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2021年04月 アーカイブ

2021年04月02日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2021年4月》

『職人』  竹田米吉著
1958年 工作社刊

  職人の気位 
 大工にしても左官にしても、長い年季の苦労と修業を積まねば職人にはなれない。年(ねん)が明けて職人になってからも、他人の間に混って相当に揉まれなければ一人前の職人にはなれなかった。今日の、ろくな苦労もせずに金をとる職人とは大変な相違で、それだけに自尊心をもち、気位も高かった。したがって、こうした職人と日雇人夫とでは生活の程度も同日の談ではない。このことが職人の服装や食事やその他日常生活の万般にまで現われていた。

  仕事と良心
 昔の職人とは、今日の技能者の謂である。長い修業のたまものとして、素人には及びもつかない技能と、専門的知識とを身につけている。だから、そこには専門家としての誇りがあり、責任感があった。さて、現在にくらべて当時の職人は、自己の仕事にたいする自負と責任観念が桁違いにしっかりしていた。ことに、大工は建築にあたっての中心でもあり、その責任感は別して強かった。職人としてなすべき正当な仕事と、その一定量とは必ずなしとげるべきで、彼らはこれを当然のこととしてやった。腕が未熟だとか、仕事を怠けるとかは非常な恥辱とされていた。昔は今日のごとく、工事場に、建築の専門的知識のある監督がいて指揮するようなことはなく、大工の棟梁がこれにあたり、親方が得意場をしくじるとか、職人が親方の家の出入りを差し止められるようなことは重大問題であった。それだけに相手への義理、信用ということはきわめて重大視されていたのである。
 雇うほうでも、なんの落度もないのに出入りの職人を替えることは絶対になかったといっても過言ではない。請負人とその下の大工の棟梁との関係も同様で、安いからといって、昨日まで他の請負人の下で仕事をしていた棟梁を、引き抜いて使うようなことはほとんどなかった。請負人の下ではたらく棟梁でも、ある一つの請負人の大工の棟梁となることは、適当の機会と辛抱とが要るわけで、したがって、一度出入りの棟梁になれば相互に大事にしあうのであった。だから棟梁のほうでも、自己の属する請負人の仕事に対して責任を持つのが当然だった。

  姿勢
 仕事をするときの職人の姿勢もやかましくいわれた。それは職人の身だしなみであり見栄でもあったが、けっきょくは正しい姿勢が正しい仕事をするために必要不可欠なのである。つまり仕事の量と質とを確保するには、最も能率的な姿勢をとるように訓練しておくを必要とする。スポーツをやるにしても、いかに基本的な姿勢が大切であるかはよく人の知るところである。フォームの悪い人はゴルフをやっても、テニスをやっても上達できないのと理屈は同じだ。
 職人の姿勢もけっきょくは能率と危険防止という二つの観点から永い経験のもとに生み出されたもので、それがいつのまにか美感となり、仕事の上の不文律となったものであろう。今日の職人のでたらめな勝手な身構えこそ、彼らの能率低下の一因である。

  職人倫理
 いったいに良心的な職人として、一定の量と質との仕事をすることは、職人にとって至上命令であった。現在仕事が捗らなくても、恥とも思わない気風が見受けられるが、そのよってきたるところはともかく、今にして考うべき当時の職人の姿ではある。日常の暮し、仕事の姿勢などが悪いと、ひどく馬鹿にされ、卑しめられたのは、すべてこのような職業的倫理観の現われであろう。
 仕事にかかっている途中で休むことも厳禁されていた。一旦仕事に取り掛かったなら、中途で道具の手入れをすることも許されなかった。そんなことをしたら大きな恥である。だから仕事にかかる前には、入念に道具を調べて揃えておく。道具拵えのために職人は休日をとるくらいであった。仕事のときにやる道具の手入れは、大工なら鉋、鑿を砥ぐことだけである。鉋は当たりはずれもあるが、たいてい板を八枚から十枚削ると、刃がとまるからである。
 アメリカの職工は今日でも自己の労働に責任と自負とを持っているという。労働問題でアメリカの後塵を拝するのもよいが、願わくば仕事のやり方もそれを見習うがよい。そして日本の昔の姿をこの際よくよく吟味してみる必要がある。なるほど当時の生活水準は低かっただろうが、安定した経済生活、単純な社会組織の中であるがゆえに、昔の職人にはよい香りが発したのであろう。とはいえ、封建的色彩の強かった社会だけに、階級制度が敢然と確立していて、個人的能力や野心ではどうにもならない窮屈な世の中であった。しかも、彼らは自己の職業の枠内で敢然と精進し、江戸ッ子の粋とか意気とか、床しい人間味を生かしていたのであるということを今日も重視すべきではないか。

2021年04月03日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2021年4月》

 『職人』 竹田米吉著
 1991年 中公文庫

  「解説 山本夏彦」
 昔は立派な顔の職人がいた。頭(かしら)と呼ばれるほどの者の風貌には威風あたりを払うものがあった。四十になったら自分の顔に責任があるというが、それは昔のことで今のことではない。ないのは昔は一人が多くを兼ねたのに、今は分業の極になったからである。会社員はその例で、したがって会社員を三十年勤めても容貌姿勢に何ものも加えない。
 俗に古武士のような風格というが、最も早くその風格を失ったのは、武士である。文武両道といって以前は二つを兼ねなければ「一介の武弁」にすぎなかったのに、明治になって腰弁になったら文武両道どころではなくなった。禄を失った武士たちは子弟を学校へあげてひたすら失地回復をはかった。大学を出れば末は博士か大臣か、十人の、百人の頭になれると商人は思わなかったが士族は思った。いまだに思っている。
 けれども当時も今もわが国の教育の根本は「脱亜入欧」である。東洋の古典を捨てて西洋の古典を学べば西洋人になれると勘ちがいして、結局何者にもなれないで今日にいたった。
 ひとり職人と芸人は時代に遅れた。徒弟制という教育が完結していたため学校教育がはいる余地がなく明治の末まで旧のままでいた。職人は一人で設計と施工を兼ね、次いでその職が世襲であること役者に似ていた。歌舞伎役者は四つ五つのときから子役として舞台に出ている。浄瑠璃、踊り、三味線、なかの一つでも出来ないということは許されない。だから戦前まで鳶の頭、歌舞伎役者には、そこにいるだけであたりを圧するものがいたのである。

ご承知の通りこの時代(大正初期ー引用者注)は伝統の木造建築が近代建築に移る激動期で、著者は始め職人としてやがて建築家として、さらに経営者としてその実際を一心に体験した人である。この職人時代を中心とした回顧録は、そのまま現代建築側面史である。 
 側面史といえば読みにくい文献のようだが、著者はもと神田の人である。威勢はよし歯切れはよし、それに何より近ごろ珍しい東京弁である。私が惚れこんだのはこの東京弁で、読んで面白いだけではない。人は何かを得れば何かを失うという。いわゆる近代化して私たちが得たものは何か。失ったものは何かを考えさせるものがここにはある。 
 本書はむかし私が手塩にかけて出版したものである。ながく絶版にしておくには惜しい本である。私はインテリがきらいだからすこし職人のひいきをしすぎる傾きがあるが、その職人も今は死にたえた。ながく記録としてとどめたくて推して中公文庫の一冊にしてもらった。(「解説 山本夏彦」より)