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文化庁予算の大幅削減について考える アーカイブ

2011年10月11日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(七)

 長谷川孝治氏の著書『地域と演劇―弘前劇場の三十年』(寿郎社 2008年)に、文化行政のあり方、助成のあり方、そして「文化庁予算の大幅削減」について考えるに相応しい文章があったので、前回同様に「推奨の本」の体裁で紹介する。

 ≪芸術・文化に対して行政は一体何ができるか。この時期青森県の文化担当行政官であった私と同い年の白取功は、まず非常にバランスの取れた考え方をする人物で、さらに津軽弁で言う「ずるすけ」(直接的には不良を指すが、ずるいという負の意味よりもマキャヴェリズムという現実主義者を指す場合が多い)であり、しかも知的レベルも芸術的なセンスも群を抜いていた。
 「行政は才能を育てることはできない。その出現の土壌をこしらえることができるだけだ」という私の持論を深く理解していた。だが、広く浅く助成金を与えるという従来の行政手法を否定していた。真のパトロネージュとは彼の言葉を借りれば「一蓮托生」である。県民に対するアカウンタビリティーは自分が考える。長谷川はオマエの信じることをすればそれでいい。
 六年前、彼が癌で急逝したとき、「青森県の文化行政は一〇年遅れる」と考えたのは私だけではなかった。今では民間に移行したが「ファッション甲子園」の土台を作り、県立美術館にパフォーミングアーツ部門を作ろうと最初に構想したのも彼だった。「ハコモノは金さえ出せばできる。しかし、コンテンツはそうはいかない。これからの美術館に必要なのはスタティック(静的)な作品ではなくて、キネティック(動的)な演目だ」と堂々と語る彼は読書家で理論家で実践家だった。
 権利だけを主張する芸術団体への彼の態度は見事に行政的な振る舞いに貫かれていた。曰く「平等に助成を行うのは正しいことです。ただし、責任のないところに成果もあり得ません」「予算の半分は助成するにやぶさかではありません。そのかわりもう半分はあなた方がファンドレイズしてください」「向こう三年間の中期的な目標と、一〇年間の長期的な目標を出してください」
 後述するが、私は一晩で二年八本分の芝居のタイトルとシノプシスを書いたことがある。過剰さは日々の蓄積でしか発露しない。一年に一回だけ芝居をするというまるで「発表会」のような公演は演劇活動とは呼ばない。「文化祭という発想は私にはありません。そんなものは学生のときに卒業しました」。そう言い放つ白取功とは思いっきり喧嘩もしたが、徹底的に信用しもした。そして、行政が芸術文化に対してできることを両方から実施した。≫
(「第五章 地域の演劇から、より開かれた世界へ」より)

2011年10月06日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(六)

 佐々淳行氏の著書 『わが上司 後藤田正晴―決断するペシミスト』 (文藝春秋、2000年刊)を読んでいたら、「文化庁予算の大幅削減について」考える参考になる記述が多くあった。そのいくつかを、このブログの「推奨の本」の体裁で紹介する。

 圧巻だった「後藤田五訓」
 総理府一階の大会議室で催された内閣五室制度発足の式典における後藤田正晴官房長官の初訓示は、圧巻だった。
 「……以後、諸君は大蔵省出身だろうが、外務、警察出身だろうが出身省庁の省益を図るなかれ。
 『省益ヲ忘レ、国益ヲ守レ』。省益を図ったものは即刻更迭する。
 次に、私が聞きたくもないような、
 『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』
 第三に、『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』。「こういうことが起きました、総理、官房長官、どうしましょう」などというな。そんなこと、いわれても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は「私が総理なら、官房長官ならこうします」と対策を進言せよ。そのために君ら三十年選手を補佐官にしたのだ。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ。
 第四に、『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』。オレの仕事だ、オレの仕事だといって争え(積極的権限争議)、領海侵犯をし合え(テキサスヒットを打たれないよう)お互いにカバーし合え。
 第五に、『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』。大いに意見はいえ、しかし一旦決定が下ったらとやかくいうな。そしてワシがやれというたら来週やれということやないぞ、いますぐやれというとるんじゃ、ええか」
 隣りにいた国広外政審議室長が横腹をこづく。耳を寄せてきき耳たてると、「五項目、いう時、官房長官、佐々さんをにらみつけていたよ」と囁いた。
 
