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2005年07月 アーカイブ

2005年07月01日

在外研修制度利用者を自衛隊予備役に編入せよ

中央官庁の若手官僚を2年間、海外の大学院などに留学させる、人事院の「行政官長期在外研究員制度」。40年ほど前から実施され、既に制度利用者は二千人を超えるという。最近はこの制度を利用した官僚が、帰国後に直ぐ退職し、民間企業に再就職したり、起業、あるいは政治の世界に入るなど、留学の本意から逸脱、制度の食い逃げが常態化しているそうで、以前からこの問題を読売新聞が追及していたからか、ついに人事院も不承不承、統一ルールを作ったという。その中身は、「帰国後5年以内に退職した場合、授業料分を返納する」という確認書を留学者に提出させるというもの。
拝金主義こそが美徳のこの日本で、国家に国民に仕えようと志し、勉学に励んで官吏になり、あまつさえ、海外で2年も学んで来ようという青年たちに対し、食い逃げを防止する策を弄するなど、何とも姑息で卑しい。5年以内に辞めてはならない、との姿勢で臨むならば、授業料だけでなく、渡航費用や給料・手当などの返還を求めることが筋だろう。制度として必要なことは、こんなことではない。国家・国民に奉仕するという官吏の本義、国家・国土・国民を守るということでもある。であるならば、この「行政官長期在外研修員制度」利用者全員を、自衛隊予備役に編入し、研修期間と同じ年限を、海外派遣地や国内・国外災害地の復興支援に従事させるべき。霞ヶ関や、地方出先機関、地方自治体での、謂う所の「馬鹿殿教育」先での役人勤めで、国民に仕えることなど露思わなくなる官僚を養うほど、この国は豊かであり続けない。業務執行能力、語学能力も高い二千人の制度利用官僚を、2年間も自衛隊員として働かせるのだから、自衛隊にとっても、送り出す中央官庁にとっても、サマワ始め国内外の派遣先にとっても効果のあることだろう。在学中に給料が支給される防衛大学でも、卒業時に任官拒否する者がいるという。彼等に対する措置はどうなっているのか知らないが、これも同様に4年の活動を義務付けるべきだろう。

本題である。
文化庁が施策としている、「芸術家在外研修制度」現在の「新進芸術家海外留学制度」は、昭和42年からほぼ40年に亘り、美術、音楽、舞踊、演劇、舞台美術、そして最近は映像メディア芸術、アートマネジメント等の「新進芸術家等」を海外に派遣、実際的な芸術研修機会を提供しようというもの。研修期間は、1年(100名)、2年(15名)、3年(3名)、特別研修(60名)の3ヶ月と、国内研修(60名)の10ヶ月。費用は、渡航費としてエコノミー航空券分、渡航支度金5万円、日当1万円見当。国内研修は、月額15万1千円の支給。1年の派遣で言えば、400万弱、2年で750万弱か。国内研修は151万円。今年度の予算を確認していないので、正確なことは判らないが、5億円ははるかに超えるものだろう。
今は、その必要性についての疑義や、補助金同様の謂われている「ばら撒き」施策だとの批判はしない。ただ、国民の税金で賄われている制度であれば、制度の利用者(直接的受益者)には、学を修め、腕を磨くことに励むことは当然だが、官費を遣っていることに対する自覚は持たせるべき。とすれば、この制度利用者にも、官吏同様の務めを求めても良いだろう。NOVAの「駅前留学」の影響か、若手官僚のように大学院への留学ではなく、劇場・ホールを見物し、現地のワークショップに参加した程度のことでも、「留学して来ました」、というこの制度だが、次はこの制度利用者の帰国後の活動を支援しようとの助成制度を作るのだろう。若い頃から、助成金で海外に出掛け、助成金で己の活動をしようという、補助・助成金漬けの人生を歩むことが日本では「芸術家」の姿なのか。「芸術家」が支援されてばかりの存在では、文化庁はどうあれ、一般社会の同意は得られない。この制度利用者は、既に二千人は超えている。舞台芸術に限っても、高名な舞台美術家や照明家、人気演出家や、若手狂言師など多彩。彼等に災害地で道路整備や住宅建設の手伝いは体力も能力もなく、芸術の専門家としての務めにもならない。自衛隊派遣地や国内の災害地で、長期に滞在して舞台上演などすれば良い。昔はこういうことを「慰問公演」と言ったのだろう。「芸術」の修業中の若者でも「芸術家」、物見遊山の洋行も「留学」のこの時代、「慰問公演」では古すぎるので、「comfort performance」とでも言うのか知らないが、横文字にしたら良い。
「研修制度利用者は、帰国後、自衛隊予備役に編入。研修期間と同期間のcomfort performanceを課す」くらいの一文が、この制度の募集要項に書かれる日が待ち遠しい。

