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2011年06月 アーカイブ

2011年06月01日

推奨の本
≪GOLDONI/2011年6月≫

 『激流―若き日の渋沢栄一』 大佛 次郎著
  文藝春秋 1953年

 気がついてみると、篤太夫(渋沢栄一)は民部公子(徳川昭武)の供をして各国を巡遊し、いろいろと新しい文物を眺めながら、見ていたのは故国日本のことなのである。
 篤太夫の心は日本から離れなかった。眺めている対象を透して、灯火の暗い侘しい日本の姿が、影のように背後に見えてくるのである。異国に学ぶというのも、おのれを読むことであった。
 彼我の比較が、いつも頭から離れない。今更外国との競争は及びもつかないと判っているが、尊王攘夷の政治論だけで血を流し有為の若い人たちを無数に犠牲にしている故国が、いつの日にか、もっと実質的に、西洋諸国のように新しいものを生み出そうとする方角に、民族の目標を持つようになるか? 篤太夫は、それをつくづくと思うようになった。
 そのためには、武士に特権がなく町人が自由に存分に働き得る世の中にならねばならぬ。これは篤太夫が日本にいる内から漠然と胸に描いていたことだが、こちらへ来てからは念願となった。それと現在の日本の封建世界のように、地方も個人も孤立して分裂し、自己の利益と保身だけしか考えていないのを改めて、人と人との中に強い協力を見つけることである。狭い国に住んでいて、日本人でいながらお互いが異人を見るように警戒し合っている。水戸あたりでは一藩内の政治論が、もとの天狗党と書生党に分裂して、仇敵のように憎み合って、その争闘以外のことは頭にないのを見ると、心が寒くなることであった。それも、百姓町人には迷惑だけ掛けて、無関係に武士階級だけが必死になっている政争だから、前途を思うと恐ろしい。
 (「異国」より)

 (略)ヨーロッパで、彼が見てきたのは、主人持ちでなく、独立自由の人間が、どこへ行っても見つかることであった。否、主人を持っていても、人間が独立自由で、働くのに熱意を持っていることである。
 生きるとは働くことであった。日本のように、身分だけで人間の生活が保証されている特殊の世界は、まったく亡び去る運命にあったものだし、今日のように瓦解を見たのは当然のことだったと言えるのだ。
 仕事に自らの意欲を持つこと。それから、いのちが輝き出るのだ。魂はなく形骸だけが動いているような働きではない。おのれの仕事に情愛を注ぎ入れて初めて、仕事だし事業なのである。
 これは、衣食するというだけのものでない。働くとは、そういうことなのだ。生活の手段だけに留まっていないで、身を打ち込んだ目的なのだ。心に至誠のある者だけが、その門に入って、独立自由の人となるのだ、と強く思った。
「あんた方が、ない、ないと訴えているのは衣食の手段だけだ。それ限りのことなら、浅いものだし、やがて改まった世の中の方から、それを提供してくれるだろう。そうでなく、人間がもっと心を打ち込んで、離れられないほどの情愛を自分の仕事に感じるようなものを見つけなければ! 誠実に、それを求める人にだけ、これは恵まれる。運河を掘ろう。鉄道を敷こう。ガス灯をつけよう。暗い世の中が明るくなるのだ。人が今よりも文明の恩に浴して、現在に数多い不幸が、少しずつでも軽減されて行くのだ。これが人間の働くことなのだ」
 水戸に帰って民部公子に仕えるのをやめた篤太夫は、静岡に留まっていながら藩庁に勤めるのをやめた。
 主人は、もう要らなかった。実に、もう要らなかった。
 自分がひとりで歩く自由な人となって、広い世界に好む道を求め、なすあてもない日本人の間に、自分と同じように誠実に仕事に協力してくれる者をさがすことであった。日本人は、永く眠り過ぎて、外国に遅れていた。もう、目を醒ましてくれる者が幾らでもいる筈だと思って、篤太夫は自分が嬉しかった。。
 (「新しい道」より)

2011年06月04日

『草桔梗 蔵俳の碑へ 通う径』(小汐正実作)2005年6月4日掲載

 昭和47年6月4日の午後、四国一周の気ままなひとり旅を満喫していた大学三年生は、それまでの僅か二十年の人生でもたぶんもっとも緊張と敬虔さが混じりあった複雑な心境で、船のデッキに立っていた。