 実に簡にして要を得た名訓示だった。
 この五項を私は「後藤田五戒」または「後藤田五訓」と名づけた。
 この五訓を裏返すと、まさに危機管理最悪の敵の「官僚主義」になる。「国益」をそっちのけにして「省益」を争い、「悪い本当の事実」は報告せずに上司に耳に心地のよい情報ばかりあげ、大事な時には「意見具申せず」沈黙し不作為を守り、何か起きると「オレの仕事ではない」と消極的権限争議に耽り、「決定」が下っても従わず、「命令」はなし崩しにウヤムヤにする……これが「官僚主義」なのだ。
 ときの内閣五室長は、この後藤田五訓を忠実に守り、憎まれ役覚悟でそれを実行し、顔を見合せていいあった。
 「オレたちは隠密同心、内閣のため国益優先で本気でやったら、親元には戻れなくなるな、死シテ屍、拾ウモノナシだ」

 官房長官は国家行政組織法で設置された二十一省庁の役人たちの要で、政治と行政のジョイントである。だからこの要のポストに座る人が、
 「悪い報告をした部下をほめよ、悪い報告をしなかった部下を罰せよ」(五世紀。フン族のアッチラ大王)という発想の持ち主で、
 「よい報告は翌朝でよいが、悪い報告は即刻我を起こせ」(ナポレオン)
 という情報処理マニュアルを部下に示してくれる政治家だと、各省庁の次官・局長・官房長は、自省庁の大臣にもいい難いことを持ち込み、まるで「駆け込み寺」みたいになってしまった官邸にきて、後藤田長官や藤森副長官、さらには、お耳役の私たち室長に耳打ちして、重荷をおろしてサッパリした顔で帰ってゆく。
 
 「後藤田五訓」は様々な波紋をよんだ。
 その一つは、大蔵省の反応である。
 私たち新設の五室の職員たちが室長以下感激に浸っている頃、ときのY大蔵省事務次官は大蔵省幹部に対し、「後藤田官房長官がなんといおうと、大蔵省は大蔵省の『省益』最優先だぞ」という訓示を下したという。
(「第三章 内閣安全保障室の誕生」より) 

 最初の試練・大島三原山噴火
 後藤田官房長官が心配したとおり、もしも三原山の溶岩流が元町をのみこみ、さらに海中に流入したら、一大水蒸気爆発が起こり、大島一万三百人の住民と三千人の観光客の大多数が吹っ飛んでしまうだろう。
 まさに「多数の人命を脅かす治安問題にかかわる大災害」だ。
 国土庁は、夕方から十九関係省庁の担当課長を防災局に集めて延々と会議を催しており、官邸には一報もしてこない。
 こちらから私が電話をいれても、藤森副長官が名を名乗って電話しても、「会議中です」の一点張りで埒があかない。
 藤森副長官は、「国土庁に任せておけない。これは伴走しましょう」と方針を示す。
 会議嫌いの後藤田官房長官が怒り出した。
 「なんの会議をやっておるのか、議題は何か、すぐきけ」との仰せ。
 正規のルートでは、国土庁長官から内閣総理大臣へ情報報告がなされることになっていて、官房長官、副長官には制度上入らないようになっている。だから裏から手を廻して、一体なんの会議をやっているのか調べてみて驚いた。
 第一議題は「災害対策本部の名称」。
 大島災害対策本部か、三原山噴火対策本部か。
 第二議題は、「元号を使うか、西暦にするか」。昭和六十一年とするか、西暦一九八六年にするかだという。
 なんでそんなバカなことを……ときくと、万が一昭和天皇ご高齢のため、元号は変るようなことがあれば……、しかし、西暦は前例がないからと議論しているという。
 第三議題は、臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議にするか……だそうだ。

