2017年08月

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2007年05月22日

ひと場面・ひと台詞
≪―5月の舞台から―『解ってたまるか!』≫

  そこへ明石が戸口に現れる。村木、ライフルを構へる。
明石  待つて下さい。先生、村木先生。中央の明石助三郎、後生一生のお願ひがあつて参上致しました!
村木  何だ、言へ!
明石  申上げます、その前に銃を降して下さい!
村木  助さんよ、興奮するな、俺は冷静だ、狙つてゐるのはお前さんの膝小僧だ、安心しろ、撃つた處で命に別條は無い。
明石  でも、撃たないで下さい…、へへへ、膝も身の内でして…。
村木  黙れ、俺には冗談さへ言つてゐれば機嫌が良いと思つたら大間違ひだぞ、俺は斑氣だからな…、さ、願ひの筋を言へ!
明石  では、率直に申上げます…、先刻、一般記者會見の席上では默つてをりましたが、吾が中央新聞は、御承知の様に、東大名譽教授大口叩先生が知識階級の讀むべき日本最高の新聞として全國の學生に推奬した最も進歩的な新聞でありまして、社會の進歩と改善の爲、少數の優れた頭腦に訴へる様、常々紙面の構成に絶大の注意を拂つてをり、發行部數も優に五百萬を越えるほど大衆の支持があり…。
結城  それは矛盾してゐるではありませんか、少數の知識階級の爲の新聞が多數の大衆から支持されるなどといふ、そんな馬鹿な…。
村木  口出しするな、ユダ…、今、助さんの言つた事は少しも矛盾はしてゐない、大衆には知識階級の模倣をしようといふ心理が絶えず働いてゐる…、手取り早く言へば、自分が知識階級であると思はれたいといふ欲望を内に潜めてゐるのが大衆であり、またさういふ欲望を持つた大衆を知識階級と呼ぶのだ…、ユダ、お前さんは能く矛盾、矛盾と言ふが、矛盾こそ人間存在の原理そのものなのだ、矛盾が厭なら人間を廢業するしか無い、解つたな…、で、助さん、新聞週間みたいなPRはそれ位にして、肝腎の用件を聽かせて貰はうか。
明石  は、實はさういふ他紙とは各段の差を持つた權威ある吾が中央新聞を通じて、全學連と文化人グループとの代表が私に村木先生との會見を求めて來てをりますので…。
村木  ブンカジン…、何だ、それは?
明石  文化人ですよ、進歩的な…。
村木  だから、何だと言つてゐるのだ、そのブンカジンといふのは…、日本人か?
明石  これは驚きましたな…、文化人とは…、文は文福茶釜の文、化は化物の化け、人非人の人ですよ、謂はば現代日本人の知的指導者、オピニオン・リーダーです。

『解つてたまるか! 億萬長者夫人』福田恆存著 昭和43(1968)年 新潮社刊より

劇団四季公演『解ってたまるか!』 作・福田恆存 演出・浅利慶太
詳細:劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/ 
平成19(2007)年5月22日~6月21日 浜松町・自由劇場 
配役:村木明男(ライフル魔)=加藤 敬二