× × × × × × × ×

 昭和41年6月5日の朝だったか、その翌年春に亡くなった母が、読んでいた新聞の社会面を広げたまま黙ってその場を離れた。私は訝しげに母を目で追い、そして新聞を手にした。そこには、歌舞伎の老優の入水を伝える記事が大きく載っていた。私の高祖父が九代目市川団十郎の岳父ということもあり、母も戦前から親しく行き来していた海老蔵後の十一代目団十郎(堀越の治雄叔父)が半年前に亡くなったばかりで、老優の訃報に接して、悲しみが募ったのだろうか。十一代目を思い出したのか、自身の間近に迫った死を思い、記事の続きを読めなくなったのだろうか。
 その年の4月、歌舞伎座での彼の「引退披露興行」と銘打った公演で、『助六』の髭の意休を観たばかりで、(この老優を偲んで作家・網野菊が書いた『一期一会』という短編の中に書かれていたかも知れないが、自身の引退興行で殺される役を演じるということは如何なものだろう)芝居で殺されたその彼が自殺をしたということに、大きな驚きを感じた。
 老優はこの引退興行を勤め上げた翌5月、念願の四国霊場八十八ヶ所の巡拝の旅に出て、それを無事に済ませて小豆島に渡り、この島の霊場四十八ヶ所をも巡拝し終えて、この地の宿に草鞋を脱いだ。そして一泊したあと、翌日深夜発の船から暗い海へ身を投げた。デッキに靴が揃えて置かれており、覚悟の自殺とも報じられた。享年八十四であった。
 老優の七回忌にあたる47年6月4日を、彼が乗ったと同じ時刻の船の上で迎えようと、一週間前から四国に入った。徳島では大学の教室や図書館、学生食堂に闖入、高知・桂浜では憧れてもいない坂本竜馬に、松山・道後では浴場で機嫌の良い漱石になりきるという、いかにも凡庸な大学生の気楽気ままなひとり旅だった。弘法大師との同行二人のお遍路さんと数ヶ所の札所で出会い、食堂で昼食をともにしたりした。それぞれが思いを胸に秘めながら、決して安楽とは言えない巡拝の旅の途中のことで、遍路ではない暢気な大学生の旅の目的が、6年前と同じ季節、同じ遍路道を歩み播磨灘に消えた老優を偲ぶものとは、お遍路のどなたも思い及ばなかっただろう。
 老優のこの世の最期の泊は、質素で落ち着いた宿だった。島の案内所ででも教わったのか、偶然に見付けた宿かは判らない。人柄も芸も地味と言われた老優にとって、自分の質に似たこの宿で過ごした人生最後の一日はどんなものだったのだろう。
× × × × × × × ×

 昭和47年6月4日の午後、神戸に向う船は混雑していて、デッキにも大勢の乗客が出ていた。私は老優が身を投げた海に、乗船前に用意していた草桔梗の一枝を投げ入れ、手を合わせた。宿の脇にひっそりと生えていた、背の低い、花房が1センチにも満たない青紫の、目立ちはしないがきれいな草桔梗は、死への旅に赴く老優の目に映っただろうか。
 (私はこの年の夏、日比谷の図書館に通い、団蔵関連の資料を渉猟し、エッセイを書きました。二十歳の若書きにして拙い文章です。ただ、この旅とひと夏掛けた原稿書きを終え、浄瑠璃の研究者になる夢を諦め、見識のある製作者に、そして良識のある劇場主になろうと思いました。爾来三十有余年、その願いは力足らず、いまだ成就していません。ただ、私にとっては自分の道を決めた小論だと思っています。このGOLDONIのHPに載せました。ご笑読をお願いします。) 
 
 今日6月4日は、老優・八代目市川団蔵の正忌(祥月命日)である。

 

2011年06月13日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(一)

「新しい仕事は避けて、古い方式の範囲で無事にいたい、役人に共通した卑劣な希望」(大佛次郎)

  10日の参議院予算委員会で自由民主党の林芳正議員が質疑の中で紹介していたが、6月7日の読売新聞「よみうり時事川柳」にある投稿が載った。
[がんばろう日本 総理が続けても]。
 [がんばろう 官僚、議員が邪魔しても]とでも言いたくなる震災後3カ月の政府、国会の機能不全、怠業ぶりである。


 1日のブログ『2011年6月の推奨の本』で取り上げた、大佛次郎著『激流-若き日の渋沢栄一』は、いつの時代も変らぬ「役人の習性、行動原理」も鋭く描かれていて興味深い。 