 後藤田官房長官にその旨報告すると、一瞬絶句したが、
 「そんなことしてると、一万三千人の人名が危い。よし、内閣でやろう。協定もへったくれもない。安保室長、君、やれ」
 と瞬時にして命令が発せられた。

(略)国土庁の会議は続いている。
 官邸では中曽根総理直接指揮の下、平沢秘書官と私の参考通報が効を奏して後藤田官房長官のところに関係省庁の局長級が自発的に参集し、テキパキと大救出作戦が進行していた。
 十九省庁の関係課長たちは国土庁で会議中だが、官邸には局長レベルの危機管理委員会がアドホックに編成されて機能しているという、およそ非官僚的な、政治主導型官邸直率型の災害行政が行われているのは、誠に壮観、奇観だった。

 国土庁の会議が終わったのは午後十一時四十五分。彼らが外へ出てみると官邸を中心に大島島民と観光客あわせて一万三千三百人の大救出劇がすでに進行していた。
 約三時間で海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の巡視船艇、東海汽船のフェリー船など、約四十隻が大島に集結し、元町港、波浮港などから老若男女の避難民を海上に脱出させる救助活動が行われた。
(「第五章 総理官邸の「危機管理」より)


 商魂が士魂を辱めた「リクルート事件」
 リクルート事件というのは、「金爵結婚」(明治・大正時代、華族と成金とが結婚したこと)だったと思う。
 同じ時期に大学を出て、私企業に入って利潤追求するよりは、法律と税金による予算とを使って、天下国家の大計、外交とか財政とか通商政策とか治安防衛とかを実施できる政治・行政の道を選んだ者たちが、日本の行政を支えてきた。
 しかし、その中には、定年が近づくにつれ退職金で家も買えず、子弟の大学教育や結婚の資金に苦労し、年金もつかない勲章という「名誉」だけが残る第二の人生に想いを致すような者もいる。
 他方、日本経済の発展と国民の生活の向上のために、また、家族にも豊かな生活を、と孜々営々努力し、成功した経済人の多くは、社会奉仕のために政府審議会委員になったり、各種のボランティア活動をするようになる。だが、中には、勲章とか宮中晩餐会や国賓行事への招待、栄誉礼など、社会的地位や名誉がほしくなってくる者もいて、名誉職である経済諸団体の役員や各省庁の各種審議会の委員に就くための運動をし、勲章に至る大臣表彰、褒賞などの加算点稼ぎに時間と金を費やす。
 だからリクルートの江副会長は、有力な政治家、経済人、マスコミの大物に利益供与し、褒賞、勲章への道である労働省と文部省に贈賄することとなったのではあるまいか。
(略)退官間近の高級官僚は、マイホーム・ローンとか、子弟の教育費とかに追われて、リクルート株を買う三千万円なんていう現金がある訳がない。「そこへ、貴方のような方にわが社の安定株主になって頂きたい。三千万円お出しになればすぐ五千万円になって返ってきます。お金がない? それはご心配ご無用。リクルート・ファイナンスが無利子・無担保、ある時払いの催促なしでお貸しします」とくる。
 二千万円の臨時収入といえば三十年公務員として勤務して手にする退職金の半分ぐらいにあたる。
 だが、待てよ、公務員が株式に手を出していいのだろうか? 公務員倫理観がブレーキをかける。
 すると「歴代総理や現職大臣、党三役も野党もマスコミも財界人もみんな買ってます。お堅いので有名な文部・労働の次官も買ってます」とさらにいわれれば、ではオレも大丈夫かな、買ってみようかとなる恐れは、誰にでも多分にある。
 それだけに、リクルート事件というのは、封建時代や戦前の「金爵結婚」の匂いがたちこめる誠に不愉快な事件で、まさに「商魂が士魂を辱めている」戦後日本を象徴する事件だったのである。
(「第六章 ポスト後藤田の「危機管理」」より)

