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「新国立劇場運営財団の存廃」について考える アーカイブ

2010年05月26日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十八)

 悪役モデルにされた「遠山敦子元文科相」の言論統制 『週刊新潮』5月27日号

 『週刊新潮』5月27日号の写真ページ[discover]は久しぶりに面白い。タイトルは≪路駐 とんこつ ベントレー 「松野頼久内閣官房副長官」のアンバランスな休日≫。日曜の夜、渋谷区広尾のラーメン店に妻子を伴って出掛けた松野氏。価格2千万超のベントレーを路上駐車させ、店に入る前の歩道上で煙草を吸っている瞬間を撮られている。ベントレーから降りる姿も、路上で一服している姿も、「松野頼久」とのタイトルがなければ、そこらの地回りと見紛うばかり。不適切行動が指摘される多くの閣僚、民主党議員たちの中にあって、違法駐車、路上喫煙くらいで週刊誌の餌食にされるのは可哀想でもある。
 独身、まだまだ修行中の身で外に子供を作り、その母と子を捨てて結婚した染五郎、海老藏。酒に酔って警察官と大立ち回りを演じて逮捕された七之助など、戦後に活躍した歌舞伎俳優たちの三代目はあっぱれな虚けばかり。政治稼業の三代目である松野氏、違法駐車と路上喫煙はいただけないが、政治家の資質が全くないことを自らの言動で証明、それでも批判を恐れて夫婦での大好きな夜遊びを控えている、今やその虚けぶりはアメリカでも知られる政治稼業四代目の代わりに叩かれたのだろうか。それにしても、日曜夜の家族揃っての優雅な夕食も摂れるはずのお出掛けでラーメンとは、「民の竈」、庶民の暮らしを知ろうとの立派な心掛け。少しは称揚すべきことだろうが、どのぞの四代目同様、時と場所と機会を弁えられない、まさに「アンバランスな休日」が、その称揚すべき心掛けを無にしてしまった。
 永田町や霞が関の住人たちの風格のなさ、面構えの悪さ、貧相なさまにはこの数十年、驚くこともなくなった。三代目の松野氏は別だが、霞が関から永田町に移った新「過去」官僚、「脱藩」官僚たちや、自民、社会、民社などの既成政党を飛び出し、幾多の弱小政党を彷徨い、偶さか吹いたフォローの風に載って手にしたタナボタの政権でポストを得たものたちの「お子ちゃま内閣」(『週刊文春』)の面々、「廃園寸前の鳩山幼稚園」(『週刊新潮』)の園児たちの貧相な面構え。一週間でも宮崎に行き、畜農家や自衛隊員に交じって、殺された牛や豚の埋却作業でも手伝えば、呆れ果てた性根も面構えも、少しはマシなものになるのかもしれない。
 
 『週刊新潮』同号のワイド特集「ルージュの戦士」の書き出しも面白い。<頂点を極めた。名が売れた。形はそれぞれ違えど、斯く成功した女たちに限ってなぜか有為転変は付き物だ。政界への転身、引退と復帰、闘病に事件にゴシップ。目の前の山河を越え、世界を拓かんと疾走、奮戦する彼女らに、さて、ルージュをひく暇はあろうか…。>とある。そこでは、「参議院議員に当選しても、現役も続けてロンドン五輪を目指す」という盛りを過ぎた勘違い女柔道家、相次ぐスキャンダルで仕事をなくした自民党タレント候補、お友達の詐欺師を自身のブログで絶賛してしまった元首相夫人など、何とも何ともな女性たちの中に、「大臣経験者である天下り」という世にも珍しい存在たる遠山敦子女史が、このあっぱれ達と同列に扱われて登場している。題して、<悪役モデルにされた「遠山敦子」元文科相の言論統制>。
 <天下り官僚の横暴という、事業仕分けの動機にもなったテーマの芝居が上演された。永井愛作・演出の『かたりの椅子』。実は官僚のモデルは遠山敦子元文部科学大臣(71)だが、嫌がったご当人、〝言論統制〟まで敷いたというので……>との書き出しで、一昨年の新国立劇場の演劇部門芸術監督・鵜山仁氏の〝解任騒動〟の顛末を述べ、「朝日新聞は社説で<混乱のきっかけは、文部官僚出身で元文部科学大臣の遠山敦子理事長が、芸術監督全員を一気に代えようとしたことだ>と、異例の〝個人批判〟。」をしたことにも言及。また、同じ朝日新聞が昨年まで設けていた朝日舞台芸術賞の選考委員経験者で、演劇評論家の大笹吉雄氏は、<「自分が〝解任〟を決めた鵜山さんが新国で上演した芝居が賞を取ると、授賞式にノコノコと出て行き、〝いい演出家がいて、いいキャストがいて、いい戯曲があって、いい舞台ができるのです〟と、自分の手柄のようにスピーチする」と酷評する。
 文部科学省の政務三役、あるいは幹部職員の配慮でもあったからか、天下り官僚の典型でもある理事長を抱え、総事業費の過半を国費に頼り、独立行政法人にぶら下がる天下りのための財団でありながら、事業仕分け第二弾の対象から差し当たっては逃げ果せることが出来た新国立劇場。そのトップであれば、「事業仕分け」準備の間くらいは鳴りを潜め息を殺して嵐の過ぎるのを待つものだろうが、そこは天下り歴十数年の大物理事長、そういうあざといことはしなかった。理事長本人は否定しているそうだが、<「公演を取り上げないよう、マスコミに内々に要請してきた」(新聞社の幹部社員)>そうである。
 〝解任騒動〟以来、言われっぱなし、叩かれっぱなしの遠山氏、隠忍自重、不自由な、気の鬱ぐ日々を送っておられるのかと、ひそかに同情、案じていたが、まだまだご活躍の様子で安心した。この先の「事業仕分け」で、「悪役モデル」にされるほどの見事なお姿を拝見することが出来るかもしれない。
 
 

2010年04月02日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十七)

補助金どっぷり 農業ぽっくり

 先週の地下鉄の中刷り広告で目を引いたのは、『WEDGE』4月号の見出しにあった、<補助金どっぷり 農業ぽっくり ―選挙対策のバラマキで ニッポン農業 突然死へ>。早速、地下鉄の駅の売店で購入した。
 この特集「WEDGE Special Report 補助金どっぷり 農業ぽっくり」は全13ページ建てで、その最初の見開き2ページには、米百俵ならぬ「米百票」と書かれたタスキを掛け、ほくそ笑む小沢一郎・民主党幹事長と思しき人物が民主党のマークのついたコンバインに乗り、稲を刈らずに票を買っているつもりか後部に備え付けた投票箱に票を吸い上げているイラストが描かれている。その見開き右部分のリードの文章はこうだ。
<民主党農政の目玉である「戸別所得補償制度」がこの4月からスタートする。「食料自給率向上」というトリックを用い、年金やサラリーマン所得に頼る兼業農家にも補助金をばら撒いた。これぞ政権を問わず繰り返されてきた、典型的な農村票目当ての選挙対策だ。プロ農家の農地が貸し剥されるなど、補助金農政による混乱が生じている。担い手の声に反する政策をこれ以上続けると、ある日突然、日本の農業は再生不能に陥ってしまう>。
 そもそも戸別所得補償制度とはなにか。「稲作農家を対象に、2010年度予算で5600億円が計上」「コメ生産が1兆8000億円程度だから、これだけでも膨大金額」「政府はコメのキログラムあたりの生産費を計算する。この際、自家労働も雇用者賃金に近い時給で評価するので、生産費はコメの市場価格をはるかに上回った高水準になる。この生産費と市場価格の差額を、政府が農家の指定口座に、直接、所得補償金として入金する」というもの。したがって、市場価格が低迷しても、コメさえ作れば利益が保証されるのだから、増産意欲が増すが、日本全体ではコメが余って米価が下がる。「<バラマキ→増産→米価下落→さらなるバラマキ>のスパイラルを引き起こし、穴は際限なく広がっていく。ますます補助金頼みを強めざるをえなくなるであろうが、その補助金も、主要先進国で最悪という日本の財政では、早晩、尽きる。わざわざ稲作を補助金依存症にしておいて、やがて補助金が切れるのだから、突然死を強いているようなものである。」

 「そもそも真摯に農業生産の腕を磨き、販路開拓や食品加工との連携などの努力をしてきた農家ならば、すでに安定的な値段で農産物を売ることができており、戸別所得補償など必要としていない。戸別所得補償で救済されるのは、生産や経営の努力を怠った者である。…」と続く文章を読んでいて、察しの悪い私も気が付いた。この戸別所得補償制度と、文化庁、芸術文化振興基金などの公的助成制度は、同じ発想であり、同じ構造であり、そして同様な災禍を招くだろうと。上の文にある農業、農家、農産物、戸別所得補償制度を、演劇、演劇人、劇場、助成金と読み換えたらよい。
 「そもそも真摯に演劇の腕を磨き、販路開拓や外部との連携などの努力をしてきた演劇人や演劇集団、劇場ならば、すでに安定的な値段で製作物を売ることができており、助成金など必要としていない。助成金で救済されるのは、製作や経営の努力を怠った者である」。

2009年11月30日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十六)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(9)
会計検査院に指摘された「芸術創造活動重点支援事業」の杜撰さ(3)

 前回は会計検査で指摘された<事例2>を検証し、文化庁とC財団法人の対応も含めての幾つかの疑問点を指摘した。
 一昨日、このブログを丁寧に読んでくれている学生時代の友人から、「かつては自治体の補助制度での請求も支給も随分とルーズだったけれど、今の時代に、この文化庁の助成金制度の取り扱いはひど過ぎる。C財団法人とやらは、いったいどういう予算管理をしているのか、助成金を過大に受給しようとの犯意があるとしか思えない」とのメールを貰った。厳しい意見だが、税金がルーズに、無駄に使われていることに対する一般の国民の怒りであり、ここで敢えて紹介する。
 今回は、このC財団法人が主催した公演で、そのひと月前の収支予測が、その翌月の公演実績と大幅に違う点を中心に考えてみたい。
  
 前回の<事例2>の流れを再度整理する。

1)文化庁は、C財団法人のD公演に対し、平成16年1月に提出された計画書等を審査した結果、採択決定した。
2)請負契約に当たり、16年6月に提出された見積書等に基づき、2679万円を支援限度額と算定、この額を基に2600万円で契約を締結。
3)C財団法人は同年7月に当該公演を実施し、翌年4月に同額2600万円の支払いを受けていた。

 しかし、平成18年度に行われた会計検査院の文化庁に対する会計検査によって
4)実績報告書等の実績額によると、入場料収入等の収入額は5859万円、出演費等の支援対象経費は7071万円。従って、金額〔2〕は支援対象経費7071万円に3分の1を乗じて得た額である2357万円となる。
5)一方、金額〔1〕は支援対象経費7071万円から収入額5859万円を除いた1212万円となり、金額〔2〕を下回る。
6)このことから、実績支援限度額は1212万円となる。
7)したがって、支援額2600万円はこれを1387万円超過(超過率114%)する結果となっていた。

