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「文化庁予算の大幅削減」について考える(二)

「人がこの世に生まれてきた以上は、必ず何か世のためになることをしなければならぬ」(渋沢栄一) 

 公益法人や、特定非営利活動法人(NPO)の活動、一般企業の社会貢献活動などで、公益性・公共性についての認識が高まってきたこの時代に、「公共」が「官」と同義である、また「公共」が「官」の独占するものとの考え方は極めて少数のものになっている。しかし残念なことは、その少数の中に政治、行政に関わる者、いわゆる「官」の多くが含まれることだ。大震災、原発事故対応が喫緊の政治・行政課題であり、被災自治体、一般企業、NPO、個人の被災地での復旧・復興に向けての活動を支える、或いは邪魔立てしないことが求められているにもかかわらず、政局に終始し、サボタージュを決め込む。千代田の皇居では自発的に電力消費を制限するなど、被災者を慮って倹しく過ごされているにもかかわらず、隣の永田町、霞が関の住人達は、今日も徒歩数分の距離にある国会、総理官邸、党本部、議員会館、そして官庁街を今まで通りに公用車を利用し、懲りもせずにホテル、料亭、カラオケ店を顔を赤くして行き来している。霞が関から銀座、日比谷に向かう昼の地下鉄は、財布、定期券だけを手に、ランチを楽しもうとの呑気な官庁職員でいっぱいだ。 
 
 一昨年春の自民党政権の末期、「政府だけでは解決できない社会的課題を広範な主体の協働によって解決する戦略を立てる」べく、事業者、消費者、労働組合、金融セクター、NPO・NGO、行政からメンバーを選んだ『安心・安全で持続的な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議』が内閣府に設置された。その直後の衆議院選挙で「政権交代」だけをスローガンにして大勝した鳩山民主党は、同じ内閣府内に、「官だけでなく、市民、NPO、企業などが積極的に公共的な財・サービスの提供主体となるべく、検討を行う」として民主党に近い専門家、研究者を中心メンバーにして、『「新しい公共」推進会議』を設置した。「官」の最たるものである政府が立案し、相変わらず選考基準も明確にせずに委員を選考し、会議を取り仕切るという旧来のスタイルを踏襲した民主党のやり方には呆れる。人気取りの政策や、政治主導の裏側には、実に陳腐な、そして旧来の官主導、官僚依存が透けて見える。
 「未来に向けた社会的責任」や「新しい公共」を検討するのであれば、政府から独立した円卓会議(委員会)を例えば国会の責任と費用で設置するなどの仕掛けが必要だったが、「お友達」、「漢字が読めないからコミック大好き」、「鳩山幼稚園」、「辞めるの止めた」などお粗末な内閣、国会議員にそれを期待するのが間違いかもしれない。

 「二つの仕事があって、一つは自分の利益となり一つは公共のことだとすると、私の性質として、やはり公共のことの方から始末することになる」「人がこの世で生まれてきた以上は、自分のためのみならず、必ず何か世のためになることをしなければならぬ」(大佛次郎著『激流―若き日の渋沢栄一』)
 個人が、或いは民間が、その業で得られた財・利益、知力、労力をもとに、社会、公共のために尽くす。これこそが「本来の公共」である。