 若き日、徳川一橋家の歩兵取立人選御用を勤めた渋沢栄一(篤太夫)は、一橋家の領地に出向き農兵募集に努めるが、≪新しい仕事はなるべく避けて、古い方式の範囲で無事でいたい、役人に共通した卑劣な希望≫を持った領地の代官の非協力、怠業ともいうべき抵抗に遭う。『激流』から引用を続ける。
 ≪これで幕府は亡びるのだ。何よりも篤太夫は、こう感じた。国全体がどういうことになっていようが、世の中がどう変わって来ていようが、自分だけの無事を願って動くまいとしている男たちが珍しくなく、どこにもいることなのである。殊に、それが政治をする役人に多いのだから、世の中が行き詰まるのも当然であろうが、また自分らの亡びるのを準備しているようなものであった。≫
  
 大佛次郎が国立劇場が開場した折に理事を務めていたことを思い出し、以前このブログでも取り上げたことのある石原重雄著『取材日記 国立劇場』を久しぶりに読んだ。
「新国立劇場の開館十年」を考える(六)≪国立劇場の理事だった大佛次郎の苦言≫2007年12月21日
 そこには大佛の発言として、≪「引き受けてみれば会議の連続、それも演劇のことなんかちっとも議論されない。すでに決めていることについて、責任逃れのため、われわれの同意を得ようということなんでしょうねえ。間違いをおこさぬように―、国会から叱られないように―と、それしか考えていないんだな」「目先のことばかり気をとられている感じですねえ」≫などと国立劇場の幹部に対する批判があった。
 また、岡本綺堂の弟子であった劇作家・中野實の言葉も面白いので拾ってみる。≪官僚で固めた劇場なんてまっぴらご免だ。彼らのやり方はいつでも秘密主義で、こんな具合でやりますと青写真が発表されたときは、もう文句のつけようがないんだな。≫

 渋沢栄一に戻ろう。
 ≪播磨、摂津、和泉などにある領地に手を着けようとしてみると、代官たちの態度が以前とは変わっていて、進んで協力してくれた。篤太夫が備中でこの仕事に成功したと伝えられていたので、代官たちは支配している土地で成績が上がらないと自分たちの面目に関わるからである。篤太夫は仕事を進めながら、昔からの役人たちの習性を知ることが出来た。実に動かない世界なのである。進んで行く時世と、どう調和して行くかを殆どの人間が考えようとしていない。ただ平凡な栄達と自分の地位を守ろうとしているだけなのである。≫

 
 今日から暫くは文化庁の現状、今年度事業やその予算執行のあり方などについて考えていこうと思う。
 震災、原発問題への対応もあり、国家の財政、政治の危機ともいえる状況で、取って付けたような日本の文化行政や、日本芸術文化振興会、新国立劇場など、吹けば飛ぶような組織の如き小事を論じるのか。取るに足らないとも思われる小事にこそ、この国の政治、行政、そして文化の本質的問題が存在しているからである。
 常に「本質は些事に宿る」のである。

2011年06月22日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(二)

「人がこの世に生まれてきた以上は、必ず何か世のためになることをしなければならぬ」(渋沢栄一) 

 公益法人や、特定非営利活動法人(NPO)の活動、一般企業の社会貢献活動などで、公益性・公共性についての認識が高まってきたこの時代に、「公共」が「官」と同義である、また「公共」が「官」の独占するものとの考え方は極めて少数のものになっている。しかし残念なことは、その少数の中に政治、行政に関わる者、いわゆる「官」の多くが含まれることだ。大震災、原発事故対応が喫緊の政治・行政課題であり、被災自治体、一般企業、NPO、個人の被災地での復旧・復興に向けての活動を支える、或いは邪魔立てしないことが求められているにもかかわらず、政局に終始し、サボタージュを決め込む。千代田の皇居では自発的に電力消費を制限するなど、被災者を慮って倹しく過ごされているにもかかわらず、隣の永田町、霞が関の住人達は、今日も徒歩数分の距離にある国会、総理官邸、党本部、議員会館、そして官庁街を今まで通りに公用車を利用し、懲りもせずにホテル、料亭、カラオケ店を顔を赤くして行き来している。霞が関から銀座、日比谷に向かう昼の地下鉄は、財布、定期券だけを手に、ランチを楽しもうとの呑気な官庁職員でいっぱいだ。 
 