 そして、現在のところは、
8)超過した支援額である1387万円について、文化庁は会計検査院の指摘に従い、C財団法人に対し国庫への返納を指示したのかどうか、C財団法人はその指示に従い、1387万円を返納したのかは、ともに不明である。
9)また、この18年度の会計検査では、15年から17年度までの該当助成制度のうちの27億7838万円分についてのみ検査し、支援限度額を超過したものが検査した172件中に60件あり、その額は1億78百万円だったとした。その後にでも文化庁自らが悉皆検査をしていれば、三年度分の支援限度額を超過する金額は20億5千万円規模程度だったと推測できる。

 この先はすべて推測である。
 まず、該当公演のひと月前に提出された見積書等には、当然のことだが収入予想は書いてあるだろうが、この検査報告書にはその数字がない。取り敢えず、製作費(総支出)を推測する。
2)には「支援限度額を2679万円と算定 」とあり、この支援限度額は支援対象経費の3分の1(金額[2])であるから、
2679×3=8037。従って、支援対象経費(≒総支出)は8037万円超であろう。
 他方、収入の部だが、「支援限度額は、支援対象経費の3分の1(金額[2])と、支援対象経費から収入額を除した額(金額[1])の低い方とする」規定があり、この事例では、2679万円を支援限度額と算定したのであるから、(金額[1])、簡単に言えば「赤字額」も2679万円超であったろう。従って、
8037-2679=5358であるから、収入予想は5358万円を下回る額だったと推測できる。
 従って、 収入           5358万円を下回る。
      支出(支援対象経費)  8037万円程度。
      収支            △2679万円超。
 これが、公演ひと月前にC財団法人が試算し、文化庁に提出した収支予想に近いものだろう。
 そして、4)にあるように、C財団法人の実績報告書等によれば、
実績は   収入           5859万円
      支出(支援対象経費)   7071万円
       収支          △1212万円 

 収入について言えば、ひと月前のチケット等の売り上げ予測が53百万円程度で、予測よりも一割程度のチケットの売り上げ増があったのだろう。ホールの客席数も公演回数も判らないが、一割程度(5百万円)の売り上げ増加は特段珍しいことではない。
 しかし、支出については、公演直前に8千万円を超えるとされた支出予想が、1千万円も圧縮され7071万円で収まったとは驚異である。仮に「最後まで製作経費の削減努力をした結果」だとしても、あり得ない縮減幅である。公演直前にこれだけの縮減ができるのであれば、文化庁助成金(税金)など得なくとも自力で運営できるだろう。
 単純な計算間違いをして提出し、文化庁もそれをそのまま通してしまった、ということもあり得ないだろう。助成金に頼る公益法人や、助成金制度さえ満足に管理できない官庁に、そもそも原価意識などないことは承知しているが、ことは原価意識の欠如ではなく、助成金の原資である国民の税金を私するかのように助成金の受給を常態化させ、自立、自助努力を忘れ、それに縋ってずるく生きる処世を身に付けたホール関係者、舞台芸術関係者の問題である。
 被助成団体に公演実績報告書を提出させながら、それを精査して、「内定後に内容、収支予算に重要な変更が生じていると認められる場合は、支援の一部又は全部を減額する」との自らが作った規定を遵守し執行しない文化庁の怠慢は許されるものではない。
 
 支出想定額(支援対象経費)を実際より水増しして、収入予想額を実際より低めに設定。
 支援限度額を極力大きくしようと知恵を働かせ、助成金をせしめる。 
 なんとも卑劣な助成金獲得手法である。

 

2009年11月26日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十五)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(8)
会計検査院に指摘された「芸術創造活動重点支援事業」の杜撰さ(2)
「芸術拠点」ではなく「不正拠点」を支援する文化庁事業
 前回取り上げた会計検査院の決算検査は、平成15年度から17年度までの 芸術創造活動重点支援事業(平成16年度以前は、芸術団体重点支援事業)、芸術拠点形成事業、国際芸術交流支援事業のうちの172件、支援(請負契約)総額27億7838万円分についての抽出検査である。
 この芸術創造活動重点支援事業の15、16、17年度の支援(請負契約)額はそれぞれ、118億45百万円、98億75百万円、99億25百万円で、3年間の合計は316億45百万円である(件数については、手許に資料がなく不明)。
 したがって、検査したものは金額からみれば、全体の8.78%であり、もし仮に悉皆(全部)検査をしたとすれば、検査での指摘額(支援限度額を超過した金額)は20億5千万円規模程度に膨れ上がった可能性が高いだろう。また、検査した172件中の60件に問題があったと指摘されたということは、全体の35%、3分の1以上が支援限度額を超えた不適正な案件だということにもなる。
 件の関西芸術文化協会の問題は、虚偽記載を繰り返すことでの不正受給であるが、この案件は、虚偽記載の指摘(内部通報)以前の、計画書(見積り)と実績報告書を照らし合わさずに計画書段階で支給(請負契約)額を決める制度上の欠陥によるものだ。制度上の欠陥によって3分の1程度が不適正になるわけだが、これは提出され、採択された公演の計画書にいっさい虚偽、錯誤記載が全くない、不正な受給を求めるという犯意がないという前提での話である。

 会計検査で指摘された、<事例2>を検証する。
 <事例2>
1) 文化庁は、C財団法人のD公演に係る平成16年度芸術拠点形成事業の申請に際し、16年1月に提出された計画書等を審査した結果、支援の必要性が認められるとして、採択することに決定した。
2)そして、C財団法人との請負契約に当たり、同年6月にC財団法人から提出された見積書等に基づき、2679万円を支援限度額と算定し、この額を基に2600万円で契約を締結した。
3)その後、C財団法人は同年7月に当該公演を実施し、翌年4月に同額の支払いを受けていた。
4)しかし、実績報告書等の実績額によると、入場料収入等の収入額は5859万円、出演費等の支援対象経費は7071万円となっていたことから、金額〔2〕は支援対象経費7071万円に3分の1を乗じて得た額である2357万円となる。
5)一方、金額〔1〕は支援対象経費7071万円から収入額5859万円を除いた1212万円となり、金額〔2〕を下回る
6)このことから、実績支援限度額は1212万円となる。
7)したがって、支援額2600万円はこれを1387万円超過(超過率114%)する結果となっていた。

 1)から7)の流れを見ると、該当公演の直前、ひと月前にC財団法人から提出された見積書に基づいて、支援限度額を2679万円とし、2600万円で請負契約を締結、17年4月に同額を支払った。しかし、提出時期は不明だが、公演終了後に提出された実績報告書では、入場料等の収入額が5859万円、支援対象経費が7071万円となっており、「自己負担金の範囲内、かつ支援対象経費の3分の1以内の定額」との規定から、2357万円(金額〔2〕)となる。そして、支援対象経費7071万円から収入額5859万円を引いた実質赤字額は1212万円(金額〔1〕)である。
 したがって、「支援限度額は、(金額〔2〕)(金額〔1〕)のいずれか低い額とする」規定から、実績支援限度額は1212万円であり、実際に支払われた支援額2600万円は実質の支援限度額1212万円を2.14倍上回る額となった。
 この場合、事後の実績報告をもとに支援額を特定し、支払うものであったならば、他の案件の支援額の決め方から推し量れば、C財団法人への請負契約額は、最高で助成支援額は1200万、少なければ1000万円程度のものだっただろう。

 この問題について、今のところ判っているのは、
 「会計検査院が講じた改善の処置」として、「19年度以降の芸術創造活動重点支援事業等については、芸術団体等と請負契約を締結する際に使用する契約書に精算条項を加え、公演等の実施前に決定された支援額が実績支援限度額を超過した場合には、精算を行うこととする処置を講じた。」ことである。
 1200万で済むはずが、2600万円を支出する。差額の1400万円は外郭団体に天下った文部科学省出身官僚の平均的な年間給与に匹敵する。C財団法人に天下りがいるのかどうかは知らぬが、どこの出身であれ、常勤の理事でもいれば、その一人分を補填している形になってしまう。
 1200万円のところを2600万円払わせる。
 真っ当な民間の感覚では、これは「不正受給」そのものである。
「猫ばばを決めた」のか、「詐欺を働いたのか」は、これから先の話である。

 では、
a)C財団法人は何か。その「拠点」たる劇場(ホール)はどこか。
b)文化庁はこの案件について、請負契約額の変更措置をしたのか、しなかったのか。
c)文化庁が請負契約額の変更措置をしたとすれば、C財団法人は、それに応じたのか。
d)あるいは、措置がなくとも、会計検査院から文化庁が指摘された超過額1387万円見当の額を自主的に返納したのか。
e)この会計検査が実施され、報告書が内閣に提出された後に、文化庁はそれまでの事業での採択事業の請負契約額の再チェックをしたのか、していないのか。
f)平成19年度以降に、このC財団法人に対して、芸術創造活動重点支援事業としての採択があるのか、ないのか。
g)あるいは、このC財団法人は、自らこの事業に対して申請を自粛しているのかしていないのか。
h)c)、d)とも関連するが、このC財団法人がこの問題にどう対応したか。返納措置以外の、担当者、責任者に対する処分等の措置があったのか、なかったのか。
i)文化庁、独立行政法人日本芸術文化振興会は、文化審議会等の審議会、あるいはその事業に関わる選考などの委員会等で、このC財団法人の関係者を起用しないなどの措置を取っているのか、いないのか。

 g)、h)以外の問題は、いずれ文化庁の担当課室に問い合わせて確認し、公表する。
 C財団法人が特定できれば、g)、h)についてもC財団法人等に問い合わせて確認し、公表する。
 ただ、満足の行く答えが得られる可能性は低いだろう。
 行政文書の開示請求をして、じっくり調べて公表するつもりだ。

2009年11月24日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十四)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(8)
会計検査院に指摘された「芸術創造活動重点支援事業」の杜撰さ(1)
不正受給が常態化する、『芸術創造活動重点支援事業』
 2005年10月、文化庁の「芸術創造活動重点支援事業」としてたびたび採択されていた大阪のオペラ製作団体である財団法人が、長期に亙って助成金(請負契約)を不正に受給していたことが内部通報によって発覚、大阪の読売新聞に大きく取り上げられた。ただ、東京の新聞各紙では、社会面でも文化面でもほとんど報じられることがなかった。ある大手紙の編集局幹部に出会った折、御社社会部は取材しないのかと問うたら、「まずは文化部に遣らせたいけど、動かないから…」と否定的な答えだった。(健全なジャーナリズムであれば、権力との緊張した関係を維持し、現役の記者やメディアの経営幹部が政府の審議会などのメンバーにはならないはずのものだが、どうやらこの国ではそんな見識は無用なこと、芸術やら文化やら、可哀想にもテレビ芸能界までもカヴァーする文化部記者やそのOBの多くは、役所から「学識経験者」と分類され、先生などと呼ばれるのが余程うれしいのか、進んで文部科学省、文化庁の政策、施策に対する無批判な推進者、協力者になってしまう。)
 大阪の読売が報じた数日後、このブログ『提言と諫言』に二回続けて書いた。
『文化庁助成金の不正受給』について2005年10月22日
『文化庁助成金の不正受給』について(続)2005年11月4日
 
 以下は、会計検査院が発表した「平成18年度決算検査報告」中の、文化庁の「芸術創造活動重点支援事業」についての検査報告である。(一部は省略した。)

