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2010年03月 アーカイブ

2010年03月01日

岡本綺堂七十一回の正忌

 …綺堂老人は話題が広くて、座談の名手だった。酒席でも生来の下戸で、しかも座持ちがよかった例を古老から聞いたことがある。師匠筋に当る福地桜痴がそうだったらしい。会合ぎらいで、引き籠りが常であったが、来客は歓迎で誰とでも快く会った。みんな長っ尻で困るとこぼしていたが、客の方に言わせると、話の接ぎ穂が次々に芽をふいて、立ちにくいのであった。まんざらの人嫌いではないのである。
 但しこの老人、若いときから癇癪持ちで議論好きで、喧嘩っ早かった。その気風は老年に及んでも時に爆発した。折り目を正す、筋を通すという段になると、決して妥協しなかった。誰からも、いい人だと褒められるようではダメだ、敵もあれば味方もあるという張りがなければ、これからの世の中に立っていかれないぞ。年少の気弱い私をつかまえて、歯がゆそうに、むきになって戒めたことがあった。一身のほかに味方なしという信条の老人は、自分自身にも甘えない剛気の姿勢を崩さなかった。
 それなればこそ孤独だった。むしろ孤独を楽しむ強さがあった。下戸だから酒の上の失敗がない。旅が嫌い、会合が嫌い、徒党が嫌い、スポーツもギャンブルも嫌い、映画が嫌い、書画骨董あつめや、稀書珍籍をあさるのも嫌い、イデオロギーとセンチメンタル大っ嫌い、嫌い嫌いで、艶聞もなし。逸話のないのが逸話のようなものである。河竹黙阿弥は、おれの家は芝居にならねえと言ったそうであるが、綺堂老人にもスキャンダルの入り込む余地は全くなかった。
(略)読物は余業の心持だった老人は、半七も楽しんで書いていたらしく、その楽しさが読者にも伝わるようである。戯曲は、その作にふさわしい俳優が生まれなければ成功しない。綜合の仕事である。読物の方は独りで事足りる。綺堂老人の本業と余技と、どちらが後世に残るかは判らない。
 それにしても、読物の方に向かっては、私の本業は戯曲ですから、無理な注文はお断りします。劇場に向っては、芝居で飯を食っている訳じゃありません。どうぞ他へお頼みなさい。そう言い得た二刀流の綺堂老人は、気に染まぬものへは、ひどく無愛想であった。…

 岡本経一執筆『半七老人・綺堂老人』(「旺文社文庫版『半七捕物帳・五』解説」)より採録した。今日3月1日は、岡本綺堂の七十一回目の正忌である。

2010年03月04日

推奨の本
≪GOLDONI/2010年3月≫

『下流志向―学ばない子どもたち 働かない若者たち』 内田樹著
講談社 2007年

 ついこのあいだ、『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』を試写会で見る機会があったのですが、この全六作を通じて、映画のメイン・テーマが師弟関係なのだということに気がつきました。アメリカ人は「師弟関係を通じての技芸の継承」ということについてはあまり関心がないんじゃないかと私は思ってきたので、『スター・ウォーズ』がそのテーマを正面に出してきたことに興味を覚えたのです。
 映画の中ではいろいろなことが起こるのですが、いちばん面白かったのは、「ジェダイの騎士」にはメンター(先達)がいて、メンターには必ず弟子が一人いるというその構造です。『エピソード2』と『エピソード3』では、弟子の方がメンターよりも腕前が上になってしまうという逆説が物語の縦糸になっています。アナキン・スカイウォーカーがオビ=ワン・ケノービよりも強くなってしまう。そして、「俺の方が才能がある。俺の方がもう師匠よりも強い」と言い出して、悪の道へ走ってしまう。 
 弟子が師匠の持っている技術は自分のそれと比較考量可能であると考えたときに、師弟関係は破綻します。アナキンは師のもとを去って、オビ=ワンよりも強いメンターを求めて、銀河皇帝の仲間になる。そうやって「フォースのダークサイド」に導かれて、ますます力を得たはずのアナキン・スカイウォーカーなのですが、これが最後に師匠のオビ=ワンと対決したときに、ぼろ負けしてしまう。
 僕は見ながら「おお、奥が深いな」と思って、けっこう感動してしまったのです。
 こういう話からあまり簡単なメッセージを取り出すのはよくないことなんですけれど、あえて申し上げると、「師であることの条件」は「師を持っている」ことです。
 人の師たることのできる唯一の条件はその人もまた誰かの弟子であったことがあるということです。それだけで十分なんです。弟子として師に仕え、自分の能力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある。ある無限に続く長い流れの中の、自分は一つの環である。長い鎖の中のただ一つの環にすぎないのだけれど、自分がいなければ、その鎖はとぎれてしまうという自覚と強烈な使命感を抱いたことがある。そういう感覚を持っていることが師の唯一の条件だ、と。
 弟子が師の技量を超えることなんかいくらでもあり得るわけです。そんなことあっても全然問題ではない。長い鎖の中には大きな環もあるし、小さな環もある。二つ並んでいる環の後の方の環が大きいからといって、鎖そのものの連続性には少しも支障がない。でも、弟子が「私は師匠を超えた」と言って、この鎖から脱落して、一つの環であることを止めたら、そこで何かが終わってしまう。
(略)師弟関係で重要なのは、どれほどの技量があるとか、何を知っているかという数量的な問題ではないんです。師から伝統を継承し、自分の弟子にそれを伝授する。師の仕事というのは極論すると、それだけなんです。「先人から受け取って、後代に手渡す」だけで、誰でも師として機能し得る。僕はそういうふうに考えていますし、およそこれまで師弟関係について書かれたすべての言葉はそう教えていると思います。
(「師弟関係の条件」より)

