2017年06月

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

« 2008年01月 | メイン | 2008年03月 »

2008年02月 アーカイブ

2008年02月01日

推奨の本
≪GOLDONI/2008年2月≫

三島 由紀夫 『若きサムライのために』
 1996年  文春文庫

三島 といふのはね、やっぱりキリスト教対ヘレニズムといふやうなもんなんだよ、いまわれわれが当面してゐる問題は。結局ね、世界をよくしようとか、未来を見ようとかいふ考へと、未来はないんだけれども、文化といふものがわれわれのからだにあるんだといふ考へと、その二つの対立だよ。
福田 ぼくはベトナム戦争はイ・ロジカルなものにたいするロジカルなものの敗北だといふ考へ方には同意できないけれど、今の文化論は全面的に賛成だな。伝統だとか、文化とかいふと、なんだか唯美主義に聞えるけれども、実は決してさうではなくて、たとへばうまいソバが食ひたい、それを作つてもらひたいといふささいな日常的な生き方に至るまで、われわれの生き方を守るといふことでしかないんだよ。ところが、さういふものを、明治以来がむしゃらのやうになつてぶつつぶしてきたわけだ。それで先進国とかいふものになつて、やつと夢はかなつたんでせう。敗戦はしたけれども、そのおかげで先進国にのしあがつた。さういふことに日本人としての誇りの拠りどころを求めるといふのが関の山で、日本の文化を守らうなんて言つてもぜんぜん通用しない。
 もちろん、役人も一応それは考へるわけだ。でも、あの人たちが日本文化を守らうといふのは、せいぜい国立劇場をつくるといふことくらゐなんだ。それで、歌舞伎とか、伝統芸術を保存しようとする。
 ところが一方、学校教育では、歌舞伎を理解できず、感心も持てないやうな教育をしてゐる。つまり古典殺しをやつてゐて、その殺したやつを昆虫標本のやうに国立劇場で保管しようといふわけだ。歌舞伎を国民生活の中に生きたまま動かしつづけようとするのではなくて、博物館の中にミイラとして保存すること、それが文化に関心を有する政治家、役人の文化政策といふものです。

 日本の官僚は左傾する?
三島 だから、「文化を守る」といふことは、「おれを守る」といふことだよ。福田さんもさう思つてゐるだらう。
福田 さう、おれが文化だもの。
三島 やつぱりそれしかないんだ。
福田 だけどそれがね、いまの教育ぢや、文化を守るといふことはおれを守るといふことにつながつてゐないでせう。
三島 つながつてない。日本の官僚の文化政策といふのは、みんなそんなところなんだ。啓蒙主義と、明治の文明開化主義を一歩も出ない。文明開化主義と啓蒙主義では、日本の文化は絶対守れない。
 左翼は一方、そういふことをやつてゐるか。民衆芸術は食ひ込む。そして民衆芸能や、民衆のための芸術を発掘してだね、そのものを生々と民衆の手に戻さう、彼らは彼らでさういふことを一所懸命やつてゐる。
福田 だけど本質的にはおんなじなんだよ。
三島 つまり官僚の啓蒙主義とね、左翼の民衆芸術といふ観念は、おんなじものだよ。だからぼくは、一番日本の官僚が、いまに左傾すると思ふ。
福田 さう、さう、さう。
三島 ある雑誌で読んだんだが、『週刊文春』だつたかな、日本の高級官僚の半分以上が、三分の二だつたかね、社会党政権のある時点における成立の可能性を信じてゐるといふやうなね、官僚そのものが。大東亜戦争もだね、満洲事変もさうなんで、満洲事変における官僚のあれ、それから昭和十年代における新官僚のやつたこと、これがまたね、繰り返されてるから教育問題といふのはこはい。
福田 本質的に同じならね、左翼の方が勝つにきまつてゐるんだよ。
三島 さうなんだ。
福田 それはもう徹底してゐるからね、勝つにきまつてゐるんだ。さういふことを有能なる官僚は感じてゐるでせう。
三島 だから、いまのうちから仲良くしておかうといふんだよ。
福田 さうだ、さういふことなんだよ。悲観的になつてきたぢやないか(笑)。だけど、これは本当だよ。笑ひごとぢやない。
三島 危険だよ。さういふことはほんとに危険だ。ぼくは実際にあそこに近づいてね、さういふことが非常によくわかつた。
 あなたは前から国語問題で文部省関係のこと、ぼくは国立劇場関係で少し実態をつかんでゐて、なるほどと、文化の本質的な重さといふのがわからないんだよ。