2005年07月05日

『銀ぶら』と『心の師』

五十年に及ぶ銀座通い、などと気取っているが、幼少の折は家族に連れられての散策などが主だから、一人ででも出掛けるようになったのは、この四十年ほどのこと。6月30日の『提言と諌言』にも書いたが、銀座通いと言っても、百貨店の地下で、贈答品を選ぶことがもっぱら。「銀ぶら」らしいことはあまりしていない。偶に、午前中に出掛けた折に時間があれば、昭和通り沿いの二軒の古書店を覗き、スワン・ベーカリーで、幾つかのパンを購う。
このスワンのことは、ブログでも何度か書いたことがあるし、個人的にも勧めることもあり、また開店以来の報道などで既にご存知の方も多いと思うが、障害者の雇用の場を作る目的で作られたパンのチェーン店。授産施設・障害者共同作業所で働く障害者の平均給与が一万円を切ることを知った福祉財団の理事長が、「保護ではなく、自立を支援するのがノーマライゼーション」と考え、実践したパン・チェーン。この店で働く障害者の月給は十万円を超えると言う。現役の企業経営者時代にこの経営者は、「業界保護」や「規制」にしがみつき、権力を笠に着る官僚組織と度々衝突、「官から民へ」という規制改革の流れに大きく貢献した。
偶に私が購う三つ四つのパン代では、店にとっては何のたしにもならないが、私がこの店を度々訪れる目的は、こんな経営者の精神に触れ、己が志と品格と良心を持って行動しているかを確認する為である。
「真心と思いやり」に努める敬虔なクリスチャンでもあり、義太夫や小唄を好む粋な大人でもあった彼は、この6月30日に亡くなった。
元ヤマト運輸会長の小倉昌男氏、享年八十。お目に掛かることは無かったが、我が心の師であった。

2005年07月06日

『新国立劇場』への諌言の波紋

5月25日の『提言と諌言』で、新国立劇場の井上ひさし氏の新作『箱根強羅ホテル』の製作姿勢について、劇場の管理運営の杜撰さを含めて指摘した。普段は日に百件のアクセスも望めないブログだが、せっかく指摘させて戴くのだからと、メールアドレスを交換している方のうちの二百名ほどに、その旨のご案内をメールでお送りした。その直後から、ご自身の加入しているメーリングリストで、このブログを紹介して下さるとか、メールを転送したり、FAXやプリントアウトなどして、他の方へ一読を勧めて下さるなど、私の予想を超え、多くの方に読んで戴いたようで、ブログのアクセスは掲載からの一週間で二千を超えた。官の劇場としては想像通りの無責任な製作態勢、井上氏の台本が公演初日の三日前に仕上がる、という異常事態を指摘する内容を含んだものだったが、読後の感想を寄せて下さった方々の多くは、もっぱら演劇関係以外の方々。その中でも、文部科学省、文化庁との関わりのある教育や美術などを専門とする方々は、異口同音、「新国立劇場でも、本省や他の官立の施設と同様、無責任な、如何にもの予算消化、その場凌ぎの仕事をしているのか」と、怒りや失望をメールや電話で語っていた。
今回の私の指摘について、演劇関係なかんずく、井上氏と親しいらしい新聞記者や批評の人たち、劇場関係者から、「井上さんが遅筆なのは有名」「チケットは公演の初日が延期されることを見越して、後半を用意するのが通というもの」などの感想があり、概ね、「そんなことも知らなかったのか」「騒ぎ立てるほどのことでもない」とでも言いたげなものばかりであった。古い話で恐縮だが、雑誌『文芸春秋』による田中角栄金脈追及の折、立花隆氏らの追及した内容に、全国紙の政治部社会部の記者などマスメディアの者達が、「そんなことは前から知っている」と冷笑した、と聞いたことがある。だったら何故書かない、と当時憤ったものだが、久しぶりにそんなことを思い出した。立花氏らの追及と私の批判とは次元も違うし、時の権力者であった田中角栄氏と二大政党化の中で埋没する日本共産党の支援者の井上ひさし氏を同列に置く気もないが、権力者の取り巻きのような連中も掃いて棄てるほどいる新聞記者や批評家、いとも簡単に業界人に成り果て、観察者・批判者であることを忘れてしまうことは、政治でも演劇でも同じなのだろう、か。
「あんなことを書いてしまって、後々に困ることになったり、嫌がらせを受けるのでは」と親切心で忠告してくれる人たちからの連絡も数件あった。美術界に詳しい友人に、「今度の件で、文化庁のブラック・リストに載ったはず」と冗談口をたたかれたが、もともと当方の言動にさほどの評価がある訳でもなく、GOLDONIに文教族の国会議員は来ても文化庁の役人が来る訳でもなし、新国立劇場周辺の者たちの多少の無視、嫌がらせや中傷は続くにしても、当方に大きな被害やリスクはないだろう。
このホームページに、6月28日から、光産業創成大学院大学教授の北川米喜氏の『現代演劇と国家保護は矛盾する』を掲載している。ご一読をお勧めする。
最近の寄稿エッセイのコーナーには、武田明日香さんの『演劇の時間と空間』、菅孝行さんの『鎌倉大学の教育』、志村光一さんの『改革のスピードと大人の居場所』、の三本を掲載、明日からは平井愛子さんの『アメリカの演劇養成』の連載が始まる。
私は、二十歳の若書き、拙い小論である『八世市川団蔵について』を発表した。このブログでは、『閲覧用書棚の本』という本に纏わる小文を書き始めた。「長すぎる」と叱られること度々のブログだが、辛抱・覚悟してご笑読戴きたい。

