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2005年05月 アーカイブ

2005年05月01日

国鉄鶴見事故で亡くなった三枝博音

25日に起きたJR西日本福知山線の事故は、死者百七名、重傷者は百名を超え、危険な状態な方も十数名にのぼる大惨事になった。百名を超える人々が、平日の朝、ふだん通りの通勤や通学、あるいは買い物などの外出で留守にした家に、病院や遺体安置所から無言の帰宅をされたことを思うと、胸が痛む。いちいちは書かないが、テレビ・ラジオや新聞で知るJR西日本の経営陣や運行部門などの幹部の経営姿勢には憤りを覚える。そして彼等の事故対応などには、腸が煮え返る思いだ。井出正敬相談役は国鉄改革三人組の一人と聞く。南谷昌二郎会長は三人組の親衛隊十八人衆の一人。そんな合理化推進者の二人の後継者である垣内剛社長、民営化18年になる民間企業経営者というより、典型的なキャリア官僚の顔だ。記者の前で、事前に用意されたペーパーを読む姿には、呆れたと言うよりも、恐ろしさを感じてしまった。厚生労働省の組織的・恒常的な疑いもある裏金作りの事件で兵庫労働局長が自殺したが、こんな経営陣であれば同様な事故も、そして現場担当者たちの自殺などの事件も、悲しいことだが起こるだろう。
事故現場となったマンションの住人たちも大変な被害にあった。マンション管理組合として、JR西日本への買取りを求めるのでは、との報道もある。マンションの一階に慰霊碑を、との声もあがっていると言う。もっともな話だと思う。このトップ三人は、買取り、慰霊碑の建立に同意するだろう。ただ、経営合理化を推進して黒字化を実現してきただけに、これらの費用を企業経費として負担することに抵抗を覚えるのではないか。だとすれば、自分たちの退職慰労金や今までの役員報酬、役員賞与などから捻出するなどの策を講じてほしい。そして買い取ったマンションは、将来が約束されている彼らのようなエリート社員の社宅や研修施設とし、事故を教訓化してほしい。
昭和38(1963)年の11月、横浜市鶴見区生麦で起きた貨物列車と上り下りの横須賀線電車との二重衝突事故いわゆる鶴見事故は、小学生の時分であったが記憶にある。翌日が休日で学校や稽古が休みだったのか、夜更かしをしていて、テレビでこの事故を知った。深い闇の中で、事故のあった構内だけが救助・復旧作業のためのライトに照らされ、線路や鉄骨や横転した列車が不気味に映っていたことを憶えている。この鶴見事故では百六十一人が亡くなった。
いまや教育までが商売になったこの国でも、戦後の一時期だが、第一級の研究者や実践家が手弁当で教えに集まった理想の学園、野散の大学があった。その大学、『鎌倉アカデミア』の学校長として理想の教育を求め尽力した哲学者 ・科学史家の三枝博音も、この事故での犠牲者のひとりである。設立当初からの財政難と新制大学として認可を渋った文部省の前に、廃校を決断せざるを得なかった三枝博音は、その後に横浜市立大学の文理学部長、そして学長としてアカデミアで頓挫した『生きた学問』や『学問の自由』などの教育実践を推し進めていた。
遺体安置所であった鶴見の総持寺から自宅のある北鎌倉までの途中、三枝博士の遺体を載せた車は大船のかつてのアカデミア校舎跡を静かに通り過ぎた、という。

2005年05月12日

大型連休前後に観た五つの舞台

先月25日の尼崎での大惨事の後に、5月1日の『提言と諌言』に『国鉄鶴見事故で亡くなった三枝博音』を書いたが、その後に劇場やGOLDONIで知人に会うたび、あるいは電話、mailで、事故のことは無論だが、三枝博音や鎌倉アカデミアついて訊かれたりすることが多い。ブログを書き始めて1年になるが、読まれる方の反応を珍しく、そして強く感じる。
この1週間に、4本の演劇公演を観て、多くの人と休憩時に、あるいは終演後に、立ち話をしたり茶を喫したり、(私はアルコールを口にしないが)酒席をともにした。5日は浜松町の自由劇場での、劇団四季の『解ってたまるか!』(福田恆存作、浅利慶太演出)。3月に公演したジャン・アヌイの『アンチゴーヌ』(諏訪正訳、浅利慶太演出)を観て以来の自由劇場。狭いロビーは多くの招待客を含め初日の観客で賑わっていた。6日は六本木の俳優座劇場で、俳優座公演『春、忍び難きを』(斎藤憐作、佐藤信演出)。前日の自由劇場と打って変わって、三百席の客席に二百人弱の観客、終演時のロビーも開演前同様に寂しいものだった。10日は信濃町の文学座アトリエで、『ぬけがら』(佃典彦作、松本祐子演出)。暑かったからか、蚊と闘いながらの観劇。昨11日は新大橋のベニサンピットで、tpt公演『ア・ナンバー』(キャリル・チャーチル作、サーシャ・ウェアーズ演出)。神保町からは地下鉄で5、6駅の森下駅、ベニサンとセゾンスタジオに行く折にしか利用しないが、いつも「棄てられた東京の東側」を実感させる寂しさだが、ベニサンピットの客席もそれに負けてはいなかった。
2日に初台の新国立劇場で、バレエ『眠れる森の美女』を観た。カーテンコールでは、この日で引退するオーロラ姫の志賀三佐枝への千数百人の観客のあたたかい拍手や歓声が暫く続き、師である牧阿佐美と抱き合った時には、カーテンコールが嫌いで、彼女と縁も所縁も無い私も、「鬼の目」の目頭を熱くした。