初演 昭和43(1968)年6月 日比谷・日生劇場
    劇団四季公演               
    配役:村木明男(ライフル魔)=日下 武史


2007年01月02日

ひと場面・ひと台詞
≪―12、1月の舞台から―『鹿鳴館』 作・三島由紀夫≫

清原  しかしですよ。あなたが政治がおきらひだと言ふことはきこえてゐる。惡い政治や惡い外交の渦中にゐて、さうお思ひなのは尤もだ。だが、マリア・ルーズ號事件をご承知でせう。明治五年の日本には、ああいふ立派な自主的外交もあつたのですよ。痛快な正義漢の大江のやうな人物もゐたのですよ。當時の副島外務卿も偉い人物だつたし、法律顧問のアメリカ人のぺシャイン・スミスも、自主的外交のいい協力者でした。何もかも薩長の藩閥政府になつてからだめになつたのです。かつてパークス公使の恫喝に屈してゐた時代に逆戻りをしたのです。今鹿鳴館に招かれてゐる外國人のうちで、誰が政府の期待するやうに、文明開化の日本を見直して尊敬してゐると思ひます。彼らはみんな腹の中で笑つてゐるのです。あざ笑つてをるのです。貴婦人方を藝妓同様に思ひ、あのダンスを猿の踊りだと見てゐます。政府の大官や貴婦人方のお追従笑ひは、條約改正どころか、かれらの輕侮の念を強めてゐるだけだ。よろしいか、朝子さん。私は外國を廻つて知つてをるが、外國人は自尊心を持つた人間、自尊心を持つ國民でなければ、決して尊敬しません。壯士の亂入は莫迦げたことかもしれん、しかし私はそれで政府に冷水を浴びせ、外國人に膽の据つた日本人もゐるぞといふところを見せてやれば、それで満足なのだ。抜身をふりまわすからと云つて、お客にかすり傷一つ負はせてはならんと命じてある。若い者たちは剣舞の一つも踊つて、威勢よく引揚げるでせう。それだけの話だ。……私はそれ以上のことは望まない。世間では私のことを人殺しの親分のやうに云うてをるが、根も葉もない噂にすぎん。これだけのことをして私が殺されるなら、犬死にはちがひないが、あとにはつぎつぎと私の素志を継ぐものが出るでせう。……おわかりですね。私は若いころから、自分の屈辱にも、人の進んで演じてゐる屈辱的行為にも我慢のならない人間なのです。   (第二幕)


影山  だから私は言ふのだ。骨肉の情愛といふものは、一度その道を曲げられると、おそろしい憎惡に變 つてしまふ。理解の通はぬ親子の間柄、兄弟の間柄は他人よりも遠くなる。私は久雄の父親に對する憎惡がよくわかる。實によくわかる。政治とは他人の憎惡を理解する能力なんだよ。この世を動かしてゐる百千百萬の憎惡の歯車を利用して、そこで世間を動かすことなんだよ。愛情なんぞに比べれば、憎惡のはうがずつと力強く人間を動かしてゐるんだからね。……いはばまあ、そうだ、その菊をごらん。たわわに黄いろの花瓣を重ねて、微風に揺られてゐる。これが庭師の丹精と愛情で出来上つたものだと思ふかね。さう思ふなら、お前は政治家にはなれんのだ。政治家ならこの菊の花をこんなふうに理解する。こいつは庭師の憎惡が花ひらいたものなんだ。乏しい給金に對する庭師の不満、ひいては主人の私に對する憎惡、さういふ御本人にも氣づかれない憎惡が、一念凝つてこの見事な菊に移されて咲いたわけさ。花作りといふものにはみんな復讐の匂ひがする。繪描きとか文士とか、藝術といふものはみんなさうだ。ごく力の弱いものの憎惡が育てた大輪の菊なのさ。 (第二幕) 


影山   やれやれ、又ダンスがはじまつた。
朝子   息子の喪中に母親がワルツを踊るのでございますね。
影山   さうだ。微笑んで。
朝子   いつはりの微笑みも、今日限りと思ふと樂にできますわ。(泣きながら)樂にできますわ。どんな嘘いつはりも、もうすぐそこでおしまひだと思ふと。
影山   もうぢき王妃殿下方がお見えになる。
朝子   氣持よくお迎へいたしませうね。
影山   ごらん。好い歳をした連中が、腹の中では莫迦々々しさを噛みしめながら、だんだん踊つてこちらにやつて來る。鹿鳴館。かういふ欺瞞が日本人をだんだん賢くして行くんだからな。
朝子   一寸の我慢でございますね。いつはりの微笑も、いつはりの夜會も、そんなに永つづきはいたしません。
影山   隠すのだ。たぶらかすのだ。外國人たちを、世界中を。
朝子   世界にもこんないつはりの、恥知らずのワルツはありますまい。
影山   だが私は一生こいつを踊りつづけるつもりだよ。
―後略―
(第四幕)