 「文化を守る」ことは自分を守ることだ
福田 さうだね、いま言つたとほり、文化を守るといふのは自分を守ることだといふのはね、多少とも文化が自分の中に浸み込んでゐるからなんで、さうでなければ、自分を守るといふのはただ自分の生命を守るといふことだけになつちやふんだ。
(「文武両道と死の哲学」<対談>福田恆存 より)

2008年02月05日

「新国立劇場の開館十年」を考える(十一)
≪就任会見で「専念しない」と発言、朝日新聞に「無自覚」と批判されたNHK会長も兼ねる新国立劇場の理事職≫

 一月二十四日(木曜日)付の朝日新聞朝刊のオピニオン欄「私の視点」には、元TBS企画局長・田原茂行氏の「NHK新会長に望む三つのこと」と題する意見が載っている。翌二十五日に就任する福地茂雄氏への期待として書かれたものだ。田原氏の主張は、まず、組織の指導者としてどんな考え方の持ち主かを、視聴者にもNHK職員にも理解させるべく語ること。(英国BBCの会長は公募制であり、候補者はマニフェストの提出を義務づけられており、これが会長としての活動の基礎になっている。)その二は、全職員のモラルの根拠となる自立性の強化を図る。(現在のNHKには、元報道記者を中心にして、国会議員に密着して予算案の根回しを行う総合企画室があるが、今後はこの根回し専門組織の見直しと、視聴者への説明責任に軸足を置く体制作りをすること。)その三は、その具体策としての情報公開制度の抜本的な改革。(民放各局の「自己批評番組」のようなレギュラー番組を作り、視聴者と番組制作者が対話する番組が本質的な双方向性を確保する有力な手段である。)の三点だ。放送界、ジャーナリズムのことについては詳しくないが、それでも読んでみれば至極妥当と思われる意見である。特に、新会長がその活動の指針にもなるマニフェストを作成し、視聴者、職員に明らかにすべきとの考えは、経営委員会の委員長、そして新会長が保持していておかしくないものだろう。経営委員会が福地茂雄氏の会長就任を決定したのは昨年十二月二十五日、就任までは丸一か月あったので、二十五日の就任記者会見では、マニフェストの形かどうかは別にして、具体的な指針が出るだろうとは思っていた。
 一月二十六日付の朝日新聞朝刊の1面には、「法令順守を風土に」の三段見出しで会長就任記者会見の模様が、2面には解説記事「福地NHK改革へ背水」が、そして3面には社説「報道機関を率いる自覚を」が掲載されている。記事によれば、「昨年の就任内定から1カ月。日課のウオーキングも控え、好きな本は1冊も読まずに準備していた福地氏だが、「まったく未知の分野。つめの先ほども分かっていない」。手探りの船出であることを認めた」そうである。「知識を持っていない」「把握していない」(福地会長)を連発して、答えに詰まった、ともあり、「白紙」「(検討は)まだこれから」との発言が目立った、ともある。まあ、何とも心もとない有様で、丸一か月の準備期間に、経営者としての活動指針を準備できなかったようだ。また、NHK会長に決定する前から就任していた企業メセナ協議会理事長、東京芸術劇場館長の職については、「非常勤、無報酬、非営利で会長業務には支障がない」との理由で辞めないと述べた。未知の分野を爪の先ほどにも判っていないと謙虚な姿勢を見せたその後で、会長業務に支障がないのでNHK会長職に専念しないで他の職も兼任するとの発言は、如何なものだろうか。
 NHKの会長は二代続けて引責辞任を強いられ、二十年ぶりに民間から、それも放送界でもジャーナリズムとも無縁な、ビール会社の元経営者が、自ら語るように「未知の分野」への「手探りの船出」をする。にもかかわらず、NHK会長職に専念しない。この件について、古森重隆経営委員長、或いはNHKを所管する総務省の増田寛也大臣へは事前に了解を取り付けていての発言か。務め始めてもいない会長業務に「支障がない」と即断する根拠は何か。朝日の記事、他紙の記事にもこのことへの言及がない。もし、そうであれば、新会長だけでなく、古森、増田両氏の現状認識、見識の低さが問題となろう。
 朝日の社説は、「福地氏には本当に危機感があるのか、疑問を抱かせることもある。NHK会長になったのに、企業メセナ協議会理事長や東京芸術劇場館長を辞めないことだ。「会長としての業務執行に影響しない」というのだが、ここはやはりNHK会長に専念すべきだろう。報道機関を率いる自覚を持って、改革の具体策を急がねばならない。視聴者はいつまでも待ってくれない。」と結んでいる。
 NHKの会長職は、職員一万二千人、系列三十数社(団体)を合わせれば一万数千人の組織の最高責任者である。その人物が職務に専念しないで良いはずがない。二十年前に三井物産の経営経験を買われてNHK会長に就任したが、就任当初から失言が目立ち、「不適任」として九カ月で辞職させられた池田芳蔵氏の先例を、福地氏はどう理解しているのだろうか。専念したところで、国会や総務省、あるいはNHK本体から「不適任」と批判され、辞任させられた場合、その後に活躍する場がなくなることを懸念しているのだろうか。 
 企業メセナ活動や、都立の劇場の活動を、手弁当・費用の持ち出しになってでも続けていきたいとの高い志には共感を覚える。功成り名を遂げた企業経営者ばかりの話ではない。中央官庁の高級官僚出身者が、悪評高く、卑しい処世の「天下り」などせずに、第二の人生として社会貢献・文化貢献に努めたりする姿は、国民の範ともなるものだ。成功者、人の上に立つ者は斯くあるべしと思う。

