったことを告白しておこう。(『朝日新聞』 一九九七年十月二十三日夕刊 「新・音楽展望」)

 ―畑中良輔が六月末でもって新国立劇場を円満退職した。初代芸術監督(オペラ)としての、準備期間も含めて二期六年の仕事だった。心からご苦労様でしたと言いたい。国の施設である以上、一方では官庁、役人の管理下におかれて予算から何から制約があったろうし、他方ではこの国で近年とみに高くなったオペラ人気のおかげで、マスコミはもとより、より大勢の人々の大きな関心の的になる結果となり、ひいては多種多様の価値観を反映する判断や意見、希望等々の対象として、何をやっても、この公と私の両面からのコントロールと批判にさらされないわけにいかない。その中での仕事であった。(略)その人が任期を終えたのに、マスコミはあまり書かない。国立劇場建設当時のにぎやかな論争を見聞した者としては、ここで、この四年間の劇場の成果とか、畑中の仕事のプラスマイナスを論じる人が出てこないのが不思議でならない。ものごとは、そうやってだんだん良くするのが大切ではないか。私はこれはマスコミの事情だけでなく、国立劇場の運営ぶりからも来たのではないかと考えるのである。」 (『朝日新聞』 一九九九年七月二十二日夕刊 「新・音楽展望」)


 上の二つは、新国立劇場の開場記念オペラ『建<TAKERU>』と、新国立劇場でオペラの芸術監督を務めた畑中良輔について書いた、吉田秀和氏のエッセイである。
吉田氏は音楽評論家、というよりも戦後の文壇、文化界の最後の傑物である。氏のこの「新・音楽展望」は、加藤周一氏の「夕陽妄語」とともに、長く朝日新聞の文化面を飾る名エッセイである。
 最近の朝日新聞は、襲名披露時の祝儀を隠匿して摘発された噺家二世や、ライブドアの悪さ仲間の芸能人を毎週登場させるほどに、長年の高級紙路線をかなぐり捨てた。その決意のほどは彼らの力量・資質の自己評価から出たものだろうから尊重すべきだが、それにしても知的退廃・低級ぶりは凄まじく、もう加藤周一、吉田秀和の珠玉のエッセイは、豚に真珠の如きものになっている。「マクドナルド」を叩くのに、元店員に制服を着せインタビューするという報道とは名ばかり、娯楽番組スタッフ連中まで報道番組を作る愚かなテレビ局を系列に持つ新聞社だから、社内からも昨今の文化面、芸能面作りには批判もないのだろう。
 それは別にして、音楽批評というものは、たとえ新聞批評ですら、吉田秀和がその頂点にいることなども幸いしてか(影響を受けてであろう)、音楽の専門的な事柄を書きながら、その作品に触れていない、また音楽の知識造詣のない者にも理解の及ぶ読み物として成立する文章が多いと聞く。寂しいことに、総じて演劇作品について評した文章は、作品を観ていない読者にも楽しめる、独立した一つの読み物となっていない。新聞劇評などは、あらすじで大方終り、稽古場か酒席かで耳にした演出者か制作者か俳優の談話に手を加えて書くくらいのもので、作品を観ていない一般読者には、意味のないものになっていて、おおよそ読まれることもない。
 最近の演劇担当記者、演劇批評家の大多数が、演劇の目利きでなく、好事家・愛好家でなく、まともな批評文も物さず、文化庁や日本芸術文化振興会、地方行政などの舞台芸術振興の助成金分配などの審査に与ったり、役所や新聞社などの褒賞制度の選考に加わったりの、舞台芸術有識者という名の卑しい業界人に成り下がっている。演劇人自らが自立更生、自助努力を図らなければ演劇の未来はないと思うが、その障害になっているのが、助成金のバラマキであり、業界ボス化する演劇批評家の存在である。
 吉田秀和氏は、開場記念の『建』のつまらなさに呆れ、一幕で退散したそうで、その後も二つ三つのオペラを観ただけのようだ。毎年五十億円を超える国税が投入される新国立劇場に招待状を手に通う演劇の記者や批評家の多くは、吉田氏のようには、つまらないと思っても、それを表明する意思も機会もない。新国立劇場には、演劇研修所の講師になりたがったり、公演プログラムの原稿執筆の機会を心待ちにするという、金目当てかボス化を図る卑しい者が続出する。助成制度の審査委員や芸術祭、褒賞制度の選考委員などにならず、最後まで筆一本の書き手を志す、本物の批評家や愛好家が集まってきてこそ、劇場としてのステータスが高まると思うのだが。
 いずれ稿を改めて書かなければならないが、新国立劇場の秋から始まった今シーズンは、オペラ部門では、『タンホイザー』『フィガロの結婚』『カルメン』の三本の作品が上演されたが、そのタイトルロール、主役級の歌手すべてに出演キャンセルがあった。この劇場のオペラ製作能力を疑うに充分な出来事である。チケットの払い戻しを受け付けないことで、怒りのおさまらない一部の購入者からは劇場を訴えるような動きもあるという。また、演劇部門では、ギリシャ悲劇を題材にした創作劇三本を中劇場で上演したが、既に芸術監督の能力の低さ、作品の水準の低さこそ評判になったが、チケットの販売成績は振るわず、普段は千席の客席を五百席に縮小して上演したが、その半分も埋まらない体たらく。三作計五十回の公演での総キャパシティー二万五千席程度のうち、有料入場者は延べ五千人を下回るのではないか。動員された劇団員や劇団付設などの俳優養成所、演劇専攻を持つ大学や高校の学生・生徒、高校演劇部の生徒などが大量に売れ残ったS席に百人、二百人が座って居たようだから、ばらまいた無償チケットは一万席分に近いかもしれない。少なくとも、どんな形かでか将来演劇に関わろうと考える、或いは既に演劇人になったつもりの者たちに、新国立劇場は普段からチケットをばらまく、チケットを購入してまでは観ないで済む劇場と思わせているこの劇場の罪は大きい。無論のこと、事前にチケットを購入して観劇する一般の観客は、マスコミ等の招待客や、このばらまきのチケットで劇場に現れる、多くの演劇関係者をどんな気持ちでみつめているか。
 客席を縮小しても一億数千万円のチケット売り上げも可能な中劇場使用で、五千万円を大きく下回る売上。であれば、数千万円の赤字を計上しているはずである。チケットのばらまき(無償観客の動員誘導)については定評のある新国立劇場の演劇部門だが、既に看過出来ない状態である。
 新国立劇場は開館十年で早くも「誇り」のない、「綻びの劇場」になってしまった。

