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2004年08月 アーカイブ

2004年08月01日

六本木ヒルズ・森美術館

昨31日夜8時、六本木ヒルズ・森美術館『ニューヨーク近代美術館展』。最終日の前日の土曜夜、フロア入り口には当日券を求める客が百人前後と盛況。事前に券を用意していたので、並ぶことなく優先入場。クロークで鞄と背広の上着を預けようとしたら、係の女性、「中は冷えているので、上着は着られた方が…」と親切。入ってすぐに感じたことは、効きすぎの冷房、美術館とは思えない喧騒。夜景目当てのついで鑑賞の若い二人連れが大半。到るところで抱擁と私語が交わされる。子連れの母親も接吻中の男女の前を恥ずかしそうに子供の手を引っ張る。停止線の手前1メートルくらいで観ていても、携帯片手、お手々繋いでのお猿さんたちは、私の前を平然と、そして展示品を横目に急ぎ足。係員のチェックは、停止線を越えた人への注意だけ。
「落ち着いては観させない」「観客にマナーを強いない」新しい美術鑑賞の提案か。

2004年08月07日

いまは亡き岸田森・草野大悟

午後2時、学会出席のため上京中の岡村和彦氏来店。パソコンのソフトを持ってきてインストールして呉れる。15時の約束の時間ぴったりにドイツ演劇研究の泰斗・岩淵達治氏。酷暑の中、私たちに下さる『ドイツ演劇・文学の万華鏡』『岩淵達治戯曲集・雪のベルリン タカラヅカ』を2冊づつ鞄に入れての御来店。恐縮。岡村君に専門の病理学についてのお尋ねや、私にGOLDONIの店名の由来や「舞台芸術図書館」構想を語らせていただくなど、これにも恐縮した。東大独文科の学生時代や埼玉大の助手として勤め、学習院大助教授の時のドイツ留学など、1940年代から50年代のお話を伺う。60年代後半の六月劇場で付き合いのあった、今は亡き岸田森・草野大悟の思い出も。70年代後半、岸田森に電話で、当時彼が同棲していた劇団の女優への事務連絡の伝言をよく頼んだことを思い出した。「彼女は寝ているので……」という彼の声も寝起きのそれだったが。
岩淵さんとの会話はあっと言う間に2時間半、17時半にお帰りになった。

2004年08月12日

GOLDONIにも『韓流』

一昨日も覗いた脚本家の津川泉さんが、韓国の劇作家・朴祚烈(パク・チョヨル)さんを案内して見える。津川さんが昨年までソウルで学んだ折の先生の一人だそうで、私も戯曲や評論を読んだことはないが、お名前だけは存じ上げていた実績のある劇作家。1930年生まれで、日本語も堪能。日本と韓国の演劇の現状を短時間だが話した。日本ではここ十年、行政の助成や民間の支援が増えたが、その結果は、行政立ホールの自主制作や市民参加型ワークショップなどで演出や指導の機会が多くなったり、また大学の生き残りのために衣替えや新設の演劇系学科・専攻を持った大学の教員になった演出家・劇作家の余禄が増えただけ。助成・支援も、大学での演劇教育も、本来の舞台芸術創造の基盤整備とはほど遠いところにある、と朴さんに話した。彼はひと言、「厳しい」。津川氏の顔は引きつって見えた。夜は京都造形芸術大学教授の劇作・演出家の自宅に呼ばれている朴さんから帰りがけに戴いた名刺には、「The Korean National University of Arts(guest professor)」の表記が。朴さん、名刺は最初にください。

2004年08月13日

『公演の招待扱い』其の二

一昨日からこの日記を掲載し始めたが、とくに「4月19日の『公演の招待扱い』を読んだ」との返事を十数人から戴いている。考えさせられる、という声が大半だが、招待の強要をしたのはどこの誰だと、あからさまな問合せも。
夕方、ご常連の内山崇氏が来店。協力されている『チェーホフ展』のパブリシティ記事と、6月29日に偶然一緒になった東京芸術劇場での「スコダ・ピアノリサイタル」の折に、内山さんが撮ったスコダのスナップ写真を頂戴する。「『公演の招待扱い』、読みましたよ」と仰って、手提げバックから出されたのは、ある劇場の観劇招待のFAX返信状。そこには十本近い作品のタイトル、出欠、同伴者(割引価格)の有無などが印刷されており、下段には内山さんが書かれた「当日、お支払いします」の一行。鑑賞の対象との緊張した、あるいは当たり前の関わりを学ばせて戴いた。

