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2004年12月 アーカイブ

2004年12月01日

『終わりの始まり』其の二

ここのところの日曜日は、舞台を観ると身も心も休まらないことが多く安息日にはならないので、観劇を避けて努めて展覧会を覗くようにしている。28日の日曜日は、朝からGOLDONIでホームページの原稿書き。午後には、表参道の青山劇場で「ダンスビエンナーレ2004」の、スペインとドイツから出品のダンスを観て(禁は破るものではなかった)、GOLDONIに戻ったので、展覧会には行けなかった。そんなこともあって、今朝は幸いに午前の約束がなく、10時に上野の東京都美術館の『フィレンツェ-芸術都市の誕生展』に行く。三井物産の本社ホールで十月末に催された高階秀爾氏の講演を拝聴していたので、無理をしてでも覗きたかった展覧会。平日の朝なので、並ぶこともなく入り、大した混雑もなく、ゆっくり見て回ることが出来た。展示そのものはごった煮、寄せ集めの印象が強く、真贋、とまでは言わないが玉石混交か。鑑賞者の大半は連れ立ちの婦人たち。最近のことは知らないが、以前住んでいた鎌倉に日帰りで訪れる奥さんグループと酷似したもの。増殖する公共空間認知能力のない人たちは、電車内であろうが美術館であろうがお構いなし。騒がしいこと極まりなし。ほんの1時間2時間の鑑賞時間も、お喋り無しでは耐えられないほどの、他者への配慮は無論、美術への関心も集中力もない。演劇への関心ではなく、ただ芸能人を生で見る機会としている、そんな人たちやその予備軍に占められている新国立劇場など、テレビタレント演劇ショーの劇場・ホールも、早晩、劇中に客席から私語が平気で交わされる場になるのだろうか。   

2004年12月02日

『演劇センター』構想は、何処へ行ったか

先月に書いた原稿の載った未來社の『未来』12月号が届いた。大型新刊書店のインフォメーション、レジで求めて、是非お読み戴きたい。書店にない場合は、GOLDONIに電話で請求してください。書かせて戴いたことは、虚仮の一念を信じての『舞台芸術図書館』構想についてだった。ここのところ毎日のようにGOLDONIや劇場・ホールで、劇団四季のかつての先輩たちに出会うが、先日も親しくお付き合い戴いている先輩から、「日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が来年春に新宿区立の小学校の廃校を活用する研修施設『芸能花伝舎』ならば、舞台芸術図書館が活きるのでは」、とのアドヴァイスを貰う。たまたま芸団協からも、同施設の改修前の見学と説明の会の案内があったので、29日の夕方に出掛けてきた。新宿区と芸団協の提携事業とのことだが、10年の賃貸借契約で、毎年三千九百万円の賃借料だというから、オフィス利用の教室一室分を借りたとしても、相当の費用負担になるはず。新宿駅からは徒歩20分、最寄駅の地下鉄丸の内線・西新宿駅からは徒歩8分。新都心高層ビル群のはずれ、中高層のオフィスビルやマンションに囲まれた、昼でも薄暗そうな校舎だった。この廃校利用の話は、昨年末の日本劇団協議会の機関誌『JOIN』43号に掲載されていた座談会「演劇センター構想を大いに語る」で語られていたものではないか。「水害や地震で苦労されている方がいると思うと率直に喜べない」、と配慮をきかせた受章の談話をお出しになった文化功労劇作家を始め、日本共産党指導の劇団責任者や全共闘出身だかの演出家など、国や自治体からのさらなる演劇助成の拡大を主張し、自助努力などはお構いなしの天晴れな方々ばかりが、ここでも当然のことのように、国や行政の金(税金の投入)をあてにしての、なんとも立派な『演劇センター』構想を語っていた。いったいあの話は、その後どうなったんだろう。配慮はいらないので率直なコメントを伺いたいものだ。

