『職人』 竹田米吉著
1991年 中公文庫
「解説 山本夏彦」
昔は立派な顔の職人がいた。頭(かしら)と呼ばれるほどの者の風貌には威風あたりを払うものがあった。四十になったら自分の顔に責任があるというが、それは昔のことで今のことではない。ないのは昔は一人が多くを兼ねたのに、今は分業の極になったからである。会社員はその例で、したがって会社員を三十年勤めても容貌姿勢に何ものも加えない。
俗に古武士のような風格というが、最も早くその風格を失ったのは、武士である。文武両道といって以前は二つを兼ねなければ「一介の武弁」にすぎなかったのに、明治になって腰弁になったら文武両道どころではなくなった。禄を失った武士たちは子弟を学校へあげてひたすら失地回復をはかった。大学を出れば末は博士か大臣か、十人の、百人の頭になれると商人は思わなかったが士族は思った。いまだに思っている。
けれども当時も今もわが国の教育の根本は「脱亜入欧」である。東洋の古典を捨てて西洋の古典を学べば西洋人になれると勘ちがいして、結局何者にもなれないで今日にいたった。
ひとり職人と芸人は時代に遅れた。徒弟制という教育が完結していたため学校教育がはいる余地がなく明治の末まで旧のままでいた。職人は一人で設計と施工を兼ね、次いでその職が世襲であること役者に似ていた。歌舞伎役者は四つ五つのときから子役として舞台に出ている。浄瑠璃、踊り、三味線、なかの一つでも出来ないということは許されない。だから戦前まで鳶の頭、歌舞伎役者には、そこにいるだけであたりを圧するものがいたのである。
ご承知の通りこの時代(大正初期ー引用者注)は伝統の木造建築が近代建築に移る激動期で、著者は始め職人としてやがて建築家として、さらに経営者としてその実際を一心に体験した人である。この職人時代を中心とした回顧録は、そのまま現代建築側面史である。
側面史といえば読みにくい文献のようだが、著者はもと神田の人である。威勢はよし歯切れはよし、それに何より近ごろ珍しい東京弁である。私が惚れこんだのはこの東京弁で、読んで面白いだけではない。人は何かを得れば何かを失うという。いわゆる近代化して私たちが得たものは何か。失ったものは何かを考えさせるものがここにはある。
本書はむかし私が手塩にかけて出版したものである。ながく絶版にしておくには惜しい本である。私はインテリがきらいだからすこし職人のひいきをしすぎる傾きがあるが、その職人も今は死にたえた。ながく記録としてとどめたくて推して中公文庫の一冊にしてもらった。(「解説 山本夏彦」より)