2004年08月14日

1、2分で帰る演劇系大学生

暑さがぶり返した午後、本探しの客、知人らの訪れはなく、頼まれていた企画書の推敲が捗る。
GOLDONIの新規客の大半は、専門書店の出店ラッシュが評判のこの一帯を知っていてか、ネット検索や新聞・雑誌等の紹介記事を読んでの来店だ。演劇ヤッテるつもりの若者たちの多くは、大学の先生や劇団の演出家である講師に言われて来店するのだが、もともと探している、あるいは読みたい本があるわけではない。旧知の教員や講師から、mail、電話、あるいは劇場で、「誰々というものが近々伺うので、宜しく」と丁寧な挨拶を戴くことがあるが、肝心の本人は、来店しても名乗るわけでもなく、本棚を前に呆然としたまま、本を手に取ることも稀で、1、2分で出て行く。コミュニケーション、文化、演劇など立派な名の付く学科・専攻の学生や、文化庁がその支援事業の対象たる「我が国の芸術水準向上の直接的な牽引力」の劇団の団員や研究生がその中心だが、その没交流、没教養ぶりは見事なものである。演劇の明日は、日本の未来同様に明るく頼もしい。
以前、読売新聞の都内版に6段の紹介記事が出たときは、『役者の卵 訪れる店』という見出しが災いして、呆然、1、2分滞在の演劇ヤッテるつもり組や、GOLDONIにはない「アニメ声優になる本」「演劇ブック」などの本を探すだけの若者たちが続き、閉口した。

2004年08月15日

ダンス、そしてデパ地下

16時前、青山劇場に。大阪のシアター・ドラマシティ製作の舞踊公演『盤上の敵』を観る。大阪では3ステージ、東京では4ステージの規模。千秋楽のこの回は、1階では8割以上の入り。
18時半、日本橋三越本店。賀状・暑中見舞や中元・歳暮などのご挨拶をやめて久しいが、本を戴いたり、観劇の誘いの御礼に、持参したりお贈りするための菓子など贈答品選びは、今気付いたが、数少ない息抜きの一つかもしれない。日本橋や銀座の百貨店では、その筋の方が立派なお顔を崩さず、下着売り場で物色していたり、したり顔のグルマンが試食のたこ焼きを頬張っていたりで、下手な舞台よりは遥かに面白い。この日も、高級縫製の半袖省エネスーツの代議士が秘書たち、百貨店の幹部社員風の真中に。半袖スーツ氏、息子も参議院議員にして、家業いや代々で国に尽くす姿天晴れだが、彼のデパ地下・惣菜選び、精力的な政治活動のつかの間の安らぎ、私と同じ息抜きなのかもしれない。
19時半、GOLDONIに。9月のHP用の原稿書き。3日前からHP更新のご案内を四百通ほどe-mailで(bccではなく1通ごとに)送信しているが、今日も三十通ほどの返信を戴いた。ここでは今年の6月から推奨の本と、私の観劇鑑賞予定を紹介しているが、本のご注文が3名、同じものを見る予定だと仰る方2名。「あなたが薦める本なら、読む価値がある」「どんなものを観ているのか気になっていた」とのmailが重なり、恐縮。観劇鑑賞予定(タイトルは「劇場へ美術館へ」)は6月の掲載以来、「鑑賞ガイドとして参考にしている」という声を度々聴く。
明治大学文学部の神山彰教授から長文の返信戴く。私だけが読ませて戴く私信では勿体無い、示唆に富む内容。
DNA Mediaのプロデューサー・後藤光弥氏からも。昨夕、久しぶりに訪ねて呉れて、2時間話し合ったが、『発信基地としてのゴルドーニあればこそ…』の言葉。昨日も『ここは今時珍しいサロン』と。いつも私が教わるばかりで対話になっていないなあと反省していたところだったので、うれしい挨拶。

