2017年09月

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2017年09月10日

劇場へ美術館へ《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年9月》

[演劇]
*9月6日(水)から10日(日)まで。 浜松町・自由劇場
日下武史追悼公演
『思い出を売る男』
作・加藤 道夫 演出・浅利 慶太

[美術]
✳︎9月24日(日)まで。 両国・東京都江戸東京博物館
『徳川将軍家へようこそ』

✳︎10月1日(日)まで。 千駄木・文京区立鷗外記念館
『森家三兄弟ー鷗外と二人の弟』

✳︎10月13日(金)まで。 六本木一丁目・泉屋博古館分館
『浅井忠の京都遺産ー京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション』

✳︎10月29日(日)まで。 竹橋・東京国立近代美術館
『日本の家ー1945年以降の建築と暮らし』

2017年08月21日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年8月》

春名幹男著『秘密のファイル ーCIAの対日工作』上・下
共同通信社 2000年刊

〈 岸に現金〉
米公文書の中で、ハード・エビデンスを実際に確認したのは、アリゾナ大学のマイケル・シャラー教授(歴史学)だ。
シャラー教授は一九九五ー九七年の間、国務省の「歴史外交文書諮問委員会」のメンバーだった。この委員会のメンバーは、外部専門家として、国務省の文書解禁をチェックする立場にある。だが、非公開の文書を外部に漏らすことはできない。
シャラーは筆者とのインタビューで、
「岸がCIA資金を得ていたのは、疑問の余地がない」
と言い切った。
しかし CIAによる工作を具体的に記した秘密文書はこれまでのところまだ、機密扱いを解除されていない。シャラーも、その内容を言うことができない。
「外交上悪影響を与える文書の解禁はできないからだ」
CIAのシンクタンクである「情報研究センター」の元所長で、CIA幹部として在日経験のあるデービッド・グリースは筆者にそう述べた。
米政府の情報公開は世界で最も進んでいる。しかし、CIAの文書は例外とされている。
「特に工作部門の文書は公開の義務がない。しかし、日本ではそれほどの秘密工作はやっていない 」
と故ウィリアム・コルビー元CIA長官は筆者に何度も話していた。イランやチリなどでの工作に比べたら、日本での工作など微々たるものだという意味である。
それにしても、マッカーサー二世大使の秘密電報などの内容は極めて強力な状況証拠だ。シャラー教授の証言もある。
岸にCIA資金が渡されたのは確実だ。
筆者も、独自の情報源をつたって、対日工作に直接関与した経験があるCIAの元幹部にワシントンで会うことができた。
果たして、本当にCIAは自民党に資金を提供したのだろうか。
彼は戸惑うことなく、
「党に渡した事実はないが、個人には渡した」
と言い切った。それなら、
「金を渡した相手は岸信介元首相か」
と聞き返すと、七十代半ばのその老人は黙って首を縦に振った。


〈普天間返還合意の舞台裏〉
沖縄返還から二十三年後の一九九五年、レークは再び沖縄問題に関与することになった。危機は乗り越えられた。その経緯も極めて興味深い。
一九九六年二月二十三日、カリフォルニア州サンタモニカでクリントンに会った橋本は、
「本当に言いたいことはないのか」
とクリントンに促されて、
「あえて付け加えるとすれば、普天間返還を求める声は強い」
と口を開いた、という。
だが、現実には、この時点でアメリカ側は、“落としどころ”は「普天間返還」と読んでいて、橋本の発言を予想していた。
橋本がなかなか口を開かないから、クリントンの方から誘い水を向けたのである。
少女暴行事件で、日米関係の悪化を懸念したレークは、何度かホワイトハウスで朝食会を開き、有識者の意見を聞いていた。その一人、リチャード・アーミテージ元国防次官補は早くから、「普天間返還論」を主張していた。アーミテージは一九九五年十一月、筆者とのインタビューでもその点を強調した。
沖縄現地でも、大田昌秀知事が普天間返還を口にしていた。当然ながら、この情報は在沖縄米総領事館からワシントンに伝えられていたはずだ。
首相官邸と外務省は、この時も、アメリカ側の周到な準備状況に気がつかなかったようだ。
日本は、橋本の「政治の師」だった佐藤とニクソンの間の「密約」の経験から、何の教訓も学んでいないことになる。
「安保改定交渉」でも、さらに今も、日本側は、外交の基礎に「情報」を据えていない。その上、決断は首相任せで、政府組織として、情報を集約し、機関決定する、という手続きを踏んでいないのだ。
従って、「安保」でも、「沖縄」でも、政府機関としては「密約」に関与しなかった。だから、アメリカ政府の情報公開で「密約」が白日の下にさらされても、外務省は「ノーコメント」としか答えられないのだ。

( 「第8章 政界工作」より)