2004年12月04日

ケネディ大統領の就任演説

ここのところ、夜の劇場通いが続く。国立劇場での舞の会、怖いもの見たさの「スタジオライフ」公演、今年最後の文学座のアトリエでの『THE CRISIS』、そして今夜は、劇団四季の新作ミュージカル『南十字星』。この三本の演劇に共通点を強いて見付けるとすれば、史実に基づく劇だったことか。文学座の『THE CRISIS』は、1962年10月の、キューバ・ミサイル危機を題材にした戯曲。劇の筋、登場人物、その発言内容も、秘書と大学生の二人のそれを除けば事実のようだ。劇の後半、国防長官の台詞の中で出てくる、大統領の就任受諾演説は、私も高校生の時に学校や予備校の教材として遣った、有名なケネディ大統領のものだった。And so, my fellow Americans. . .ask not what your country can do for you. . .ask what you can do for your country.
四季から招待状が来なくなった、と自著に正直に書くほど天晴れな劇評の人は勿論だが、プレビューや招待日を外せば四季公演で演劇関係者に出くわす事はないが、ふだん劇場で出会う旧知の演劇関係者に声を掛けられる時の言葉は、「(舞台芸術)図書館の計画、どう?」。「私はその計画の為に、何をしたらいいのか」「考えていることがあるから、協力させろ」と仰る方は全くいない。ケネディの演説のcountryを、drama や library (for the performing arts )と置き換えて、考えてほしいものだ。
With a good conscience our only sure reward, with history the final judge of our deeds; let us go forth to lead the land we love, asking His blessing and His help, but knowing that here on earth God's work must truly be our own.
16、7歳の時に憶えた言葉を、ふと三十数年後に暗誦は出来ないが思い出させてくれる。これもまた演劇の力、か。
最近のこのブログでの発言について、手厳しい、きつい、切なさが滲む、などの感想を度々mailなどで戴く。とりわけ、「手厳しすぎて、せっかくの高い志しが理解されない。勿体無い」との忠告には、友の有り難さと己の至らなさで、思わず落涙。数は少ないが、こういう人たちと、ささやかな事業をひたむきに進めていきたい。 But let us begin.

2004年12月07日

『早稲田』と『一橋』の特別講座

昨夜は、早稲田大学文学部でのエマニュエル・ワロン氏の講演会を聴きにいく。文学部フランス文学専修と演劇映像専修合同の特別講義。『政治と演劇の舞台-上演表象の二つの顔』とのテーマ。
フランス語のrepresentation が『上演』や、表象、再現前、代行といった意味のほかに、『政治の代表』の意味をも持つ言葉であるそう。「日常では離れている『演劇』と『政治』を、この言葉から考える意義があるのではないか。政治権力にとって演劇がどのようなものとして理解・解釈されてきたか」という問題意識から始まり、ギリシャ・ローマから現代フランスまでの西洋演劇史を、劇場・演劇と権力とを関連つけながら解説。通訳者の言葉でしか氏の話を理解出来ないので、不明なところも多く、半端なメモしか取れなかったことは残念。
今日は、六本木・森ヒルズの49階で開かれた、一橋大学イノベーション研究センターと東洋経済新報社の主催するセミナー『ケース・ディスカッション 劇団四季』を受講。講師は一橋大学大学院国際企業戦略研究科の石倉洋子教授。参加者の殆どはビジネスマンか経営学の研究者か。総合商社、広告代理店、ベンチャー系企業などさまざまだが、東京ディズニーランドを経営するオリエンタルランドや劇団文学座などの同業あるいは類似業種から複数名が参加していたのが興味深かった。セミナーは最初から、石倉教授が、「なぜ四季を観ないか」「なぜ観るか」を参加者に問い、また、「あなたは四季の経営トップになりたいか、なりたくないか。その理由は?」と刺激的なディスカッションを導く。「四季の一貫して優れた収益性は何処から来ているのか」について議論もあったが、大方の意見は、このセミナー討論上の視点と資料を提供するために作成された教授の論文を読んでのものや、マスコミに四季側から出されたリリース等にありそうな意見ばかり。最後まで発言しないつもりでいたが、堪らずに挙手。「任意団体としての劇団でもあり、長く企業でもある点、浅利慶太氏が演出家でもあり、企業経営者でもあるという一般企業には無い二面性・二重性こそが、企業としての最大の成長要因」と述べた。教授は、「その視点は私になかった」と評価してくださる。一橋の教授陣は講義が巧みなことで有名だが、石倉教授の見事にエキサイティングな議論の運びや纏め方は優れていた。このところの演劇公演よりはるかに面白かった。

