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「あんた、殺気があるよ」と戒めた、百瀬博教氏の死を悼む

 1月28日付の朝日新聞朝刊の社会面には、「格闘技のプロデューサーとしても知られる作家の百瀬博教さん(67)が27日、東京都港区南青山5丁目の自宅マンション浴室で意識不明の状態で見つかり、搬送先の病院で死亡した。警視庁は病死か事故死とみている。百瀬さんは、力道山や石原裕次郎が出入りした東京のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で用心棒をしていた。著作に「不良ノート」「裕次郎時代」などがある。」との記事が出ていた。
 百瀬氏は一度だがGOLDONIに見えたことがある。その時のことは、2004年12月9日付のブログ≪『Sincere』と『Pride』の一夜≫に書いた。短い文章なので再録する。

 19時前、お茶の水女子大のOGを中心メンバーにした音楽企画集団『Sincere』の3人が、先月の公演の報告と今後の活動についての相談にやってくる。彼らと話し込んでいた21時前、店のガラス戸越しに中を覗くキャップを被った大柄の男性。なんだなんだと、彼らを押しのけて前進、ガラス戸を開ける。途端に男性3名、女性1名の4人組に囲まれる。キャップの男性は、「(フランス文学者の)鹿島茂さんにおたくを教えてもらった」と仰る。殴り込まれるのかと身構えていたが、とんだ勘違いで、恐縮しながら狭い店内へご案内。
 ニューラテンクォーター、用心棒、ピストル、懲役など、GOLDONIではついぞ耳にしない言葉が先様から発せられ、会話の中途で、作家の百瀬博教さんであることが判る。GOLDONIの店の構え・規模からしても利益が出るような商売ではないことはお判りなのだろうか、何冊か買って助けてやろうとの御慈悲でか、何冊もお買い下さるような勢いで本を選んでおられた(それも私の評価している亡くなった演劇人の本ばかり。物凄いインテリとの世評通りの選択。)ので、「手前どもはお一人様4冊までにして戴いております」と恐る恐る申し上げると、「そうか。ま、店の仕来たりだからな」と、見事なほどあっさりと納得して戴く。その後だったか、最初に私が店から出てきた時には、「俺に喧嘩を売りにきたのかと思ったよ」とも。「また来るからな」と不敵、いや素敵な笑顔で仰って、お供を引き連れお帰りになった。氏とのやり取りを見ていた彼らは、「懲役という言葉を生で聞くのは初めて」と感心、「いつもの凄みに、お墨付が与えられた」と、日夜自らの粗暴さを戒め、精進に努める私をからかった。

 
 今日は上のブログで触れなかったことを少し書く。
 私が戸外まで見送りをした時、百瀬氏は「俺に喧嘩を売りに来たのかと思ったよ」とおどけながら仰り、そして語調を変え、驚くほどに優しく、「あんた、殺気があったよ」。氏の、「殺気は隠せ」「気をつけろよ」との忠告だったのかもしれない。そして、「困ったことがあったら、いつでも言って来てくれよ」とも言われたが、生来持ち合わせていない「凄み」の効かせ方など授けて戴くのも躊躇われ、また当方が不在がちでもあってか、残念ながら氏との再会は叶わなかった。
 百瀬氏とのホンの20分足らずの、しかし大きな戒めを戴いた出会いであった。ご冥福を祈る。