 NHK会長職が専念すべき務めか、兼任でも務まる職かの判断がつかない人物が、無償で活躍しようとするメセナや舞台芸術の世界とは、なんと軽々しい、まさにビールの泡ほどに軽いものか。
 福地氏は新国立劇場の理事職を兼ねているようだが、こちらのポストでどんな貢献をしているのだろうか。企業のメセナ活動の振興、劇場の運営が片手間で出来るものとの判断でもあろうが、何にしても困った話ではある。 


2008年02月07日

「新国立劇場の開館十年」を考える(十二)
≪劇場のトップマネジメントは及第か(下)≫

専念しない、専門家でない天下りを劇場トップにする、世界で稀れな歌劇場  

  財団法人 松下教育研究財団    理事長
  財団法人 トヨタ財団          理事長
  財団法人 博報児童教育振興会  理事
  財団法人 日本いけばな芸術協会 会長

  社団法人 全国少年補導員協会  会長
  社団法人 学術・文化・産業ネットワーク多摩 名誉会長

  非営利活動法人 富士山を世界遺産にする国民会議 副理事長

  文化庁文化審議会委員 同文化功労者選考分科会委員
  
  数学教育学会           名誉顧問
  
  株式会社NHKエンタープライズ 取締役
  
  早寝早起き朝ごはん全国協議会 副会長
  全日本社会貢献団体機構 会長

 上記は、ひとりの文部(科学)省天下り官僚の肩書である。他にも公益法人あるいは営利法人の役員を幾つも務めているだろう。
 この人物こそ誰あろう、財団法人新国立劇場運営財団の理事長である遠山敦子氏その人である。