 本院の指摘に基づき当局において改善の処置を講じた事項
 芸術創造活動重点支援事業等の実施に当たり、公演等の実施前に決定された支援額が実績報告書等の実績額に基づき算定した支援限度額を超過した場合には、精算を行うこととするよう改善させたもの

 会計名及び科目 一般会計 (組織)文化庁 (項)文化振興費
 部局等 文化庁
 事業名 芸術創造活動重点支援事業(平成16年度以前は、芸術団体重点支援事業)、芸術拠点形成事業、国際芸術交流支援事業
 事業の概要 我が国の文化芸術の振興を図るために、文化芸術の各種の創造活動を行う芸術団体等に対して支援を行うもの
 支援額 27億7838万円(平成15年度~17年度)
 実績額に基づき算定した支援限度額を超過する結果となっていた支援額 1億7817万円(平成15年度~17年度)

 1 事業の概要
(1) 芸術創造活動重点支援事業等の概要
 文化庁は、我が国の文化芸術の振興を図るために、平成14年度に「文化芸術創造プラン(新世紀アーツプラン)」を創設し、芸術創造活動重点支援事業(16年度以前は芸術団体重点支援事業)、芸術拠点形成事業、国際芸術交流支援事業(以下、これらを合わせて「芸術創造活動重点支援事業等」という。)等の文化芸術の各種の創造活動を行う芸術団体等が実施する芸術性の高い優れた公演等に対する支援を行っている。
(2) 支援限度額の算定方法
 芸術創造活動重点支援事業実施要項(平成17年文化庁長官決定。以下「実施要項」という。)等において定められている支援の限度とする金額(以下「支援限度額」という。)は、事業ごとに次の算式により算定した金額〔1〕と金額〔2〕のいずれか低い額とされている。
 上記算式の支援対象経費は旅費、舞台費等とされており、比率は1から3分の1と事業ごとで異なっている。また、一部の事業においては入場券販売手数料等の間接的経費についても金額〔1〕の支援対象経費に加えることとなっている。
(3) 支援額の決定方法
 文化庁は、毎年度、支援を希望する芸術団体等に対し、事業の前年度等に、計画書等を提出させ、学識経験者等から構成される協力者会議の審査等を経て、支援する公演等を採択している。その後、文化庁は、公演等の実施前に芸術団体等から、収入及び支出の見積額を記載した見積書等を提出させ、1公演等ごとの支援限度額及びこれに基づく支援額を決定し、支援額に基づき芸術団体等との間で請負契約を締結している。そして、公演等の終了後には特段の精算手続はなく、公演等の実施前に決定された支援額と同額を支払っている。
(4) 実績報告書等の提出
 芸術団体等は、各公演等の終了後、文化庁に対して収入及び支出の実績額を記載した実績報告書等を提出することとなっている。

 2 検査の結果
(検査の観点、着眼点、対象及び方法)
 本院は、文化庁において、同庁が15年度から17年度に芸術団体等との間で締結した172契約に係る支援額27億7838万円について、経済性等の観点から、支援限度額を適切に設定した契約となっているかなどに着眼して会計実地検査を行った。
 そして、検査に当たっては、同庁において、契約書、実績報告書等の書類により検査するとともに、芸術団体等に保管されている領収書等を確認するなどした。
(検査の結果)
 検査したところ、次のような事態が見受けられた。
 支援額が、実績報告書等の実績額に基づき前記の方法で算定した支援限度額(以下「実績支援限度額」という。)を超過する結果となっているものが、60契約において1億7817万余円あった。
 そして、この支援額が実績支援限度額を超過している状況を表で示すと次のとおりである。すなわち、超過率(注)10%以下が29契約(超過額計4076万円)、10%超50%以下が24契約(同8106万円)、50%超が7契約(同5633万円)となっており、支援額に限度額を定めた実施要項等の趣旨に反している状況となっていた。

 超過する結果となっている事例を挙げると、次のとおりである。
 <事例1>
 文化庁は、A団体のB公演に係る平成17年度芸術創造活動重点支援事業の申請に際し、17年4月に提出された計画書等を審査した結果、支援の必要性が認められるとして、採択することに決定した。そして、A団体との請負契約に当たり、同年7月にA団体から提出された見積書等に基づき、2500万円を支援限度額と算定し、この額で契約を締結した。その後、A団体は同月に当該公演を実施し、同年8月に同額の支払を受けていた。
 しかし、実績報告書等の実績額によると、入場料収入等の収入額は1406万円、舞台費等の支援対象経費は5992万円、入場券販売手数料の間接的経費は93万円となっていたことから、金額〔1〕はこれらの経費の合計額6085万円から収入額1406万円を除いた4679万円となる。一方、金額〔2〕は支援対象経費5992万円に3分の1を乗じて得た額である1997万円となり、金額〔1〕を下回ることから、実績支援限度額は1997万円となる。したがって、支援額2500万円はこれを502万円超過(超過率25%)する結果となっていた。
 <事例2>
 文化庁は、C財団法人のD公演に係る平成16年度芸術拠点形成事業の申請に際し、16年1月に提出された計画書等を審査した結果、支援の必要性が認められるとして、採択することに決定した。そして、C財団法人との請負契約に当たり、同年6月にC財団法人から提出された見積書等に基づき、2679万円を支援限度額と算定し、この額を基に2600万円で契約を締結した。その後、C財団法人は同年7月に当該公演を実施し、翌年4月に同額の支払を受けていた。
 しかし、実績報告書等の実績額によると、入場料収入等の収入額は5859万円、出演費等の支援対象経費は7071万円となっていたことから、金額〔2〕は支援対象経費7071万円に3分の1を乗じて得た額である2357万円となる。一方、金額〔1〕は支援対象経費7071万円から収入額5859万円を除いた1212万円となり、金額〔2〕を下回ることから、実績支援限度額は1212万円となる。したがって、支援額2600万円はこれを1387万円超過(超過率114%)する結果となっていた。

 このように、文化庁において、芸術団体等の支援に当たり、支援額が実績支援限度額を超過する結果となっているにもかかわらず精算が行われていない事態は、支援額に限度額を定めた実施要項等の趣旨に反していて適切とは認められず、改善の必要があると認められた。
 (発生原因)
 このような事態が生じていたのは、文化庁において、次のことがあるにもかかわらず、支援額が実績支援限度額を超過した場合の措置等についての検討が十分でなかったことによると認められる。
ア 公演等の実施前の見積額が大きく変動し、各事業の契約締結時の支援限度額が実績支援限度額を超過することは十分予測されること
イ 実績報告書等を活用して、支援額が実績支援限度額を超過していたことの把握ができること

 3 当局が講じた改善の処置
 上記についての本院の指摘に基づき、文化庁では、19年度以降の芸術創造活動重点支援事業等については、芸術団体等と請負契約を締結する際に使用する契約書に精算条項を加え、公演等の実施前に決定された支援額が実績支援限度額を超過した場合には、精算を行うこととする処置を講じた。

2009年11月21日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十三)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(7)

 政府は芸術を支援したがっている
 前章で提起された政府の芸術への関与に対するレントシーキング(特権的な権利要求)からの説明と、本章で提示された政府の関心からの説明の間には、どのような関係があるだろうか? 両方とも政府の利害に端を発しているが、しかし、前者は政府の外部の集団が利益を求めて政府にかける圧力を強調するのに対して。後者は政府の権力と政府の関心を強調する。これらのアプローチは「贈与―義務」の連続体の両極にあるが、それにもかかわらず、これらは相互補完的でもある。互いの利害が絡み合っているのである。
 第二次大戦後、芸術は政府のドアを叩き、のちにビジネス界のドアも叩いたが、政府とビジネス界もまた芸術を追い求めた。芸術は資金的に悲惨な状況から逃れるために政府を必要とした。このひどい状況は、アーティストの供給過剰と芸術の低い生産性のために起こった。一方で政府は、先に述べたように、国民の結束を促進するとともに、他国との競争における文化戦略として利用するために芸術を必要とした。 
 芸術が助成を必要とし、政府が助成を提供しようとした事実からすれば、芸術界から相当なレントシーキングがあったと予想されるだろう。しかし、第9章で分析したように、芸術界はけっして政府に効果的な圧力をかけることができるほど組織化されたことはなかった。本格的に組織化されたレントシーキングは発達しなかったのである。
 芸術の自由という基本的な考え方に反するために、芸術界は影響力を持った組織をつくることはなかった。さらに、新たに見い出された自律性を失うことを恐れたために、芸術界は高圧的な政府の関与に抵抗してきた。特にアメリカでは、政府の関与への不信が強く残っている。ビジネス界の芸術への関与に対する恐れは、アメリカではあまり主張されなくなってきた。ヨーロッパでは正反対である。ヨーロッパではビジネスへの恐れが最初に起こったために、芸術界は代わりに政府の関与に同意した。そして、わずか数十年後に、ビジネス界は芸術のパートナーとして受け入れられるようになり、その反対にビジネス界も芸術を受け入れるようになった。
 ほとんどの国では、芸術への一人当たりの政府の支出は、インフレを補正しても、第二次大戦後から一九八〇年頃まで着実に上昇した。一九八〇年以降、ほとんどのヨーロッパの国々における芸術への支出は、多かれ少なかれ安定している(イギリスのような国では、八〇年代に支出がやや削減されたが、九〇年代に再び補正された)。政府は芸術から手を引こうとしているという芸術界に広まっている考えとは反対に、一人当たりの支出が削減されたことはなく、近い将来に芸術への支出が減るというまことしやかな徴候もない。したがって、他の分野との違いがあるとすれば、芸術への支出は組織化された外的圧力に呼応していない、ということであろう。すなわち、政府の関心が大きく関与しているようなのである。 
(「第10章 芸術は政府に奉仕する」より) 

 助成が増減した場合の未来のシナリオ
 西ヨーロッパの主要国には助成金が少ない状況を好む人がいるが、これは必ずしもアメリカの芸術界をヨーロッパの芸術界の鏡にしようとしているという意味ではない。芸術を支援する長い歴史のあるヨーロッパでは、ここでの議論のように芸術界は強みと弱みを持っているが、どちらも簡単に変えられるものではない。それにもかかわらず、西ヨーロッパ主要国の芸術界はその強みを維持するために政府の助成に固執するが、政府は徐々に芸術への助成と関与を減らし始めるか、あるいは少なくとも、これ以上助成を増やすことはないと私は考えている。
 しかしながら、現在のヨーロッパでは、その反対のことが起こっている。一九八〇年代から一九九〇年代初頭の景気後退以降、各政府は再び芸術への関与を増やし始めているのである。また、例えばポップ・ミュージックや他の新しい芸術形式などを含め、助成する芸術のタイプを広げようともしている。いまのところ予算は少なく、基本的に象徴的な機能しか果たしていないように見えるが、しかし、いったんこのような助成を始めると、広まる傾向がある。この傾向が続くと、エスタブリッシュされた芸術と新しい芸術との間の象徴的な競争はより公平なものになっていく。しかしながら、それと同時に、助成はポップ・ミュージックをはじめ、国際的な舞台で競争している他の新しい芸術の革新に害を与えるだろうと私は考えている。さらに、私は最終的に悪夢のようなシナリオを心に描いている。それは、すべての芸術における試みが政府の支援に依存し、そのために、助成を受ける者と受けない者との間の線引きを行なう官僚主義的な委員会を志向するようになる、というシナリオである。しかしながら、このシナリオが完全に展開するか否かは疑わしい。結局、芸術への政府の関与の存在理由は選択した芸術の神聖化にあるのであって、すべての芸術をひとつの官僚主義的な権力のもとに服従させることによって等価にしようとするものではないからである。
 政府は人々の願いとは関係なく、芸術への関与のレベルを引き下げることによって、その無慈悲な経済を緩和することに貢献しようとしているのではない。したがって、芸術の例外的経済はけっして永遠のものではないけれども、しばらくの間、多くの者が芸術の高いステータスに高額な対価を払い続けることになるだろう。そして、アーティストは自分を犠牲にし続け、芸術という祭壇で生け贄となりながら、無慈悲な経済の矢面に立ち続けるだろう。
(「第12章 結論―残酷な経済」より)