2004年08月19日

Samuel Frenchのカタログ

酷暑、熱風が吹く午後、勉強熱心な青年たちの来店が続く。昴演劇学校2年のF君、演劇実習のための、キャラクター4、5人の戯曲を探しに1ヶ月ぶりに来店。ある程度は海外戯曲を読んでいて、日本の現代戯曲が、自作自演でしか水準に成り得ないことは判っているようで、日本の戦前、あるいは海外戯曲についてのレファレンスがしやすい。急ぎのmail連絡があったので、アンチョコにしているSamuel Frenchのカタログを渡し、『これ見て探し始めていなさい』。
最近の新劇団の付属養成機関の卒業公演や実習公演でも、指導している担当の演出者が、自作自演型の戯曲を遣りたがる傾向があり、海外・国内の別なく、写実であれ、不条理であれ、未熟だが俳優として取組み甲斐のある秀作を稽古・上演したいと思っている生徒たちを失望させているそうだ。とくに卒業公演は、演劇を僅か2、3年だが学んだ彼らの大半が、劇団員に昇格出来ず、志半ばで散っていく最後の舞台でもある。また、それは彼らのその日だけの最高の観客である家族やアルバイト先などの上司や仲間、学校の友人にとっても、滅多にない観劇の機会。生徒の一生の思い出になり、普段演劇と馴染みのない人々に観劇の楽しみを身近で感じてもらえる貴重な時だ。そういう演劇生徒たちの人生の大事な節目であり、劇団の存在意義や社会的認知を獲得する重要な機会でもあるという認識は、劇団の幹部、制作者、演出者にはないのか。
堅気の世界の方が知ったら呆れるだろうが、演劇・舞踊・音楽の制作団体を対象に、税金が補助金として投入される施策が採られて8年、事業規模にしては過剰なほどの補助金の、被受給団体による不公正な経費支出や不正な経理処理の事例は、俄かには信じがたく、またあってはならないことだが、現場とはほど遠い私のところにまで毎週のように届く。文化庁や国税庁、新聞の社会部辺りには詳しいことが入っているのか。日常化していて、掛り合ってられない、ということだろうか。
深夜や早朝のアルバイトで授業料・生活費を捻出してでも養成機関に通い、結果として志し半ばで演劇を断念せざるを得ない多くの彼らの幸いは、情も智も矜持も持ち合わせない、律することを知らない演劇ヤッテるつもりの演劇業界人にならないで済むこと、なのかもしれない。

2004年08月20日

『ゴルドーニ記念舞台芸術図書館』

昨日15時前。国際基督教大(ICU)の3年生・角前敦子さん、9月からのカナダ・トロントのウインザー大学留学を前に、履修科目の課題図書を探しがてら渡航の挨拶に。恐縮。アリストパネスの『女の平和』を探していると言うので、所蔵(非売)の岩波文庫版(絶版)を餞別にする。最近観た幾本かの舞台の印象など聴いたが、鋭く、的確、説得力のあるもので、舌を巻く。文化庁や助成財団支援による在外研修の多くは、本来の、文字通りの「留学」とはほど遠いものだとよく聞くが、角前さんの1年留学は、科目、履修駒数、単位数からしても本格的。相当にハードなものになりそう。健闘を祈る。
常連の佐々木治己さん、7日の神楽坂での公演を終えて、久しぶりの来店。急ぎのmail・電話連絡の用があり対応できない私に代わり、ぺージェント・児童劇を主唱した坪内逍遥のことなどを、コンパクトに、的確に角前さんの学ぼうとする「教育」に即してミニレクチャー。若く発展途上の青年たちの真剣で初対面ながら和やかなやり取りをみながら聴きながら考えた。夢の『舞台芸術図書館』でしたいことの一つは、第一線の演出家や研究者、評論家、制作者にしてもらおうと妄想している日替わりレファレンス・サービス。専門家や勉強中の学生、アマチュア演劇、学校演劇の人、そして一般の人を相手に、真摯に、そして優しくレファレンスが出来、年の数日くらいレファレンス役を買って出ようという志の高い、奇特な演劇人にどうしたら巡り会えるか。事業運営の資金協力を求めることも難しいが、最大の困難は事業の趣旨を理解し協力してくださる真っ当な演劇人を探すこと、か。