『三島由紀夫全集』第二十一巻 昭和49(1974)年 新潮社刊

劇団四季公演『鹿鳴館』 作・三島由紀夫 演出・浅利慶太
    平成18(2006)年12月から19年1月 浜松町・自由劇場 
 影山悠敏伯爵=日下武史
 同夫人朝子=  野村玲子
 清原永之輔= 石丸幹二 

初演 昭和31(1956)年11月 丸の内・第一生命ホール
    劇団文学座公演               

2006年12月14日

ひと場面・ひと台詞
≪―12月の舞台から―『元禄忠臣蔵』「大石最後の一日」 作・真山青果≫ 

元禄十五年十二月十五日未明、本所吉良屋敷を襲うて、故主浅野長矩の鬱憤をはらしたる赤穂浪士四十六人は、即日仙石伯耆守役宅において一応の訊問をうけたる後、四十六人を分ちて四組となし、細川越中守綱利に十七人、毛利甲斐守綱元に十人、松平隠岐守定直に十人、水野監物忠之に九人、法規によって御預け人となった。この戯曲は、以上四家のうち高輪細川家に預けられたる大石内蔵助良雄を主として、以下十六人の行動状況等を描かんとしている。
肥後熊本の城主細川家の中屋敷は芝高輪にありて、いま高輪御所のある所という。大石ら十七人の居室と定められたるは、同邸内『役者の間』と称する室にて、上の間と下の間と二室に分れ、内蔵助をはじめ老人連九名は上の間に、近松勘六をはじめ壮年者八名は下の間(次の間と記す書もある)におり、いずれも細川家より鄭重なる待遇をうけていた。
(中略)
この時細川綱利の長男内記利章、十五歳、小姓扈従の諸士を従えて静かに入り来る。
さきの林兵助先導す。赤穂浪士十七名、平伏する。
内記、一同を見てツカツカと下の間に入らんとする。
村井    恐れながら、一同よりの御斟酌にござりまする。
内記    (閾際に立ち止り)何じゃ。
村井    御目通りは恐れ入ります。御通りがけ御覧を願いまする。義士一同の願い出にござります。
内記    それは入らぬ斟酌じゃ。(ツカツカと入り来り)内蔵助はどこにおるか。内蔵助、どこにおる。
内蔵助  はい。(少しく顔を上げる)
内記    永々の辛労、察し入るぞ。されど、思い通りに本望とげて、目出度うござったのう。
内蔵助  あ、恐れ入ります。(身を遜る)
内記    四十六騎の念力念願、誰に勝り劣りのあろうはずもないが、余は同年ゆえか取り分けて、お身の長男主税良金のけなげの振舞いに…思う度に涙を催しておるぞ。
内蔵助  とんでもない…。
内記    主税は、松平隠岐守屋敷にあって、十日ほど以前から風邪になやみおったるそうなが、人をもって聞かせると、一昨日あたりよりすきと本復いたしているそうな。その便りは、既に聞かれたか。
内蔵助  一別以来、互いに音信は致しませぬ。彼も一人、わたくしも一人、互いに同志の者と申す外には、人情は…互いに絶っております。
内記    せめて御預け中なりとも、親子一緒に暮らさせたかったのう。
内蔵助  ほかにも子を持つ者がござります。吉田忠左衛門は長男沢右衛門、間瀬久太夫は長男孫九郎、小野寺十内は養子幸右衛門、間喜兵衛の如きは長男十次郎、次男新六の両人、堀部弥兵衛は養子安兵衛…、みな一味同志の挙に加わり、親子別々に…お預けでござります。内蔵助一人のことではござりませぬ。
内記   (一同に)皆どもの御心中、内記察し入りまするぞ。ただ主税も十五歳、われらも十五歳、あッたらけなげの若者を、かようの事に死せずと…、身などの家来にして、長く主従といわれたかったのじゃ。
内蔵助  (平伏、声を搾り)恐れながら、御通行を願い上げまする。
内記   一同、名残が惜しいのう…。
一同   ………。
内記   父上綱利朝臣の上意に、汝も十五歳、武士の鑑の十七人にあやかり、一代の武名を上げるようにと…今日初めてお許しが出て、喜び参って対面するのじゃ。またと申してもその時があるまい。内蔵助、只一語でよい、身が一生の宝となるような言葉の贐はないか。あらば聞きたい、聞かしてほしい。
内蔵助  当座のこと、用意もなく申し上げます。人はただ初一念を忘れるなと―申し上げとうござります。
内記   初一念とな―?
内蔵助  咄嗟にうかぶ初一念には―決して善悪の誤りはなきものと考えまする。損得の慾に迷うは、多く思い多く考え、初発の一念を忘るるためかと存じられます。
内記   内蔵助、内記一生忘れないぞ。
内蔵助  は―。
一同平伏する間を、細川内記静かに去る。

