2017年03月

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2017年03月05日

新刊書籍から《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年3月》

『わが記憶、わが記録 堤清二✖️辻井喬オーラルヒストリー』
御厨貴・橋本寿朗・鷲田清一=編 中央公論新社 2015年11月刊

鷲田 もう一つ気になるのが、このころの読書傾向です。『本のある自伝』を読んですごく意外だったのは、一九六八、九年は全共闘運動がピークに達したときですが、そのころの学生が読んでいたものと、堤さんが読んでいた本が、ほとんど重なっている。
たとえば思想に関しては、橋川文三からさかのぼる形で、保田與重郎を読んだり、吉本隆明や高橋和巳を読んだりしている。これはどうしてですか。私と堤さんは二十二歳違うのですが、このころ同じような本を読んでいます。つまり、当時は世代間を超えた共通の教養の磁場、あるいは批評文化があったのか、それとも堤さんの世代の読書傾向からすると、堤さんが少し変わっていたのか。

堤 私が学生時代の意識のまま止まっちゃっているのかもしれませんね。意識、関心の持ち方が。だからおそらく、今でもあまり変わっていない。いまの学生よりは少し読んでいるかもしれません。(笑)
たとえば東浩紀君の『郵便的不安たち』も面白かったですね。どうしても気になって読んでしまう。カルチュラル・スタディーズというと、えっなんだろうという感じで本を買ってくる。
だからだんだん同世代の人、あるいは経営者と話が合わなくなる。向こうはどんどん経営者になりきっていくわけですが、こちらはずっと三十代前半の関心でいるから、どんどん離れるのですね。たとえば、経営者にこれは向くだろうなと思って、樋口覚さんの『三絃の誘惑』を薦める。三絃(三弦)は三味線ですから、日本の伝統と革新思想みたいなことを書いています。これなら経営者でも関心を持つと思って薦めて、「どうだった」と聞くと、「難しくてわからなかった」「君、変なものを薦めるな」と言われる。どうしても駄目でした。年とともにそうなります。
経営者は、何と言ってもピーター・ドラッカー、最近はサミュエル・ハンチントン(政治学者)が好きですね。私が「ハンチントンなんて、二流のひどい学者だな」と言うと、変な顔をします。
(第五回 作家活動、三島由紀夫との交流)

御厨 最初の話に戻ります。バブル景気下の堤さんの引退は、同時に辻井喬としての領域の拡大です。なかでも詩がめざましい。一九九二年『群青、わが黙示』、一九九四年『過ぎてゆく光景』、一九九七年『南冥・旅の終り』と詩集が上梓される。詩の世界のなかで、昭和史と自分史を重ね合わせされたように見えたのですが。

堤 そのとおりです。

御厨 それは堤さんにとってどういう意味を持つのですか。私には、経営がうまくいかないなか、堤さんがそれをも含んだ形で詩を書いたという印象を受けたのですが。

堤 そうですね。実は『群青、わが黙示』『南冥・旅の終り』『わたつみ・しあわせな日日』で、三部作にしています。詩を書く者として、生涯の訣別の完了という意識でした。この次はまったく自由な詩を来年(二〇〇一年)になると思いますが、出そうと思っています。
私が行ってきた詩作は、日本の詩壇ではかなり孤立した作業だと思います。なぜなら、日本の詩壇にはそういった歴史意識がほとんどない。思想的なものを作品に反映させる時の流れは、不思議なことに、基本的には途絶えている。こういったものは、金子光晴、小野十三郎、最後はおそらく、田村隆一、鮎川信夫、敗戦直後の『荒地』(第二期、一九四七〜四八年)まででしょう。
その後に出てきた能天気に自分の感性を信用している世代、戦後第一世代は、今や老いさらばえている。感性なんて、歳をとったら鈍るのは当たり前ですから、思想的なものでそれを支えなかったら老いさらばえる。同世代では残念なことに、その姿を現しているものばかりです。
では若い世代はどうか。一つは肉体への信仰。自分の性感覚だとか、匂いがいやだとか、「私詩化」していますね。そこにはコスモスに対する認識がない。詩はその社会の一種のキャラクターを最も先端的に反映する様式だと思うので、ちょっとこれは危機ですね。詩が衰えるときは、その国の文化が衰えるときだと言いますが、そのとおりですね。
(第七回 スカウト失敗、事業の苦戦)

