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2009年02月 アーカイブ

2009年02月02日

劇場へ美術館へ
≪GOLDONI/2009年2月の鑑賞予定≫

[歌舞伎]            
*26日(金)まで。            東銀座・歌舞伎座
『二月大歌舞伎』
演目:「蘭平物狂」「勧進帳」「三人吉三巴白浪」
出演:吉右衛門 菊五郎 梅玉 玉三郎 三津五郎 ほか

[能楽]
*13日(金)。              水道橋・宝生能楽堂
『銕仙会定期公演』
演目:能「隅田川」山本 順之
   狂言「鐘の音」野村 萬
   能「須磨源氏」浅見 慈一

[演芸] 
*11日(水)から20日(金)まで。   半蔵門・国立演芸場
『国立演芸場2月中席』
 ―鹿芝居「らくだ」二場
出演:金原亭馬生 林家正雀 ほか

[武術]
*8日(日)               九段下・日本武道館
『日本古武道演武大会』
 
[展覧会]
*16日(月)まで。         六本木・国立新美術館
『加山又造展』

*22日(日)まで。  新宿・損保ジャパン東郷青児美術館
『元永定正展』

*22日(日)まで。   竹橋・東京国立近代美術館工芸館
常設展『きものの輝き/漆・木・竹工芸の美』

*3月1日(日)まで。         三番町・山種美術館
『松岡映丘とその一門
  ~山口蓬春・山本丘人・橋本明治・高山辰雄~』
 

2009年02月05日

推奨の本
≪GOLDONI/2009年2月≫

『荷風随筆集』(上) 永井荷風著  野口冨士男編 
 岩波文庫 1986年

これにつけてもわれわれはかのアングロサキソン人種が齎した散文的実利的な文明に基いて、没趣味なる薩長人の経営した明治の新時代に対して、幾度幾年間、時勢の変遷と称する余儀ない事情を繰返して嘆いていなければならぬのであろう。
 われわれは已に今日となっては、いかに美しいからとて、昔の夢をそのままわれらの目の前に呼返そうと思ってはおらぬ。しかしながら文学美術工芸よりして日常一般の風俗流行に至るまで、新しき時代が促しつくらしめる凡てのものが過去に比較して劣るとも優っておらぬかぎり、われわれは丁度かの沈滞せる英国の画界を覚醒したロセッチ一派の如く、理想の目標を遠い過去に求める必要がありはせまいか。
 自分は次第に激しく、自分の生きつつある時代に対して絶望と憤怒とを感ずるに従って、ますます深く松の木陰に声もなく居眠っている過去の殿堂を崇拝せねばならぬ。(略)
 已に半世紀近き以前一種の政治的革命が東叡山の大伽藍を灰燼となしてしまった。それ以来新しくこの都に建設せられた新しい文明は、汽車と電車と製造場を造った代り、建築と称する大なる国民的芸術を全く滅してしまった。そして一刻一刻、時間の進むごとに、われらの祖国をしてアングロサキソン人種の殖民地であるような外観を呈せしめる。古くして美しきものは見る見る滅びて行き新しくして好きものはいまだその芽を吹くに至らない。丁度焼跡の荒地に建つ仮小屋の間を彷徨うような、明治の都市の一隅において、われわれがただ僅か、壮麗なる過去の面影に接し得るのは、この霊廟、この廃址ばかりではないか。
 過去を重んぜよ。過去は常に未来を生む神秘の泉である。迷える現在の道を照す燈火である。われらをして、まずこの神聖なる過去の霊場より、不体裁なる種々の記念碑、醜悪なる銅像等凡て新しき時代が建設したる劣等にして不真面目なる美術を駆逐し、そしてわれらをして永久に祖先の残した偉大なる芸術にのみ恍惚たらしめよ。自分は断言する。われらの将来はわれらの過去を除いて何処に頼るべき途があろう。
                        明治四十三年六月
                                                   (「霊廟」より)

2009年02月23日

「新興院伎樂杏花日榮居士」

 ――彼が二千六百年を契機として實現せんとしてゐた計劃内容を、誰よりも、よく知つてゐた岡鬼太郎は、讀賣新聞紙上で、「まことに残念なことでした。友人として唯々丈の逝去を悼むばかりです。先代の『新しい表現』を受け継いで、苦境時代に處して仕事をするのにも、自分一身のほかには味方はないといふ信念で、松竹合名社時代に大谷氏と最初に結びあつて以来不屈不撓の奮闘を續けて来ました。世の中もますます變る時、順境に漸く達した丈に、元気を恢復して、じつくりと仕事をして貰ひたかつた。ただそれだけが残念でなりません。」と追悼をした。
 外務省の柳澤健は、「彼はわが歌舞伎を海外に紹介した第一人者であつたとともに、海外の新聲を我が劇壇に齎らした先覚者でもあつたのである。謂はば彼は我が劇壇に於ける唯一の國際文化人であつたと言つてもいいのだ。その巨木が今倒れたのである。名優サラ・ベルナールの死に対して、國葬を以て酬いた佛蘭西と國情の違つてゐる我國としてはたかが一俳優の死に対して、何もやつてやれぬことは自分でもよく判つてはゐるが、せめて國際文化の交流に関心を持つ者だけでも、心からの弔意を、彼の墓前に捧げる事にしたい。」と述べて居た。
 (略)會葬者は數千名に達し、劇壇文壇其の他あらゆる方面からの弔問客が限りもなく續いたのであつた。其の中でも前進座と新協劇團の全員が各劇團旗を推し立てて参列したのは、(略)単なる歌舞伎俳優にあらずして、我國新劇の開拓者である事を如實に物語つてゐたのであつた。
 (略)彼の精神は、常に演劇の為、文化の為に盡力する人々の血管のなかに、至誠熱情の脈博を、此世のあらん限り、人類のあらん限り、打ち續けて行くであろう。否、彼の人生に対する真摯な生涯の物語は、劇界のみならず、人生のあらゆる部門に活躍する人々にとつて、偉大なる亀鑑として永遠に語り継がれるに違ひない。
 彼の生涯は、俳優として藝術家として偉大であつたと云ふよりも實に人間として偉大であつた。彼は其の生涯を通じて我々に「俳優修業の道は、すぐれたる演技システムによつて技術を高めると共に、人間としての自己を磨くところにある。俳優には生れつきの才能、直覺力、勘のよさと言つたものも勿論必要ではあるが、それと同時に、智的な教養がなければならない。殊にこれからの新しい俳優には、『知性』といふものが『感性』に劣らない位に大切なのである。卑俗なメロドラマを演じる場合はいざ知らず、藝術的なものであればあるほど、内容の深い掘り下げを要求してゐる。そして、深く掘り下げる力は、理解し分析する力であり、智性の力である。かういふ深く細かく分析する智力、教養によつて研かれ豊かにされたセンス――それが新しい俳優の資格である。」と云ふ事を證據立ててくれたのであつた。
 (略)「俳優は人間的に立派でなければならぬ」と云ふ眞理だけは、永遠に生きてゐるのである。――

 きょう2月23日は、不世出の歌舞伎俳優・二世市川左團次の69回目の正忌である。
      <松居桃楼著『市川左團次』(昭和17(1942)年刊)から採録した。>