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2010年07月 アーカイブ

2010年07月01日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2010年7月の鑑賞予定≫

[音楽]
*2日(金)                  江戸川橋・トッパンホール
『エリック・シューマン ヴァイオリン リサイタル』
ピアノ:イ・ジンサン
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 Op.78 《雨の歌》
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.100
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 Op.108

*13日(日)                  銀座・ヤマハホール
『ライナー・キュッヒル ヴァイオリン リサイタル』
ピアノ:加藤 洋之
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 作品23
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第10番 ト長調 作品96
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番 イ長調 作品47「クロイツェル」


[演芸]
*23日(金)                六本木・麻布区民センター
『柳家花緑独演会』


[展覧会]
*11日(日)まで。                目黒・目黒区美術館
『紅心 小堀宗慶展 ―創作と審美眼の世界』

*19日(月・祝)まで。          赤坂・ニューオータニ美術館
『大谷コレクション展』

*25日(日)まで。             六本木・サントリー美術館
『能の雅 狂言の妙 ―国立能楽堂コレクション展』

2010年07月02日

推奨の本
≪GOLDONI/2010年7月≫

『逝きし世の面影』 渡辺 京二著 
 葦書房 1998年

 われわれはいまこそ、なぜチェンバレンが日本には「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのか、その理由を理解することができる。衆目が認めた日本人の表情に浮ぶ幸福感は、当時の日本が自然環境との交わり、人びと相互の交わりという点で自由と自立を保証する社会だったことに由来する。浜辺は彼ら自身の浜辺であり、海のもたらす恵みは寡婦も老人も含めて彼ら共同のものであった。イヴァン・イリイチのいう社会的な「共有地」、すなわち人びとが自立した生を共に生きるための交わりの空間は、貧しいものも含めて、地域のすべての人びとに開かれていたのである。
 一言にしていえば、当時の日本の貧しさは、工業化社会の到来以前の貧しさであり、初期工業化社会の特徴であった陰惨な社会問題としての貧困とはまったく異質だった。そして、そのことを誰よりも早く指摘していたのは、ほかならぬかのジーボルトである。彼は江戸参府の途中、中国地方の製塩業を見てこう述べている。「日本において国民的産業の何らかの部門が、大規模または大量生産的に行われている地方では一般的な繁栄がみられ、ヨーロッパの工業都市の、人間的な悲惨と不品行をはっきり示している身心ともに疲れ果てた、あのような貧困な国民階層は存在しないという見解を繰り返し述べてきたが、ここでもその正しいことがわかった。しかも日本には、測り知れない富をもち、半ば飢え衰えた階級の人々の上に金権をふるう工業の支配者は存在しない。労働者も工場主も日本ではヨーロッパよりもなお一層きびしい格式をもって隔てられてはいるが、彼らは同胞として相互の尊敬と好意によってさらに堅く結ばれている」
 いまやわれわれは、古き日本の生活のゆたかさと人びとの幸福感を口をそろえて賞賛する欧米人たちが、何を対照として日本を見ていたのかを理解する。彼らの眼には、初期工業化社会が生み出した都市のスラム街、そこでの悲惨な貧困と道徳的崩壊という対照が浮かんでいたのだ。
(「第三章 簡素とゆたかさ」より)

 モースは滞日中、たえず財布の入ったポケットを抑えていたり、ベンチに置き忘れた洋傘をあきらめたりしないでいい国に住むしあわせを味わい続けていた。「錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。私の大外套と春の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、間もなくポケットの一つに小銭若干が入っていたのに気がついてそれを持って来たが、また今度は、サンフランシスコの乗合馬車の切符を三枚持って来た」。(略)広島の旅館に泊まったときのことだが、この先の旅程を終えたらまたこの宿に戻ろうと思って、モースは時計と金をあずけた。女中はそれを盆にのせただけだった。不安になった彼は宿の主人に、ちゃんとどこかに保管しないのかと尋ねると、主人はここに置いても絶対に安全であり、うちには金庫などないと答えた、一週間後この宿に帰ってみると、「時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至る迄、私がそれ等を残して行った時と全く同様に、蓋のない盆の上にのっていた」のである。
 (略)モースは、日本に数カ月以上いた外国人はおどろきと残念さをもって、「自分の国で人道の名において道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人が生まれながらに持っている」ことに気づくと述べ、それが「恵まれた階級の人々ばかりではなく、最も貧しい人々も持っている特質である」ことを強調する。
(第四章 親和と礼節」より)  

 幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へとさそわずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明であった。徳川後期社会は、いわゆる幕藩制の制度的矛盾によって、いずれは政治・経済の領域から崩壊すべく運命づけられていたといわれる。そしてなによりも、世界資本主義システムが、最後に残った空白として日本をその一環に組みこもうとしている以上、古き文明がその命数を終えるのは必然だったのだと説かれる。リンダウが言っている。「文明とは、憐れみも情もなく行動する抗し得ない力なのである。それは暴力的に押しつけられる力であり、その歴史の中に、いかに多くのページが、血と火の文字で書かれてきたかを数え上げなければならぬかは、ひとの知るところである」。むろんリンダウのいう文明とは、近代産業文明を意味する。オールコックはさながらマルクスのごとく告げる。「西洋から東洋に向かう通商はたとえ商人がそれを望まぬにしても、また政府がそれを阻止したいと望むにしても、革命的な性格をもった力なのである」。だが私は、そのような力とそれがもたらす必然についていまは論じまい。政治や経済の動因とは別に、日本人自身が明治という時代を通じて、この完成されたよき美しき文明と徐々に別れを告げねばならなかったのはなぜであったのか。
(「第十四章 心の垣根」より)


2010年07月09日

財団法人地域創造について(五)

 役人OBと利害関係者ばかりの財団理事

  一般論だが、各省庁の外郭団体のホームページは、その組織活動の意義を強調するわりには、組織の実態を隠蔽、否、慎ましく言葉少なに語ろうとする傾向があるが、この地域創造もその例外ではない。
 「設立の経緯と歩み」の項には、<1994(平成6)年7月 「地域文化の振興に関する調査研究会」(委員長:木村尚三郎東京大学名誉教授)が「地域における芸術文化振興のための施策のあり方-美しく心豊かなふるさとづくりをめざして-」を提言>とあり、それを受けて、<9月 知事会、市長会、町村会、関係団体等による発起人会が寄附行為、基本財産等を決定 財団法人地域創造設立>とある。調査研究会の提言から僅か2ヶ月で財団を設立、この年の7月に退任したばかりの自治事務次官を理事長に据えたところなど、見事な手捌きである。
 天下りの公益法人トップが、自らの団体を「民間の法人」と言うことをたびたび耳にする。基本財産が自治体(行政)から出捐され、或いは官から民が出捐を依頼され、その運営が官僚OBの手に委ねられている法人を「民間」だと言い張るのは、「日本郵政」の社長人事で、「退官後14年間は民間で勤務してきたから、天下り、渡りにはあたらない」と発言、「天下り排除から天下り擁護」に豹変し顰蹙を買った御仁にも劣る振舞いである。
 
 「関係者名簿」によれば、7月1日現在の財団役員は以下の通りである。
 会長     森 繁一  
 理事長    林 省吾    (元総務事務次官)
 常務理事   下河内 司   (元総務省消防庁消防大学校長)
 理事(非常勤) 麻生 渡    全国知事会会長
 理事(非常勤) 上原 恵美  (財)びわ湖ホール理事
 理事(非常勤) 酒井 忠康  世田谷美術館館長/美術館連絡協議会理事長
 理事(非常勤) 高島 進   ((財)地方債協会理事長、(元自治省大臣官房審議官))
 理事(非常勤) 永井 多惠子 文化ジャーナリスト/前NHK副会長
 理事(非常勤) 仲道 郁代   ピアニスト
 理事(非常勤) 長谷川 明   全国自治宝くじ事務協議会事務局長
 理事(非常勤) 平田 オリザ 劇作家/演出家、劇団「青年団」主宰
 理事(非常勤) 森 民夫   全国市長会会長
 監事(非常勤) 岩波 忠夫  (元自治省大臣官房審議官)
 監事(非常勤) 浦山 紘一   (財)地方債協会常務理事(元自治省行政局公務員部給与課長)
 