劇場へ美術館へ《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年3月》

[演劇]
*4月9日(日)まで。 大井町・四季劇場〔夏〕
劇団四季公演
『リトルマーメイド』

*3月8日(水)から12日(日) まで。 浜松町・自由劇場
浅利演出事務所公演
『オンディーヌ』

[歌舞伎]
*3月27日(月)まで。 半蔵門・国立劇場大劇場
『伊賀越道中双六』
出演:吉右衛門 歌六 雀右衛門 又五郎 錦之助 菊之助 東蔵 ほか

[音楽]
*3月2日(木) 銀座・王子ホール
『ジャン=ギアン・ケラス アレクサンドル・メルニコフ』
<オール・ベートーヴェン・プログラム>
◉モーツァルト『魔笛』の「娘か女か」の主題による12の変奏曲 
ヘ長調 Op.66
◉チェロ・ソナタ 第1番 ヘ長調 Op.5-1
◉モーツァルト『魔笛』の「恋を知る男たちは」の主題による7つ
の変奏曲 変ホ長調 WoO46
◉チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.5-2

[美術]
*3月6日(月)から3月15日(火)まで。 吾妻橋・ギャラリー・アビアント
『オーライタロー展 ーたてもの放浪記ー』

*4月20日(木)まで。 千駄木・ 文京区立森鴎外記念館
『コレクション展 死してなおー鴎外終焉と全集誕生』

*3月14日(火)から5月21日(日)まで。 竹橋・東京国立近代美術館
『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』

2017年02月14日

新刊書籍から《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年2月》

加藤典洋著『増補 日本人の自画像』 岩波書店 2017年

こうして、小林の宣長理解での「漢意」と「大和心」の対位は、学問ー概念的思考ーと日常の生きた智慧ー常識ーの対照を基本構図とする。戦争期を、列島の「庶民」の日常の智慧に自分は立つ、といういい方でくぐり、戦後の民主主義謳歌の時代には、自分はバカだから反省しない、利口な奴はたんと反省すればいいじゃないか、といった彼の戦前と戦後を貫く線は、宣長の、「日常的思考」と解される限りでの「大和心」に、一つの理念的表現を、与えられるのである。
それは、たとえば、宣長に仮託された形で、この宣長論では、こう語られる。

ーー理といふものは、今日ではもう、空理の形で、人の心に深く染付き、学問の上でも、す べての物事が、これを通してしか見られない。これが妨げとなつて物事を直かに見ない。さういふ慣しが固まつて了つた。自分の願ふところは、ただ学問の、このやうな病んだ異常な状態を、健康で、尋常な状態に返すにある。学問の上で、面倒な説など成さうとする考へは、自分には少しもないのであり、心の汚れを、清く洗ひ去れ、別の言葉で言へば、学者は、物事に対する学問的態度と思ひ込んでゐるものを捨て、一般の人々の極く普通な生活態度に還れ、といふだけなのだ。ーー

小林は、いわば、戦後の日本に生きる自分のものを考える足場を、戦前に語られた「日本」ではない、「一般の人々の極く普通な生活態度」におく。それが、彼における、戦前に比べられた戦後の意味であり、それと同時に、彼の戦前から変わらない思考の足場だと、いわれるのである。
しかし、このことを、宣長のほうから見れば、小林は、あの宣長がぶつかった最後の問題に、彼としては、結局、出会っていない、ということになる。
(第四部 戦争体験と世界認識 第ニ章 小林秀雄と「国民」)

