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「閲覧用書棚の本」其の三。『鏡獅子』(続)

明治劇壇を代表する名優、九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎は若い時からの好敵手だった。五代目は明治36年の2月に亡くなったが、その時、九代目はライバルを失い張り合いを無くし、翌年の引退を決意したという。その團十郎も、この年の9月に亡くなる。
五代目は、嗣子の菊之助(後の六代目菊五郎)を立派な俳優に仕立てて貰いたいと、團十郎に預けた。十八歳で父を失った菊之助にとっては團十郎は父以上の師と言っても良い存在。六代目を作り上げたのはこの團十郎だとも言われている。舞踊の名手でもあった團十郎に二十年以上に亘って厳しい指導を受けて育った翠扇は、父の踊りの稽古の折、その代稽古も務め、後の六代目の師匠格でもあった。

「六代目の鏡獅子を見て」
歌舞伎座へは昨晩拝見に行つて参りました、六代目はああいふ如才ない俳優ですから、早速牧野さん(菊五郎支配人)を使として、何卒氣に入らないところがあつても、今日は叱つてくれるなとお言傳でした。さうして幕になりましてからも亦、如何でしたと問合せでしたから、相變わらず誠に結構に拝見しました。ただ、慾を申せば、手獅子を持つての引込みが、初演の時ほどに行きませんでしたネと、言傳を申して遣りました迄で、(中略)眞實、手獅子を持つての引込みは最初の時が一番よかつたと思ひます。今回は何方かと申せば、少々粗雑に見えたと申し度いほどで、ご承知の通り上手に飾りました一對の獅子頭、その一つを手に取りましてから、この引込み迄が、最もこの所作事の中心とも申すべき眼目だけに、この件がアッサリしてをりましたのは、残念にも存じられましたのです。(中略)片手は獅子、半身は優しい女性、この使い分けの振りが先づ第一の眼目で、亡父の歿後、いろいろな方がこれをお演りでしたが、一旦倒れましたお小姓が、獅子の力に引かれて起上りますところ、誰殿でも手をついてでなくては、起直られませぬため、眞に獅子へ魂が通つてゐるやうに見えないのです。それを手獅子が眞實活きてゐるやうに扱つたのは、亡父だけだつたなどと仰しやつて下さつたお方もありましたが、何と申しても、ここは至難な急所でございます。(中略)何のかのと、他人さまの事は岡目八目でかれこれ申しますものの、とり分けてこの所作事などは、亡父さへ老後には出来ぬ踊りだと申しました程の難曲、殊に藝はその日その日の氣分で、出來不出來は免れません。今更ながらむづかしいのが藝道であるとつくづく思ひました。

「おどり 道成寺」
一體この様な物を演じます場合に、女らしさを忘れをると云ふ事は一番嫌はねばならない事であります。よく見受ける事でありますが、始めしなやかに踊つて居られます時は、如何にも女子であつたが、狂ひとなつて参りますと、男か女か分らなくなり、又甚だしいのになりますと、丸で男になつて仕舞つた事があるのを見受けますが、そ
れは只踊ると云ふ事のみに懸命になつた結果がさうなつたのでありませう。さうした事は踊り本體の上から申しましても無論爪弾きせねばならない事であります。
いつぞや或る女優さんの芝居を見に行かれたお方の批評に、女優の女形がどうも女にならない、と云ふのは不思議だと云はれた方がありました。之は御尤もの事でありまして、よく父が私に踊りを教へてくれました時、折々どうしても女にならないと叱言を申されて、女が女にならず、男が男にならない物だと嘆じたのを覚えて居りますが、考へて見ますと、尤もの事だと常日頃思ふのであります。女にまれ、男にまれ、その演出する者が、物を十分に仕活かすと申します事は、その性を忘却しないことが第一の用件であります。振りの善惡も、こなしの善惡も、先づその次ぎと思はねばならぬと私は考へます。