2004年08月21日

『本質は些事に宿る』

20日の14時。月83万ヒットの美術ポータルサイト、美術館.comの米山公紀氏、駅前コーヒーショップのアイス・ラテを手土産に、打合せのため来店。実弟の作家・米山公啓氏をクールにした、元美丈夫。役所広司を知的にした姿かたち。人生を間違えて演劇でもしていれば、舞台俳優かく在るべしの、一つの典型になったであろうほどのハンサムおじ様。かつては私の周りでも、たとえば大学の劇研でも、四季でもそれぞれ幾人かは、そういうタイプの男はいたものだが。最近、日本でも人気の高い韓国の俳優たちについての印象は、美男・好男子、知的、男っぽい、骨がある、などだそうだ。かつては日本でも称揚され、そして絶滅した「男」の価値。現代日本の映画・テレビ芸能界、歌舞伎・能楽は無論、そして現代演劇の男どもは、『韓流』ファンからすれば、汚く、足りなく、女々しく、軟弱、か。演劇の姿は、現代日本の象徴。山本夏彦の顰に倣えば、『本質は些事に宿る』。
創立90年の宝塚歌劇団が今だ命脈を保っているのは、日本人が好きな偉大なマンネリズムも一因だが、「宝塚音楽学校」を数十倍の競争率で選抜された娘たちの多くの、姿かたち、その後のダンスや歌唱の不断な精進の故ともいえる。
『舞台は選ばれざる者、励まざる者の立つ場ではない』。頭でっかちなだけで上達の遅い子供を叱咤した師のひとりは、そのあとに「がんこうしゅてい、ではいけません」。小学生の頃に最初に覚えた四字熟語は、稽古場でいつも言われていた、あの『眼高手低』。
選ばれ、励み、見識・品格を高め、鑑賞眼をつくり、技を磨く。「演劇の道」は険しく厳しい修行の道。一般の方にとっての行楽地は、「演劇の道」では修行の場。精進潔斎、女道否芸道精進、未熟児・海老蔵の彼女同伴ニューカレドニア篭り。あっぱれ。

2004年08月23日

遅い盂蘭盆会

行き帰りの乗換駅のホームに吊るされた電光掲示板には毎日のように、「○○時○○分ころ、××駅構内で起きた人身事故のためダイヤが乱れています……」の文字が流れる。毎年、三万人もの自殺者があるというから、この東京では、毎日五人十人が自死しているのだろう。働きざかりの四十代、五十代の男性が多いという。演劇の世界でも、戦後だけでも久保栄、加藤道夫、関堂一、市川団蔵。知己でいえば、大河内豪氏、若狭隆人氏など。学生時代の友人では、幾人かが自裁している。朝な夕な、出会ったこともない人々のいたわしい死をきっかけに、青春期をともに過ごした、あるいは過ごし損なった友人たちを想う。学生時代には、聴きたくもない浄瑠璃や歌舞伎評を無理やり聴かせたりしたものだが、そんな私に、呆れたり、からかったり、苦笑した彼らの言葉はいつも、『君には演劇があっていいな』。合掌。