 今日論じる暇がなかったんですけれど、階層化が一番進んでいるのは、おっしゃる通り、実は文化資本においてなんです。
 「文化資本」というのはピエール・ブルデューの用語で、平たく言えば「教養」ということです。美術や音楽についての批評眼とか、適切なマナーとか、服装のセンスとか、ワインの選び方とか……そういう身体化された「お育ちの良さ」みたいなものです。フランスは階層社会ですから、所属階層が違うと生きる世界が違う。交遊範囲も、おしゃべりの話題も、着る服も、出入りするレストランも、みんな違う。文化資本は所属階層を表示する「名刺代わり」です。だから、その取り扱いにはみんな非常に慎重です。階層の下の人間がヴィトンとかエルメスを身につけたり、高級レストランで食事をすることは、「ルール違反」というか、ほとんど「履歴詐称」のようなものですから、階層社会では禁忌とされる。
 でも、日本は久しくそういうことはなかったわけです。「あいつは野暮だね」くらいのことは言いますけれど、それは所属階層とはあまり関係ない、金持ちでも、権力者でも、野暮は野暮だし、貧乏人でも、市井のあんちゃんでも、粋な人は粋、そういう点では文化資本的には民主的な社会だったと思います。
 それがここに来て急激に文化資本が社会階層の記号として機能し始めた。マジョリティーの教養がどんどん下がっていく一方で、社会的に高い階層にはまだ教養や趣味のよさをたいせつにする気風が残っている。
 佐藤学さんから伺ったんですけれど、東大のゼミでももう学生同士の話題が噛み合わなくなってきているそうです。音楽の話とか、美術の話とか、文学の話になると、そういう話題にまったくついていけない学生と、そういう話題がちゃんとできる学生の間にははっきりとした断層が生じている。子どものころから家に芸術家や政治家が出入りしているとか、留学していて外国語が堪能だとか、海外に友人がいて頻繁に行き来しているとか、小さいころから芸事をやっているとか、いわゆる昔ながらの上流社会の「リベラルアーツ」を身に付けて育ってきた子どもが一方にいて、子どものころから塾通いで勉強だけしてきて、本も読まないし、音楽も聴かないし、美術もわからない……というような学生が他方にいる。その落差がもう埋めがたくなっている。
 でも、この文化資本ギャップが際立ったのは、たぶん佐藤さんが観察されたのが東大という変な場所だったからだと思います。そこだと、他の条件が一緒なのに、文化資本についてだけ歴然とした差があるから、それが統計的な異常だということに気がつく。でも、一般社会に持っていくと、おそらく誰も気がつかないでしょう。だって、文化資本は統計的には正規分布してないんですから、下の方の階層の人は文化資本が豊かに備わっている日本人が存在するということ自体を知らない。日本人はみんな「自分程度」だと思っている。「教養のある人」がどこかにいるいうことがわかっていれば、自分には教養がないということもわかるし、教養を身につけないとまずいということもわかる。現に、大学に進んではじめて自分に文化資本がないということを知った東大生は必死になってその後れを取り戻そうとする。でも、自分には文化資本が欠けているということを知らない階層にはそもそも努力するモチベーションがない。だから、階層間の文化資本格差は拡大する一方なんです。
(「文化資本と階層化」より)