 新国立劇場の理事長職は常勤であろう。民間企業であれ、中央官庁の外郭団体であれ、天下り官僚がそこに職を得た場合に当然のように受ける待遇として、遠山氏も、部屋付き、秘書付き、車付きの厚遇を受け、(情報公開していないので、推定だが)年収二千五百万円前後の高禄を食んでいるのだろうか。そうであれば、理事長廻りの総経費は億に近いものになるだろう。このような待遇の常勤理事長だとしたら、非常勤とはいえ、他の公益法人等の役職を務めたりはしないものだと思うのだが、さすがは文化庁長官、文部科学大臣まで務めた人物だけに、教育や芸術文化に貢献したいとの高い志しがそうさせるのかもしれない。劇場経営者として当然持っていなければいけない劇場勤務の経験も、オペラ、演劇、舞踊の専門性を全く持たない中で、それこそ手探りで劇場の最高責任者として陣頭指揮を執っているのであれば、大半が文部科学省高官経験者などが引き受ける名誉職とはいえ、就任要請を一切断り、新国立劇場理事長職に専念すべきだったのではないか。
 新国立劇場と上記の団体との関わり、利害関係についてはまだ調べていない。松下、トヨタ、博報堂の作った財団は、すべて助成型財団であり、便宜供与、口利きなどの典型的な天下り官僚への期待を前提にしたポスト提供ではないのではとは思う。しかし他の法人などでは、新国立劇場、或いは理事長職との関連で適正を欠くものがあるかどうか、じっくり調べて書くつもりだ。遠山氏の任期は今年3月31日までである。3月中旬に開かれるであろう年度末の理事会では、遠山氏の続投、或いは後任の理事長が決まるだろう。それまでの残り一か月、この「新国立劇場の十年」を考えて書いていくつもりだ。続けてのご笑読をお願いする。
 

2008年02月13日

「あんた、殺気があるよ」と戒めた、百瀬博教氏の死を悼む

 1月28日付の朝日新聞朝刊の社会面には、「格闘技のプロデューサーとしても知られる作家の百瀬博教さん(67)が27日、東京都港区南青山5丁目の自宅マンション浴室で意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡した。警視庁は病死か事故死とみている。百瀬さんは、力道山や石原裕次郎が出入りした東京のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で用心棒をしていた。著作に「不良ノート」「裕次郎時代」などがある。」との記事が出ていた。
 百瀬氏は一度だがGOLDONIに見えたことがある。その時のことは、2004年12月9日付のブログ≪『Sincere』と『Pride』の一夜≫に書いた。短い文章なので再録する。

 19時前、お茶の水女子大のOGを中心メンバーにした音楽企画集団『Sincere』の3人が、先月の公演の報告と今後の活動についての相談にやってくる。彼らと話し込んでいた21時前、店のガラス戸越しに中を覗くキャップを被った大柄の男性。なんだなんだと、彼らを押しのけて前進、ガラス戸を開ける。途端に男性3名、女性1名の4人組に囲まれる。キャップの男性は、「(フランス文学者の)鹿島茂さんにおたくを教えてもらった」と仰る。殴り込まれるのかと身構えていたが、とんだ勘違いで、恐縮しながら狭い店内へご案内。
 ニューラテンクォーター、用心棒、ピストル、懲役など、GOLDONIではついぞ耳にしない言葉が先様から発せられ、会話の中途で、作家の百瀬博教さんであることが判る。GOLDONIの店の構え・規模からしても利益が出るような商売ではないことはお判りなのだろうか、何冊か買って助けてやろうとの御慈悲でか、何冊もお買い下さるような勢いで本を選んでおられた(それも私の評価している亡くなった演劇人の本ばかり。物凄いインテリとの世評通りの選択。)ので、「手前どもはお一人様4冊までにして戴いております」と恐る恐る申し上げると、「そうか。ま、店の仕来たりだからな」と、見事なほどあっさりと納得して戴く。その後だったか、最初に私が店から出てきた時には、「俺に喧嘩を売りにきたのかと思ったよ」とも。「また来るからな」と不敵、いや素敵な笑顔で仰って、お供を引き連れお帰りになった。氏とのやり取りを見ていた彼らは、「懲役という言葉を生で聞くのは初めて」と感心、「いつもの凄みに、お墨付が与えられた」と、日夜自らの粗暴さを戒め、精進に努める私をからかった。

 
 今日は上のブログで触れなかったことを少し書く。
 私が戸外まで見送りをした時、百瀬氏は「俺に喧嘩を売りに来たのかと思ったよ」とおどけながら仰り、そして語調を変え、驚くほどに優しく、「あんた、殺気があったよ」。氏の、「殺気は隠せ」「気をつけろよ」との忠告だったのかもしれない。そして、「困ったことがあったら、いつでも言って来てくれよ」とも言われたが、生来持ち合わせていない「凄み」の効かせ方など授けて戴くのも躊躇われ、また当方が不在がちでもあってか、残念ながら氏との再会は叶わなかった。
 百瀬氏とのホンの20分足らずの、しかし大きな戒めを戴いた出会いであった。ご冥福を祈る。