≪後藤田五訓≫
『省益ヲ忘レ、国益ヲ守レ』
『悪イ、本当ノ事実ヲ報告セヨ』
『勇気ヲ以テ意見具申セヨ』
『自分ノ仕事デナイトイウ勿レ』
『決定ガ下ッタラ従イ、命令ハ実行セヨ』

2011年10月05日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(五)

 朝日新聞朝刊の経済面にある社外筆者による『経済気象台』はいつも目を通すコラムだが、9月22日「組織の3要素」は民主党、中央官庁批判として面白く読んだ。
 <経営学の泰斗、米のチェスター・バーナードは、組織成立の条件として三つの要素を挙げた。共通目標、協働意思、コミュニケーションである。>
 <わが国の官僚組織も、この3要素を立派に備えている。国民への奉仕という本来の目標を見事に無視し、官僚の相互繁栄という互助組織を共通目標とした。省あって国なしと言われ、退官した官僚をトップとするピラミッド型組織の中で、組織拡大を貢献基準とする協働意思を成立させている。外郭団体を含めて増殖を重ね、今や暴走状況に近い。> 
 <官僚を抑えるのは、本来政治家である。だが、現政権の民主党には、政党としての持続性にさえ疑問符が付く。驚くべきことに民主党は、組織目標となるべき綱領を持たない。このため構成員のベクトル合わせができず、コミュニケーションも成り立っていない。>
 <新首相は、組織を立て直すのではなく、官僚組織が担ぐみこしに乗ろうとしているように見える。だが、共通目標などの3要素を欠いた組織が存続するというのは、経営学的には成り立たない話ではある。(ドラ)>

 本題である。
 『週刊新潮』9月8日号は、劇団四季の東北特別招待公演『ユタと不思議な仲間たち』を、≪被災地縦断「劇団四季」が原発30キロで届けた笑顔≫とのタイトルでグラビア2ページで大きく取り上げている。
 <9月に入って新学期を迎えた各地の学校。被災地の子どもたちもまた、震災の悪夢から夏休みを経て少しずつ笑顔を取り戻していた。
 そんな彼らの思い出作りに一役買ったのが「劇団四季」の被災地公演。7月下旬から約1カ月間、岩手、宮城、福島の被災地の13都市を回りのべ1万3000人を無料招待した。
 千秋楽を迎えた8月26日。会場となったのは、福島第一原発からおよそ30キロに位置する南相馬市立鹿島中学校だ。避難所だった体育館が、この日ばかりはミュージカルの舞台になるとあって、児童や保護者約1400人が詰めかけた。> 
 <招待された学校の中には、原発の警戒区域内にあるため、子どもたちは他校での疎開授業を強いられている。引率に来た同市立小高中学校の教頭が言う。「県外へ避難した友人に会えず寂しい思いをする子もいます。でも、今回の劇を見た生徒らの表情は活き活きとしていました」
 また、子どもたちも、「哀しいことがあったけど、今、生きているのはとても幸せなんだと感じた」と前向きな感想が多い。だが、内部被曝を恐れ未だマスクをつけた子どもの姿が今の"フクシマ"を示す。この地に安息が戻ってくるのはいつの日か。>

 

2011年06月29日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(四)

 「劇団四季が被災3県の小中で公演 今夏、子どもら招待」(日本経済新聞) 

 先月29日に劇団四季から届いたリリースには、「東北特別招待公演を実施」するとあった。
 5月30日付けの新聞各紙は、この発表記事を載せている。写真付き、ベタ記事扱いと新聞の扱いも様々だが、以下は記事ボリュームが比較的に大きい日本経済新聞の写真付き記事(共同通信配信)である。