 財団であれば、評議員名を公表することが一般的なようだが、どういう事情かは判らないが明らかにしていない。
 会長の森繁一氏の欄には、現在の肩書、前職名は記されていない。名簿の上から3人までが役人出身であることを感じさせない配慮からだろうか。森氏は初代理事長であり、「元当財団理事長」とでも表記するのが役所の大先輩でもある森氏に対しての礼儀のようにも思うのだが、森氏は、自身が会長を務める団体のホームページで、前職が不明にされる扱いを受けていることは承知しているのだろうか。
 森氏は元自治事務次官、財団法人自治体国際化協会理事長、財団法人地域創造理事長、地方公務員共済組合連合会理事長などを歴任した、典型的な渡りの天下りである。また、理事ではない会長である。(同様に、財団法人新国立劇場運営財団も、理事ではない会長ポストを作っている。組織図上のトップでありながら、理事ではないためにその運営責任を免れている、不思議な存在である。)ちなみに、当ブログの「新国立劇場の開館十年」を考える(十八)≪巨額な国費が投入されながら、理事長・芸術監督が専念しない不思議な劇場(五)≫<公務員改革に慎重な福田首相も、「適材適所でも天下りは二回まで」>で触れたことだが、当時の福田首相が、「4回の天下りはダメ」と発言したが、それはこの森氏のことではなく、その前任の事務次官のことをさしてである。
 理事長の林省吾氏は、06年7月に総務事務次官を退官し、直後の9月に現職に就いた。5月の事業仕分けでは、この林理事長と、下河内常務理事の2人の報酬が合計で4千万円を超えていることが明かされた。非常勤の会長、常勤の理事長(常勤)、常務理事(常勤)の3名と、非常勤理事2名、非常勤監事2名の7名が総務(旧自治)省OB。自治体首長が2名、残りの5名の非常勤理事には上記のように、財団法人びわ湖ホール前理事長の上原恵美、せたがや文化財団副理事長の永井多惠子、キラリ☆ふじみ元芸術監督の平田オリザの3氏と、美術評論家の酒井忠康氏、ピアニストの仲道郁代氏である。
 非常勤理事は無報酬のようである。理事会や主催行事の出席には、日当、車代などが支給されるだろうが、持ち出し、或いはそれに近いお勤めである。
 公共ホールがその設立主体である国、自治体独自の財源で運営できず、文化庁(国税)の補助金ばかりか、この宝くじの寺銭から生み出される地域創造の助成金にまで有り付こうと必死になるご時世に、上原恵美、永井多惠子、平田オリザの3名はせがまれてか自ら進んでか、「利害関係」を懸念されるポストに就いたわけだが、これには一般常識では推し量れない判断があったのだろう。この財団の活動の中心である助成事業、自主事業に理事として関わる以上は、最低の倫理としても、自身が所属、関係するホール等への助成などはすべて辞退しているはずである。上原氏は元滋賀県幹部職員、現在は私大教授として学生を導く、永井氏はNHK副会長の前にもその後にもせたがや文化財団に関わり、平田氏は国の文化政策まで主導する内閣官房参与を務める、それぞれ立派なお立場でもある。それくらいの弁えはお持ちだろう。
 財団説立時から今年度までの「採択助成事業の一覧」を、彼らの関わるホールへの助成など出てこないだろうと思いながら見た。
 私の読みは、大きく外れた。