2004年12月09日

『Sincere』と『Pride』の一夜

19時前、お茶の水女子大のOGを中心メンバーにした音楽企画集団『Sincere』の3人が、先月の公演の報告と今後の活動についての相談にやってくる。彼らと話し込んでいた21時前、店のガラス戸越しに中を覗くキャップを被った大柄の男性。なんだなんだと、彼らを押しのけて前進、ガラス戸を開ける。途端に男性3名、女性1名の4人組に囲まれる。キャップの男性は、「(フランス文学者の)鹿島茂さんにおたくを教えてもらった」と仰る。殴り込まれるのかと身構えていたが、とんだ勘違いで、恐縮しながら狭い店内へご案内。ニューラテンクォーター、用心棒、ピストル、懲役など、GOLDONIではついぞ耳にしない言葉が先様から発せられ、会話の中途で、作家の百瀬博教さんであることが判る。GOLDONIの店の構え・規模からしても利益が出るような商売ではないことはお判りなのだろうか、何冊か買って助けてやろうとの御慈悲でか、何冊もお買い下さるような勢いで本を選んでおられた(それも私の評価している亡くなった演劇人の本ばかり。物凄いインテリとの世評通りの選択。)ので、「手前どもはお一人様4冊までにして戴いております」と恐る恐る申し上げると、「そうか。ま、店の仕来たりだからな」と、見事なほどあっさりと納得して戴く。その後だったか、最初に私が店から出てきた時には、「俺に喧嘩を売りにきたのかと思ったよ」とも。「また来るからな」と不敵、いや素敵な笑顔で仰って、お供を引き連れお帰りになった。氏とのやり取りを見ていた彼らは、「懲役という言葉を生で聞くのは初めて」と感心、「いつもの凄みに、お墨付が与えられた」と、日夜自らの粗暴さを戒め、精進に努める私をからかった。