2005年05月21日

『三社祭』の浅草に遊ぶ

5月の東京は祭りの季節である。第1週の下谷祭、第2週の神田祭、そして第3週の昨日今日明日の三社祭である。母方の先祖代々、殆どの親族の墓が浅草吉野町の浄土宗の寺にあり、幼い時分から地下鉄や当時走っていたトロリーバスでやってきて、墓参りをし、浅草の繁華街で食事をした。親族の営む店が多く、東京劇場や歌舞伎座そして新橋演舞場のある築地・銀座は、幼い時分から慣れ親しんだ街だが、こちらはいかにもヨソイキの世界。それにひきかえ、菩提寺の直ぐ先には山谷のどや街が広がり、昔と変わらない薄汚さが漂う浅草六区周辺に特段の魅力がある訳ではない。銀座から二十分足らずのところにある、棄てられた東京の東側の繁華街に、興味と言うよりも懐かしさを感じている。ハレの銀座・ケの浅草とでも言うのだろうか、ともに生まれ育ったところのような郷愁を感じる。
銀座には、月に何度も、特段の用事が無くとも、平日の午前中あるいは夜に散歩に出掛ける。つい先日の夜も、デパート廻りのあとに、MIKIMOTOのショーウインドーを見、昭和通りの銀座2丁目にあるパンの店スワンを覗いて歩いた。
昨夜は、今日明日と予想される大変な混雑を避け、浅草にひと足早く出掛け、運良く仲見世で十基ほどの神輿を見、喫茶アンジェラスが珍しくすいていたので、昔風のケーキとお茶を楽しんできた。もう四十年も前のことだが、祖父か祖母の法事の帰り、母と伯父が子供達を撒くようにして消えて入ったのは、このアンジェラスだった。
京橋に生まれ、銀座や日本橋に親しんだ母だったが、墓参りや法事の後にでも、兄である伯父と子供の時分から、私と同じように浅草で遊んだのだろう。
三社祭の今日は、母の38回目の命日である。

2005年05月25日

『危険な綱渡り』を上演中の新国立劇場

新国立劇場2004/2005シーズンの中劇場での最後の新作公演、井上ひさし作、栗山民也演出の『箱根強羅ホテル』が、19日から始まった。この10日過ぎから、新国立劇場の内部からも外部からも、井上ひさし氏の本が仕上がらないとの情報がもたらされ、井上氏とその周辺の新国立劇場関係者の、相変わらずの懲りないダラケた不見識極まりない製作姿勢に呆れていた。台本の出来上がりは16日、3日後の開演にはなんとか間に合い、上演延期や中止の事態は辛うじて免れた。舞台の出来は当然のことだが良くないそうで、23日の休演日あたりも、稽古をし直したのではないだろうか。この作品の演出担当で芸術監督の栗山民也や、劇場には井上氏との絡みで縁故就職、氏の作品を専ら担当する制作部員達は、少なくともこの企画が決定されて以来、井上氏とどんな接触をしていたのか。新作執筆についての契約はどうなっているのだろうか。上演の1年前とか半年前には完成稿の提供、というような約束はしていないのだろうか。出演契約はどうなっているのだろうか。本が無いままに上演スケジュールを決め、キャストもスタッフも本も読まずに企画に参加する、これが新作、というもののあり方なのだろうか。本の出来上がりが遅く、上演中止や延期がたびたびのお騒がせ井上企画だが、こんな危険な綱渡り状態を続け、またそれを許している新国立劇場という組織、箍が緩みすぎているのだろう。独立行政法人の実質的な下部組織として、十桁の税金が投入され、業務の効率化や透明性が求められる新国立劇場、この井上問題だけでなく、演劇研修所の設置についても、演劇製作団体や演劇人への説明、説得、議論を回避し、以前から「国立の演劇センター構想」などを主導する井上氏本人をはじめ、氏に近い芸術監督や数人の協力者だけでことを進めるなど、独断専行が目立つ。設置に先立つ一年前には、事前調査にも数百万円の調査費が予算化され、ほぼ同じメンバーだけで海外に調査旅行に出掛けている。この演劇研修所は新国立劇場の建物の中に用意されず、新宿の外れの廃校で実習が行われている。殆ど演劇の素養の無い研修生15人の養成に、この一年だけでも7千万円近い税金が遣われるそうだが、その金の使い道は当然のように公開されない。NHKの番組制作費の着服や不正流用が問題になったばかりだが、法外に高いといわれる台本料や演出料、スタッフ費、舞台費、出演料を払い、海外招聘作品にも相場を遥かに超える上演料を払い続け、旧知の海外エージェントも「いまどき奇特」と揶揄する新国立劇場、その製作態勢や経費支出などは、いつ情報公開されるのだろう。
政界との癒着体質の一掃も期待されて、NHK副会長に就任したはずの永井多恵子氏の初仕事は、お決まりの永田町の議員センセイへの挨拶回りだったそうだ。前会長の傀儡、軽量級と見られていた永井氏であればそれもまた仕方の無いこと。文部大臣経験者で、霞ヶ関・永田町でも実務型官僚としての評価が高く、新国立劇場と距離を置く劇団四季の浅利慶太氏や静岡県舞台芸術センターの鈴木忠志氏らとも親しいといわれる遠山敦子新理事長、その最初のそして最大の仕事は、箍が緩んだ製作態勢に大鉈を振るうことではないだろうか。