『金と芸術―なぜアーティストは貧乏なのか?―』ハンス・アビング著 山本和弘訳 2007年 grambooks刊

2009年11月20日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十二)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(6)

 芸術はコスト病に襲われる
 (略)芸術における労働を節約する方法はなく、労働生産性は向上しないように思われる。さらに、アーティストの収入は他のセクターのように劇的に上昇することがなく、現在のところ相対的に低いが、それでもアーティストの収入はかなり上昇した。そのため、助成による支援もマーケットでの収入もない状態では、芸術という生産品は他の消費財との関係を見ると、非常に高価なものであらざるを得ない。コストの上昇によって、芸術は次第に競争力をなくしてしまい、助成金や寄付がなければ生き残れなくなってしまったのである。(略)ボーモルとボーエンの二人の経済学者は、この現象をコスト病と呼んでいる。癌のように広がり感染の恐れがあるために、それは病なのである。
 
 助成金と寄付がコスト病を悪化させる
 芸術への助成金の擁護者は、政府が芸術への助成をやめると何が起こるか、という誇張した問題を提起しがちである。このような問題へのお決まりの答えは、芸術が消えていってしまう、というものである。思慮深い人間で、こうなることを願う者などいないだろう。したがって、政府は芸術を助成しなければならない。当然のことながら、ここでの芸術とはハイ・アートのことであり、とりわけ伝統的な舞台芸術のことである。
 絶滅することを恐れたために、第二次大戦直後、伝統的な舞台芸術に対する大規模な助成が行なわれ始めた。上昇するコストが助成を不可避なものとしたのは明らかである。コスト病が助成を正当化することはないが、それは社会正義の議論と同じく、芸術への助成についての恩情主義的な議論や公平の議論を強化する。コスト病によって収入の苦境に立たされているアーティストは援助を必要としている、とその議論は主張するのである。このことは、上昇するコストは芸術における贈与の価値が大きい理由を部分的に説明するということを暗示している。
 上昇するコストが低い収入をもたらし、芸術が内包している特別な価値を脅かす。このような理由で政治家が芸術を助成するとしても、助成がコスト病を治療するという論理が正しい、というわけではない。寄付や助成金はコスト病を治療するものではなく、実際にはそれを悪化させるものである、という議論がなされるべきだろう。
 助成金と寄付による必然的な影響は、マーケットへの志向が政府や寄贈者への志向へと部分的に置き換えられてしまう、ということである。コスト削減はマーケットでの成功に直接的な影響を及ぼす一方で、コスト削減が政府の委員会や資金供給機関に対して影響を及ぼすことなどほとんど、いや、まったくない。コスト削減の代わりに、「質」―政府や資金供給機関が定義する意味で―を向上させることの方が、助成金や寄付を確実に得るためにはより重要なのである。先にも述べたように、より多くの初演を催すことによって、オランダの劇団は成功しているという印象を政府の委員に与える。したがって、助成金と寄付はコストに対する軽率な態度へと導き、新しいフォーマットや作品の開発をさらに遅らせてしまう。
 マーケットの代わりに政府を志向する態度は、総収入に占める助成金の比率が特に高い場合に極めて強くなる。この場合、政府を志向することは、単純に生き残りの問題なのである。もし、政府の助成が突然ストップすれば、アーティストを諦める以外の道はほとんどない。このように、助成金が上昇するコストを相殺するのは、その作品を政府の委員に面白いと思わせる場合だけなので、すべての注目が「質」へと向けられるものである。したがって、上昇するコストを相殺するために新たな戦略を採り入れたり、新たな作品を展開する活力はほとんどない。
 この点において、寄付や助成金という形態でなされる資金援助の信号効果を見逃してはならない。この信号効果が、芸術作品の質はマーケットの影響を受けることなどなくつねに美的省察にのみ基づいている、という芸術界の頑固な考え方を強めている。「芸術は神聖であり、コストの影響を受けてはならない」ために援助が必要であり、与えられるのである。実際には、資金援助はコストを無視する免罪符であり得る。
 したがって、より少ない援助で生き残らなければならないとするシナリオこそが、コストを削減しようという革新意欲を刺激し、最終的に新たな観客にアピールする作品を開発するエネルギーをもたらすのである。
(「第7章 コスト病 芸術のコストが上昇するために助成が必要なのだろうか?」より)

 まとめ 
芸術への助成は一般の利益に奉仕し、芸術の特別の価値、芸術における平等性、共同財、外部効果にかかわっているという議論はたいてい間違っている。この点では、長い目で見れば助成は不要であり、効果のないものであり、逆効果である。助成は共同財と外部効果という点では不必要である。価値財という点においても、アーティストの収入に関して逆効果である点においても、助成は非効果的である。さらに、助成は不平等な競争をもたらすので、市場の失敗を是正する代わりに実際には市場の失敗を引き起こす。
 それにもかかわらず、一般の利益のためという議論は、芸術への助成を促進する公的議論において様々な形で効果的に用いられてきた。例えば、第二次大戦後、舞台芸術のコストが急激に上がり始めたとき、政治家はアーティストの収入を心配し、低収入の人々の鑑賞機会に及ぼす影響を憂慮した。さらに、芸術を通じて人々を教育するという強い願望もつねにあった。そして、共同財や外部効果を十分に生み出せるように芸術への助成が要求された。芸術の神話のために、助成の効果はほとんどチェックされず、誤った議論が芸術政策に影響を与え続けているのである。
(「第9章 政府は芸術に奉仕する 芸術への助成は公共の利益に奉仕するのだろうか、あるいは特定の集団の利益に奉仕するのだろうか?」より)

『金と芸術―なぜアーティストは貧乏なのか?―』ハンス・アビング著 山本和弘訳 2007年 grambooks刊

2009年11月19日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十一)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(5) 

 <サン=デグジュペリは一九三八年に、ブルジョワ第三共和制に対して、無関心と怠慢によって小さな子供のモーツァルトを殺していると非難している。この非難は、文化国家という建造物がその上に建てられている要石のひとつである。いまやさまざまの芸術に適した設備の数は増えている。だが、フランスの文化的エンジニアリングのラインから出てくるはずの、モーツァルト、ランボー、ゴッホはどこにいるのだろうか。フランスには数多くの劇場があり演出家がいるが、劇作家はどこにいるのか。わが国の演劇の名を高からしめた最後の劇作家たちは、演劇の地方分散の飛躍に先立って、セーヌ左岸の民間の小劇場によって知られるようになった人びと、イオネスコ、ベケット、デュビヤール……といった作家である。博物館の数は以前より増え、よりよく経営され、訪れる人も多く、きわめて立派な展覧会を惜しみなく開催しているが、パリに絵画の首都としての“品格”を与えられるような画家はどこにいるのだろうか。パリは、ローマ賞コンクールの参加者がまだコンクール用の個室アトリエにいたとき、そういうことは考えずして格を保持していたし、ブラック、ピカソといった“洗濯船”の借り手を支援するものといえば、一握りの熱烈な友人だけだった。われわれはまっさらの公共建造物を持っており、その数は増えるいっぽうだが、そのうち、傑作の名に値するものはどれだろうか。これらの建造物のひとつを作ったことで国際的な名声を確立したフランスの建築家がいるだろうか。三〇年来その機構と予算が増えるいっぽうのこの組織は、戦前に支配的であり、天才とはいわないまでも才能が輩出していた家内工業的で平凡な制度に比べて実り少ないのではないだろうか。不均衡はあまりにも明白であるため、そんなものはなかったというわけにはいかない。私は喜んで認めるが、量的な公共サービスとそれが助長は出来ても、その支配者ではない創意の質の間には比較の余地はない。フランスの文化政策を支配しているのがこうした基本的な慎み深さの原則でないことは確かである。
 偉大な才能と天才が存在しないとしても、少なくとも品のよい好み、仕事についての公式の基準があって、これが文化機構の製作物における標準と範例となるのならまだしもよい。ところがそこでは、即興、性急さ、アマチュアリズム、浪費が増大するいっぽうであり、入念に仕上げられた仕事が例外だというのは、上述の現象を確認するものだ。文化国家は競争を念頭におくどころか、逆に市場に競争をもたらすことを懸念しており、文化国家の定義上からして節度、慎重さ、手段の節約つまりはスタイルをなおざりにしているが、このスタイルこそ、これまで誠実にフランス的であるものについての揺らぐことのない名声をなしてきたのである。詩人の免許は自分だけが与えうるものとし、それが触れるものを不毛にしてしまうという特性を持つ文化国家の悪弊は、やたらに装飾過剰で贅沢な演出のようにわれわれをおどろかせる。そうした演出は俳優と、それが仕えていると称する劇作品を押しつぶしてしまっているのである。
 ポール・ヴァレリーは好んで“精神の政治学”について語った。それがどのような国であろうと、国家にこうした政治学を持てと要求するのは難しいし危険である。かりにフランスにおける国家がどうしても文化政策を持たざるをえないというのであれば、そうした政策と精神の政治学との間に横たわる距離を絶えず想起することだ。文化政策が精神の政治学の代わりをしているようなふりをすることはできない。文化国家は、その傲岸かつ酔いしれた文化的抱負をありのままに写し出す鏡を鼻先にあえてつきつけないかぎり、自己の権力の守るべき節度、さまざまな次元の区別、国家があまりにも長い間公衆と混同してきた民衆の心の底からの願いに払うべき注意を再び学びとることはできないだろう。文化国家はこうした抱負をあまりにも長い間国旗の聖なるひだの中に自ら覆い隠してきたのである。>