2007年12月21日

「新国立劇場の開館十年」を考える(六)
≪国立劇場の理事だった大佛次郎の苦言≫

 今から三十九年前の昭和四十三(1968)年十二月に、三十四歳の若さで亡くなった東京新聞の演劇記者・石原重雄の著書『取材日記 国立劇場』(1969年、桜楓社刊)を久しぶりに読んだ。暫くはこの本から引用しながら書いていこうと思う。
 石原は特殊法人国立劇場の理事を引き受けていた作家の大佛次郎を劇場に訪ねた。

 ―理事(非常勤)は三人で、理事室は大企業の社長室のように広く清潔だったが、ふだん使ってないせいか、ヒンヤリとした感じだった。
「ここではなんだから、出ましょう」社の車で帝国ホテルへ。国会議事堂を右手にみるあたりで、
「理事就任の要請があったとき、自分の仕事ができなくなるからと断わったんですけど、面倒なことはわずらわせぬからとくいさがられましてね。引き受けてみれば会議の連続、それも演劇のことなんかちっとも議論されない。すでに決めていることについて、責任のがれのため、われわれの同意を得ようということなんでしょうねえ。間違いをおこさぬように―、国会から叱られないように―と、それしか考えていないんだな」「目先のことばかり気をとられている感じですねえ」ときびしい批判のことばがとびだしてきた。人事にまつわるこっけいなかけひきは以前にも書いたが、理事になりたくて猛烈に運動した人は、みなしりぞけられた。要請を受けてことわった人もいる。評論家のT氏もその一人。「理由は簡単なんです。新聞批評ができなくなりますからねえ」―それが当然であろう。T氏も含めて、文部官僚が理事に選んだ顔ぶれは、いまの演劇界の、興行界の外にいる人たちばかりであった。見識とほめたいところだが、その後の理事の遇し方をみていると、「クロオトにかきまわされちゃあかなわない」といった、セクショナリズムがチラチラしている。わが尊敬する作家もいささか立ち往生の感じだ。
(略)「いまあるかぶきは、あるものとして認める一方、新しい国民劇をつくるべきじゃありませんか。脚本本位のね。それに、新しい脚本をこなせる専属劇団の育成ですね。劇団員には月二、三回の稽古芝居をやらせるようにして実力をつける。それしかないでしょう」さらにことばをついで、
「いまのように大過なく興行のフタさえあけばよしということではいけませんね。国立劇場に必要なことは、今の時点でなく、これから十年、百年先のことを考えたビジョンを持つこと。そのためにはどんなぜいたくでもすべきだと思います」   
 時間にして約一時間、淡々として語る口調に重みがあった。私の予想通りの識見であった。それにしても、こうした意見が通らぬ理事会のあり方に問題があるのではないかなどと考えてみたりした。―