 
 ≪『劇団四季が被災3県の小中で公演 今夏、子どもら招待』
 劇団四季は29日、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島各県の計11自治体の小中学校で、7月下旬から8月にかけて同劇団のオリジナルミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」を被災者向けに上演する、と発表した。
 「ユタと不思議な仲間たち」は、東北の自然を背景に、いじめに苦しむ少年と座敷わらしとの心の交流を描く作品で、東京で上演中。被災地では設備の関係で、演出や舞台効果などの一部変更を検討しているという。
 同劇団によると、岩手県の4自治体、宮城県の5自治体、福島県の2自治体で計約20公演を予定。会場は原則として各地の小中学校の体育館から選ぶ。観客には、地元の教育委員会を通じて地域の子どもを中心に1公演あたり300~800人ほどを無料招待する。
 現時点で上演が決定しているのは岩手県釜石市の釜石中学校、宮城県南三陸町の歌津中学校、福島県南相馬市の鹿島中学校。今後、公演数が増減する可能性もある。
 劇団四季は「私たちは舞台の感動を届けるのが役目。こういう形であれば被災した方々のお役に立てると考えた」としている。≫

  
 前回のブログで取り上げた五嶋みどりと、この劇団四季に共通するのは、それぞれの活動の早い時期に、自力での舞台芸術の振興を意識し、そのための財団を設立、今も多くの時間、資金、労力をその活動に割いていることである。五嶋は11歳でデビューしたが、その十年後の1992(平成4)年、文化・芸術の振興と子供の健全育成を活動目的とした「Midori&Friends」、「みどり教育財団東京オフィス」(現在のNPOミュージック・シェアリング)を立ち上げている。
 劇団四季の創立は1953(昭和28)年だが、その二十年後の1973(昭和48)年、舞台芸術の普及と青少年の豊かな情操の涵養を目的に「財団法人舞台芸術センター」を設立している。したがって、39歳の五嶋みどりは二十年、劇団創立58年の四季は四十年に及ぶ社会貢献活動の歴史を持っている。

 前回は五嶋みどりの演奏活動を紹介したが、今回は昨年の四季のトピックスを挙げよう。
 劇団四季の昨年の年間公演は3703回、またその売上額は202億円である。また、サービス産業生産性協議会が実施している31業界、350社を対象とした2010年度の顧客満足度調査(年4回調査、総回答者数105697人)では、東京ディズニーリゾート、アマゾン・ドット・コム、トヨタ自動車などを抑えて首位になっている。(「日経MJ」2011年4月13日付け)
 五嶋の社会貢献活動としての昨年実績での出演回数は把握できないが、アメリカ国内の大学、高校での活動、日本でのミュージック・シェアリングの活動報告公演など、五嶋の年間84回にわたる公演のうちの一、二割は、この社会貢献活動と思われる。劇団四季については、昨年の3千7百を超える公演中、この一割を超える4百回ほどは、四季と企業、自治体、労働組合など広範な組織が協働しての招待公演のようだ。五嶋、四季の、その一般的な上演料は知る由もないが、日本人演奏家として、日本の演劇・ミュージカル製作団体として、ともに最高額ではあろう。五嶋、四季の社会貢献活動を金額ベースで考えても、個人、或いは一組織のそれとしては途方もないものとは言えるだろう。

2011年06月25日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(三)

五嶋みどり、ライプツィヒ弦楽四重奏団にみる音楽家の社会貢献 

 17日に在日ドイツ連邦大使館から届いたリリースには、「ドイツが東北を笑顔にする! ライプツィヒ弦楽四重奏団が東北の被災地で慰問コンサートを行う」とあった。21日から26日まで、被災3県の学校、カトリック教会などの7か所に出向くという。ライプツィヒ弦楽四重奏団は先月、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの東京、金沢、東京藝術大学でのコンサートに参加、ふた月続けての来日である。日本への渡航自粛勧告が解かれた今も、福島原発付近への旅行自粛勧告がドイツ政府外務省から出ている中での被災地巡回であり、彼等の行動に感服させられる。
 今回のライプツィヒ弦楽四重奏団の巡回コンサートについて、今のところは東京のメディアで報じられていない。
  