 <フランスの記念建造物は白く洗われ、修復され、博物館は数を増し、内容も豊かになった。劇場の数も増え、地下鉄の通路には演奏が響きわたり、壁には祭典に次ぐ祭典、記念祭に次ぐ記念祭のポスターが貼られている。パリは数多くの文化の家で溢れ返っているが、フランスの教育機関は“破産に瀕”しており、、国際的な信用は低下している。その推進者の想像の産物なら別だが、このすばらしい文化はフランス精神の代わりにはなっていない。“フランスの順位”は世界一の観光大国の順位になりつつあり、パリはその知性と趣味という資本があるにもかかわらず、レジャー・センターになり果てようとしている。圧倒的な外観の下で、“世界の頭”のこれほど細密な首の縮小化を想像するのはむずかしい。(略)ジャック・ラングは、マルロー、ポンピドゥという二人の創始者の“文化”戦略を硬化させ、組織化するのに専念した。かれはそこに“商業化”という燃料を注ぐことにより、“民主化”と“創造の奨励”というエンジンを過熱させてしまった。だがこの活動の激化はまたしても国防の名において行なわれ、かれの発言はさらなる懸念をもって内政に関わる考慮に結びつけられた。ゴーリスムは傷つけられた偉大さの埋め合わせを求めていた。社会主義も破産したイデオロギーの埋め合わせを求め、最後のカード、文化に賭けていた。外国の演出家に宛てられた招待、ラップやロックに与えられた政府の特別な行為は、フランスの国内における心地よい収縮と愚行の宣伝の言い訳として役立った。愚行とは、すべての文化は等価値であり、すべてが文化的であり、文化と経済は同じ闘争をしている、抱き合おう、気違い都市(ヴォードヴィルのルフラン、[酔いしれようではないか、そうすればすべてがうまくいく]の意に用いられる)よ、というわけである。地平線上に浮かぶのはレジャー・ランドと化したフランスの姿であり、そこでは歴史と遺産は広告用として大衆観光の役に立つだろうということである。  
 このような精神の政治の腐敗は、フランスの学問がこれに自らの分析と皮肉を対置させていれば、ありえなかっただろう。考えてもみよう。ジイドの『日記』、ヴァレリーの『カイエ』、ティボーデの精彩に満ちた論争を、文化の家の叙事詩に向けてみる、あるいはガヴローシュとはいわないまでもカインの目を開いて、誌の家、作家の家、超大図書館、読書の祭典その他文化国家が気前のよさを発揮したものを見たとすればどうだろう。だが既成事実を何よりも崇める社会科学、“西欧形而上学の終わり”を説く哲学は、こうした勝手気ままな楽しみを近代個人主義の進歩の中に入れてこれを正当なものとして承認するか、さもなければあっさり認めてしまったのである。
 ヨーロッパにとって文化国家のフランス型のモデルを取り入れることにもまして重大な過ちはないだろうし、フランスにとってこれ以上嘆かわしい過ちもないだろう。しかしながら、政治・行政上の寡頭支配体制にとってこれほど安易な坂道もない。モーツァルト二〇〇年祭、討論つきの盛式ミサ、“活力化”などは“創造”を目指して遮二無二突っ走る官僚が進む道であり、生活習慣、物事の処し方、人びとの考え方の権威主義的な操作である。フランスの例にならってこのように共同体から漂流してしまうことは、これまで共同体を導いてきたリベラルな政治哲学の終わりを意味するだろう。ナポレオン、ビスマルクによる悲劇を味わったのちに、再びメッテルニッヒの国際協調路線に復帰した一二か国からなるヨーロッパ共同体は、“現実政治”ではなく会談と交渉、自尊心の尊重と外交にその基礎を置いている。制限された権限は、已むを得ない手段であるどころか、共同体を構成しており、国家の上に権利を置くというよりは、国民、歴史的な判例とさまざまな精神的家族の間の会話の上に国家を置くことを考えるべき国のすべてにとって範例となるべきであろう。形成の途上にあるリベラルなヨーロッパとフランスの文化国家の間の矛盾は、文化国家を共同体のモデルに昇格させるというよりは謙虚さに従わせることによって解決させるべきである。“文化のヨーロッパ”を望むのではなく、甲殻を打ち砕き、フランス精神に自分を取り戻させるヨーロッパのために努力をしようではないか。>

『文化国家―近代の宗教―』マルク・フュマロリ著 天野恒雄訳 1993年 みすず書房刊

2009年11月18日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(4)

 文部科学省の今年度補正予算、来年度予算要求に関連した動きを、朝日新聞の記事から拾ってみた。
 
「川端文科相、改革への姿勢語る」
 政権交代後、文部科学行政は急ピッチで見直しが進んでいる。シルバーウイーク中も、補正予算の削減のために官僚のヒアリングを続けた川端達夫文科相。朝日新聞のインタビューに応じ、改めて改革に取り組む姿勢を語った。
 川端氏の大臣就任は16日。副大臣や政務官が決まった18日は、深夜にさっそく補正予算の見直しを事務当局に指示した。
「(そのとき)こう言ってある。無駄や効率の悪いことをやめる精神は分かっているはずだ。私たちだけでなく、あなたたちも死にものぐるいでやる責務がある。『よくぞここまでやった』という答えを期待する。出てきたけど我々の目でチェックしたら(無駄が)いっぱい出てきたら許されないぞ、と」(2009年9月28日)

「事業仕分け初日 衆人の前「廃止」連発」
 鳩山政権の浮沈をかけた行政刷新会議の「事業仕分け」が始まった。仕分け人となった民主党議員や民間有識者は、作業が公開されていることを意識して、各省庁の「聖域」に踏み込み、「廃止」「見直し」を連発した。役所側は「あまりに荒っぽい」と反発。制度上のカベもあり、年末の予算編成に向けた課題は多い。
 (略)役所は民主党マニフェスト(政権公約)を、抵抗のよりどころにした。
 演劇の実演を体験してもらう「コミュニケーション教育拠点形成事業」(1億2450万円)で、文部科学省は、内閣官房参与に起用された劇作家平田オリザ氏が川端達夫文科相あてに出した手紙を持ち出した。
 担当職員が「民主党が野党時代から勉強を重ね、マニフェストへの記載が実現した教育の最重点政策」とのくだりを引用。だが蓮舫参院議員は「民主党が(やれと言って)始めたものではありません」と、にべなく否定。「国の事業としての必要性は感じられない」と結論づけた。(2009年11月12日)

文科相、「トキワ荘」へ支援約束?「お金でなく、心」
「無駄な公共事業」と批判された国立メディア芸術総合センターの建設を中止した川端達夫文科相が14日、東京都内で開催中の「トキワ荘展」を見学した。
 都内にあったトキワ荘には手塚治虫や赤塚不二夫らが住んだ。「漫画を読むと頭が悪くなると言われた時代に育った」という文科相は、原画や当時の漫画本を見た。
 文科相はトキワ荘を生かした街おこしをする住民らに支援を約束。だが、事業仕分けで文化予算にも大なたがふるわれる中、「お金ではない。一番大事なのは心」。(2009年11月15日)

「文科省、国民の声募集」
 国民のみなさん、この結果をどう思いますか――。文部科学省が16日から、事業仕分けの結果を同省ホームページに掲載し、意見募集を始めた。文科省の事業に「廃止」や「予算縮減」など厳しい仕分け結果が出ているが、「結果に疑問を持つ国民の声が集まれば」と期待する同省幹部もおり、予算折衝の反撃材料にしたい思惑も透ける。
 意見は予算編成大詰めの12月15日までメールで募る。川端達夫文部科学相は17日の記者会見で「国民がどう思うかも大事な要素」と述べた。(2009年11月17日)

2009年11月17日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(九)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(3)
《評価者コメント、評決結果、とりまとめコメント》
 11日に行われた事業仕分けのうち、文部科学省、文化庁の芸術文化関連の事業と、その評価者(仕分け人)コメント、評価結果、とりまとめ人(蓮舫参議院議員、田嶋要衆議院議員)コメントは以下の通りである。


a芸術文化の振興事業 独立行政法人日本芸術文化振興会関係 2財団への業務委託
b芸術文化振興基金    
c芸術創造・地域文化振興事業 
d子どものための優れた舞台芸術事業

≪評価者コメント≫
▼芸術・文化に国がどう税を投資するか明確な説明がなされない。縮減やむなし。
▼文化の振興という数値では図れない事業の必要性は否定しないが、効果説明が不足でばらまきの批判をおさえられるものではない。
▼寄付が伸びるような文化政策の動機付けが見えない。いかに芸術文化といえども数百億円の国費を投入する以上、いつの時点で投入額をゼロにできるのか、見通しを示せなければ厳しい評価をせざるを得ない。
▼寄付を集める仕組み作りの努力が不足している。国が補助するというのは知識不足。そもそも文化振興は国の責務か、民間中心で行うか、議論が必要。
▼寄付を増やすような政策体系を考えるべき。
▽国が行う事業と独法を経由する事業を、「地方に仕分ける事業」と「国が行う事業」とにまず仕分け、効果がどれくらい見込まれるかという試算の基に縮減すべき。2つの運営財団は廃止して独法に戻す。
▽独法と財団の関係は、管理部門のコストを減らすため、財団を統合するか、独法直営で実施すべき。
▽基金(政府分)は廃止。
▽両財団への業務委託をする意味がわからない。
▽新国立劇場とおきなわ国立劇場の契約は見直し。
▽新国立劇場運営財団は廃止。
▽芸術創造・地域文化振興事業は廃止。他は合理化すべき。
▽国が子どものためだけに事業をすることは必然性に欠ける。中心は地域での取り組み。
▽地域の芸術拠点形成、子どものための優れた舞台芸術体験事業は自治体で実施すべき。マッチングは文化庁か民間でも可。
▽子どものための優れた舞台芸術体験事業は廃止。
▽芸術創造・地域文化振興事業と子どものための優れた舞台芸術体験事業は地方へ。
▽すべて地方へ集中。
≪評決:予算要求の(圧倒的な) 縮減≫
 <評価の内訳:自治体/民間3名 予算要求縮減9名(a半額縮減4名 b1/3 程度縮減4名cその他1 名)>              
≪とりまとめコメント≫
独立行政法人・日本芸術文化振興会関係<(財)新国立劇場運営財団、(財)おきなわ運営財団[日本芸術文化振興会からの業務委託])、芸術創造・地域文化振興事業、子どものための優れた舞台芸術体験事業、芸術文化振興基金事業)については、圧倒的に予算を縮減したいというのが、私たちのチームのまとめである。


e芸術家の国際交流事業
f世界にはばたく新進芸術家等の人材育成

≪評価者コメント≫ 
▽成果を具体的に評価すべき。
▽成果の評価法を改善するまで削減すべき。
▽芸術は自己責任。日本独自の洗練された文化レベル・芸術性が通用するのであれば、しっかりしたマーケティングで興行可能。
▽効果についてのフォローアップをして検証する必要あり。制度の不備。
▽新進芸術家の海外研修で毎年150 人以上派遣採択は多すぎる。
▽フォローアップ(検証)がなされていないなど税金投入の説明が不足している。縮減やむなし。
▽これまで投じてきた税金に対する成果をまったく文化庁が把握していないことの責任は重い。
▽フォローアップを定期的に行い、効果の検証をまず行うべき。
▽人材育成は不要。各コンテストの副賞等で有望な人材は留学している。交流事業については、外務省と重複しており、国全体としては縮減すべき。
▽事業対象者のフォローの仕組みと評価の仕組みを構築してから今一度実行。事業自体は重要と考える。運賃コストの見直しも必要。
▽分止まりを含め、何を目標とすべきか。フレームワークそのものを先に作るべき。ゴール設定がメジャーメント可能でないので評価できない。ただし、芸術家支援そのものはしっかりやるべき。
≪評決:予算要求の縮減≫<評価の内訳: 予算要求通り1名  廃止2名  予算計上見送り1名 予算要求縮減8名(a半額6名 b1/3 程度縮減2名) >
≪とりまとめコメント≫
「芸術家の国際交流」については、予算額を半額としたのが6人、予算額を1/3縮減としたのが2人であるので、予算額の縮減をWG の結論とする。


