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「財団法人新国立劇場運営財団の存廃」について考える(十二)

行政刷新会議の事業仕分けで、文部科学省・文化庁の事業に「廃止」「整理・削減」連発(6)

 芸術はコスト病に襲われる
 (略)芸術における労働を節約する方法はなく、労働生産性は向上しないように思われる。さらに、アーティストの収入は他のセクターのように劇的に上昇することがなく、現在のところ相対的に低いが、それでもアーティストの収入はかなり上昇した。そのため、助成による支援もマーケットでの収入もない状態では、芸術という生産品は他の消費財との関係を見ると、非常に高価なものであらざるを得ない。コストの上昇によって、芸術は次第に競争力をなくしてしまい、助成金や寄付がなければ生き残れなくなってしまったのである。(略)ボーモルとボーエンの二人の経済学者は、この現象をコスト病と呼んでいる。癌のように広がり感染の恐れがあるために、それは病なのである。
 
 助成金と寄付がコスト病を悪化させる
 芸術への助成金の擁護者は、政府が芸術への助成をやめると何が起こるか、という誇張した問題を提起しがちである。このような問題へのお決まりの答えは、芸術が消えていってしまう、というものである。思慮深い人間で、こうなることを願う者などいないだろう。したがって、政府は芸術を助成しなければならない。当然のことながら、ここでの芸術とはハイ・アートのことであり、とりわけ伝統的な舞台芸術のことである。
 絶滅することを恐れたために、第二次大戦直後、伝統的な舞台芸術に対する大規模な助成が行なわれ始めた。上昇するコストが助成を不可避なものとしたのは明らかである。コスト病が助成を正当化することはないが、それは社会正義の議論と同じく、芸術への助成についての恩情主義的な議論や公平の議論を強化する。コスト病によって収入の苦境に立たされているアーティストは援助を必要としている、とその議論は主張するのである。このことは、上昇するコストは芸術における贈与の価値が大きい理由を部分的に説明するということを暗示している。
 上昇するコストが低い収入をもたらし、芸術が内包している特別な価値を脅かす。このような理由で政治家が芸術を助成するとしても、助成がコスト病を治療するという論理が正しい、というわけではない。寄付や助成金はコスト病を治療するものではなく、実際にはそれを悪化させるものである、という議論がなされるべきだろう。
 助成金と寄付による必然的な影響は、マーケットへの志向が政府や寄贈者への志向へと部分的に置き換えられてしまう、ということである。コスト削減はマーケットでの成功に直接的な影響を及ぼす一方で、コスト削減が政府の委員会や資金供給機関に対して影響を及ぼすことなどほとんど、いや、まったくない。コスト削減の代わりに、「質」―政府や資金供給機関が定義する意味で―を向上させることの方が、助成金や寄付を確実に得るためにはより重要なのである。先にも述べたように、より多くの初演を催すことによって、オランダの劇団は成功しているという印象を政府の委員に与える。したがって、助成金と寄付はコストに対する軽率な態度へと導き、新しいフォーマットや作品の開発をさらに遅らせてしまう。
 マーケットの代わりに政府を志向する態度は、総収入に占める助成金の比率が特に高い場合に極めて強くなる。この場合、政府を志向することは、単純に生き残りの問題なのである。もし、政府の助成が突然ストップすれば、アーティストを諦める以外の道はほとんどない。このように、助成金が上昇するコストを相殺するのは、その作品を政府の委員に面白いと思わせる場合だけなので、すべての注目が「質」へと向けられるものである。したがって、上昇するコストを相殺するために新たな戦略を採り入れたり、新たな作品を展開する活力はほとんどない。
 この点において、寄付や助成金という形態でなされる資金援助の信号効果を見逃してはならない。この信号効果が、芸術作品の質はマーケットの影響を受けることなどなくつねに美的省察にのみ基づいている、という芸術界の頑固な考え方を強めている。「芸術は神聖であり、コストの影響を受けてはならない」ために援助が必要であり、与えられるのである。実際には、資金援助はコストを無視する免罪符であり得る。
 したがって、より少ない援助で生き残らなければならないとするシナリオこそが、コストを削減しようという革新意欲を刺激し、最終的に新たな観客にアピールする作品を開発するエネルギーをもたらすのである。
(「第7章 コスト病 芸術のコストが上昇するために助成が必要なのだろうか?」より)

 まとめ 
芸術への助成は一般の利益に奉仕し、芸術の特別の価値、芸術における平等性、共同財、外部効果にかかわっているという議論はたいてい間違っている。この点では、長い目で見れば助成は不要であり、効果のないものであり、逆効果である。助成は共同財と外部効果という点では不必要である。価値財という点においても、アーティストの収入に関して逆効果である点においても、助成は非効果的である。さらに、助成は不平等な競争をもたらすので、市場の失敗を是正する代わりに実際には市場の失敗を引き起こす。
 それにもかかわらず、一般の利益のためという議論は、芸術への助成を促進する公的議論において様々な形で効果的に用いられてきた。例えば、第二次大戦後、舞台芸術のコストが急激に上がり始めたとき、政治家はアーティストの収入を心配し、低収入の人々の鑑賞機会に及ぼす影響を憂慮した。さらに、芸術を通じて人々を教育するという強い願望もつねにあった。そして、共同財や外部効果を十分に生み出せるように芸術への助成が要求された。芸術の神話のために、助成の効果はほとんどチェックされず、誤った議論が芸術政策に影響を与え続けているのである。
(「第9章 政府は芸術に奉仕する 芸術への助成は公共の利益に奉仕するのだろうか、あるいは特定の集団の利益に奉仕するのだろうか?」より)

『金と芸術―なぜアーティストは貧乏なのか?―』ハンス・アビング著 山本和弘訳 2007年 grambooks刊