 一昨年春の自民党政権の末期、「政府だけでは解決できない社会的課題を広範な主体の協働によって解決する戦略を立てる」べく、事業者、消費者、労働組合、金融セクター、NPO・NGO、行政からメンバーを選んだ『安心・安全で持続的な未来に向けた社会的責任に関する円卓会議』が内閣府に設置された。その直後の衆議院選挙で「政権交代」だけをスローガンにして大勝した鳩山民主党は、同じ内閣府内に、「官だけでなく、市民、NPO、企業などが積極的に公共的な財・サービスの提供主体となるべく、検討を行う」として民主党に近い専門家、研究者を中心メンバーにして、『「新しい公共」推進会議』を設置した。「官」の最たるものである政府が立案し、相変わらず選考基準も明確にせずに委員を選考し、会議を取り仕切るという旧来のスタイルを踏襲した民主党のやり方には呆れる。人気取りの政策や、政治主導の裏側には、実に陳腐な、そして旧来の官主導、官僚依存が透けて見える。
 「未来に向けた社会的責任」や「新しい公共」を検討するのであれば、政府から独立した円卓会議(委員会)を例えば国会の責任と費用で設置するなどの仕掛けが必要だったが、「お友達」、「漢字が読めないからコミック大好き」、「鳩山幼稚園」、「辞めるの止めた」などお粗末な内閣、国会議員にそれを期待するのが間違いかもしれない。

 「二つの仕事があって、一つは自分の利益となり一つは公共のことだとすると、私の性質として、やはり公共のことの方から始末することになる」「人がこの世で生まれてきた以上は、自分のためのみならず、必ず何か世のためになることをしなければならぬ」(大佛次郎著『激流―若き日の渋沢栄一』)
 個人が、或いは民間が、その業で得られた財・利益、知力、労力をもとに、社会、公共のために尽くす。これこそが「本来の公共」である。

2011年06月25日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(三)

五嶋みどり、ライプツィヒ弦楽四重奏団にみる音楽家の社会貢献 

 17日に在日ドイツ連邦大使館から届いたリリースには、「ドイツが東北を笑顔にする! ライプツィヒ弦楽四重奏団が東北の被災地で慰問コンサートを行う」とあった。21日から26日まで、被災3県の学校、カトリック教会などの7か所に出向くという。ライプツィヒ弦楽四重奏団は先月、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの東京、金沢、東京藝術大学でのコンサートに参加、ふた月続けての来日である。日本への渡航自粛勧告が解かれた今も、福島原発付近への旅行自粛勧告がドイツ政府外務省から出ている中での被災地巡回であり、彼等の行動に感服させられる。
 今回のライプツィヒ弦楽四重奏団の巡回コンサートについて、今のところは東京のメディアで報じられていない。
  
 これもまた一般紙ではまったく報じられていないようだが、ある高名な音楽家の慈善事業について、5月31日のasahi.com に小さな記事が載っていた。
 ≪『五嶋みどりさんのバイオリンに被災地感動 郡山で演奏会』
 音楽で被災者らを励まそうと、クラシックやフォークソングの演奏会が29日、福島県郡山市内であった。
 「ビッグパレットふくしま」ではバイオリニスト五嶋みどりさんのミニ演奏会。五嶋さんは世界を舞台にした演奏活動と、幅広い社会貢献活動で知られる。3曲を披露すると、「感動しました」と握手やサインを求められていた。≫
 