g伝統文化こども教室事業
≪評価者コメント≫
▽本来の事業目的からずれている。いまさら必要ない。
▽目的・やり方を抜本的に見直す。関係団体のお手盛り事業になっているのでは。
▽不採択率1~3%では、財団を迂回して金を出す理由とはならない。文化庁が直接事業を実施すべきである。
▽収入のほぼすべてを占めている財団法人に委託する必要性がまったく感じられない。
▽伝統文化を子どもに体験・習得させることが目的なのか、団体の存続が目的となっていないか。
▽一度廃止して考え直すべき。こういう議論になってしまうことは国民にとって悲しいことである。
▽本来、地方の仕事(文化庁というより都道府県で。)。財団も不要。
▽伝統文化は地方が良く知っている。国がやる必要はない。
▽自治体が行うべきこと。
▽現実的には地域の教育委員会がサポートしているので、地方に任せればよい。
≪評決:国の事業として行わない≫
<評価の内訳:自治体/民間5名 廃止4名 予算計上見送り1名  予算要求縮減:半額2名)>
≪とりまとめコメント≫
「伝統文化子ども教室事業」については、5人の評価者が自治体・民間と評価し、4 人の評価者が廃止と評価したので、国の事業として行わないことをWG の結論とする。


h学校への芸術家派遣事業
iコミュニケーション教育拠点形成事業

≪評価者コメント≫
▽特に予算をかける事業ではない。すでにどこでも行われている演劇活動などを、より頻度を上げて定例化する。
▽平成14 年度から実施した「学校への芸術家派遣事業」の検証がなされていない。新たな事業展開は検証をした後に実施すればよい。
▽リーダー(校長)の人間力、包容力、リーダーシップが重要。
▽自治体、各学校の取り組みに任せるべき。
▽この方法では、あまり必要性は考えられない。
▽モデル事業で行うものではなく、各学校で取り組むための補助策を計画性を持って行うべき。全面見直しが必要。
▽どうしてもやりたければ、財源委譲。
▽成果の達成目標として、どういう評価になったらやめるのかという視点が確立されてから予算化すればよい。現在の成果目標では終わりが見えないので、スタートさせるべきではない。
▽コミュニケーション教育拠点形成事業は、評価法をあらかじめ確立してからスタートすべき。推進会議等の仕組みは無駄。
≪評決:国の事業として行わない≫
<評価の内訳:自治体/民間3名 廃止5名 予算計上見送り3名 予算要求縮減:1/3 程度縮減1名>            
≪とりまとめコメント≫
「学校への芸術家派遣」「コミュニケーション教育拠点形成事業」については、5人が廃止と評価し、3 人が自治体・民間と評価したので、国の事業として行わないことをWG の結論とする。

2009年11月16日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(八)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(2)

 11日に行われた事業仕分けのうち、文部科学省、文化庁の芸術文化関連の事業と、その概算要求額は以下の通りである。
 (文部科学省及び文化庁の「平成22年度概算要求の概要」、独立行政法人日本芸術文化振興会の「平成21年度予算」、事業仕分け当日に配布・発表された資料集にある文部科学省と文化庁が作成した「施策・事業シート(概要説明書)」を参照した。)

a芸術文化の振興事業 (財)新国立劇場運営運営財団委託費   48億23百万円
                (財)おきなわ運営財団委託費          6億85百万円

b芸術文化振興基金  運用益による基金助成事業費(21年度)   14億35百万円  

c芸術創造・地域文化振興事業 優れた芸術活動への重点的支援 55億17百万円
                     地域の芸術拠点形成事業       11億45百万円

d子どものための優れた舞台芸術事業                   49億75百万円

e芸術家の国際交流事業  芸術による国際交流活動への支援   15億48百万円

f世界にはばたく新進芸術家等の人材育成  海外研修         6億55百万円
                            育成公演              87百万円
                  芸術団体人材育成支援           9億21百万円
                         
g伝統文化こども教室事業                          18億20百万円

h学校への芸術家派遣事業                          3億02百万円

iコミュニケーション教育拠点形成事業                    1億24百万円  


 文化庁の平成22年度概算要求の総額は1,040億03百万円である。
 今回の事業仕分けの対象になった上記事業(bとiを除く)の概算要求額の合計は214億78百万円であり、文化庁概算要求額の2割強。文化庁予算中で大きな比重を占める文化財保護、美術振興については今回の事業仕分けの対象にはならなかった。
 ちなみに、これらの事業を行っている
独立行政法人国立文化財機構への運営交付金、施設整備費の合計は112億97百万円、
独立行政法人国立美術館への運営交付金、設備整備費の合計は135億1千万円。
 独立行政法人日本芸術文化振興会への運営費交付金は、新国立劇場運営財団とおきなわ運営財団への事業委託費を含め総額117億85百万円。
 従って文部科学省、文化庁の幹部職員が退職後に、あたかも指定席のようにして理事、監事、館長などに就く文化関係の独立行政法人3カ所への支出額の総計は365億92百万円であり、他の科目の支出なども含めると文化庁予算の4割近い規模になるだろう。
 前述のように文化庁の概算要求の中でも大きな比重を占める3独立行政法人(日本芸術文化振興会の運営交付金中、新国立劇場とおきなわの2劇場への業務委託については除く)の事業とその概算要求額については、「独立行政法人の全廃」を政権公約にした民主党としては、せめて一つくらいは実施しても良かったのではないか。このことについては、改めて書くつもりである。

 次は当日配布された資料集にある、この事業仕分けのために財務省主計局が作成した「事業予算についての論点等説明シート」から抄録する。

≪財務省主計局主計官による論点整理≫
<a芸術文化の振興事業(新国立劇場運営運営財団、おきなわ運営財団委託費)>
 ◎事業の効率性 
 独立行政法人日本芸術文化振興会が所有する他の劇場については、振興会が直轄で管理運営している。他方、当該2劇場については公益法人に管理委託しているが、妥当か。

<b芸術文化振興基金>  
<c芸術創造・地域文化振興事業(優れた芸術活動への重点的支援、地域の芸術拠点形成事業)>
<d子どものための優れた舞台芸術事業>
 ◎事業の効率性
 当該3事業から直接的又は間接的に公演団体への助成が行われており、重複があるのではないか。整理のうえ縮減を図るべきではないか。
 芸術創造・地域文化振興事業    →芸術水準の高い公演団体への支援
 子どものための優れた舞台芸術事業 →優れた舞台芸術等の鑑賞機会の提供を支援
 芸術文化振興基金         →公演団体への助成メニューあり
 ◎事業の妥当性
 チケット代、協賛金などで自主運営できている団体がある一方、毎年助成を受けている団体もあり、本事業が団体の経済的自立に向けた取組みを妨げているのではないか。国費等による助成対象は、国費投入にふさわしいものに絞り込むべきではないか。

<f世界にはばたく新進芸術家等の人材育成 海外研修>
 ◎事業の効率性
 欧米の大学や芸術団体等への留学生(300人余)に対し、旅費と滞在費を助成する事業であるが、国際交流基金の事業と重複しているのではないか。整理のうえ抑制すべきではないか。
 ◎国費投入の妥当性
 留学経費として一人当たり往復約120万円の交通費と年額約350万円の滞在費を支給(総額6億円以上)しているが、過大ではないか。自己研鑽であり受益者負担の原則に立って本人の負担を求めるべきはないか。
 ◎事業の有効性
 本事業により、これまでに累計2700名余が留学している。その後の芸術活動に活かされているのか。帰国後の芸術家への定着率は高いのかといった点について検証し、事業の継続の是非について厳しく評価すべきではないか。

<e芸術家の国際交流事業  芸術による国際交流活動への支援>
 ◎事業の効率性
 芸術団体の海外公演を支援する事業であるが、国際交流基金の事業と重複しているのではないか。整理のうえ抑制すべきではないか。
 年間36団体の海外公演について支援しているが、支援数が過大ではないか。
 ◎国費投入の妥当性
 1公演当たりの助成額が5~6千万円と高額であり、助成対象が現地での公演費に加え、団員の往復航空費や滞在費まで措置する制度となっている。国の支援範囲を絞り込むべきではないか。

<g伝統文化こども教室事業>
 ◎事業の有効性
 本事業は、地域の自主的な取組みの促進を目的とするものであるが、支援案件の中には最長7年に亘って事業実施しているものがある。事業目的に照らし、単年度の支援に限定すべきではないか。
 年間5,000箇所もの事業が採択されている結果、すでに地方で実施されている活動(例えば学校でのお茶やお花の体験活動)への後追いの助成になっているのではないか。 ◎事業の効率性
 本事業は、募集から採択まで一括して(財団法人伝統文化活性化国民協会に)委託で行われているが、妥当か。
 委託費の節減の取組みはなされているか。        

<h学校への芸術家派遣事業>
<iコミュニケーション教育拠点形成事業> 
 ◎事業の必要性
 学校への芸術家派遣事業は平成14年から8年にわたり継続して行われており、今後継続して行う必要性に乏しいのではないか。国は地方の優良事例を集めて周知すれば足りるのではないか。
 コミュニケーション教育拠点形成事業については、演劇の実演体験等を行うこととしているが、学校への芸術家派遣事業と類似しているのではないか。

2009年11月12日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(七)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(1) 

 この≪「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える≫は先の衆議院選挙で民主党が勝利する二カ月前、東国原宮崎県知事が「自分を自民党総裁候補として衆議院選挙を戦う覚悟があるなら、自民党からの出馬要請に応える用意がある」と表明した翌日の6月25日から、自民党が歴史的大敗北を喫した選挙の投票日前日の8月29日まで、6回に亙って書いてきた。
 アーカイブはこちらです。
第一回 自民党政務調査会・無駄遣い撲滅担当チームが向ける新国立劇場への厳しい眼差し(1) 2009年06月25日

第二回 自民党政務調査会・無駄遣い撲滅担当チームが向ける新国立劇場への厳しい眼差し(2) 2009年06月26日

第三回 自民党政務調査会・無駄遣い撲滅担当チームが向ける新国立劇場への厳しい眼差し(3) 2009年07月06日

第四回 <「天下り」全面禁止><公益法人への委託は廃止>を掲げる自民党の「政権公約 2009年08月03日

第五回 <「天下り」全面禁止><独立行政法人の原則廃止><官庁外郭団体の廃止>を掲げる民主党の「政権公約」2009年08月14日 

第六回 「駆け込み天下り」急増と「天下り役人を生贄に」の強硬論について2009年08月29日

 鳩山、小沢両氏の政治資金を巡る醜聞が収まらず、「官僚依存からの脱却」との政権公約が効して政権獲得したはずが、日本郵政の社長と副社長三名、人事院人事官(総裁候補)に事務次官・局長経験のある元官僚を充て、「出身官庁の斡旋でなければ」、「政府が選んだのであれば」天下りではないと言い抜け、官僚依存から始動した民主党政権は樹立二カ月で「麻生自民党政権よりはマシ」などと厳しい声もメディアで聞かれるようになった。「民主党の機関紙」などと他紙誌に揶揄されるほどに民主党への肩入れがあからさまな朝日新聞も、「脱官僚という言葉の欺瞞性は覆うべくもない」などとの外部執筆者の厳しい批判を載せるほどだ。
 そんな折、鳴り物入り、と言うよりも、党代表である鳩山首相抜きで運営されている民主党執行部、とりわけ小沢幹事長の物言いが付いたことで世間に知られることになった行政刷新会議の事業仕分けが始まった。
 次回からは、11日に行われた事業仕分けのうち、文部科学省、文化庁の芸術文化関連の事業について考えていこうと思う。