 これもまた一般紙ではまったく報じられていないようだが、ある高名な音楽家の慈善事業について、5月31日のasahi.com に小さな記事が載っていた。
 ≪『五嶋みどりさんのバイオリンに被災地感動 郡山で演奏会』
 音楽で被災者らを励まそうと、クラシックやフォークソングの演奏会が29日、福島県郡山市内であった。
 「ビッグパレットふくしま」ではバイオリニスト五嶋みどりさんのミニ演奏会。五嶋さんは世界を舞台にした演奏活動と、幅広い社会貢献活動で知られる。3曲を披露すると、「感動しました」と握手やサインを求められていた。≫
 
 五嶋みどりは、指揮の小澤征爾、ピアノの内田光子、指揮の大野和士など、海外で際立って高い評価を得ている数少ない日本人音楽家のひとりである。南カリフォルニア大学ソーントン校で弦楽科の主任教授を務めながら、週末や、大学の休暇期間を活用して、アメリカ国内で46回、ドイツ11回、日本5回、イギリス4回など世界各地で84回(2010年実績)の公演をこなし、自らが代表を務めるNPOや基金での地域密着型の社会貢献活動、国連平和大使などの社会事業を続けている。
 6月6日、銀座・王子ホールで特定非営利活動法人ミュージック・シェアリング(理事長・五嶋みどり)の活動報告コンサートが開かれた。当日配られたパンフレットによれば、このNPOの活動は、「訪問先のニーズに合わせたコンサートの実施」、「特別支援学校の生徒に向けての楽器演奏指導」と、五嶋みどりがカルテットを結成し、アジアの国々を訪れ、学校・こども病院・児童施設などに生演奏を届けることで、普段西洋音楽に触れる機会の少ない子供たちが音楽を通じてクリエイティビティ・相互理解・向上心を育み、視野を広げ、明日への夢を抱くきっかけ作りを提供し、また若手音楽家の社会貢献活動の場を作ることによって音楽における社会貢献活動とはどのようなことなのかを知る「インターナショナル・コミュニティー・エンゲージメント・プログラム(ICEP)」がある。今回は、昨年12月にラオス国内17か所で実施したICEPの報告と、その活動に参加した五嶋と3名の若手演奏家によるベートヴェンとシューマンの弦楽四重奏曲の演奏だった。
 五嶋を聴くのは、2008年5月のエッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団でのチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲の演奏以来3年ぶり。活動報告を語る五嶋からは、演奏同様に真摯な姿勢が感じられた。特に印象に残ったのは、「質の高い」という言葉を五嶋が度々遣ったことだ。
 初めて音楽演奏(舞台芸術)に触れる人、或いはその機会が稀である人にとって、音楽(舞台芸術)であれば何でもよい、というものでは決してない。質の高い演奏家(演者)が、演奏(舞台表現)に不利な状況であっても出来得る限りの質の高い演奏(表現)をし、音楽(舞台芸術)の面白さ重要さを実感する。質の低い、水準に届かない者たちの演奏・上演の稚拙さは、想像以上にそのような機会の少ない聴き手、鑑賞者も感じ取る。子どもたちをクラシック音楽嫌い、演劇嫌いにする最も強い力は、この質の低い演奏・上演である。学校巡回専門の音楽集団、演劇集団、舞踊集団などの活動の殆どは、これである。彼らの経済生活のためだけに存在する。それを主催する鑑賞組織、学校、教育委員会の罪は大きい。その公演のために国税(補助金)が投入されているとすれば、文部科学省・文化庁の罪はもっと大きいと言わざるを得ない。舞台芸術振興の名目のもとに、質の低いものまでに補助金を出すという文化庁の助成制度は、この筋の悪い施策を推し進める文部科学省・文化庁、その選考や審査に関与し、おこぼれに与かろうする文化系の批評やマスコミ、そして助成制度に縋るだけの「質の低い」舞台芸術関係者にとっては生命線なのだろう。
 ライプツィヒ弦楽四重奏団が、五嶋みどりが、そして多くの「質の高い」芸術家が被災地などで繰り広げる慈善活動が、彼らの演奏、活動に直接触れることのない多くの日本国民にとっても、極めて良質な芸術普及に、そして質の高い社会貢献活動とはどういうものかを考えさせる機会となることを期待する。