2005年07月07日

「閲覧用書棚の本」其の三。『鏡獅子』

今回は、二世市川翠扇著『鏡獅子』(芸艸堂出版部、昭和22年刊)である。編纂は、翠扇の夫で、明治36年に九代目市川團十郎が亡くなって以来、昭和31年に病没するまで、市川宗家の当主として勤め、歌舞伎界きってのインテリゲンチャとしても著名な市川三升(歿後に十代目を追贈された)。校閲は養父・宝岑と親子二代の劇作家・劇通として鳴らした川尻清潭。執筆者は、この翠扇のほかには、六代目尾上菊五郎、三代目中村時蔵、四代目市川男女蔵(後の三代目市川左団次)、五代目中村福助(現七代目中村芝翫の父。戦前に早世している。)など。明治26年3月の歌舞伎座で、九代目團十郎が初演した、『春興鏡獅子』(作:福地桜痴、曲:三世杵屋正次郎)について語っている。
既にこのブログでも書いたことだが(6月19日『閉店三ヶ月をきったGOLDONI』)、今年の9月13日は、店の開業5周年。この日が九代目の正忌である。何とかこの日までは店を開けていようと思っている。この二世翠扇は昭和19年に病没しているので、資料でしか彼女のことを知らない。何枚かの写真がこの本にも載っているが、彼女と従姉妹である私の祖母によく似ている。そんな祖母の歿後五十年の今年は、何も報いることが出来なかった。そして私が幼少の頃から尊敬する三升の五十年忌にあたる来年、GOLDONIの更なる事業の展開を彼等に報告できるとよいのだが。

「踊りの巧拙」
よく人様から、どういふ風な踊りが上手か、又いいのか…と問はれる場合があります。一口に言ひ難いので、先づ總體にクセのないこと、またアクのないことで、第一に潤ひがなければならぬ事です。それから同時に、ふつうに踊りを御覧になる場合、又おどりを習ふ人でも、その動作の止まりの型は元よりやかましく言つて習ひますが、形の善悪よりも、モツト大事なものがあります。それは一つの形から次ぎの形に移るその微妙なところを無理なしに
程よく運ぶことで、そこにうま味があり、妙味もある譯でございます。よく靜姿に非常にいい形を示す方の内に、どうかすると木に竹をついだ様な感じを与へられる様な事がありますのは、その動作から動作に移る間に缺陥がある譯です。
例を擧げますと、扇一本扱ひましても、技が達して居りますれば、それによつて天地の萬象を目前に見せる事が出來る譯であります。然しそれは、口に言ひ得ない事であり、従つて筆で書き現はし難い事であります。これは凡ての藝事にも共通でありますが、先づ早いお話が、踊りの好きなお方であり、又見巧者の方々が、あれがいいと言ふ場合は共に一緒です。その事を思へば口に言ひ現はし難い事であり、筆で書き現はし難いのであつてもハハアと共通する點があります。それが妙と申すものでありませう。
(中略)或る日一つの形が何としても出來ないので、鏡を見て色々と工夫をしてをりました処が、之れを父・團十郎が見て申すには、『鏡を見て研究するのは惡い事ではないが、決してそれに囚はれてはならない。鏡が無くても自分の體が見える様にならなければ本當でない。つまり自分の形の良し惡しを自分の目で見てゐては、何時までも上達しない。何としても自分の形を自分の心で見る。つまり自分の心の鏡に寫して見て研究せねば不可ない……』と言われましたが、當時自分としては深く氣にも止めず、又さう言ふ事が果して為し得るものかと考へもしませんでした。ところが、何年か経つ間には、成る程と思ふ事が數々あり、その言葉の意味が良くわかつてまゐりました。
自分の心で、自分の形が見える様になれば、自然體だけは動ける様になつたのですから、それに大事の心を吹き入れるといふ事は、演ずる主人公の心持になる事で、前に例を引きました通り、物を見る場合、手をかざしていい景色だな――といふ心持を以て、その形をするのであります。さうして、その心持が目や體、全體に自然と現はれてくるのです。此の表現の判然とするとしないと、又その現はし方が美しいと、否とから巧拙が分るるものであります。只景色を見るだけにも、之れ程の複雑さを感ずるのでありますが、踊りは只それだけの事でなしに、人間の込み入つた心持や、世の中萬物に對する種々の感情などを現はすのでありますから、一つ一つを筆や口に上せて申し述べる事は、中々盡し得るものではありません。ほんたうの少しの事が、非常な相違を生むものであります。