2008年02月18日

「新国立劇場の開館十年」を考える(十三)
≪毎年巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(一)≫

 肩書は年齢の数を越えるといわれる六十九歳の遠山理事長
 前回は、遠山敦子氏が新国立劇場運営財団の常勤理事長でありながらその職に専念せず、十指を超える団体の理事等の職に就いていることを指摘した。今回からは遠山氏が兼任している団体ごとに、いくつか書いていこうと思う。  
兼任しているポストを再録する。

財団法人 新国立劇場運営財団  理事長 
財団法人 松下教育研究財団 理事長
財団法人 トヨタ財団         理事長
財団法人 博報児童教育振興会  理事
財団法人 日本いけばな芸術協会 会長
社団法人 全国少年補導員協会  会長
社団法人 学術・文化・産業ネットワーク多摩 名誉会長
非営利活動法人 富士山を世界遺産にする国民会議 副理事長
文化庁文化審議会委員 同文化功労者選考分科会委員
数学教育学会            名誉顧問
株式会社NHKエンタープライズ  取締役
早寝早起き朝ごはん全国協議会  副会長
全日本社会貢献団体機構  会長

まず、理事長、会長を務めている4財団法人との関連についてである。
 松下教育研究財団は松下電器産業の、トヨタ財団はトヨタ自動車の設立した助成型財団である。ともに理事長職は非常勤のようである。2月8日の衆議院予算委員会で、民主党・武正公一議員は官僚の天下り問題について取り上げ、「理事長が非常勤」である公益法人のあり方や、就任の形態に疑義を呈し、福田首相も「改善すべき問題である」との答弁があったように記憶している。この「理事長が非常勤」なのは、中央官庁の外郭団体だけでなく、天下り官僚を受け入れる企業の作った財団などにも多く見られるものである。そのような団体は、概ね局長級かそれ以下の最終官職の天下りか、プロパーの管理職出身の常勤理事がその団体を差配している。遠山氏が理事長を務める松下教育研究財団、トヨタ財団も、問題の新国立劇場でも同様だろう。因みに、新国立劇場の筆頭の常務理事・霜鳥秋則氏も、文化庁の文化部長などを経て退職、新国立劇場が幾つ目かの天下り先であり、この先も前任者同様に大学などの理事・監事或いは教授などに転出するであろう典型的な渡り鳥である。
 松下のポストは、元文部事務次官で、退任後に国立教育研究所長、日本学術振興会理事長、独協学園理事長、そして新国立劇場運営財団初代理事長とみごとな渡り鳥ぶりを演じた木田宏氏の引退を受けての、トヨタのそれは、前任の木村尚三郎東京大学名誉教授の死去に伴う選任である。
 それにしても、日本を代表する企業が設立した財団が、理事会のトップに天下り官僚を受け入れ、非常勤でその職に就かせている現状は、まさに「改善すべき」ものだろう。遠山氏は、このトヨタ自動車からの出向社員・岡部修二氏を新国立劇場の常務理事としている。繰り返すが、遠山氏、霜鳥氏、岡部氏、もう一人の常務理事である日本経団連の元職員・角田博氏の常任理事者4名は、劇場勤務経験、舞台芸術実践経験がない。新国立劇場は、非専門家による専門劇場の運営である点でも、世界に類例のない劇場である。職に就かせた方も、職に就いた方も、不見識非常識極まりない。
 中央官庁の官僚であれ、地方自治体の役人であれ、その主流はジェネラリストである。であれば、スペシャリストには官の組織を運営させたくないだろう。しかし、その官が作った外郭団体はその存在価値の有無、妥当性の有る無しはどうであれ、すべて専門性を持つことで存在している。国が作った劇場などはその典型である。そこに、実演家、実践家であるスペシャリストを押しのけ、或いは傀儡化した上で、専門性のないジェネラリストであった所管省庁の高級官僚がその組織のトップとして天下る。臆面もなく職を得るものだと呆れもするが、翻って、専門性のない者が憶することもなく、ましてや常勤でありながら専念しないでトップを務める、その不見識非常識を批判することなく、却って迎合し追従するようなオペラ、舞踊、現代演劇の舞台芸術界の不見識非常識を超えた不甲斐無さ節操の無さに、もう救いはないのではと思ってしまう。