2004年12月12日

『水自竹辺流出冷、風自花裏過来香』

昼前にGOLDONIに。一ヶ月振りくらいに数十冊の表装をし、書棚のふき掃除をする。店休日なので、本探しの人や、知人などの来客、電話などでの問合せもなく、久しぶりに本の整理が捗った。
今晩はサントリーホールでの小澤征爾指揮の新日本フィルを聴くつもりにしていたが、数日前に予定を変え、旧知の斎藤偕子、佐伯隆幸の両氏が受賞されるAICT(国際演劇評論家協会)賞授賞式と記念シンポジウムのため、三軒茶屋の世田谷パブリックシアター・シアタートラムに行く。賑わいのないロビーで入場料を払い客席内に入ると、そこは舞台面いっぱいに公演中の『化粧』の楽屋。一瞬、こんなところでセレモニーをする訳がないと、呆然とする。四十人足らずの聴衆の前で始まったシンポジウムのテーマは、『60年代と演劇革命』。パネラーは受賞者のお二人に、黒テントの佐藤信氏が加わるという、何とも贅沢なシンポジウム。80分ほどの短かい時間で、議論が発展せずに終わってしまったが、私にとっては幾つか考えるヒントを貰えた貴重な時間になった。この国際演劇評論家協会日本センター、入会にはたとえば年間百本程度は演劇公演を観ていること、などとの参加要件があるのかどうか。日本劇作家協会のように「劇作をしようとしている」人も入ることが出来るほどにブラック・ユーモアたっぷりに、たとえば「演劇批評をしたいと思っている」人にも門戸を広げているのかどうかも知らないが、何を根拠にか自らを演劇評論家だと名乗る全会員八十数名のうち、今日参集していた人は二十人足らずか。賞を授ける団体の大多数の会員が欠席しているというのは、何とも無礼なことだ。新聞社の賞や文化庁の選考委員であることをちらつかし、招待状が届かなければ強要すら憚らず、劇場や製作団体のパンフやチラシに寄稿しては高額な謝礼をせしめ、特定の劇場や製作団体・演出家と懇ろになるなど、批評精神、批評する人間としての謙虚さ、矜持、節操を身に付けない卑しい人々の群れを見なかっただけでも幸いか。二列先に前の座席の背に足を載せて聴いているのだか寝ているのだか判らぬが、無作法な東大教員がいたので、そこまで行って叱責しようと腰をあげ掛けたが、ここで騒ぎが起きれば、斎藤さん、佐伯さん、佐藤さんにも迷惑が掛かると、思いとどまった。途中から客席に入って来た劇場幹部がいたから、彼に注意させようと思って探したら、この男も同様に足を載せていた。表象文化論やアート・マネジメントを専門とするとなるとこういう態度になるのか。アメリカに行くとこんな態度が身に付くのか。そう言えば、数年前、ヤング・ヴィックの旧グローブ座での『テンペスト』を観ていた時、同じ列の四席ほど右の席にいた男が、本番中に同様な仕儀に及んだ。その右隣りにいたイギリス夫妻は、大きな体を窮屈に折りながら姿勢を崩さずに舞台を見つめていた。彼らにこの男はどう映ったか。休憩の時に心を鬼にして制裁を加えようと思ったが、四季の先輩が支配人をしており、彼に迷惑をかけてはと止めたこともある。イギリス人夫妻は、この無作法な男が、日本の文化庁の芸術家在外研修制度でロンドンの演劇学校に10ヶ月通った演劇生徒だと聴いたら、どう思うだろう。礼節を知らない「評論家」たちや、無作法な「足載せ男」たちに対する憤りがさめないままで客席を後にしたが、そんな様をお感じになってか、ロビーで出会った扇田昭彦会長から「なんて奇特な人なのだろう」とのご挨拶を頂戴した。
21時半過ぎにGOLDONIに戻ると、福岡の友人から昨夜に続けてファイル添付のmailが来ている。読売新聞の記事を見ての感想とともに、鈴木大拙について触れた西田幾多郎の文章を送ってくれていた。彼を含む友人たちと一昨年の夏、軽井沢に遊んだ折、いつもお薄目当てに散歩で立ち寄る出光美術館分館に展示されていた鈴木大拙や仙涯の書などを観たことを思い出してか、まさか私からの連想で大拙さんが出てくるとは、いくら自惚れたとしてもない話。
「屡々堪え難き人事に遭遇して、困る困るといっているが、何所か淡々としていつも行雲流水の趣を存している。私は多くの友を持ち、多くの人に交わったが、君の如きは稀である。君は最も豪(えら)そうでなくて、最も豪い人かも知れない。」「君のいう所、行う所、これを肯(うべな)うと否とに関せず、いずれも一種の風格を帯びざるものはない。水自竹辺流出冷、風自花裏過来香とでもいうべきか」。

