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2006年02月 アーカイブ

2006年02月01日

五代目市川三升(十代目市川團十郎)を語る

「元来、祖父は、俳優の質的な向上とか、人格の修養とか申すことにたいそう心を使った人の由で、現に、長女実子(じつこ)の婿には、慶應義塾出身で日本通商銀行に勤務していたインテリの、伯父三升を迎えていることでもうなずけます。
 祖父は、自分の芸の跡目を継がせようと、若い時に、兄の子を養子にして育てたのですが、この人がわずか十三才で亡くなり、落胆している折も折、翌年長男の(私にとっては、実の伯父に当たる人ですが)誕生で大喜びとなりました。ところが、この長男も生まれた年に病没し、その後は、男の子は授からず、続いて誕生した二人の子
は、揃って女の子でした。この姉妹が、私の伯母と母です。
 祖父は芸統の相続ということに相当深刻に悩まれたようでしたが、きっと、芸を相続させる人を、物色しながら、世を去ったのではないか、とも思われます。ですが、一方には伯父三升を長女の婿として迎える決心を固められたのは、人物本位が芸に優先したとも考えられます。
 私は、この伯父によって、どれほど、人間としても舞台人としても教養を深めることの大切さを、教えられたことでしょう。伯父は、好むと好まざるによらず市川宗家という大きな看板のお守りをしなければならぬ羽目になり、祖父の死後、自ら三升を名乗って死ぬまで、舞台に立ち歌舞伎十八番の復元や保存に努力致しました。」
「子供の頃は、私は画家になろうと、真剣に、と申しましても十才前後のことですから、幼い夢に過ぎませんが、心にきめていました。
これには伯父三升の影響が多分にあります。伯父は、前にもちょっと記しましたように、祖父の舞台上の名跡を継ぐために迎えられた養子でなく、堀越の家に新しい知識の風を導き入れるために迎えられた人ですから、人間も静かで趣味も高尚優雅なものを持っていました。
 特に、書と画をよく致しましたが、私の、まだ小さい時分から、庭の花壇へ連れ出したりして、スケッチをすすめました。まだ幼い私に、「写生をすることは、物をよく見ることの基礎である」ことを、噛んでふくめるように、やさしく説明してくれました。」
「この伯父には、もう一つ、俳句の手ほどきを受けました。後年、新派に入りまして、久保田(万太郎)傘雨宗匠のご批評や御叱正をいただくようになりましたのは、偏えに伯父の薫陶よろしきを得た賜物と思っています。」

劇聖・九代目市川團十郎の唯一の孫であり、最後の血統となった、劇団新派の大幹部であった三代目市川翠扇が、昭和41(1966)年に上梓した『九代目團十郎と私』(六芸書房刊)から、伯父・五代目市川三升について触れた箇所を二三摘んでみた。
GOLDONIの開店5周年にあたる昨年9月、この『提言と諌言』で、<「閲覧用書棚の本」其の十。『九代目市川團十郎』>という、この市川三升の著書を3回に分けて取り上げた。
先ほど久しぶりに、この『九代目市川團十郎』を手にしたが、今まで長いこと読み飛ばしてしまっていた、その「自序」の中にあった三升の言葉に教えられたので、それを書き記す。
「誰かの言葉に人を語るには語る人が語られる人と同格の人か、若しくは以上の人でなければならない。偉大な人は偉大な釣鐘のようなもので、その偉大な音響を出さんとするならば、偉大な力と偉大な撞木がなければならぬと云つた。結局私の持つた撞木は餘りに小さく且つあまり力弱かつた事を嘆かずにはゐられない。」

九代目やこの三升という縁戚の歌舞伎役者の存在を知ったのは6、7歳の頃。彼等を演劇人の規範として意識し始めたのは二十代半ば。それからもう四半世紀になるが、以来、彼等の偉大さを識れば識るほど、己の力の無さを痛感する毎日である。一昨年からは、折に触れて、彼等のことをこの『提言と諌言』で語るようになった。三升の言ではないが、非力な私が語ることで、(九代目は別としても)三升の人物像が歪んでしまってはいけないと思いながらも、久しぶりに三升に触れた。