2010年03月08日

劇団が国の補助金を受けるとこうなる 日刊ゲンダイ2月25日

「ふるさときゃらばん」破産の報道に触れて
 2月23日付けの読売新聞、朝日新聞など一般紙の報じるところによれば、株式会社「ふるさときゃらばん」とその関連会社が、東京地裁に自己破産を申請して、破産手続き開始の決定を受けていたことが22日にわかった。その負債総額は2社合わせて6億47百万円、劇団員約40人は解雇された、という。この「ふるさときゃらばん」は1983年に統一劇場から独立、各地の青年団や婦人グループなどに働きかけて実行委員会方式で全国公演を展開、ピーク時には年間二百ステージ近い活動だったが、不況のあおりを受け、企業などのスポンサー確保が難航、国土交通省などの官庁の委託による橋や道路整備啓発のイベントや公演製作で劇団維持を図っていた。一昨年、国土交通省の道路特定財源から『みちぶしん』(道普請)という作品の製作費が使われていたことが国会で追及され、03年から07年まで(95件、約五億八千万円)続いていた公演が中止され、経営が成り立たなくなったようだ。
 大衆紙の日刊ゲンダイでは、2月25日付けでこの問題を取り上げている。
題して、<「ふるさときゃらばん」を破綻に追い込んだガソリン税キャンペーン/劇団が国の補助金を受けるとこうなる>。
 記事には、「絶頂だった劇団が<転落>のきっかけになったのはガソリン税(道路特会)に手をつけたこと」とあり、国交省関係者や他の劇団主宰者の話などから、社会の矛盾やサラリーマンの悲哀という社会のひずみをテーマに扱っていた劇団がその特色を棄て、行政の補助金にすがって行政施策の宣伝隊、旗振り役を務めてしまったこと、そして委託費支出が問題視されて公演が中止になり、大きな収入の柱を失ったとあった。
 また、記事によれば、ツルハシを持った作業着姿の男たちが、「道路を造れ道路を造れ」「道路走って世界を開く。道路は新しい時代をつくる」などと歌うというから、なかなかあっぱれな道路整備啓発・宣伝ミュージカルである。
 「ふるさときゃらばん」破産の新聞報道に触れ、かつて真山美保が作った「新制作座」、そこから独立した「統一劇場」などの学校公演を活動の柱とする日本共産党など旧左翼勢力に近い学校巡回劇団の名を思い出した。新制作座は1950年の設立から現在も活動中だが、1965年に創立した統一劇場は1983年に「ふるさときゃらばん」「現代座」など3組織に分裂している。
 私自身も、中学と高校時代に区立ホールや一橋の共立講堂だったかで、「新制作座」と「統一劇場」の公演を学校の視聴覚教育の一環で見せられている。子どもの頃の思い出を殆ど忘却している今も、あの経験を思い出すと寒気だつほどだ。宿題やレポートが出来なくて単位を落とす夢でうなされる、ということは無くなったが、あの演劇体験が夢に出てきたらと想像するだけで恐ろしい。
 二十年近く前のことだが、社団法人日本芸能実演家団体協議会の懇談の席に呼ばれたことがある。その終盤までは出席していた新劇団、児童劇団、舞踊団などがそれぞれに構成する団体の代表者の意見をひたすら拝聴していたが、最後に舞台芸術による社会貢献について発言するように求められ、「いろいろご意見を伺ったが、国は文化にもっと助成しろ、文化省を作って予算を大きくしろ、との皆さんのご要求は如何なものか。些か説得力がなく、自助努力を忘れた話である。それよりももっと本質的で有効な社会貢献策がある。それは、即刻皆さんが劇団や職能団体を止めることである。演劇で言えば、全国の児童・生徒が演劇嫌いになる理由は、レヴェルの低いあなた方の劇団の巡回公演を見せられるからだ」。要旨はこんなことだった。当然だが団体の長たちの反応は凄まじいものだったが、隣席の東京バレエ団代表の佐々木忠次氏だけは笑っておられた。
 後の日本近現代演劇史に名が残るであろう先達たちへの早い時期からの私の諫言は生かされることはなかった。取って付けたような借りものの「文化政策」やら「公共性」やら「公共劇場論」に縋り、自助努力を忘れ、税金のばら撒きによる助成金に群がる舞台芸術の集団や舞台人の行状を二十年近く見せられてきたが、この「ふるさときゃらばん」の破産は、舞台芸術団体の先行きを暗示している。「文化予算を拡充しろ」「文化庁を文化省にせよ」などと主張した哀れな先達の残党が、こうやって消えて行くことについては彼らの批判者ではある私も複雑な思いでいる。そして、また近いうちに、かつての大手新劇団、舞踊団などが、この「ふるさときゃらばん」と同じように悲惨な終わり方をするであろうことにも、だ。
 「劇団が国の補助金を受けるとこうなる」。厳しいが時宜を得た見事な小見出しである。