 国立劇場は、「わが国古来の伝統的な芸能の公開、伝承者の養成、調査研究等を行い、その保存及び振興を図り、もって文化の向上に寄与することを目的」(国立劇場法第一条)として、昭和四十一年十一月一日に開場した。当時は、国立劇場法の下に「特殊法人国立劇場」として設立、今は独立行政法人日本芸術文化振興会の六つの劇場のうちの中核劇場である。著者の石原重雄が大佛次郎にインタビューしたのは、開場の翌年である昭和四十二年(1967)年九月。今からちょうど四十年前のことであるが、大佛の話している国立劇場についての問題点は、ほとんどそのまま、開場準備時から現在までの新国立劇場のあり方についての疑念とそっくりである。文部官僚、演劇人、評論家などの登場人物はみな変わった。無論のことだが、古典芸能と、オペラ・舞踊・現代演劇という具合に、上演する対象は違う。劇場の組織も、国立劇場は開場当時は特殊法人であり、新国立劇場は財団法人新国立劇場運営財団として設立し、独立行政法人日本芸術文化振興会の劇場の一つである新国立劇場の運営を委託されている法人である点も違う。にもかかわらず、官制劇場の実態は、呆れるほどに変わらない。
 因みに、国立劇場の開場時の役員は、会長(日本芸術院院長・高橋誠一郎)、理事長(元文部官僚・寺中作雄)のほかには理事が大佛次郎、演劇評論家・三宅周太郎、元大蔵官僚・三井武夫(昭和四十三年に自死)の三名、監事(元文部官僚・柴田小三郎、後に常任理事)一名。新国立劇場は、財団法人新国立劇場運営財団として設立し、会長(日本経団連会長・御手洗冨士夫)、理事長(元文部官僚・遠山敦子)、常任理事三名(元文部官僚、トヨタ自動車社員、元日本経団連職員)、理事(非常勤)二十七名という具合である。ここにも劇場運営の専門家はいない。「クロオトに掻き回されてはかなわない」。今も昔も文部官僚は変わらない。学習効果が高い、ということかもしれない。

 ―東京新聞政治部では「官僚さま・役人気質」のシリーズで国立劇場をとりあげ、次ぎのエピソードを伝えている。やはり『鳴神』公演中のこと。劇場の最高幹部であるA氏(文部省から転出)が、尾上松緑の楽屋口を、松緑の許しも受けずにあけ、招待した知人に「あれが松緑だよ」と指さしたため、松緑が「今月の出演はやめる」と怒ったという。政治部記者でさえ、「かぶき俳優にとって楽屋はわが家も同然、それを招かれざる客にのぞかれ、指までさされては、松緑氏が感情を害したのもムリはない。お役人特有の公私混同というか、官尊民卑というか、そんな気質がありありとうかがえる」と評している。―

 同著に私の縁戚のひとりが登場した。懐かしくて取り上げた。それは、主役を演ずる劇場最高幹部A氏、ではない。

2007年12月30日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2008年1月の鑑賞予定≫

[演劇]
*2月3日(日)まで。    浜松町・自由劇場
劇団四季公演『ハムレット』
原作:ウィリアム・シェイクスピア 訳:福田 恆存
演出:浅利 慶太  美術:ジョン・ベリー   照明:吉井 澄雄   
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*16日(水)から25日(金)まで。     六本木・俳優座劇場
俳優座公演『赤ひげ』
原作:山本 周五郎  脚本・演出:安川 修一
出演:可知 靖之  荘司 肇  中野 誠也  志村 史人  斉藤 淳  青山 眉子 ほか

[歌舞伎] 
*3日(木)から27日(日)まで。        半蔵門・国立劇場 
『初春歌舞伎公演』
通し狂言「小町村芝居正月」
出演:菊五郎  田之助  彦三郎  團蔵  時蔵  菊之助 ほか 

*2日(水)から26日(土)まで。       東銀座・歌舞伎座
『壽 初春大歌舞伎』
「一條大蔵譚」「けいせい浜真砂」「新皿屋舗月雨暈」ほか
出演:吉右衛門  雀右衛門  幸四郎  團十郎  梅玉  魁春  歌六  錦之助 ほか

[音楽]
*9日(水)。                元赤坂・サントリーホール
『ウィーン・リング・アンサンブル ニューイヤー・コンサート』
出演:ライナー・キュッヒル  エクハルト・ザイフェルト  ペーター・シュミードル ほか

[展覧会]
*14日(月)まで。                  銀座・松屋
『小堀遠州 美の出会い展』

*14日(月)まで。            六本木・サントリー美術館
『和モード-日本女性の華やぎの装い』

*27日(日)まで。              両国・江戸東京博物館   
『北斎-ヨーロッパを魅了した江戸の絵師』
 
*31日(木)まで。            日本橋・三井記念美術館
『国宝 雪松図と近世絵画展』