2008年02月26日

「新国立劇場の開館十年」を考える(十四)
≪巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(二)≫

 「官と民の持たれ合い」を象徴する、元文化庁長官の被助成団体会長兼任 
 今回は、遠山敦子氏が兼職している財団法人日本いけばな芸術協会の会長職についてである。
この協会のウェブサイトによると、華道・生け花の四百以上の流派と、四千人以上の師範が加盟している。華道の流派がこの協会に加入しているものだけでも四百以上あるというのは驚きだ。その流派の師範が一人、いわゆる一人流儀も相当にあるようだ。また、沿革なども書かれているが、平成十四年までの記載しかなく、他のページを見ても、ほとんど二、三年前の更新が最後、という具合。
尤も、昨十九年三月に会長に就任した遠山氏の名前は役員名欄にあるので、最低限の体裁を整えているのだが、財団の寄付行為、事業計画・報告、収支予算・決算報告などについては、全く公表していない。
 協会は文化庁や地方公共団体などの支援を受けて、いけばな展などを主催している。遠山氏を会長に選任した理由は、役所への口利き、圧力を期待してのことだろう。監督或いは支援する、助成・補助金を支給する官庁の役人が、退官すると、今度は監督され、支援され、助成・補助金を受ける側の組織のトップに座る。日常になってしまった「官と民の持たれ合い」の関係である。監督官庁がこの様であればこそだが、例えば、文化庁の助成制度の審査委員などを委嘱されている演劇評論家の大笹吉雄氏が、文化庁助成事業の請け負い、補助金を受給する劇団を構成員とする社団法人日本劇団協議会の常務理事や、独立行政法人日本芸術文化振興会の委託事業者である新国立劇場の評議員を務めるというような不見識なことが起こる。フリーランサーの批評者が、国家や地方自治体、それらの外郭団体や業界団体と関わりを持つことにも違和感を抱くが、演劇界のオピニオンリーダーのつもりで立ち働いているのかも知れない。麻薬のような助成金補助金に頼ること縋ることが最も重要なテーマと化した現代の演劇界では、この大笹氏の振る舞いなどは、特段に異常なことではないのだろう。このような「官と民との持たれ合い」、官による「芸術」活動への助成制度、補助金受給に縋る緊張感の無い環境から生まれるアート、芸術文化に、明るい未来があるとは思えない。

 新国立劇場のエントランス正面に迎え花(ウェルカムフラワー)が飾られていることがある。専らオペラ劇場のオペラ、バレエ公演期間中に用意されているようだが、いつから飾られるようになったのかは記憶にない。昨年秋の今シーズン皮切りの演劇公演を観に出掛けた折、中劇場へのアプローチを塞ぐように迎え花が飾られて、鎮座する巨大な飾り花の左の隅に出来た微かな隙間を抜けて中劇場まで入った。この公演の余りの悪評判に、巨大オブジェで中劇場を蔽い隠したくなったのかと思ったほどであった。あれほどの大きな迎え花であれば、生花の費用だけでも数十万円はするだろうから、総制作費用をノーマルに支払うとしたら、(舞台作品個々の制作費用を明らかにしない劇場だけに、この迎え花の制作料なども不明であるが)数百万円のものかもしれない。
 因みに、この迎え花、作者は同協会副会長の勅使河原茜氏であった。