歌舞伎の大きな財産である「歌舞伎十八番」を復活させ守ってきた三升だが、残念ながら、そして悔しいことだが、その恩恵を受ける松竹も、批評家も、そして三升の養子となり大名跡を継いだ十一代目の実子である当代の團十郎も、その人物、業績を語らない。
せめて私は、自戒しながら、これからも三升を語っていこうと思っている。

今日2月1日は、市川三升の五十年の正忌である。

2006年02月09日

『朝日』は 「制定賞廃止」で見識を示せ 

朝日新聞の2月3日夕刊2面の『窓 論説委員室から』は、「野茂投手の注文」と題して、同紙制定の朝日スポーツ賞での野茂英雄の受章の挨拶に触れて西山良太郎論説委員が書いている。今までの賞がその場だけのことに終っている。あげる方(新聞)は、今後のスポーツ、その競技を考えて欲しい、というスピーチだそうで、それは「受賞者から表彰側へ、活を入れるような注文」であるとし、またアメリカでの活躍や、球団経営、若手育成に努める野茂選手を称える。「日の当たらない陰の努力を追って選手に寄り添い、彼らを支える競技の環境に目をこらしながら一緒に走っていきたい。野茂さんの直球スピーチを、自戒を込めて受け止めた。」とコラムを纏めていた。野茂選手の朝日新聞(賞制定者)に対する厳しい批判を、自戒を込めて受けとめるべきは、この論説委員氏一人ではないはず。また、このコラム自体が、朝日新聞の自己批判とも思えるが、穿ち過ぎだろうか。

同じ朝日新聞の2月6日夕刊5面の文化欄には、作家で劇作・演出家でもあるロジャー・パルバース氏が『文学の国?文学賞の国?』というタイトルの随筆を書いている。
イギリスの『サンデー・タイムズ』が、三十年ほど前のブッカー賞受賞の原稿を二十の出版社や代理人に送りつけ、戻ってきた返事はすべて、出版をお断りする、というものだった、との書き出しが面白い。
パルバース氏によれば、日本には文学賞が五百近くあるそうで、「日本では、文学作品そのものより、文学賞のほうが重要である、というかのよう」。「作家に会ったときは、『どんな作品を書かれてきたのですか?』と尋ねるより、『どんな賞を受賞されたのですか?』と尋ねるほうがそのうち普通になるかもしれない」。「もはや文学は賞をもらうことによって評価されるのであって、文学が評価されて賞をもらうのではなくなりつつある」とも。
パルバース氏は朝日新聞に配慮してか、学芸の担当記者に泣いて縋られたからか、同紙制定の朝日賞や大佛次郎賞こそ挙げなかったが、他の十近い賞の名を挙げ、「これだけ多くの賞があるのだから、宝くじで一等賞を当てるよりは、文学賞を一つもらうほうが、ずっと確率は高い」と皮肉にいう。
「日本はまさに文学賞の国だ。しかし、それはすなはち文学の国ということになるのだろうか?」。
滞日三十年のパルバース氏は、現代日本の痩せた芸術・文化事情やメディア事情を指摘しているのだと思うが、これは私の偏見だろうか。

3日の論説委員氏のコラム、そして6日のパルバース氏の随筆は、1月の朝日賞・大佛次郎賞や舞台芸術賞の発表と贈呈式の直後だけに、とくに面白く読んだ。

2006年02月12日

『朝日』は「制定賞廃止」で見識を示せ(続)