2004年08月25日

『桜の園』の第三幕

17時前、溜まった8月の新聞クリップを整理中、ここ数日の寝不足がたたってか、数分うたたね。そこに週刊・月刊雑誌記事のデータベース作成の魁、データムの高橋潔氏が来店。27日の金曜に、近くの神田須田町の蕎麦まつやで遅い暑気払いでもと、数日前に電話で約束していたが、ご本人が現れたので微睡んでいる間に金曜日になったかと慌てる。「生憎27日は、大阪出張になってしまった」ので、と断りを言いにわざわざ渋谷のオフィスからのお出まし。忝し。福田恆存、阿部謹也、黒田恭一などの本7点お買い上げ下さる。氏がデータムを設立する前に勤めていた新潮社の編集者時代、編集を担当した作家・江國滋さんとの九州取材旅行の思い出や、当時の同僚・井上孝夫さんの著書『世界中の言語を楽しく学ぶ』(新潮新書)の話などを伺う。ロシア語の項にあるのか、「チェーホフ『桜の園』の第三幕の幕切れのアーニャの台詞の井上君の訳が、非常に良いんだ」とも。『舞台芸術図書館』の立ち上げについて、助言を戴く。18時半、「もうこんな時間か」、と店を出られた。
GOLDONIのIT推進化の協力者が続いて来店。忙しい月末のそれも週央の夜の3時間、智慧を貸してくれる。忝し。

2004年08月26日

『チョン・トリオ』演奏会

涼しくなったせいか、ご新規、あるいは二度目という方々の来店が続く。そんなさなかに翻訳家の安達紫帆さんから電話。つい十日ほど前にもお父様の法要の帰りに寄ってくださった。「GOLDONI Blogを面白く読んでいる」と仰る。急ぎの調べごとのため、電話で新国立劇場に勤める劇団の先輩を煩わせる。ニ十数年前の公演についてのことがらだったが、すぐに折り返しの電話で教えてもらう。忝し。17時過ぎ、舞台の映像記録も手掛ける祥林舎の一盃森仁志さんが『舞台映像アーカイブス』についての意見交換のため来店。「かつては演劇のざわめき、演劇の空気のようなものがその劇場の周辺にまで広がっていたように思うが、今ははみ出なくなった」と、鋭い指摘。街に演劇がこぼれていかない、か。東京の街場を離れ、地方の村落の行政立ホールでワークショップやら公演をしていても、同じことか。
19時前、初台のオペラシティコンサートホール。チョン家のミョンファ、キョンファ、ミョンフン三姉弟の『チョン・トリオ』演奏会。ピアノ三重奏曲、ベートーヴェンの『幽霊』、ショスタコーヴィチの第2番、ブラームスの第1番。スコダのピアノ演奏会でもお会いしたご常連の内山崇さんをお見掛けするが、席が離れていてご挨拶叶わず。客席には富裕な在日の韓国人とおぼしき人々が多く見受けられる。客席の中通路の後ろの13列中央(招待利用の特等席)には、竹内『自己責任』外務次官夫妻。『北朝鮮拉致問題』では大臣同様に後方での指揮に徹していてか、動静が伝わらないが、この日ばかりは後ろに坐る私たちへの迷惑顧みず、夫人に促されながらも派手なスタンディング・オベーション。それに引き換え、隣席で周囲に気を遣ってか遠慮勝ちに立ち上がった駐日韓国大使に、かの国の成熟を感じた。 

2004年08月27日

会う人みな師

店の開け立て、ご常連の元美術出版の森清涼子さん、来店。「ゴルドーニに見える若い人に」と美術展のチケットをたびたび下さる。いつも、最近探した本のことなど教えていただく。今日は、『田辺元・唐木順三 往復書簡』(筑摩書房刊、7770円)について。終戦直後の軽井沢での田辺元の暮らし振りの断片を聴かせて戴いた。
14時半、明治大学文学部教授の神山彰氏。以前に入手された、北村喜八宛ての二代目市川左団次、その妻の甥・浅利鶴雄氏(劇団四季の浅利慶太氏の父)、河竹繁俊氏からの挨拶状など十点ほどを見せて戴いた。今日は、昭和三十年代までの日本映画に残る、新劇や歌舞伎・新派の俳優たちの演技の『型』についての興味深いお話。16時過ぎ、「ついつい長い時間話し込んでしまう」と仰りながら店を出られる。
森清さんからは美術・文学の、神山さんからは歌舞伎・映画の講義。毎日のように、本を探しに、あるいは私を訪ねて見える人々が、私の師になる。有難いことだ。
17時半頃、小柄な白人女性が本でいっぱいになった大きなバッグを背負って来店。「歌舞伎の身体論」辺りの本を探しているという。ブルガリアの大学で教え、ロンドン大学の博士課程に学び、立命館大に留学中という。その京都から本探しのために東京中の書店をまわって歩く彼女に、この国の同学の徒、あるいは演劇はどう映っているのだろうか。