真山青果著『元禄忠臣蔵』(下)岩波文庫1982年刊

『元禄忠臣蔵』「大石最後の一日」
平成18(2006)年12月 大石内蔵助=九代目松本幸四郎
初演 昭和9(1934)年1月 大石内蔵助=二代目市川左團次  

2006年12月13日

ひと場面・ひと台詞
≪―12月の舞台から― 『元禄忠臣蔵』「仙石屋敷」 作・真山青果≫

[二]
仙石伯耆役宅、表玄関。
(中略)
大石主税以下十人、上使らに目礼して玄関を出て、奥平らにも式体しつつ、正面の方に出で去らんとせしが、主税は後に心を残すものの如く、父内蔵助のいる奥座敷の方を見返り見返り躊躇のさまあり。堀部、大高の両人、二、三度これを促し立てて立ち去らんとす。
堀部   (小声ながら、鋭く)ええ、未練じゃ。
主税   いえ、未練ではござりません。ただ一言、父上に申し残したきことがあって…。
大高   (顔を寄せて)丹波におられる母上の事か。
主税   いや、さようの儀ではござりません。ただ一言申して、父上を安堵させたきことがございました。
堀部   ええ、後になってそれを思い出すのが未練だ。行かッしゃい。
主税   はい。
 主税、むッとして行かんとする時、すれちがいに、熊本の城主五十四万石、堀川越中守綱利の家来、三好藤兵衛、堀内平八の二人、前と同様の姿にて式台前に膝まずく。
三好   は、細川越中守家来にございます。今日の御預かり人、大石内蔵助、吉田忠左衛門、原惣右衛門以下十七人御受取りとして、江戸家老三好藤兵衛、罷り出でましてござります。
鈴木   さすがは御大家、御苦労に存ずる。
三好   はい。
 この間に細川家の預かり人、大石、吉田ら十七人出で来り、上使らに目礼して式台に立つ。この時花道にかかりし主税は、父の姿を見て、また馳け戻らんとするを、堀尾支う。
主税   父上。
内蔵助  主税。この上は、世上百万の眼が、我が身に集まることを忘れるなよ。
主税   はい。
内蔵助  (さすがに眼をしばたたきながら、声を潤ませ)安兵衛。
堀部   は。
内蔵助  形体は大きゅうても、主税は十五歳。まさかの時に顛動せぬかと、親の愚痴ながら…それのみが気遣わしい。
大高    (思わず声を絞って)源吾がついておりまする。
堀部   安兵衛もおります。決して、見苦しいさまは致させません。
内蔵助  おお、二人の衆に、頼みます。
主税   父上―。主税が父上に、一言御安堵願いたかったのは、その場合の覚悟にござります。
内蔵助  死ぬというは、大事じゃぞ。心ある者も…顛動するものだ。かねての父の教えを、忘れるなよ。
主税   はい…(と涙に落ちんとせしを耐えて)父上、御免下され。(つかつかと、歩み去る)
 内蔵助、一種の微笑を浮べて主税の後を見送りたる後、静かに草履を穿き、迎え人三好藤兵衛らと式体し、粛然として歩む。
玄関の間、正面の襖をサッと開き、仙石伯耆守久尚出で来り、玄関に立つ。
仙石   内蔵助。
内蔵助  (久尚を見て驚き)おお、これは―。
仙石   さてさて内匠頭どのは、よき家来を大勢抱えられた。かかる主に、かかる衆を股肱と頼めば、如何なる御用も勤まるべきに、あッたら事に身を果させ…、いや、上お役人中も、とりどりの御賞美じゃ。やがて目出たきお裁きある日を、相待たれましょうぞ。
内蔵助  ただ、恐れ入り奉ります。
仙石   (手を上げて)いざ―。
内蔵助  御免下さりましょう。
 仙石らの目送のうちに、内蔵助悠然として門外に歩み去る。