2004年12月15日

貸切り状態の『千田是也展』

朝9時過ぎ、昨晩遅くまで狭いGOLDONIで、出席者7名でのミーティングをしたので、その為に移動させた本や棚を元に戻すなどの後片付けをして、11時に早稲田大学演劇博物館に赴く。「新劇の巨人-その足跡」と副題された『千田是也展』の最終日。いつものように一階の閲覧者の人数を数え(2人)、会場の2階に上がると、受付のガードウーマンの他に人影無し。この展覧会の関連シンポジウムが先月4日が開かれたが、平日の午後だったので参加できなかったが、明治大の神山彰教授やGOLDONI JUGENDの話では、パネラーの中で、小沢昭一氏、佐藤信氏の語る、千田是也氏との邂逅、旧俳優座劇場、俳優座養成所時代のエピソードが秀逸だったそう。一人で静かに歩いても怖いほどに床の軋む演劇博物館、シンポジウムのあったその日くらいは、大人数が押しかけ、危険回避のための入場制限をする騒ぎにでもなったのだろうか。展示品は、写真やポスター、公演の映像など、安手の印象。昭和18年8月の、真船豊から千田宛ての手紙があった。<…森(雅之)や戌井(市郎氏)などは前々から度々小生に言ってゐたことですが、稽古といへば、文学座は元来ままごとのやうなことばかり。一度あなたの手にかかって根本的に叩いて貰いたい、といふことは熱心に私の前で言ってゐたことで、「結局、文学座しかないですね」「森は本筋の役者です」と私に言ったあなたの言葉を思ひ出したので…>とあった。これが、真船豊の作・演出の文学座公演『田園』で、千田是也が覆面演出をしたきっかけとなった手紙。演劇博物館は千田氏の蔵書の寄贈を受け、千田文庫として管理しているようだが、その参考にか、数十点の単行本を展示していた。その本の背表紙のシールの貼り方のだらしなさに愕然。ニコライ・ブハリン著『史的唯物論』などは、まったく補修されていなかった。本来は補修して収蔵することが書籍管理の原則だが、都も西北まで来ると他の考えでもあるのか。予算が足りず、蔵書の管理まで手が回らないという、大学経営側などに対する今回の展示にかこつけた手の込んだアピールなのだとしたら、演博関係者は見事な演出力。手書きや辞書を切り貼りして作った千田さんの情報カードを初めて見た。戦後の50年代、関西公演『オセロ』の大阪朝日会館の楽屋での休憩時間にカードゲームをしようとして、自分の名刺で作った自筆手書きトランプは見事なもの。千田さんのビジュアルなセンスは、遺伝・環境が作ったものだろうが、映画の黒沢明といい、千田是也といい、一級の演出家は絵が描け、その造形力も高い。舞台美術家・オペラ演出家・映画監督のフランコ・ゼフィレッリはその典型か。批判は承知で何度でも言うが、他人の舞台は殆ど観ず、独善的な唯のやりたがり、演劇専門教育は無論のこと、美術や建築・工芸などの素養も造詣もなく、同様にやりたがりの、戯曲分析力が演出家同様身に付かない舞台美術デザイナーと組んで天晴れな舞台を作り続ける我が国の昨今の舞台演出家の何人が、日常の気分だけは遣ってるつもりの演劇人の何人が、この巨人を作った時代や環境、演劇の偉大さ崇高さを感じる絶好の機会でもあったこの展覧会に足を運んだのだろうか。私のような至らぬ者にさえ、常に気付きの機会は用意されているが、唯我独尊の天晴れなやってるつもりの演劇人たる彼らには、どうなのだろう。

2004年12月16日

大賀典雄指揮の東フィル『レクイエム』

15日の続き。テレビモニターの千田是也氏に一礼、演劇博物館を後にする。早稲田駅の手前にできた古書店に入りると、探していた本が2冊あり、少し高かったが購入。一冊は故・森秀男さんの『現代演劇まるかじり』。二十数年前から存じ上げていたが、数年前から加わった研究会の発起人の一人で、一昨年秋に亡くなった時には、ひと月ほど森秀男著作コーナーを作り、追悼したことがある。その時に、どうしても欲しいという方々にすべてを譲ってしまっていた。もう一冊は『ノエル・カワード戯曲集II』。『I』は以前から持っていたが、なかなかこの本がバラでは見付からず、何年も探していたもの。懇意にして戴いているアメリカ人夫妻の愛嬢が、シアトルのワシントン大大学院ドラマスクールに留学中で、大学での公演でノエル・カワード作品をしているそう。年末にGOLDONIに見える予定のご夫妻に、貸して差し上げられる。
急いでGOLDONIに戻ると、「お店に伺う途中で迷子になりました」との電話。プリンストン大大学院博士課程の韓国人留学生の朴祥美さん。急いで外へ出て、水道橋に向かう白山通りの途中で発見、恐縮されるが、まま有ること。店までお連れすると、『前を通りました』。これはまま無いこと。研究テーマについて伺い、資料などを紹介する。『日本でもアメリカでも、研究者の専門専攻の幅が非常に狭くなっているようです』との指摘には、全く同意であった。プロフェッショナルとは如何なることだろうかなどと話していて、クラシック音楽の鄭兄弟(チョン・ミョンファ、キョンファ、ミョンフン-この『GOLDONI Blog』の8月26日『チョン・トリオ演奏会』をお読み戴きたい。)のことに話が及び、ミョンフンだったかが、プロ活動していない兄弟たちが、趣味として演奏を楽しんでいることが羨ましいと言っていた、と仰る。プロフェッショナルの演奏家、指揮者の日常は修練の連続。在英のピアニスト・内田光子の教養と日々の精進は有名だ。カレーのテレビCMに出てくるピアニスト、タバコやコーヒーなどのCMのヴァイオリニストなど日本の演奏家の日常は、どんなものだか寡聞にして知らないが。
18時20分に赤坂・サントリーホール。ソニー名誉会長の大賀典雄指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会。モーツァルト『ピアノ協奏曲ニ短調K.466』(ピアノ・清水和音)とモーツァルト『レクイエム』。久しぶりの清水和音。テノール・佐野成宏、ソプラノ・高橋薫子を初めて聴く。ソニーの役員退職慰労金16億円を軽井沢町に寄付、それを元手に来年の4月末にオープンする音楽ホールでも、指揮することが出来るほどの大賀氏の回復は見事。今後は東フィルのレヴェルアップに努めて欲しいもの。主催者・江副浩正氏のおともだちか、ソニーの絡みでか、合併前の大手銀行の頭取経験者や、外務省前駐米大使などが夫人を同伴して来場、「(日銀総裁の)福井さんが…」「つい先日、ヨーロッパから戻りましたの」「軽井沢以来ですわね」など、下々には縁の無い会話を楽しんでおられた。最近言われるところの新上層階級に属する彼ら、司法・警察当局にお世話になったり、出身官庁での処分を受けた方々ばかり、私なら嫌疑を受けただけでも閉門蟄居の日々を送るが、彼らには想像もつかないことだろう。社会的地位や組織での肩書の高さ、経済生活の豊かさを感じさせないお粗末な風貌・身のこなし。飾ってはいるが、品格の無いこと著しい。「顔立ち・風情・立居振舞は、教養や品格が自然と現れるものだから励みなさい」、と幼少のころより母親や師匠達に耳に胼胝が出来るほどに聞かされたものだが、はたして彼らの親はなんと言って我が子を育てたのだろう。