2004年08月28日

ホールの誕生と芸術監督

猛暑の夏の土曜日は、本探しの人、私を尋ねての人は少なく、ゴルドーニのある神保町一丁目に僅かに残る路地の前を通る人影もまばら。夕方前、静岡文化芸術大学で教える、演劇評論の扇田昭彦氏が来店。昨日こけら落しが行われた足立区北千住のTHEATRE1010(センジュ、と読むそう。ロバート・アッカーマン氏は「テンテン」と言うそうだ。これを聞いてわたしは幼児語の「おつむてんてん」を思い出した。)のことなど伺う。氏は、明日オープンする、まつもと市民芸術館に、指導する院生たちを引率するご予定とか。
松本の館長・芸術監督は演出家・俳優で日本大学芸術学部教授の串田和美氏。このホールの建設の是非については、市長選挙の争点になったり、住民訴訟があったりで、串田氏は昨春の就任以来、地元での説明会に頻繁に出席、市民とのコミュニケーションの必要性を体感した稀有な演劇人か。他の劇場の芸術監督が商業演劇などの外部演出や、海外にまで出かけての出演などで、長期に劇場を空けたりするなか、劇場・ホールという大きな玩具をあてがわれたこどものようにはしゃぐだけの芸術監督とはひと味もふた味も違う立ち居振舞い。
日大で思い出したが、先週の土曜日にゴルドーニのリニューアルしたHPを見て初めて来店した芸術学部の学生は、今の大学の現状を、「学生も、教員も怠惰」だと嘆いていた。前期15回の授業の大半を休講にして悪びれない教員もいるそうだ。多忙な演出家だそうだが、その名前はつい聞き漏らした。

2004年08月30日

『劇場の記憶』

 午前中、ゴルドーニで9月HP更新のためのチェック作業。推奨本のページで、原典からの採録があり、チェックしていたら、ついつい本を必要のないところまで読んでしまう。12時20分、日比谷・帝国劇場の『ミス・サイゴン』の開演ギリギリに滑り込む。市村正親・本田美奈子・岸田智史の初演を観たのは12年前。ヘリコプターが出たり、キャデラックが浮かんだりの派手ではあるが、秀作とは言えないミュージカルだった。
 松たか子を観ながら、38年前のこの帝国劇場の開場時に、母のお供で来た時の場景を思い出していた。松の祖父・八代目松本幸四郎率いる東宝歌舞伎『二代目中村吉右衛門襲名興行』。今日の歌舞伎の第一人者・二代目中村吉右衛門誕生の舞台だった。休憩時に客席からロビーに出たら、この幸四郎夫人・正子さんが小走りに近づいて来て母に挨拶。今度は、そばの柱の陰に隠れるように立つ十一代目団十郎の未亡人・千代さんを見つけると、引っ立てるようにして連れてきた。
 中村歌六の子で門閥から外れての生まれ育ちながら、一代で名を高めた名優吉右衛門の娘として何不自由なく、また歌舞伎の水で育った正子さん。七代目幸四郎宅の使用人として働き、後に十一代目との子(当代の団十郎)を成しても、親子ともに暫くは入籍・認知してもらえないというほどの、辛酸を嘗め尽くしたであろう千代さん。歌舞伎の世界では対照的な二人との遭遇は、短時間の一場だったが、今でも帝劇のロビーに立てば、鮮明に蘇る「劇場の記憶」だ。
 「劇場も歌舞伎も薄味だった」「でも、あのおば様たちの立ち居振舞いは芝居より面白かったでしょう」。この日が親子で最後の観劇であることを互いに意識しながらの、生意気盛りの子供とそれを受け留める辛辣な母とのいつものやり取りだった。
 その翌年の春、母は長患いの苦しみから解かれた。