2017年08月13日

劇場へ美術館へ《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年8月》

[歌舞伎]
*8月16日(水)から8月20日(日) 半蔵門・国立劇場(小劇場)
第二十三回 稚魚の会 歌舞伎会 合同公演
『番町皿屋敷』
第一場 麹町山王下の場 第二場 番町青山家の場
『紅翫』
『双蝶々曲輪日記』

[音楽]
*8月1日(火) 錦糸町・すみだトリフォニーホール
『ピーター・ゼルキン ピアノ・リサイタル』
演奏曲目
◉モーツァルト:アダージョ K.540
◉モーツァルト:ピアノ・ソナタ第17(16)番 変ロ長調 K.570
◉J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988

*8月29日(火) 錦糸町・すみだトリフォニーホール
『キット・アームストロング ピアノ・リサイタル』
演奏曲目
◉バード:ヒュー・アシュトンのグラウンド
◉スウェーリンク:我が青春は過ぎ去りし
◉ブル:ウォルシンガム変奏曲
◉J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988

[美術]
✳︎9月3日(日)まで。 佐倉・国立歴史民俗博物館
『URUSHIふしぎ物語』
ー 人と漆の12000年史 ー

✳︎9月18日(金)まで。 高輪台・畠山記念館
『茶の湯ことはじめⅡ』

2017年07月09日

劇場へ美術館へ《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年7月》

[演劇]
*7月9日(日)まで。 東池袋・あうるすぽっと
新劇交流プロジェクト
『その人を知らず』
作:三好 十郎 演出:鵜山 仁
出演:大滝寛 今村俊一 若松泰弘 名取幸政 山本龍二 大家仁志 ほか

*7月10日(月)まで。 新宿・紀伊國屋ホール
文学座公演
『中橋公館』
作:真船 豊 演出:上村 聡史
出演:石田 圭祐 浅野 雅博 倉野 章子 名越 志保 ほか

*7月28日(金)から8月6日(日)ま 代々木八幡・青年座劇場
劇団青年座公演
『旗を高く掲げよ』
作:古川 健 演出:黒岩 亮
出演:山野 史人 石母田 史朗 松熊 つる松 他

[歌舞伎]
*7月24日(月)まで。 半蔵門・国立劇場
歌舞伎鑑賞教室
『鬼一法眼三略巻 一條大蔵譚』
檜垣茶屋の場 大蔵館奥殿の場
出演:菊之助 彦三郎 亀蔵 梅枝 右近 ほか

[音楽]
*7月4日(火) 江戸川橋・トッパンホール
『ハーゲン・クァルテット』
シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルス
演奏曲目
◉ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第14番 嬰へ長調 Op.142
◉シューベルト:弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D810《死と乙女》

[演芸]
*7月25日(火) 六本木・麻布区民センター
『柳家三三独演会』

2017年07月04日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年7月》

樋口 覚著 『日本人の帽子』 講談社 2000年刊

帽子は明治維新以降の日本人にとって、複雑な近代の象徴と化した。明治以前には、漱石がしばしば俳句に詠んだような頭巾はあったが、洋帽はありえなかった。また、 帽子をかぶる必要もなかった。そこに生じた葛藤は、その後の中国、朝鮮、トルコなどにおいて、開化政策によってもたらされた近代に対する抵抗と受容の劇と同質のものであった。
ロンドンでフロックコートや燕尾服に、絹帽(シルクハット)や山高帽(ボーラー)をかぶった男や、派手な花飾りをつけた帽子をかぶった女を見たことのある漱石は、帽子というものに極めて意識的である。実際、漱石は自分も同じような洋服を作らせ、シルクハットにステッキをもってロンドンを歩き、 ロンドン人から侮蔑されたことを、『倫敦消息』の中で書いている。
漱石は吉田健一が言うように、ただ下宿にこもって読書し、ロンドンで兎のように裸にされて神経衰弱にかかっていたわけではない。劇場によく出入りし、十九世紀ヴィクトリア朝絶頂期の社会と風俗をのちの「無名の猫」のように子細に観察していた。 ( 「Ⅶ 漱石の帽子」より)

今回は倫敦塔にも行かず、ロンドンの街中をひたすら歩き、漱石がひやかしたチアリング・クロスの古本屋や書店に行って、帽子とカーライル関係のよい書物を買い求めることができた。二週間の旅であったが、所期の目的はほぼ果たしたといえるかもしれない。
行くと否とは大違い。ウェーバー作ミュージカル『オペラ座の怪人』を見たハー・マジェスティーは、あとで調べたら漱石が観劇した劇場だった。現在のロンドンっ子がほとんど帽子をかぶらなくなったのに、この劇中に大勢登場する人物だけは皆色とりどりの帽子をかぶっており、舞台はまさに帽子の氾濫で、ゆくりなく十九世紀の世態風俗を知ることができた。
( 「Ⅷ 山高帽の誕生とパナマ帽」より)