2005年07月09日

「閲覧用書棚の本」其の三。『鏡獅子』(続)

明治劇壇を代表する名優、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎は若い時からの好敵手だった。五代目は明治36年の2月に亡くなったが、その時、九代目はライバルを失い張り合いを無くし、翌年の引退を決意したという。その團十郎も、この年の9月に亡くなる。
五代目は、嗣子の菊之助(後の六代目菊五郎)を立派な俳優に仕立てて貰いたいと、團十郎に預けた。十八歳で父を失った菊之助にとっては團十郎は父以上の師と言っても良い存在。六代目を作り上げたのはこの團十郎だとも言われている。舞踊の名手でもあった團十郎に二十年以上に亘って厳しい指導を受けて育った翠扇は、父の踊りの稽古の折、その代稽古も務め、後の六代目の師匠格でもあった。

「六代目の鏡獅子を見て」
歌舞伎座へは昨晩拝見に行つて参りました、六代目はああいふ如才ない俳優ですから、早速牧野さん(菊五郎支配人)を使として、何卒氣に入らないところがあつても、今日は叱つてくれるなとお言傳でした。さうして幕になりましてからも亦、如何でしたと問合せでしたから、相變わらず誠に結構に拝見しました。ただ、慾を申せば、手獅子を持つての引込みが、初演の時ほどに行きませんでしたネと、言傳を申して遣りました迄で、(中略)眞實、手獅子を持つての引込みは最初の時が一番よかつたと思ひます。今回は何方かと申せば、少々粗雑に見えたと申し度いほどで、ご承知の通り上手に飾りました一對の獅子頭、その一つを手に取りましてから、この引込み迄が、最もこの所作事の中心とも申すべき眼目だけに、この件がアッサリしてをりましたのは、残念にも存じられましたのです。(中略)片手は獅子、半身は優しい女性、この使い分けの振りが先づ第一の眼目で、亡父の歿後、いろいろな方がこれをお演りでしたが、一旦倒れましたお小姓が、獅子の力に引かれて起上りますところ、誰殿でも手をついてでなくては、起直られませぬため、眞に獅子へ魂が通つてゐるやうに見えないのです。それを手獅子が眞實活きてゐるやうに扱つたのは、亡父だけだつたなどと仰しやつて下さつたお方もありましたが、何と申しても、ここは至難な急所でございます。(中略)何のかのと、他人さまの事は岡目八目でかれこれ申しますものの、とり分けてこの所作事などは、亡父さへ老後には出来ぬ踊りだと申しました程の難曲、殊に藝はその日その日の氣分で、出來不出來は免れません。今更ながらむづかしいのが藝道であるとつくづく思ひました。

「おどり 道成寺」
一體この様な物を演じます場合に、女らしさを忘れをると云ふ事は一番嫌はねばならない事であります。よく見受ける事でありますが、始めしなやかに踊つて居られます時は、如何にも女子であつたが、狂ひとなつて参りますと、男か女か分らなくなり、又甚だしいのになりますと、丸で男になつて仕舞つた事があるのを見受けますが、そ
れは只踊ると云ふ事のみに懸命になつた結果がさうなつたのでありませう。さうした事は踊り本體の上から申しましても無論爪弾きせねばならない事であります。
いつぞや或る女優さんの芝居を見に行かれたお方の批評に、女優の女形がどうも女にならない、と云ふのは不思議だと云はれた方がありました。之は御尤もの事でありまして、よく父が私に踊りを教へてくれました時、折々どうしても女にならないと叱言を申されて、女が女にならず、男が男にならない物だと嘆じたのを覚えて居りますが、考へて見ますと、尤もの事だと常日頃思ふのであります。女にまれ、男にまれ、その演出する者が、物を十分に仕活かすと申します事は、その性を忘却しないことが第一の用件であります。振りの善惡も、こなしの善惡も、先づその次ぎと思はねばならぬと私は考へます。