2009年08月29日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(六)

 「駆け込み天下り」急増と「天下り役人を生贄に」の強硬論について

 読売新聞の8月4日付け朝刊には、「独法天下りラッシュ…民主政権にらみ駆け込み?」として、国土交通省が元次官の峰久幸義氏を独立行政法人・住宅金融支援機構の副理事長に起用。文部科学省は、7月14日付けで退任したばかりの銭谷真美氏が独立行政法人・国立文化財機構の組織の一つである東京国立博物館の館長に就任したこと、認可法人の公立学校共済組合の理事長に、元文部科学審議官で独立行政法人・日本学生支援機構理事の矢野重典氏を充てたと報じた。
 そして、矢野氏については04年7月の退官後、3度目の再就職となること。文部科学省側が、共済組合の地方支部長は各都道府県の教育長が務めていて公共性が高く、『渡り』禁止の例外と考えている、とし、また銭谷氏の人事については、新任の坂田東一次官が、「文科省が間に入ったのではない」とあっせんを否定した、とも伝えている。

 この「駆け込み天下り人事」については、新聞各紙や週刊誌などでも同様に報じられ、またインターネット上でも相当に書かれているようだ。
霞が関にあっては地味な役所と思われる文部科学省の事務方トップの名など世間に広く知られることもなかった。しかし、最近では、元文化庁長官で文部科学大臣も務めた遠山敦子氏が、文部科学省の外郭団体である財団法人新国立劇場運営財団の理事長としての業績、というよりも、その天晴れな女帝然とした強権ぶりで、朝日新聞始め新聞各紙や月刊誌・週刊誌の批判・からかいの対象になるほど注目されるようになった。今回の「駆け込み天下り人事」騒動によって、遠山氏の部下だった銭谷氏は、自ら望んでのことではなかろうが、かつての上司を超える知名度を獲得しそうである。

 『日経BPnet』には経済アナリスト・森永卓郎氏の『厳しい時代に「生き残る」には』が連載されているが、18日には、些か恐ろしいタイトルの文章が載った。題して「天下りを根絶するには、恐怖政治しかない」。またその小見出しには、<天下り役人1人当たり1億円がかかっている><役人にとって天下り先は龍宮城のような世界><はたして鳩山代表にえげつない対策ができるか>とある。
 そこには、「ふざけているのが、これに対する文部科学省の言い分だ。「文科省が間に入ったのではない」とあっせんを否定しているだけでなく、公立学校共済組合の理事長は公共性が高いので、「渡り」禁止の例外だといっているのだ。「公共性が高いから渡りではない」というその理屈は、わたしの頭ではまったく理解ができない。はたして民主党政権になったら、本当に天下りが根絶できるのだろうか。」とあり、民主党のマニフェストには<天下りのあっせんを全面的に禁止します>とあって、中央官庁が斡旋の証拠を隠蔽して「あっせんではありません」と言い張ったら、「民主党政権はどう対処するのか」と問い、結論として、森永氏自身の役人経験からの方策として、「役人を思いどおりに動かしたければ、恐怖による支配しかない」「理念だけで行革を叫んでいても本当の改革はできない。気の毒ではあるが、だれか生贄を出さないことには役人の意識は変わらないのだ。」と結んでいる。
 「敵失」「ばらまき」「ポピュリズム」と、何とも芳しくない形容で譬えられつつ誕生する民主党新政権だが、「恐怖政治」を敷き「生贄」を以って中央官庁の官僚を統御することが出来るのだろうか。

2009年08月14日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(五)

<「天下り」全面禁止><独立行政法人の原則廃止><官庁外郭団体の廃止>を掲げる民主党の「政権公約」 

 民主党は7月27日、衆議院選挙マニフェストを発表した。その冒頭には
政権構想の5原則
 原則1  官僚丸投げの政治から、政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ。
 原則2  政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ。
 原則3  各省の縦割りの省益から、官邸主導の国益へ。
 原則4  タテ型の利権社会から、ヨコ型の絆(きずな)の社会へ。
 原則5  中央集権から、地域主権へ。

を掲げている。
 今回は政策の詳細が書かれている「民主党政策集INDEX2009」から、行政改革について述べているところの引用から始める。

行 政 改 革
霞が関改革・政と官の抜本的な見直し
 与党議員が100人以上、大臣・副大臣・政務官等として政府の中に入り、中央官庁の政策立案・決定を実質的に担うことによって、官僚の独走を防ぎ、政治家が霞が関を主導する体制を確立します。なお、政・官の癒着によって公正であるべき行政が歪められることがないよう、政治家と官僚の接触に関する情報公開など、透明性確保のための制度改善を図ります。また各省設置法のあり方を抜本的に見直し、内閣の意思によって柔軟かつ機動的な省庁再編を可能とするよう改めます。
行政刷新会議の設置による国の事業の見直し
 真に国民のためとなり、ムダのない行政をつくるため、各省庁に対して情報提供を求めることができる強力な権限を持った「行政刷新会議(仮称)」を設置し、自治体関係者や民間有識者の意見を踏まえ、国・自治体・民間の果たすべき役割分担の再構成を含め、集中的に国の事業の見直しを行います。
天下りの根絶
 独立行政法人・公益法人など4504法人に2万5245人もの国家公務員が天下り、天下りを受け入れた団体に対して12兆1334億円(2007年度)もの資金が流れていることが、民主党の要請によって行われた衆議院の予備的調査で判明しました。
 役所のあっせんによる天下りは、官製談合や随意契約など税金のムダづかいの原因になっています。そのため、中央官庁による国家公務員の再就職あっせんを禁止するとともに、天下りの背景となっている早期退職勧奨を廃止します。また国家公務員の定年を段階的に65歳まで延長することによって、年金受給年齢まで働ける環境を整えます。
独立行政法人改革
 独立行政法人等は、国からの補助金や交付金を使って非効率的な事業運営をしていたり、官僚の天下りの受け皿となるなど、さまざまな問題点を抱えています。このため、独立行政法人等は、原則廃止を前提にすべてゼロベースで見直し、民間として存続するものは民営化し、国としてどうしても必要なものは国が直接行います。
 天下りの受け入れの見返りに業務を独占するなど実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人は、制度改革にあたって廃止します。
国が行う契約の適正化
 国が2007年度に行った契約のうち、中央官庁等の幹部OBを天下りとして受け入れている団体に対するものについて、その契約金額の約95%が随意契約によるものであることが判明しました。 
 国が行く契約の適正化を図るため、会計法を改正し、国による随意契約・指名競争入札について、契約の相手方における天下り公務員の在籍状況や随意契約・指名契約入札の理由など厳格な情報公開を義務付けます。
 契約の事後的検証と是正措置を担う「政府調達監視等委員会」を設置します。また、政府に対して勧告権を有する「行政監視・評価院」(日本版GAO)を国会に設置し、税金のムダづかいを厳しく監視します。

 前回のブログでは、自民党の政権公約を、
1)「天下り」や「渡り」は全面的に禁止
2)公益法人への委託は廃止
3)必要不可欠な業務だけ、国、独立行政法人で行う
 と要約し、自民党が政権を維持した場合は、独立行政法人日本芸術文化振興会、財団法人新国立劇場運営財団という舞台芸術を扱う二つの法人は、「4年以内に組織の大きな変更を余儀なくされる」と書いた。
 この民主党の政権公約では、
日本芸術文化振興会は「独立行政法人の原則廃止」の対象であり、
「独立行政法人の事業について、不要な事業や民間で可能な事業は廃止し、国が責任を負うべき事業は国が直接実施することとして、法人のあり方は全廃を含めて抜本的な見直し」となる。
 また、財団法人新国立劇場運営財団は、「天下りの受け入れの見返りに業務を独占するなど実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人は、制度改革にあたって廃止」に該当する。「実質的に霞が関の天下り団体となっている公益法人は原則として廃止する。公益法人との契約関係を全面的に見直す」とあるので、財団法人として存在することもなくなるだろう。
 総合情報誌『FACTA』2009年8月号に掲載されているレポート<遠山敦子が演劇人から嫌われる理由>によれば、財団法人新国立劇場運営財団は、「今後予想される公益法人への移行作業の中で、(騒動の主因となった)芸術監督の任期の見直しなどを図っていく」のだそうだが、はたして「芸術監督の任期」を見直ししている場合だろうか。
 9月からは新しいシーズンを迎える新国立劇場だが、「天下りの受け入れの見返りに業務を独占するなど実質的に各省庁の外郭団体」として、「制度改革にあたって廃止」の対象となるこの財団の運営による「最後のシーズン」となってしまうのだろうか。 


 

2009年08月03日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(四)

<「天下り」全面禁止><公益法人への委託は廃止>を掲げる自民党の「政権公約」 
 
 自民党は7月31日、今月に行われる衆議院議員選挙に向けての政権公約「日本を守る、責任力。」を発表した。
 今回は、その要約版とその政策集「政策BANK」の中から、独立行政法人と公益法人について書かれているところを拾い出し、新国立劇場の存廃について考えてみる。

 まず「政権公約<日本を守る、責任力。>」では
「天下り」や「渡り」は全面的に禁止
信賞必罰の徹底など、評価制度を一新。(略)政策の重複をチェックする「政策棚卸し」や、公益法人・独立行政法人の徹底的なスリム化を進めます。
 
 と謳っている。
 また、「政策BANK」には、
■公益法人の新制度への移行
昨年12月よりスタートした新たな公益法人制度については、移行期間の5年間でスムースに移行できるように引き続ききめ細かな対応を行う。また、公益法人への委託等は廃止することとし、その中で必要不可欠な業務についてのみ、低コスト、高水準を追求しつつ、国または独立行政法人において行うこととする。
 
 とある。
 この自民党の政権公約を要約すると、
1)「天下り」や「渡り」は全面的に禁止
2)公益法人への委託は廃止
3)必要不可欠な業務だけ、国、独立行政法人で行う

 となる。
 なお、この政権公約には、政策の実行手順を図示する「工程表」が付いていないが、文末に「公約達成期限は特に記載が無い限り4年(衆議院議員の任期)」とある。
 したがって、自民党が政権を維持した場合は、独立行政法人日本芸術文化振興会、財団法人新国立劇場運営財団という舞台芸術を扱う二つの法人は、以下のように、4年以内に組織の大きな変更を余儀なくされるということだ。