2008年02月29日

「新国立劇場の開館十年」を考える(十五)
≪巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(三)≫

 経営の健全化を求められるNHKの子会社の取締役も務める遠山理事長 
 今回は、遠山敦子氏が兼職している、株式会社NHKエンタープライズについて書く。
 遠山氏は、トヨタ財団の理事長就任と同様、一昨年亡くなった東京大学名誉教授の木村尚三郎氏の後任として、NHKエンタープライズの社外取締役に就任している。木村氏の後任に遠山氏が選ばれた理由は判らぬが、これは偶然ではなく、文部科学省大臣官房の差配なのかもしれない。西洋史家、西洋文化研究者として著名な木村氏に比肩する教養人は遠山氏を措いて他にないとの認識が、トヨタ社内にもNHK局内にも共有されていた、ということなのかもしれない。
 2月26日夜のasahi.comには、「NHK経営委員会は26日、NHKの次期中期経営計画策定にあたっての重要検討事項7項目について協議した。来月11日の経営委で福地茂雄会長ら執行部に提示、具体的な計画づくりに入ってもらうという。執行部が5月までに計画の素案を策定。経営委が再検討の上、7月末までには最終案を出してもらい、9月には経営委が議決したいとしている。会見した古森重隆委員長は検討事項の内容を明らかにしなかったが、受信料、組織や経営の体制、番組の内容などについて、「テーマと考え方を示している」と話した。」とある。また、2月29日午後のasahi.comでは、福地茂雄会長が受信料の値下げを11年以降に先送りする考えを明らかにしたあと、懸案となっている関連会社との随意契約について「「金額、割合とも大幅に見直す」と述べ、番組の発注方法を見直す方針を表明。看板番組の「NHKスペシャル」も制作するNHKエンタープライズなどとの随意契約を3月から段階的に競争入札などに移行させる」などと語ったそうだ。
 NHKの来年度予算案を審議する衆参両院の総務委員会は3月には始まる。福地会長の適格性についても取り上げられるだろうが、NHKと関連団体との関わりについて不透明であるとの指摘が高まっていることもあり、最大規模の子会社であるNHKエンタープライズの経営内容についても議論されるだろう。放送番組制作、映像ソフト販売、イベント事業などを展開する、このエンタープライズ社の株式比率は、NHK本体が80.72%、関連8社が16.53%で、合計97.25%。昨年度の売上は430億円で、NHK本体からは制作受託料266億円を計上している。その売上比率は61.8%である。
 昨年11月に出された会計検査院の平成18年度決算検査報告書によれば、平成17年度末でのNHK関連33社の内部留保(利益剰余金)は886億円で、そのうち、エンタープライズ社は最高の156億円。同報告書には、18年6月9日の参議院本会議で採択された内閣に対しての警告決議が載っている。その一部を紹介する。
 「…NHK関連団体に多額の余剰金が積み上がっている事実は看過できない。」「政府はNHKに対して、綱紀粛正、内部監査の更なる充実によるこの種事案の再発防止に向けた取組、及びNHK関連団体が保有する多額の余剰金の見直しの検討を強く求め、国民・視聴者の信頼回復に努めるべきである」。
 NHKでは本年1月末に会長・副会長が引責辞任したばかりである。新任された放送界には不案内の会長と、彼を推薦した経営委員長との不協和音が早くも噂されているそうだが、上述したように3、4月の衆参両院の総務委員会はこのNHK問題でも荒れるかもしれない。常に整理統合の対象として取り上げられることの多いエンタープライズ社にとっては何とも厳しい状況だと思うが、遠山氏はこの事態を理解出来ているのだろうか。就任前に、会計検査院の報告書を読んでいれば、引き受けることはなかったのではないかと思うのだが。因みにこの報告書には、文化庁の文化振興費について、「本院の指摘に基づき当局において改善措置を講じた事項」、砕いて言えば、不適正な支出を指摘して改善させたものとして、遠山氏が文部科学大臣を務めている時期に実施していた芸術創造活動支援事業での不適正な会計処理を指摘している。このあたりのことは、この<提言と諫言>で近く始める予定の『文化庁の助成・補助金政策について』とでも題した連載で、たびたび言及するつもりである。

 歴代の文部事務次官は十指を超えるほどの外郭団体・公益法人の役職を与えられるようだが、民間の、存続すら懸念される企業の取締役を引き受ける者はいないだろう。遠山氏が就任した経緯は判らぬが、事務次官こそ逃したが、文化庁長官、そして文部科学大臣まで務め上げた遠山氏、「歴代の次官より多い役職が欲しかった」などという恐ろしく軽薄幼稚な理由での就任ではないだろう。