2011年06月22日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(二)

「人がこの世に生まれてきた以上は、必ず何か世のためになることをしなければならぬ」(渋沢栄一) 

 公益法人や、特定非営利活動法人(NPO)の活動、一般企業の社会貢献活動などで、公益性・公共性についての認識が高まってきたこの時代に、「公共」が「官」と同義である、また「公共」が「官」の独占するものとの考え方は極めて少数のものになっている。しかし残念なことは、その少数の中に政治、行政に関わる者、いわゆる「官」の多くが含まれることだ。大震災、原発事故対応が喫緊の政治・行政課題であり、被災自治体、一般企業、NPO、個人の被災地での復旧・復興に向けての活動を支える、或いは邪魔立てしないことが求められているにもかかわらず、政局に終始し、サボタージュを決め込む。千代田の皇居では自発的に電力消費を制限するなど、被災者を慮って倹しく過ごされているにもかかわらず、隣の永田町、霞が関の住人達は、今日も徒歩数分の距離にある国会、総理官邸、党本部、議員会館、そして官庁街を今まで通りに公用車を利用し、懲りもせずにホテル、料亭、カラオケ店を顔を赤くして行き来している。霞が関から銀座、日比谷に向かう昼の地下鉄は、財布、定期券だけを手に、ランチを楽しもうとの呑気な官庁職員でいっぱいだ。 
 
 一昨年春の自民党政権の末期、「政府だけでは解決できない社会的課題を広範な主体の協働によって解決する戦略を立てる」べく、事業者、消費者、労働組合、金融セクター、NPO・NGO、行政からメンバーを選んだ『安心・安全で持続的な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議』が内閣府に設置された。その直後の衆議院選挙で「政権交代」だけをスローガンにして大勝した鳩山民主党は、同じ内閣府内に、「官だけでなく、市民、NPO、企業などが積極的に公共的な財・サービスの提供主体となるべく、検討を行う」として民主党に近い専門家、研究者を中心メンバーにして、『「新しい公共」推進会議』を設置した。「官」の最たるものである政府が立案し、相変わらず選考基準も明確にせずに委員を選考し、会議を取り仕切るという旧来のスタイルを踏襲した民主党のやり方には呆れる。人気取りの政策や、政治主導の裏側には、実に陳腐な、そして旧来の官主導、官僚依存が透けて見える。
 「未来に向けた社会的責任」や「新しい公共」を検討するのであれば、政府から独立した円卓会議(委員会)を例えば国会の責任と費用で設置するなどの仕掛けが必要だったが、「お友達」、「漢字が読めないからコミック大好き」、「鳩山幼稚園」、「辞めるの止めた」などお粗末な内閣、国会議員にそれを期待するのが間違いかもしれない。

 「二つの仕事があって、一つは自分の利益となり一つは公共のことだとすると、私の性質として、やはり公共のことの方から始末することになる」「人がこの世で生まれてきた以上は、自分のためのみならず、必ず何か世のためになることをしなければならぬ」(大佛次郎著『激流―若き日の渋沢栄一』)
 個人が、或いは民間が、その業で得られた財・利益、知力、労力をもとに、社会、公共のために尽くす。これこそが「本来の公共」である。

