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水道橋能楽堂の『劇場の記憶』

 午前中に渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムでの『流行するポップ・アート展』を観ようと思っていたが、午後にも予定があり、今週の平日に行くことにする。10時過ぎGOLDONIに。頼まれている企画のアイデアを絞ろうとするが、資料を読んでいるうちに出掛ける時間になり、まったく捗らずじまい。13時40分、GOLDONIを閉め歩いて水道橋・宝生能楽堂に。
今日の能は、シテ東川光夫(曾我十郎)の『小袖曾我』。曾我の十郎、五郎兄弟が、父・河津三郎を殺した工藤祐経を十八年の辛苦の末に仇を討つ、という歌舞伎でいえば曾我狂言の源流にある「吾妻鏡」「曾我物語」に取材した作品のひとつ。源頼朝の富士での巻狩に従う祐経を討つべく、十郎祐成、五郎時致の兄弟が仇討ちの挨拶(永久の別れ)に母を訪ねるが、法師になるはずが幼少からの仇討ちの一念から、預けられていた別當から逃亡した弟五郎は、母の勘当を受けていて対面叶わず。十郎は五郎を伴い、母の前で弟の孝心など訴えたが聞き入れられず、泣きながら去ろうとすると、やっと心が通じたのか母は二人を許し、兄弟は晴れやかに富士の裾野をめざして発つ、という筋書き。動きの少ないツレ和久莊太郎(母)を観ながら、四十年ほど前に初めてここ(旧・水道橋能楽堂)に来たことなどを想い出していた。
 最初は母のお供だったが、母が亡くなった後は、たびたび師匠と一緒に勉強に来た。二十六年も前のことだが、地方出張から戻りその足で日生劇場へ。その楽屋前の通路で、今は亡き女優の影万里江に呼び止められた。「なにしてるの。おばさん、亡くなったわよ」「どこのおばさん?」「翠扇さん!。あんたんちの他の伯母さんは知らないわよ。早く会ってきなさい」。
市川翠扇の葬儀の夜だったか、師匠に参列の礼を伝えに稽古場を訪ねた折、私を慰めるつもりでか亡母や翠扇との想い出を語り、別れ際には、独身で子を持ったことのない彼女は、子を諭すような母親の表情になって、「(後援者は)私だけになったわね。私を大事にしなさいよ」と、笑顔で言い、珍しく門の外で私の姿が見えなくなるまで見送って呉れた。
そのひと月後、『ウエストサイド物語』北海道ツアーから戻った朝、彼女の突然の死を知らされた。勘当が解け、晴れやかに舞う兄弟を佇み見守る十郎、五郎の母と、門の外で、「振り向かないでいいから。前を向いて歩きなさい」とでも言うような所作で見送っていた師匠とが重なった。
 水道橋能楽堂が想い出させてくれた過ぎし日。これもまた、『劇場の記憶』だ。