2005年07月13日

「閲覧用書棚の本」其の四。『歌舞伎劇の経済史的考察』

今回は、山本勝太郎、藤田儀三郎の共著『歌舞伎劇の経済史的考察』(寶文館、1927年刊)を取り上げる。
当HPに先月から掲載した拙文『八世市川団蔵について』や、2005年6月4日付の『提言と諌言』にも登場する小汐正実氏は、旧制高校生か京都帝大生時分に歌舞伎をよくご覧になっていたようで、経済学部の卒業論文では、歌舞伎小屋の木戸銭と諸物価の比較をしたと伺った。お目に掛かった昭和47年には、既に丸金醤油の役員を退いておられた。その頃の氏はたぶん七十歳代、この本が書かれた大正末・昭和初期、京都や大阪で歌舞伎と親しむ、教養のある、時代の学生だったのだろう。その時分に、氏もこの本を読まれたかもしれない。そんなことを思いながら今回久しぶりに再読した。

「歌舞伎芝居に現れたる江戸と大阪」
江戸の町人の経済観念は極めて幼稚なものであった。理財の事を談ずるは士君子の恥辱なりとした封建武士の経済観念と餘り距りはなかったのである。上方下りの豪商や、上方商人の出店は別として、少く共江戸に永住し、江戸の氣風に染つた者達の間には、どうしても武士から受ける感化影響は避けがたいのであった。元禄時代の江戸歌舞伎の荒事は勿論の事、南北黙阿彌の「金」を扱つた作品の中にも、上方町人の抱いて居つた様な執拗な「貨幣禮讃」「拝金思想」を認むることは却つて困難である。少く共所謂江戸ッ子の連中には、依然として幼稚な、大數的な、非経済的観念が存在して居つたのである。黙阿彌の舞臺にも随所にその氣風が見受けられる。
(中略)夙に経済的発展の過程を踏んで来た商都大阪には斯様に早く「金」の芝居が出て、そしてその舞臺の上には、かくの如き貨幣禮讃の思想が演出されていた。彼らはその金權の王城に據つて武士を征服し、屈従せしめたにも不拘、猶且武士と妥協して「町人道」を築き、「商賣冥利」を確心して、愈愈その本領を發揮して行つたので
ある。然るに、武士の都たる江戸に於ては、永く「金」の芝居を見る事は出來なかつた。江戸の町人達は、武士に反抗し乍ら、而もその武士氣質に魅惑せられて、いつまでも封建武士流の幼稚なる経済観念の圏域を脱することは出來なかつたのである。大阪町人が新生の資本主義経済の大潮流に飛込んで、町人社會建設の新舞臺に華々しく活躍して行つたのに對して、江戸の町人、就中「江戸ッ子」は遂にブルジョワ経済の眞髄を理解することは出來なかつたのである。そして商都大阪と武士の大城下江戸と―この両都に於ける経済観念の進歩發達のこの相異がかくも顕著に舞臺の上に演出せられたるとき、上方芝居と江戸歌舞伎との對照は、竟に舞臺の上の興味を超えて、われらに對してかくの如き注目を投ぜしむるの至つたのである。 

2005年07月21日

新国立劇場の『海外招聘公演』

今年はドイツ年(『日本におけるドイツ2005/2006』)ということで、3月にはフォルクスビューネ劇場、6月にはシャウビューネ劇場が来日した。同時期の6月下旬、劇団ベルリナー・アンサンブルが、ベルトルト・ブレヒト作、ハイナー・ミュラー演出の『アルトゥロ・ウイの興隆』を新国立劇場で公演した。新国立劇場の海外招聘公演は、2001年9月のアリアーヌ・ムヌーシュキン率いる太陽劇団以来、このベルリナー・アンサンブルで4回目。02年9月に行われたペーター・シュタイン演出の『ハムレット』(モスクワ国際演劇協会製作作品)については、同劇場の演劇部門芸術監督の栗山民也氏が、この作品を招聘する事を条件に芸術監督を引き受けたと、どこかで発言していたことがあり、遠来の客への社交辞令を弁えた物言いを知っていることに感心した事がある。ただ、この発言が(無論、この姿勢が、である。)が災いしたか、足元を見られたのか、法外とも思える上演料を先方に払ったと、演劇業界の噂に疎い私も、新聞記者やフランス演劇通から度々聞かされた。前後するが、太陽劇団の公演では、パリ・ヴァンセンヌにある彼らの拠点である旧弾薬庫=カルトゥシュリーを模しての事か、奥舞台をステージに、主舞台を客席に変えるなど、中劇場を長期間にわたって閉鎖しての大掛かりな改装を施し、その無駄な金と労力と時間の浪費が公演以上に評判を取った。この4月に、東京都現代美術館の隣りにある木場公園で仮設の劇場を作って公演した『ジンガロ』を観て思ったが、新国立劇場の栗山氏や制作担当者は、都内の空き倉庫を探してでも、あるいは『ジンガロ』のように仮設の劇場を建てるなどの方策をなぜ採らなかったのだろうか。
 採算は無論考慮せず、穴は税金で埋めれば良いとの無責任な役人根性すら透けて見える製作姿勢だと思ったが、これは私の偏見だろうか。