真山青果著『元禄忠臣蔵』(下)岩波文庫1982年刊

『元禄忠臣蔵』「仙石屋敷」
平成18(2006)年12月 大石内蔵助=九代目松本幸四郎
初演 昭和14(1939)年1月 大石内蔵助=二代目市川左團次         

2006年12月01日

ひと場面・ひと台詞
≪―11月の舞台から―『元禄忠臣蔵』「御浜御殿綱豊卿」作・真山青果≫

甲府家浜手屋敷(後ち将軍家に帰してお浜御殿といい、明治後、浜離宮となる)のうち、松のお茶屋の御腰掛というところ。
時は元禄十五年、三月上巳節句のころ―。
(略)
綱豊、仮廊下の前に来り、立ち、姿勢を調える。深呼吸をなし、能楽出演者の厳粛なる態度となりて、ゆるやかに一歩を仮廊下に移さんとする時、助右衛門、逸りきって第一の槍を突き出す。綱豊あやぶくもその槍を避け、助右衛門なることを見定め、また仮廊下に第二歩を踏まんとする時、助右衛門また鋭く第二の槍を突き出す。綱豊、あやぶくもまた、これを避く。
助右衛門あせって、間近に近寄り、槍を動かさんとす。綱豊これを避けて庭に下り、次第に立ち廻り模様となる。
元来は武術の心得ある綱豊なれども、助右衛門はただ決死の一念、ただ突きに突きかかれば、綱豊はしばしばあやぶくなる。そのうち、立ちまわりの拍手にて、綱豊の面はずれて、その顔見ゆ。
助右衛門、綱豊と知りてびっくり仰天、槍を引いて逃げ出さんとする。綱豊、助右衛門の襟髪をつかみ、引きもどす。
(略)
綱豊   うろたえたか助右衛門!
助右衛門 (ガチガチ歯を噛んで)何何何―?
綱豊    二年この方辛労して、一味の者が企てている仇討というのは、ただ吉良上野介の命さえとれば、それでよいと申すのか。
助右衛門 何―?
綱豊  上野介の手足を斬って、彼の命を奪うのみが、そちたちの願っている復讐なのか。
助右衛門 (はじめて綱豊の言葉が耳に入り)ええ―。(と棒立ちになる)
綱豊   助右衛門。そちも多少は聖賢の書を読んだ者であろう。学んで思わざれば則ち罔しという。聖賢の言葉を何処に聞いた。
助右衛門 (ぎょっとして)むむ…。
綱豊    (その隙に乗じて躍りかかり、助右衛門の襟髪をグッと引き掴み)古人の言に、義を義とすべきはその発するところにありて、その終るところにあらずという、この金言を何と思う。如何に不学の田舎侍でも、それほどの義理をも弁えず、かかる大義を企てるとは、身のほど知らぬ大たわけだ!
助右衛門 (綱豊の拳に引き寄せられながら)ううむ、ううむ…。