朝日新聞の2月1日朝刊の第2社会面には、前日に催された朝日舞台芸術賞の贈呈式についての、写真付きではあるが、4百字足らずの比較的小さな扱いの記事が出ていた。グランプリ作品『歌わせたい男たち』と、特別大賞の蜷川幸雄氏には賞牌と200万円が、他の受賞者には賞牌と100万円が贈られた、とある。記事の締めは、秋山耿太郎社長の挨拶で、舞台芸術の発展に寄与できますよう微力を尽したい、とある。
この朝日舞台芸術賞は、読売新聞が1993(平成5年)に制定した『読売演劇大賞』の後塵を拝して、2001(平成13)年に制定。同工異曲な褒賞制度を始めたということからも、宿敵の読売に先行された朝日としてはさぞ悔しかっただろうと同情するが、読売の選考委員を辞した演劇評論家をすぐに選考委員に据えるなど、見識も節操も持ち合せていないのか、かなぐり捨てたのか定かではないが、二番煎じにもかかわらずか、だからこそか独自色を出すこともなく、肝心の賞を授かる方は、賞をくれる新聞社が、読売か朝日か毎日か、覚えていないものまで出る始末。跡追いの朝日新聞としては、それが狙いだった、のかもしれないが。
朝日舞台芸術賞の選考委員は、演劇評論家3名、舞踊評論家2名、映画監督1名、関西在住の芸能評論家1名と、朝日側から常務取締役編集担当、文化部長の9名。この3名の演劇評論家とは、東京大学名誉教授の小田島雄志氏、大阪芸術大学教授の大笹吉雄氏、元朝日新聞(旧)学芸部記者の天野道映氏。
彼等は演劇専門で、舞踊についての選考には加わらないのだろう。1名の映画監督とは山田洋次氏のことだが、偶に劇場・ホールで氏を見掛けることがあるが、舞踊などもご覧になるのだろうか。
朝日側の吉田慎一常務、鈴木繁文化部長の二人は、経営幹部として、あるいは文化面作りの責任者として多忙なのだろうと思うが、寸暇を盗んで足繁く劇場通いをされているのだろう。
昨05年3月6日の『提言と諌言』<http://goldoni.org/2005/03/post_81.html>見識・良識なき<学識経験者」が巣食う「芸術祭」>として、文化庁芸術祭の問題点を指摘した。
そこでは、「文化庁や助成団体、新聞などの賞の選考委員であることをちらつかせ、劇場や劇団からチケットを強要、パンフレットやホームページ等での執筆機会をものにし、なかには演劇の製作団体や劇場への助成金の獲得、不適正な経理処理にまで加担していると言われるほどの「学識経験者」を文化行政の周辺から、そして舞台芸術から追放すべき。文化庁に芸術祭の取り止めを勧める。」と書いた。
その後に、読売新聞の賞の運営に関わっていた複数の文化部長経験者にも、「選考委員の観劇のチケットくらいは新聞社で負担したらどうか」と提言したことがある。読売の賞の選考委員の中には、『提言と諌言』に書いたように、「読売演劇大賞の選考委員なのよ!」と自分のところに招待状が来ないことがケシカランと思ったか、恫喝紛いの物言いでチケットをせしめたと言われる者までがかつていた。観劇に大学の女子学生か若い女性を伴い、その同伴者のチケット代も払わずに受付で揉めたり、講師を務めていた新国立劇場の演劇研修所の生徒ともトラブルを起こすなど、見識や良識以前の常識を微塵も持ち合わせていない者までいる始末。
無理強いは論外だが、自腹を切って観劇しないことは無論のこと、祝儀・心付け、陣中見舞・さし入れなどの用意もせず、パンフレットなどの執筆機会や飲食接待などの持て成しを受ける腹づもりの観劇が、現代日本の演劇評論家の常識であり日常である。
この不見識非常識な者たちを支え、助長しているのが、芸術祭であり、助成制度であり、そして新聞社の制定賞であると、ことあるごとに主張しているが、常態化しているだけに、ことの異常さには誰も気がつかない。批判する私のほうが卑しいのではと、苛まれることすらある。
演劇評論家とか、文化政策研究者とかの学識経験者と呼ばれる、舞台芸術の愛好者でもなく、かつての好事家とは似ても似つかぬ者たちが、舞台芸術とりわけ演劇の基盤・環境、行政の文化政策が大きく変化するこの十数年のあいだ、いたるところで蠢動し跳梁している。
こういう者達を、「演劇業界ボス」化させる装置・機能の一つが、新聞社の褒賞制度である。この選考委員を引き受ける新手の業界人、そしてそのボス化が、演劇を舞台芸術を歪めているのである。
「舞台芸術の発展に寄与できるよう微力を尽したい」との朝日新聞社長の言、結構である。読売新聞はいずれ選考委員の鑑賞チケット代を負担することになるだろう。跡追いの朝日はどうするか。この際に褒賞制度を見直し、あるいは廃止して、『社会の木鐸』たる新聞の見識を示し、先行する読売の鼻を明かしてやったらいいと思うが、どうだろう。
朝日新聞に、『朝日舞台芸術賞』の廃止を強く勧めたい。