2011年06月13日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(一)

「新しい仕事は避けて、古い方式の範囲で無事にいたい、役人に共通した卑劣な希望」(大佛次郎)

  10日の参議院予算委員会で自由民主党の林芳正議員が質疑の中で紹介していたが、6月7日の読売新聞「よみうり時事川柳」にある投稿が載った。
[がんばろう日本 総理が続けても]。
 [がんばろう 官僚、議員が邪魔しても]とでも言いたくなる震災後3カ月の政府、国会の機能不全、怠業ぶりである。


 1日のブログ『2011年6月の推奨の本』で取り上げた、大佛次郎著『激流-若き日の渋沢栄一』は、いつの時代も変らぬ「役人の習性、行動原理」も鋭く描かれていて興味深い。 

 若き日、徳川一橋家の歩兵取立人選御用を勤めた渋沢栄一(篤太夫)は、一橋家の領地に出向き農兵募集に努めるが、≪新しい仕事はなるべく避けて、古い方式の範囲で無事でいたい、役人に共通した卑劣な希望≫を持った領地の代官の非協力、怠業ともいうべき抵抗に遭う。『激流』から引用を続ける。
 ≪これで幕府は亡びるのだ。何よりも篤太夫は、こう感じた。国全体がどういうことになっていようが、世の中がどう変わって来ていようが、自分だけの無事を願って動くまいとしている男たちが珍しくなく、どこにもいることなのである。殊に、それが政治をする役人に多いのだから、世の中が行き詰まるのも当然であろうが、また自分らの亡びるのを準備しているようなものであった。≫
  
 大佛次郎が国立劇場が開場した折に理事を務めていたことを思い出し、以前このブログでも取り上げたことのある石原重雄著『取材日記 国立劇場』を久しぶりに読んだ。
「新国立劇場の開館十年」を考える(六)≪国立劇場の理事だった大佛次郎の苦言≫2007年12月21日
 そこには大佛の発言として、≪「引き受けてみれば会議の連続、それも演劇のことなんかちっとも議論されない。すでに決めていることについて、責任逃れのため、われわれの同意を得ようということなんでしょうねえ。間違いをおこさぬように―、国会から叱られないように―と、それしか考えていないんだな」「目先のことばかり気をとられている感じですねえ」≫などと国立劇場の幹部に対する批判があった。
 また、岡本綺堂の弟子であった劇作家・中野實の言葉も面白いので拾ってみる。≪官僚で固めた劇場なんてまっぴらご免だ。彼らのやり方はいつでも秘密主義で、こんな具合でやりますと青写真が発表されたときは、もう文句のつけようがないんだな。≫

 渋沢栄一に戻ろう。
 ≪播磨、摂津、和泉などにある領地に手を着けようとしてみると、代官たちの態度が以前とは変わっていて、進んで協力してくれた。篤太夫が備中でこの仕事に成功したと伝えられていたので、代官たちは支配している土地で成績が上がらないと自分たちの面目に関わるからである。篤太夫は仕事を進めながら、昔からの役人たちの習性を知ることが出来た。実に動かない世界なのである。進んで行く時世と、どう調和して行くかを殆どの人間が考えようとしていない。ただ平凡な栄達と自分の地位を守ろうとしているだけなのである。≫

 
 今日から暫くは文化庁の現状、今年度事業やその予算執行のあり方などについて考えていこうと思う。
 震災、原発問題への対応もあり、国家の財政、政治の危機ともいえる状況で、取って付けたような日本の文化行政や、日本芸術文化振興会、新国立劇場など、吹けば飛ぶような組織の如き小事を論じるのか。取るに足らないとも思われる小事にこそ、この国の政治、行政、そして文化の本質的問題が存在しているからである。
 常に「本質は些事に宿る」のである。