綱豊    (少しく語気を和らげて)助右衛門、男子義によって立つとは、その思い立ちの止むに止まれぬところにあるのだぞ。義の義とすべきはその起るところにあり、決してその仕遂げるところにあるのではない。吉良の生首を、泉岳寺の墓前に捧さえすれば、内匠頭の無念、内匠頭の鬱憤はそれで晴れると思うのか。そちたちにして義理を踏み、正義をつくす誠あらば、たとえ不倖にして上野介を討ち洩らしても、そちたちの義心鉄腸は、決してそれに傷つけられるものではない。そちたちの今はただ、全心の誠を尽して、思慮と判断と智慧との全力を尽すべき時なのだ。思慮を欠き、判断に欠くるところあれば、たとえ上野介の首打っても、それは天下義人の復讐とは言われぬのだ。何故何故何故、おのれ、たとえ吉良上野介を討ちそこなったような場合でも、みずから顧みて、疚しとも口惜しいとも思わぬほどの仇討をしようとは企てないのだ?(と、助右衛門をこづき廻す)
助右衛門  むむ…。(ただ唸る)
綱豊    (語調を改め)最前おれが、内蔵助にただ一つの誤りがあるというたのが此処なのだ。たとえ物の行きがかりにもせよ、浅野大学頭の再興を公儀へ願い出たは、いかにしてもそちらの誤り、また内蔵助の誤りだ。右手に浅野家再興を願い出でながら、その左の手にて上野助を斬ろうとは、ただに公儀に対して憚かりあるのみならず、そは天下の大義を弄んで、天下の公道を誤るというものだ。(助右衛門、すすり泣きして声を立てる。)
綱豊    其処はさすがに内蔵助だ。(穏やかな口調にかえり)彼が今日島原伏見の遊里に浮かれ歩くのは、そちたちの目から見れば、或は吉良を油断させようための計略などと思おうが…俺の目にはそうは見ない。(と頭を振り、やや涙を目にうかべて)彼は今、時の拍子に願い出た、浅野大学再興に…その心を苦しめながら、あやまって手から離した征矢の行方を、淋しくじっと眺めているのだ。この内蔵助の悲しい心を、淋しい心を…そちたち不学者には察し得られる事ではないのだ。(一滴落涙)助右衛門、吉良は寿命の上、らくらくと畳の上で死んでも、汝ら一同が思慮と判断の限りを尽して、大義、条理の上にあやまちさえなくば、何アにあんな…ゴマ塩まじりの汚い白髪首など、斬ったところで何になる。そなえたところで何になる。まこと義人の復讐とは、吉良の身に迫るまでに、汝らの本分をつくし、至誠を致すことが、真に立派なる復讐といい得るのだ。
助右衛門  むむ…。
綱豊     助右衛門、そちには、この道理が判らぬか。
助右衛門  (ベタベタと座って、大地に崩れ、両手をつき)恐れ入りました。(平伏、大声立てて泣く) 
真山青果著『元禄忠臣蔵』(上)岩波文庫1982年刊