2005年07月22日

昨今の『演劇製作』について考える

昔語りで恐縮だが、劇団に所属して製作管理を担当していた二十代半ばの頃の話。ある科目の予算の執行管理をしていて、トップからコスト節減の厳命が下ったことがある。他の新劇団ばかりか興行資本よりもコスト意識が高いことでも知られていた劇団だが、年度の途中でも原価の見直しなどが要求された。期末にその年度の支出を締めてみると、当初の年度予算案の10%強、二千数百万円の削減になっていた。トップに報告すると、「自分で予算案を作り、それを自分で執行して1割カットしたから何なんだ。最初から甘めに高く見積もれば、いくらでも削減できる」と叱責を受けた。私には意図的に高い見積もりで予算を組んだ覚えもなく、何人かの上司の修正が入ったものでもあったが、このことで、予算案の作成者が執行責任者にもなる演劇製作、とりわけ製作管理業務の難しさを教えられた。
その数年後、独立して演劇製作会社を始めた当初のこと、製作の方針や舞台美術予算を提示する必要もあり、演出者と舞台美術家の最初の打ち合わせに立ち会ったことがある。その折、両者から縦長の客席を少しでも変えるべく、客席を潰して舞台を張り出したいとの提案があった。私もその案に同意したが、「ただ、収支予測も立てて臨んでいる事業。舞台美術費も提示した通り。客席潰しによる減収分(料金×席数×公演回数×有料入場率)は、美術費とする」と話した。両者はともに初めて聞くような製作者の論理に、それぞれが不満を口にしたが、譲らない私に押し切られて不承不承受け入れた。
残念ながら力足らず、二十年ほどは舞台の現場から離れているが、演劇製作における予算、その予算執行管理とはそういうものだと今も強く思っている。
最近の演劇製作はどうだろうか。
かつての新劇団や、アンダーグラウンド系、大学演劇出身などの小劇場系の劇団などは、多かれ少なかれ所謂どんぶり勘定で演劇製作をしてきた。コスト意識など芽生えるはずもない。1990年以降の舞台芸術を取り巻く環境は変わり、なかんずく行政による支援・助成が恒常的なものになった。劇場・ホール、劇団などの製作団体、挙げ句の果ては芸能プロダクションにまで、国、地方自治体から、多いところは億を超える金額が毎年投入されるようになった。コスト意識がなくとも、集客努力はしなくても、多額の助成金に有り付ける。1公演あたりせいぜい2千、3千人しか集客できない製作団体にも数千万円の助成金が委託事業費などの名目を使って交付されており、中でも賢しい連中は海外の演劇フェスティバルなどに参加し、国際交流だの文化発信だのとの、取って付けたようなこの国の痩せた文化政策に便乗して、文化庁や国際交流基金などからの助成金を手に入れている。
そんな遅れて来た行政主導の文化バブルの昨今、年間50億円を超える税金が投入されている新国立劇場だが、この劇場のコスト、集客、作品創造などに現われる役職員・事業協力者の倫理や意識は、はたしてどんなものなのだろうか。