2004年12月18日

『Gentleman』に優しさを教わる日日

16日の早い午後、毎日新聞特別編集顧問の諏訪正人氏が久しぶりに見える。「『未来』のエッセー、読みました」。光栄なこと。氏は毎日新聞朝刊の第一面の『余録』を23年間書き続けた名コラムニスト。また、アヌイ、ジロドウ、コクトーなどフランス戯曲の翻訳家・紹介者としても著名。厚顔な私でも畏れ多くて、お読み戴いた感想は伺うことが出来なかった。「翻訳」のあり方など、ご親交の深かった故・中村真一郎氏など翻訳の名手の姿勢などの例を引きながらお話下さった。近々HPのコンテンツを増やすつもりでいるので、このあたりのことに触れてのエッセーをお願いする腹づもり。厚かましすぎるか。注文の本を受け取りに来店した佐々木治己君を「うちのGOLDONI JUGENDです」とご紹介、佐々木君の「にしては、ひねてますが…」のご挨拶に、三人で大笑い。フランス留学を計画している佐々木君に、フランス演劇の大家はにこやかに話しかけて下さった。
昨17日の15時40分頃、トヨタ自動車・コンポン研究所顧問の井上悳太氏が見える。この14日の午後に初めてお越しになったばかりで、「このあいだは長い時間話が出来て、すごく愉しかったから、東大に出掛けた帰りで、時間は余りなかったのですが、また寄りました」。光栄なこと。奥でお休み下さい、とお茶の用意を始めると、お渡しした『未来』を早速読んでくださったようで、「(私の蔵書で埋まった)店の奥には簡単には入ってはいけないんでしょう」。高い教養・見識は無論のことだが、まったく豪ぶることの無い、お人柄の良さや、話題の豊富さや深さなど、先日の1時間半ほどの会話で感じ入り、己の至らなさを思い知らされた。「今日は20分だけ」と仰って本をお買い下さり、近くの古書店で求めた村松剛著『評伝ポール・ヴァレリー』のこと、近所の蕎麦屋や料理屋のことなど伺った。
今日の夕方、ご常連の好川阿津志氏が、先週に続けてお越し下さる。氏は劇団創設間もない頃の四季演出部OB、後にアメリカのテレビ番組や洋画の日本語版制作の演出を手掛けられ、今も俳優、声優の育成に努められている。今までに幾人もの若い友人・知人や教え子に、『宮島さんに叱られてきなさい』とGOLDONIをご紹介下さる。(そんな訳で好川さんの紹介での来店者は、いつ殴りかかられても良い様に半身に構えている。)演劇を活用したコミュニティでのボランティア活動に情熱をお持ちで、今日も練馬区の民間立美術館の小ホールの有効活用に智慧を貸されていることなど伺う。二十歳と最も若いGOLDONI JUGENDが来店し、静かにじっくり本撰びをしていたら、氏はお帰りの時、『この本を読みなさい』と仰り、棚から三木のり平著『のり平のパーッといきましょう』を取り出し、「私に譲ってください。彼にプレゼントしますから」。好川さんの若い人達を育てようとの熱意、ほんものの優しさに頭が下がった。
命永らえ、十年後二十年後、お三方のような紳士になっているだろうか。 