 まず、1)の「天下り」「渡り」が禁止されれば、現在の日本芸術文化振興会の四名の理事のうちの二名は天下りの元官僚(一人は「文部科学省の「役員出向」の形を取っているが、実質的には「天下り」である。)は辞任することになる。また、「渡り」を繰り返している新国立劇場の遠山敦子理事長と、新任の韮澤弘志常務理事も同様である。
 2)については、現在は日本芸術文化振興会から、疑念と批判が集まる随意契約で業務委託を受けている新国立劇場運営財団だが、「公益法人への委託は禁止」となれば、同劇場の運営のための財団としては、その存続の意義と使命がなくなり、組織を解体することになるだろう。
 3)の「必要不可欠な業務だけ、国、独立行政法人で行う」は、政府が行っている三千近い事業の「政策棚卸し」を自民党が行った上でのことだろうが、果たして、芸術文化振興会の業務が「必要不可欠な」業務と評価されるだろうか。「廃止」や「民間へ移管」などの厳しい判定すら受けることになるのではないか。

 既に報じられているように、自民党だけでなく、民主党も「政策棚卸し」についてはすでに試行している。これは選挙後も、自民党も民主党も(与党であれ野党であれ)だが、中央官庁だけでなく独立行政法人の業務・事業についても恒常的に実施することになるだろう。
 「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」をじっくり時間をかけて考えていくつもりであったが、選挙を目前にして事態は急変している。静かに「新国立劇場」の行く末を案じつつ、演劇の在り方を考えている私のところにも、「新国立劇場はついにアウト」だの、「日本芸術文化振興会は存続できるのか」との声がたびたび届く。この先は、急いで日本芸術文化振興会の存廃まで考える必要があるだろう。
 次回は、「天下りの全面禁止」、「独立行政法人の解体」を以前から主張してきた民主党の「政権公約」について書くつもりだ。
 

2009年07月06日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(三)

自民党政務調査会・無駄遣い撲滅担当チームが向ける新国立劇場への厳しい眼差し(3)  

 6月8日の政策棚卸しに出席した同チームのメンバーである亀井善太郎衆議院議員のホームページには、当日の判定についてのコメントが書かれている。今回はその一部を紹介する。

 そのコラムのタイトルには、「ぜんぶダメ! あまりの深刻さに絶句/文部科学省「天下り法人」政策棚卸し」とあり、

 ―独立行政法人 日本芸術文化振興会、財団法人 新国立劇場運営財団 【両者を統合すべき】
 
 振興会は歌舞伎、文楽、落語などの日本の伝統芸能に関する劇場の保有と運営を担当。
 新国立は振興会からの委託を受けて、オペラ、バレエなどの西洋舞台芸術に関する新国立劇場の運営を担当。
 新国立は、主に、振興会からの交付金によって賄われています。
 二つの組織それぞれに天下りポストがありますが、加えて、新国立の方が天下り報酬は大きい状況(数千万円)にあります。
 二つの組織を分ける意味、さらに、新国立の天下り役員の付加価値については、きちんとした説明は得られませんでした。
 となれば、両者を統合し、天下り役員を無くしてコストを削減したうえで、本来充実すべき芸術分野に資源を集中すべきです。
  
 ―と結論付けている。

 ちなみに、「抜本的な改善が必要」と判定された、独立行政法人日本スポーツ振興センターのナショナルトレーニングセンターについては、

 ―平成18年に220億円の国費で施設整備されましたが、わずか2年でJOC(日本オリンピック委員会)からの施設利用料が半減。
 (不足分は国費、つまり国民の税金による負担増に)
 聞けば、JOC傘下の各スポーツ団体の資金負担力を踏まえれば、半減した水準しか払えないのがわかったとのこと。
 ハナシになりません!! そもそも、二年前でも、この数字はわかったはずです。この程度の数字も検証していないとは・・・。
 文科省官僚のレベルの低さに愕然とします。
 加えて聞けば、併設の宿泊施設の稼働率も55%。どのくらいの需要があるのか、予め見込みを立てて作るのがあたりまえです。
 施設の維持修繕費、光熱水道費についても想定が曖昧です。
 文科省のハコモノは後年度の国民負担をマジメに考えていないことがここでも証明されました。
  
 ―との記載がある。
 
  「人材は、活用しなければなりません。一方的な公務員バッシングが国益にかなっているとは思いません。公務員は使いこなすもの。能力を十分に活用して働いてもらうようにすることが、私の役割」と繰り返し発言する与党・自由民主党総裁である麻生首相には、「文科省官僚のレベルの低さに愕然」とし、「文科省のハコモノは後年度の国民負担をマジメに考えていない」との身内の若手議員の悲痛で厳しい官僚批判は、「一方的な公務員バッシング」に聞こえるのだろうか。

 

2009年06月26日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(二)

自民党政務調査会・無駄遣い撲滅担当チームが向ける新国立劇場への厳しい眼差し(2)  

 6月8日に行われた自民党無駄遣い撲滅PTの「文教・科学技術等分野検討チーム(主査・河野太郎衆議院議員)による文部科学省所管の独立行政法人・公益法人の事業を検討する事業仕分け(政策棚卸し)の結果については、構想日本、河野太郎議員のHPに詳しく出ている。今回はその両方から、「財団法人新国立劇場運営財団を廃止して、独立行政法人日本芸術文化振興会に統合」と判定された、新国立劇場についての評価者コメント、座長コメントを拾うことから始める。

評価者のコメント
●統合もしくは新国立劇場のガバナンスは抜本的に改革すべき。天下り役人は機能的観点からみても不要。
●新国立劇場財団は廃止。メリットはまったく感じられない。
●分社化のメリットがある場合もあるだろうが、この財団についてはメリットの論証がない。間接部門の経費が重複している可能性のほうが大きい。
●経営、管理部門のコストを減らすため統合する。天下りは廃止し、民間に委譲できることはアウトソーシングしていくべき。
●ハコモノありきと取られるような根本の考えそのものがおかしい。。
●独法は企画・管理に特化し、実際の運営はできるだけ民間に委託すべき。
●芸術に接する国民の機会を拡充すべきであるが、運営の委託等、見直す点は多い。それなくして、芸術を語って欲しくない。
●運営財団に委託する理由が希薄。振興会独自に実施できるように体質改善を図るべき。

座長・河野太郎議員の判定
●統合した上で、どの芸術分野にどれだけの投資をしていくのか、またどれだけの役割を担っていくのかを主体的に検討し、運営できる体制をとるべき。
●天下り役人の報酬を支払う為に存在しているかのように、疑問の目を向けられるようなことではいけない。
 
 なお、当日の事業仕分けを担当した自民党議員、自治体職員、研究者と、事業説明役の文部科学省官僚等とのやり取りは、昨25日発売の『週刊文春』7月2日号≪亡国の「文科省」教育予算3兆円を天下り3千人が喰い尽くす≫(若林亜紀氏寄稿)に詳しい。

2009年06月25日

「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(一)

自民党政務調査会・無駄遣い撲滅担当チームが向ける新国立劇場への厳しい眼差し(1) 
 
 昨年6月3日、自由民主党は政務調査会の中に、無駄遣い撲滅プロジェクトチーム(PT)として「公共事業」「社会保障」「エネルギー・農業」「文教・科学技術等」の4分野の検討チームを置き、中央官庁へのヒアリング等を行い、同月30日に「無駄遣い撲滅対策」(第一次緊急とりまとめ)をまとめた。その後、21年度予算編成では、この作業を反映させ、行政経費の削減・簡素化で554億円、公益法人向け支出で3651億円、独立行政法人向け支出では1372億円、特別会計の見直しで1兆2400億円、政策の棚卸し(3年以上継続している事業の見直し)では、一般会計で5500億円、特別会計では、3300億円など、総額では2兆7千億円程度の削減を行ったという。
 この中の、行政経費の削減・簡素化には、昨年6月19日のブログ、『新国立劇場の開館十年を考える』第17回  ≪官僚批判喧しい最中、電通の社外監査役に就任する天下り劇場理事長>でも触れた、官庁職員の深夜タクシー利用(「居酒屋タクシー」)の制限、国土交通省による、劇団ふるさときゃらばん製作のミュージカルの中止なども含まれている。

 さて今回は、独立・非営利の政策シンクタンクである構想日本の協力でこの6月8日に行われた、自民党無駄遣い撲滅PTの「文教・科学技術等分野検討チーム(主査・河野太郎衆議院議員)による文部科学省所管の独立行政法人・公益法人の事業を検討する事業仕分け(政策棚卸し)についてである。外務省、文部科学省、環境省、財務省に対して、昨年4回に分けて行ったこの検討チームによる事業仕分けには立ち会ったが、今回は体調が芳しくなく、構想日本、河野太郎氏等のHP、ブログ、新聞各紙の記事でその概要を調べた。
 朝日新聞の記事は、≪アニメの殿堂「不要」 自民無駄遣い撲滅チーム≫の見出しで、
<「国立メディア芸術総合センター(仮称)」について「不要」「予算執行を停止すべき」と結論づけ、また、同様に695億円の予算が付く「産学官の地域の共同研究拠点」計画にも、「地域活性化も景気対策も効果なし」と批判した>などと報じている。また、読売新聞、日本経済新聞、共同通信など主要なメディアの記事・配信は、「産学官の地域の共同研究拠点」計画ほかの事業についての記載はなく、「アニメの殿堂」についてだけ取り上げていた。
 構想日本のホームページによれば、今回事業仕分けの対象になった法人(11)の事業(9)、同チームの判断は以下の通りである。

①(独)国立美術館 <国立メディア総合芸術センター>    不要
②(独)日本学生支援機構                     民間がすべき
③(独)科学技術振興機構                     ④と統合
④(独)日本学術振興会 <産学官の地域の共同研究拠点>不要
⑤(財)日本教材備品協会                     不要
⑥(財)民間放送教育協会                     不要
⑦(独)日本スポーツ振興センター                 改善すべき
⑧(独)国立大学財務・経営運営センター             不要 
⑨(社)ソフトウェア情報センター                  改善すべき 
⑩(独)日本芸術文化振興会                    ⑪と統合 
⑪(財)新国立劇場運営財団

 この自民党無駄遣い撲滅PTの検討チームは、昨年夏に行った文部科学省へのヒアリング、公開での事業仕分け、そして今回の公開の事業仕分けと、事前に行ったヒアリングの結果、文部科学省本省が進める事業と、独立行政法人・特殊法人・公益法人そのもの、その法人が委ねられる事業の多くについて、政権与党でありながらも極めて厳しい評価を下したと言える。上述の朝日新聞の記事は、「無駄な施策を挙げて批判したことがあるが、党内の異論でトーンダウンした経緯がある」と結ぶが、与野党逆転の可能性が高まったといわれる昨今の政治状況で、自民党の文教族議員からも文部科学省への批判の声が上がっていて、「国立メディア芸術総合センター」についても、構想自体が野ざらし、立ち消えになるのではとの声も聞く。

 このブログでは、「統合すべき」と判定された「独立行政法人日本芸術文化振興会」と、その施設のひとつである新国立劇場の運営業務を同振興会との随意契約によって委ねられている「財団法人新国立劇場運営財団」について、とりわけ、この財団の「存続」と「廃止」について考えていくつもりである。『新国立劇場の開館十年を考える』 と同様に、拙なくそれもやたらと長く、決して愉快な内容ではない文章になるが、ご笑読をお願いする。