 五嶋みどりは、指揮の小澤征爾、ピアノの内田光子、指揮の大野和士など、海外で際立って高い評価を得ている数少ない日本人音楽家のひとりである。南カリフォルニア大学ソーントン校で弦楽科の主任教授を務めながら、週末や、大学の休暇期間を活用して、アメリカ国内で46回、ドイツ11回、日本5回、イギリス4回など世界各地で84回(2010年実績)の公演をこなし、自らが代表を務めるNPOや基金での地域密着型の社会貢献活動、国連平和大使などの社会事業を続けている。
 6月6日、銀座・王子ホールで特定非営利活動法人ミュージック・シェアリング(理事長・五嶋みどり)の活動報告コンサートが開かれた。当日配られたパンフレットによれば、このNPOの活動は、「訪問先のニーズに合わせたコンサートの実施」、「特別支援学校の生徒に向けての楽器演奏指導」と、五嶋みどりがカルテットを結成し、アジアの国々を訪れ、学校・こども病院・児童施設などに生演奏を届けることで、普段西洋音楽に触れる機会の少ない子供たちが音楽を通じてクリエイティビティ・相互理解・向上心を育み、視野を広げ、明日への夢を抱くきっかけ作りを提供し、また若手音楽家の社会貢献活動の場を作ることによって音楽における社会貢献活動とはどのようなことなのかを知る「インターナショナル・コミュニティー・エンゲージメント・プログラム(ICEP)」がある。今回は、昨年12月にラオス国内17か所で実施したICEPの報告と、その活動に参加した五嶋と3名の若手演奏家によるベートヴェンとシューマンの弦楽四重奏曲の演奏だった。
 五嶋を聴くのは、2008年5月のエッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管弦楽団でのチャイコフスキー・ヴァイオリン協奏曲の演奏以来3年ぶり。活動報告を語る五嶋からは、演奏同様に真摯な姿勢が感じられた。特に印象に残ったのは、「質の高い」という言葉を五嶋が度々遣ったことだ。
 初めて音楽演奏(舞台芸術)に触れる人、或いはその機会が稀である人にとって、音楽(舞台芸術)であれば何でもよい、というものでは決してない。質の高い演奏家(演者)が、演奏(舞台表現)に不利な状況であっても出来得る限りの質の高い演奏(表現)をし、音楽(舞台芸術)の面白さ重要さを実感する。質の低い、水準に届かない者たちの演奏・上演の稚拙さは、想像以上にそのような機会の少ない聴き手、鑑賞者も感じ取る。子どもたちをクラシック音楽嫌い、演劇嫌いにする最も強い力は、この質の低い演奏・上演である。学校巡回専門の音楽集団、演劇集団、舞踊集団などの活動の殆どは、これである。彼らの経済生活のためだけに存在する。それを主催する鑑賞組織、学校、教育委員会の罪は大きい。その公演のために国税(補助金)が投入されているとすれば、文部科学省・文化庁の罪はもっと大きいと言わざるを得ない。舞台芸術振興の名目のもとに、質の低いものまでに補助金を出すという文化庁の助成制度は、この筋の悪い施策を推し進める文部科学省・文化庁、その選考や審査に関与し、おこぼれに与かろうする文化系の批評やマスコミ、そして助成制度に縋るだけの「質の低い」舞台芸術関係者にとっては生命線なのだろう。
 ライプツィヒ弦楽四重奏団が、五嶋みどりが、そして多くの「質の高い」芸術家が被災地などで繰り広げる慈善活動が、彼らの演奏、活動に直接触れることのない多くの日本国民にとっても、極めて良質な芸術普及に、そして質の高い社会貢献活動とはどういうものかを考えさせる機会となることを期待する。

2011年06月29日

「文化庁予算の大幅削減」について考える(四)

 「劇団四季が被災3県の小中で公演 今夏、子どもら招待」(日本経済新聞) 

 先月29日に劇団四季から届いたリリースには、「東北特別招待公演を実施」するとあった。
 5月30日付けの新聞各紙は、この発表記事を載せている。写真付き、ベタ記事扱いと新聞の扱いも様々だが、以下は記事ボリュームが比較的に大きい日本経済新聞の写真付き記事(共同通信配信)である。

 
 ≪『劇団四季が被災3県の小中で公演 今夏、子どもら招待』
 劇団四季は29日、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島各県の計11自治体の小中学校で、7月下旬から8月にかけて同劇団のオリジナルミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」を被災者向けに上演する、と発表した。
 「ユタと不思議な仲間たち」は、東北の自然を背景に、いじめに苦しむ少年と座敷わらしとの心の交流を描く作品で、東京で上演中。被災地では設備の関係で、演出や舞台効果などの一部変更を検討しているという。
 同劇団によると、岩手県の4自治体、宮城県の5自治体、福島県の2自治体で計約20公演を予定。会場は原則として各地の小中学校の体育館から選ぶ。観客には、地元の教育委員会を通じて地域の子どもを中心に1公演あたり300~800人ほどを無料招待する。
 現時点で上演が決定しているのは岩手県釜石市の釜石中学校、宮城県南三陸町の歌津中学校、福島県南相馬市の鹿島中学校。今後、公演数が増減する可能性もある。
 劇団四季は「私たちは舞台の感動を届けるのが役目。こういう形であれば被災した方々のお役に立てると考えた」としている。≫