2004年12月19日

水道橋能楽堂の『劇場の記憶』

 午前中に渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムでの『流行するポップ・アート展』を観ようと思っていたが、午後にも予定があり、今週の平日に行くことにする。10時過ぎGOLDONIに。頼まれている企画のアイデアを絞ろうとするが、資料を読んでいるうちに出掛ける時間になり、まったく捗らずじまい。13時40分、GOLDONIを閉め歩いて水道橋・宝生能楽堂に。
今日の能は、シテ東川光夫(曾我十郎)の『小袖曾我』。曾我の十郎、五郎兄弟が、父・河津三郎を殺した工藤祐経を十八年の辛苦の末に仇を討つ、という歌舞伎でいえば曾我狂言の源流にある「吾妻鏡」「曾我物語」に取材した作品のひとつ。源頼朝の富士での巻狩に従う祐経を討つべく、十郎祐成、五郎時致の兄弟が仇討ちの挨拶(永久の別れ)に母を訪ねるが、法師になるはずが幼少からの仇討ちの一念から、預けられていた別當から逃亡した弟五郎は、母の勘当を受けていて対面叶わず。十郎は五郎を伴い、母の前で弟の孝心など訴えたが聞き入れられず、泣きながら去ろうとすると、やっと心が通じたのか母は二人を許し、兄弟は晴れやかに富士の裾野をめざして発つ、という筋書き。動きの少ないツレ和久莊太郎(母)を観ながら、四十年ほど前に初めてここ(旧・水道橋能楽堂)に来たことなどを想い出していた。
 最初は母のお供だったが、母が亡くなった後は、たびたび師匠と一緒に勉強に来た。二十六年も前のことだが、地方出張から戻りその足で日生劇場へ。その楽屋前の通路で、今は亡き女優の影万里江に呼び止められた。「なにしてるの。おばさん、亡くなったわよ」「どこのおばさん?」「翠扇さん!。あんたんちの他の伯母さんは知らないわよ。早く会ってきなさい」。
市川翠扇の葬儀の夜だったか、師匠に参列の礼を伝えに稽古場を訪ねた折、私を慰めるつもりでか亡母や翠扇との想い出を語り、別れ際には、独身で子を持ったことのない彼女は、子を諭すような母親の表情になって、「(後援者は)私だけになったわね。私を大事にしなさいよ」と、笑顔で言い、珍しく門の外で私の姿が見えなくなるまで見送って呉れた。
そのひと月後、『ウエストサイド物語』北海道ツアーから戻った朝、彼女の突然の死を知らされた。勘当が解け、晴れやかに舞う兄弟を佇み見守る十郎、五郎の母と、門の外で、「振り向かないでいいから。前を向いて歩きなさい」とでも言うような所作で見送っていた師匠とが重なった。
 水道橋能楽堂が想い出させてくれた過ぎし日。これもまた、『劇場の記憶』だ。