2005年07月24日

チケットをばら撒く『新国立劇場』

6月17日に三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで、シャウビューネ劇場の『ノラ』を観た折、ロビーで出会った制作責任者から、新国立劇場の『アルトゥロ・ウイの興隆』は集客が苦しそうと聞いたので、さぞ閑古鳥の鳴く客席になるのだろうと思っていた。しかし、22日の初日や翌日の公演を観た何人かの来店者に訊くと、満席ではないが八割程度は客席が埋まっていたという話で、最後になって営業努力や宣伝が効いたのかと思い、前もってチケットを購入していた28日の夜の公演を観に行った。中劇場の入口付近には、劇団四季出身の複数の職員始め、普段はロビーで見掛ける事のない多くの事務職員や技術スタッフなどが客待ちげに立っていたり、あるいは来場者と挨拶を交わしていた。彼らの何人かの手やポケットには、束になったチケットがあった。案の定、チケットが売れていたのではなかった。チケットをばら撒いたのだった。職員が待っていたのは、挨拶を交わしていたのは、只見の誘いに応じた演劇関係者や学生・養成所の生徒だった。
初日直前になって販売を諦めたのだろうか、職員、公演の舞台スタッフ、公演関係者から大学の教員、新劇団関係者や養成所などに、証拠を残さないためもあってかFAXではなく口伝てや電話で只見の誘いをしたようで、恒常的なことかどうかは知らないが、「動員」態勢を取ったのだろう。5月には、朝日始め何紙かの新聞劇評でも、井上氏の台本の遅れを指摘されたほどの演劇製作部門のていたらく、その直後の海外招聘公演の、目を被うほどの不入りが露見すれば、さすがに社会的な関心、批判を受けることにもなる。そんなことを恐れたのだろうか。ガラガラの客席では、ドイツからの遠来の客に失礼との配慮もあるだろうが、だとしたら、早くから劇場あげての本腰の入った販売努力があって然るべき。職員が一人あたり二三十枚のチケットを売っていれば、総キャパシティ七千席程度の興行としては成功裏に終っただろう。
今回の公演は、ベルリナー・アンサンブルへの出演料を含む総経費が何億円なのかは詳らかではないが、今回のチケットの売り上げでは、彼らの東京での滞在費用すら賄えていないだろう。
「新国立は只見が度々出来るので、チケットを買う必要がない」と、何人かの製作団体・劇場関係者や演劇批評・ライターが悪びれもせずに言った。只券を撒けば席は埋まるが、その連中は次もチケットを買わずに只見を決め込むだろう。
年間に50億円を超える税金が投入される新国立劇場だが、自腹を切ってでも観劇して、研究に励もうという心掛けとは無縁な、不心得な演劇人や関係者の、唯でさへ高いとは言えないモラルのますますの低下を助長している。看過出来ない事態である。
衆参両院の文部科学委員会なり財務省の主計局なり文部科学省なりが聴聞や監査・調査を、あるいは社会の木鐸たる新聞社の社会部あたりが調査取材をすれば、迷走する新国立劇場の運営の実態、チケットをばら撒いて席を埋めるなどという、怠慢で不謹慎なことが常態化しているのかどうかも明らかになるだろう。

2005年07月26日

「閲覧用書棚の本」其の五。『獨英觀劇日記』

今回は穂積重遠著『獨英觀劇日記』である。東寶書店刊、定価三圓特別行為税相當額十銭との記載が奥付データにある。はしがきの書出しは、「芝居の面白い國は、いくさも強い」。如何にも戦時下の昭和十七年十月に刊行された本ではある。
「ドイツの演劇振り観劇振りは極めて眞面目で研究的だ。例へばベルリンのドイッチェス・テヤターでラインハルト演出のシェクスピア劇を續演してゐたが、その演出も舞臺装置も音楽も演技も極めて良心的研究的であつて、本場の英國では當時到底企て得なかつた本格的な紗翁劇であつた。」と、ドイツ演劇を称える。
本著は大正元年から五年まで、文部省留学生として独仏英米4国に派遣され法律学を修めて来た穂積重遠の観劇記である。重遠の父は、貴族院議員、枢密院議長を務めた法学界の重鎮・穂積陳重。陳重の妻(重遠の母)歌子は実業家・渋澤栄一の長女。この夫妻は芝居好きとしても有名で、孫にあたる西欧政治史専攻の東京教育大学教授・穂積重行が編んだ『穂積歌子日記』(みすず書房、1989年刊)には、夫妻や家族での芝居(歌舞伎)見物のことが頻繁に出てくる。明治から戦前までの一級の教養人にとって、芝居が如何に身近なものだったかが判る。劇通の教養人など殆どいなくなった現代、と言うよりも劇通も教養人もいなくなったこの時代、歌舞伎座や新国立劇場に集う観客が醸し出す、教養の無さ、素養の無さには呆れるが、それを指摘すべき見識と教養を備えた批評家もほぼ絶滅した。戦後六十年続く教養の瓦解は、モラルの崩壊同様に止むことがない。
教養と言えば、一般教養課程での穂積重行教授の講義を履修、謦咳に接しながら、何を教わったかは全く覚えていない。恥じ入るばかりである。
教養の無い私にもみえてきたことがある。
「芝居の面白くない国は、外交も含めたいくさも弱い」。