  
 前回のブログで取り上げた五嶋みどりと、この劇団四季に共通するのは、それぞれの活動の早い時期に、自力での舞台芸術の振興を意識し、そのための財団を設立、今も多くの時間、資金、労力をその活動に割いていることである。五嶋は11歳でデビューしたが、その十年後の1992(平成4)年、文化・芸術の振興と子供の健全育成を活動目的とした「Midori&Friends」、「みどり教育財団東京オフィス」(現在のNPOミュージック・シェアリング)を立ち上げている。
 劇団四季の創立は1953(昭和28)年だが、その二十年後の1973(昭和48)年、舞台芸術の普及と青少年の豊かな情操の涵養を目的に「財団法人舞台芸術センター」を設立している。したがって、39歳の五嶋みどりは二十年、劇団創立58年の四季は四十年に及ぶ社会貢献活動の歴史を持っている。

 前回は五嶋みどりの演奏活動を紹介したが、今回は昨年の四季のトピックスを挙げよう。
 劇団四季の昨年の年間公演は3703回、またその売上額は202億円である。また、サービス産業生産性協議会が実施している31業界、350社を対象とした2010年度の顧客満足度調査(年4回調査、総回答者数105697人)では、東京ディズニーリゾート、アマゾン・ドット・コム、トヨタ自動車などを抑えて首位になっている。(「日経MJ」2011年4月13日付け)
 五嶋の社会貢献活動としての昨年実績での出演回数は把握できないが、アメリカ国内の大学、高校での活動、日本でのミュージック・シェアリングの活動報告公演など、五嶋の年間84回にわたる公演のうちの一、二割は、この社会貢献活動と思われる。劇団四季については、昨年の3千7百を超える公演中、この一割を超える4百回ほどは、四季と企業、自治体、労働組合など広範な組織が協働しての招待公演のようだ。五嶋、四季の、その一般的な上演料は知る由もないが、日本人演奏家として、日本の演劇・ミュージカル製作団体として、ともに最高額ではあろう。五嶋、四季の社会貢献活動を金額ベースで考えても、個人、或いは一組織のそれとしては途方もないものとは言えるだろう。

2011年06月30日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2011年7月の鑑賞予定≫

[演劇]
*5日(火)から17日(日)まで。                浜松町・自由劇場
 劇団四季公演
『ジーザス・クライスト=スーパースター』―エルサレム・バージョン―
 作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー 作詩:ティム・ライス 演出:浅利 慶太
 劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*15日(金)から30日(土)まで。           信濃町・文学座アトリエ
 文学座7月アトリエの会公演
『Edward Albee’s 
 THE GOAT,or Who is Sylvia?』
 作:エドワード・オルビー  翻訳:添田 園子  演出:鵜山 仁
 

[歌舞伎]
*3日(日)から24日(日)まで。          半蔵門・国立劇場大劇場 
『歌舞伎鑑賞教室公演』
 『義経千本桜』 「渡海屋の場」 「大物浦の場」
 出演:魁春 團蔵 松緑 ほか


[能楽]
*29日(金)                     千駄ケ谷・国立能楽堂
『特別企画公演』 国立能楽堂委嘱作品・初演
作:馬場 あきこ  補綴:村上 湛  演出:梅若 玄祥
新作能 『影媛』 
 塩津 哲生(影媛) 大槻 文蔵(鮪) 山本 東次郎(旅人) 


[演芸]
*26日(火)                   六本木・麻布区民センター
『柳家花緑独演会』
 

[音楽]
*10日(日)                    赤坂・サントリーホール
『水戸室内管弦楽団 チャリティーコンサートin TOKYO』
 ピアノ:小菅 優
 演奏曲目:J.S.バッハ:管弦楽組曲 第1番 ハ長調
        ハイドン:ピアノ協奏曲 ニ長調  
      シューベルト:交響曲 第5番 変ロ長調

*16日(土)                    赤坂・サントリーホール
『東京交響楽団 第591回定期演奏会』      
 指揮:ユベール・ズターン
 ヴァイオリン:ライナー・キュッヒル  ヴィオラ:西村 眞紀 
 演奏曲目:モーツァルト:交響曲 第25番 ト短調
      モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調
     シェーンベルク:浄夜 弦楽合奏版 


[展覧会]
*10日(日)まで。             紀尾井町・ニューオータニ美術館
『大谷コレクション展』

*2日(土)から8月7日(日)まで。   早稲田・早稲田大学演劇博物館
『初代中村吉右衛門展』

*9月4日(日)まで。                 丸の内・出光美術館
『明・清陶磁の名品―官窯の洗練 民窯の創造』