『元禄忠臣蔵』「御浜御殿綱豊卿」
    平成18(2006)年11月 国立劇場公演甲府候徳川綱豊=四代目中村梅玉
初演 昭和15(1940)年1月           甲府候徳川綱豊=二代目市川左團次/六代目市川寿美蔵(後の三代目市川寿海)

ひと場面・ひと台詞
≪―10月の舞台から― 『元禄忠臣蔵』「最後の大評定」 作・真山青果≫

[序篇]
元禄十四年三月下旬の或る日。朝。播州赤穂の城下大石内蔵助良雄の屋敷。…幕あく―居間には大石内蔵助、昨夜は徹宵しらべ物などに従事したるものの如く、小机を据え諸日記などをその辺にちらして、訪問者に接見している。内蔵助この時四十三歳、温厚にして小柄なる人品、音声低くおだやかに、談話の間に少し肩をすくむる癖あり、黒絹の置頭巾を額に置く。訪問者は岡島八十右衛門にて、中小姓兼勘定方をつとめて二十石五人扶持を給せらる。八十右衛門は、同志原惣右衛門の実弟にて、岡島家をつぎたる人、骨格たくましく膂力あり、極めて剛直なる侍、この時三十六歳。

内蔵助  一昨日、昨日―引き続いて御城内評議の模様を見るに、勇あり、義あり、かねて頼もしと見申したる侍どもは、みな故内匠頭さまの御無念を体し、吉良殿を憎み、御公儀の片落ちを怨み申し、籠城、切腹、あるいは復讐―みな侍として、最後の眉目をかざり、激発にも及ばんとする模様に見えた。無理からぬ次第、かく…あるべきはずのこととは思いまする。
岡島   はい。
内蔵助  が…。(暫く沈黙)表を潔うする者には、おのれを立てる虚偽も…随って生ずるものじゃ。また、卑怯未練に見ゆる者には、その卑怯未練の姿に隠されたる道理真実があるものじゃ。人の上に立つ者は、節儀の者のうちにも誠実をみるとともに、卑怯者のうちにも、その本然の誠実を見出さねばなりませぬ。
岡島   はい。 
内蔵助 冷熱二人の勤めとはそれじゃ。役人たる者は、おのれに合せて人を見てはならぬ。好もしと思う者に虚偽を知り、憎しと見る者のうちに真実を見出さねばならぬ。殊に金穀出納にかかわる役人、面目の節義をねごうてはなりませぬ。外聞の至極を欲してはなりませぬ。これ誠、これ実、数字の正しきに従わねばなりませぬ。怒るな、悔むな、恐れるな―大変に処して、役人の心懸けじゃ。冷熱二人―篤と、御思案なされよ。

[その六]
内蔵助 十四日は殿の御命日。御城のさまも今日が見納め…、静かに月光を踏んで帰ろう。
瀬尾   は。 
瀬尾ら三人は去る。内蔵助、低徊顧望して去る能わざるものの如く、暫く立ち停りて暗涙にむせぶ。この時、装置上の技巧によりて、舞台の道具を引いて城門は遠く遠景となり、下手の方に侍小路の長屋塀あらわれる。
その前の明き屋敷のところに、井関徳兵衛、具足櫃にもたれて泣き倒れいる。その側に莚をかけたるは、既に介錯を終りたる紋左衛門の死体なり。
月光は水の如く蒼く、四辺に降りそそぎ、地虫チロチロと鳴く。内蔵助静かに歩み来る。

内蔵助  (ギョッとして透かし見て)徳兵衛ではないか。
徳兵衛 (グッタリして顔も上げず)内蔵助どのか…。
内蔵助  そ、それは?
徳兵衛  倅だ。
内蔵助  やはり、思うに違わず―。
徳兵衛  内蔵助、徳兵衛の思いちがいと、明らかに聞かしてくれ。おれは慌て者、無分別者になってもいい。御預りの城を渡し、御厩の馬まで売るとは、こなた心中に秘めた大望があるのであろう。
内蔵助  ええ…。
徳兵衛  内蔵助、われとおれとは餓鬼友達だ! かならず何か、大望があるであろう。聞かせてくれ、聞かせてくれ…。(何か言い紛らさんとする内蔵助にかぶせて)艱難にあたって、光輝を増すは、おぬしの素質じゃ。必ずとも、このままに退き倒れる貴様ではない。何かある、何かあろう?(脇差をプツリと腹に突き立てて)死出の旅路を踏み出したおれだ。聞かせてくれ、内蔵助聞かせてくれ…!
内蔵助  吉良どのは四位の少将ながら、纔か四千石の小身者だ。たとえ上杉家十何万石を後ろに着るとも、さまで恐るる敵ではない。が―、公儀御贔屓の吉良家に乱入することは、公儀御政道に批判を加え、公儀御大法の片落ちを天下に向って非難することになるのだ。復讐は軽く、御政道の批判は難い。ここに思案があり、大事があるのだ。
徳兵衛  (刀をグッと引き廻し)耳が遠くなりそうだ。早くいえ、早くいえ。
内蔵助  (決然として)内蔵助は、天下の御政道に反抗する気だ。
徳兵衛  それでよし、おれは先に行く。後は頼んだ。
内蔵助 徳兵衛、やがて行くぞ。
徳兵衛 道草を食うな。内蔵助、待っている…。

徳兵衛、咽喉の笛をはねる。
月光蒼白。内蔵助、凝ッと親友の死体を見下したる後、衣紋の塵を払うて、静かに帰路につく。
真山青果著『元禄忠臣蔵』(上)岩波文庫1982年刊     

『元禄忠臣蔵』「最後の大評定」
    平成18(2006)年10月 国立劇場公演  大石内蔵助=二代目中村吉右衛門
初演 昭和10(1935)年               大石内蔵助=二代目市川左團次