十二月十四日(日)
夜はドイツ座で「ハムレット」を観る。同座では目下有名なラインハルトの演出でシェクスピア物の研究的上演をやつてゐて、今までに「仲夏夜夢」「ハムレット」「からさわぎ」の三つを上場した。今週からは「ヴェニスの商人」が始まり、追々新しいものを加へ、取交ぜて御覧に入れるといふ趣向。「仲夏夜夢」はさきに見て非常に面白かつたし、又、「ヴェニスの商人」はキット面白からうと思ふから、律ちやん(次弟律之助、現海軍造船少将、當時佛國派遣中、年末にベルリンに遊びに來ることになつてゐた。)が來たらこの二つを見せることにしようといふ計劃だが、今日は單身「ハムレット」を観に行く。
ハムレットの役は目下同座の人氣役者たるアレキサンダー・モアッシーが演じる。どうも顔付に品がないので王子らしい所に乏しく、この點では東京で観た土肥春曙の方がまさつてゐるやうに思ふが、さすがにせりふ廻しの活殺自在な所、藝に力のある所などは勿論くらべ物にならず、チョイチョイよい所があつた。しかしこの役はすこぶるむつかしさうな役で、まだまだとても満點はやれぬ、まづまづ及第點といふ所であらう。オフェリアはエリゼ・エッカースベルといふまだ極く若い女優が勤める。中々可愛らしいが、甚だ未熟で持ちきれない。國王もポロニウスもあまり感心せず、先王の幽霊に至つては大下手糞、御蔭で肝心の「ゴースト・シーン」も凄くも何ともない。その中で抜群の大出來はローザ・ベルテンスの皇后、この女優は前に見た「デヤ・フェヤローレネ・ゾーン」の母の役でも感心させたが、中々上手だ。皇后としての品位、ハムレットに對する愛情、初めから何となく不安な様子等申分なく、随ってハムレットが母に迫る一場が一番の見物であつた。
要するに豫期した程は面白くなかつた。かういふクラシックの有名なものは、こちらの期待が大きいから中々満足させられにくい。それにこれはよほどむづかしい芝居だね。やはりヘンリー・アーヴィングのやうな大名優がやらなくてはほんたうに面白くみせられないこと、團十郎がゐなくては「忠臣蔵」らしい「忠臣蔵」が出せぬと同様であらう。
    (一六、ハムレット  ―ベルリン、ドイツ座―)

2005年07月27日

先達の予想的中の『新国立劇場』

新国立劇場が設立されるまでの経緯について、久しぶりに復習していて、これに参画した何人かの演劇人の当時の発言にとくに興味を覚えた。今回はその決定版とも言える資料から抜粋して書いてみる。
多くの演劇製作団体が加盟する社団法人日本劇団協議会の前身である任意団体・新劇団協議会の機関誌『会報』73号(1984年7月発行)に、第二国立劇場(現在の新国立劇場)問題をテーマにした、劇団俳優座代表の千田是也氏と劇団四季代表の浅利慶太氏による対談が載っている。

千田是也氏「あんなところに自分で首を突っこんでみたって、どうせ大したことはないんだ。みんないままでよりももっと積極的な関心を持って、おれたちの税金、下手に使うなということだけ見張っていればいいと思うんだな。(中略)
世界の国立劇場の歴史が示しているように、だれがやったって官僚化するものですよ。まして文部省からの天下りがたくさん乗り込んで来るおそれがあるだろうし。それから、これは第一国立劇場の管理の仕事をやっていた人に聞いたんだけど、芝居をやってた人間の方がずぶのお役人よりももっと官僚的になるそうだね。(中略)」

浅利慶太氏「第二国立劇場で一番心配なのは、二流の芸術家が官僚化して、あの中に閉じこもったら、サザエの一番奥のところにダニが入ったかっこうになっちゃってね。ほじくり出すのに困っちゃって、日本芸術の最大のガンになる。それを何としても防ぐということじゃないですかね。(中略)
芸術団体のわれわれがいまから農協の後を追っかけてもしようがないんであって、別の形で政府からもっと金を出させた方がいいと思うんですね。新劇団に対するいまの形の補助なんて要らない。もっと基本的に芸術創造というものに対する認識を改めて、それに対する国家の思い切った文化政策をたてさせ改めて必要な基盤に投資させる必要があるということです。(中略)
僕はわりと文部省に限らず行政官庁にはっきり物をいってますが、補助金をもらっていないからです。官のひもがついては何もいえません。」

新国立劇場については、官僚以上に官僚化してか怠け切る劇団・商業劇場出身の職員、ダニのようにか劇場の企画・運営・養成に入り込んでしまった実際家や評論家の怪しい行状を見聞きするたび、演劇に対する文化庁の助成・補助については、不適正な受給などの噂を耳にするたび、この対談にある21年前の二人の先達の予想が現実となり、戒めが活かされていないことを痛感する。不作為、怠業は日常的であるが、法律違反として追及できず批判をすることしか出来ないが、助成金(税金)の不正受給は犯罪である。
文化オンブズマンや司直の手を煩わす前に、何とか自浄することが出来ないだろうか。演劇の外の人たちの『提言と諌言』を期待する。