2004年12月25日

サンタの代わりは、『JUGEND』

昨24日の15時前、演出家の木村光一さんが久しぶりにご来店。『Faber and Faber』刊の古書をお探しだったが、在庫がなくお役に立てず。氏からお若い時分の話が出て、「丸善などで取り寄せてもらった数冊の洋書代金は、当時の演出料より高かった。それでも必要に迫られて、買って読んだものです」。氏は、アーノルド・ウェスカーの『調理場』『大麦入りのチキンスープ』『僕はエルサルムのことを話しているのだ』や、J・オズボーンの『怒りをこめてふり返れ』、ロバート・ポルトの『花咲くチェリー』、R・アンダーソンの『お茶と同情』ほか相当な数のご自身の翻訳による演出作品がある。最近の演出家、たとえば新国立劇場の芸術監督や、彼の周辺のごく内輪で独断先行、懇ろな演劇ワークショッパー、新聞記者や批評に手を染める人たちと計らっての同劇場演劇研修所設置に、自身が所属し、また出身の劇団の俳優養成機関の不備不足を忌憚なく批判してまで協力する天晴れな演出家たちに、自身の翻訳作品がどれくらいあるのか、寡聞にして知らない。こういう御仁の多くが、木村氏の演出助手の経験者。芸術座などの商業劇場、地方自治体やテレビ芸能界など、「興行主の為の演劇」「俗衆の為の演劇」「人気俳優の為の演劇」(岸田國士『演劇漫話』)の舞台演出に余念のない彼らが、氏のどんな後姿を見て育ったのか。辛辣で強心臓の私でも、多少の憐憫の情も働き、伺えなかった。氏と入れ替わるようにして母娘の二人連れの来店。長い時間を掛け、何冊かの本を読んでいる。途中、外に出ていた母親が戻ると、「この2冊を買って貰っていい?」と了解を求め、お買い上げ。ラシーヌの研究書2点。「三一致の法則についての研究報告に必要」と、嬉しそうに本を抱えてお帰りになった。高校の一年生だそう。「団塊の世代から三十代までの現役演劇人が来ませんね」と木村氏に話したが、15、6歳の少女が1時間も掛けてラシーヌの研究書を探している様子を、彼ら遣ってるつもりの演劇人に見せてやりたかった。
17時過ぎ、教育NPOの実践家・志村光一氏が最近の活動を知らせに寄って呉れる。途中、GOLDONI JUGENDの一人が柏水堂のクッキーを手に前触れ無しに現れる。気を利かせて、『お邪魔だから、一回りしてきます』と言って出て行く。18時過ぎ、志村氏の帰りしなに間が良く戻って来た。今度は彼女と1時間半ほど話し込む。
今日の14時頃、明治大学文学部の神山彰教授が見える。先生がお持ちの資料で、北村喜八宛の書簡の、築地小劇場の棟上式の誘いの浅利鶴雄氏(浅利慶太氏の父)からの手紙や、二代目市川左團次からの挨拶状など、以前に拝見した折、コピーを無心していたものをお届け下さる。当方のHPの新コンテンツに、エッセーの寄稿ページを作ろうと思っていたところで、玉稿を賜るべく厚顔にして汗顔のお願いにご快諾戴く。先生のお帰りの直後、GOLDONI JUGENDが姉妹と二人で自転車でやって来る。手には、貸していた本と、フルーツケーキの詰め合わせ。心遣いして呉れるJUGENDたちの為にと思って菓子を用意していたが、昨日も今日も忘れて手ぶらで帰してしまう。
16時過ぎ、カーテンコールの小林秀夫さんが見える。「図書館のその後の動きは如何」と訊ねられるが、つい弱気になり、叱咤される。「GOLDONIの棚は本当に良く揃っている。こんな演劇書に囲まれていたら、素敵ですね」と、遠回しな表現で、舞台芸術図書館の設立を促してくださる。ひょうご舞台芸術の演劇制作担当の三崎力さんとこれから会うと仰るので、彼宛てに「紙礫」を託す。
17時半過ぎ、友人の西村幸久氏が、近くの岩波ブックセンターで『未来』2冊を確保して届けて呉れる。忝し。来週にでも食事をと思っていたが、スピーチライターでもある彼は、「会長、社長の急な御用があるやも知れず、スタンバイです」とのことで、その詫びでのご来店。真っ当な社会人というものは、かように義理堅いもの。本をあげても貸しても無しのつぶての、天晴れな遣ってるつもりの演劇人に、彼らの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいもの。
19時前に北千住へ。THEATRE1010主催の『区民ミュージカル・しあわせなモミの木』。終演後、ゲスト出演している浜畑賢吉氏を訪ね、珍しく楽屋に。通路で美術家でこのホールの芸術監督の朝倉摂さんと出会い、立ち話。「(出演している)子供は無邪気でいいでしょう」とのお言葉に、「何十年も無邪気なままの人もいますね」と憎まれ口をたたきそうになる。