2017年02月11日

推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年2月》

小島直記著 『人材水脈ー日本近代化の主役と裏方』 日本経済新聞社 1969年

…年のとり方、老年の迎え方に、もっとも見事な実例を残したのは幽翁伊庭貞剛だったように思われる。それはなによりも「出処進退」において意識的に実行された人生の一大事であった。
大阪上等裁判所判事をやめて郷里に帰ろうとしたのが、明治十一年三十二歳のときである。世渡り、立身出世主義だけを考えれば、弊履のように捨て去るにはおしいステイタスであったろうが、彼は暮夜ひそかに権門勢家に出入りしてその鼻息をうかがうような官界の腐敗堕落にたえられなかった。栄達よりも心の平静、満足を求めることが人生だと考えたのである。
その彼が、叔父広瀬宰平の説得で住友入りをしたいきさつは『日本さらりーまん外史』でのべた。本店支配人となり、大阪紡績、大阪商船の取締役、大阪市参事会員、大阪商工会議所議員、大阪株式および米穀取引所の役員などを兼ねたが、四十一歳のとき琵琶湖畔石山に隠棲の地を求めた。現世的にはもっとも欲や執着の出るその立場と年齢において、彼はすでに自分の晩年をみつめていた。それは無常観にとらわれた敗北主義のあらわれではなくて、いつでも辞表を書いて隠退できる場所を確保した上での、戦闘の構えに他ならなかった。仕事への没入と同時に名利からの離脱が期せられていた。
(中略)幽翁は荘重達意の文章家であったが、新聞雑誌には一度も寄稿したことはなかった。それが五十八歳のとき、はじめて『実業之日本』に「少壮と老成」という感想文を発表した。かれはこの中で、老人の経験の貴重さをいうとともに「老人はとかく経験という刃物をふりまわして、少壮者をおどしつける。なんでもかでも経験に盲従させようとする。そして少壮者の意見を少しも採り上げないで、少し過失があるとすぐこれを押さえつけて、老人自身が舞台に出る。少壮者の敢為果鋭はこれがために挫かれるし、また青年の進路はこれがために塞がってしまう。……事業の進歩発展に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」と書いた。そして彼自身は、これから五月後に住友総理事のポストを四十四歳の鈴木馬左也にゆずり、十七年前から用意していた石山の別荘「活機園」に隠棲したのである。
彼はこの山荘で静かに老いていった。はじめは、日常の動静を語るのに「悠々自適」のことばを用いていたが、七十八歳のときから「曠然自適」というようになった。「悠々」にはまだどこかにアカのぬけきらないところ、自力をたのんで得々然とした趣が残っている。「曠然」は、何ものにもとらわれぬ無礙自在の境である。大正十五年五月、八十歳のとき子女をあつめて遺言をし、財産を分けてやった。そして十月「こんな悦びはない。この徹底したよろこびを皆の悦びとして笑ってお別れしたい」といい、家族順々に末期の水をふくませてもらった。そのとき、幼い孫が二度ふくませようとすると、「お前はさっき、くれたではないか」といって微笑し、やがて大往生をとげた。筆者はこの間恩師から、「昨近は隠居入道ということがない。隠居即入墓と考えているようだ」という話をきき、伊庭幽翁のことを思いださずにはいられなかった。
(「伊庭貞剛 栄達よりも心の平静」)

2017年02月06日

劇場へ美術館へ《GOLDONI/劇場総合研究所 2017年2月の鑑賞予定》

[演劇]
*2月18日(土)から27日(月)まで。 新宿・紀伊國屋サザンシアター
文学座公演
『食いしん坊万歳!ー正岡子規青春狂詩曲ー』

*2月28日(火)、3月1日(水) 練馬文化センター小ホール
劇団青年座公演
『見よ、飛行機の高く飛べるを』

[演芸]
*2月11日(土)から20日(月)まで。 半蔵門・国立演芸場
2月定席公演
『中席 大喜利 鹿芝居「らくだ」

[音楽]
*2月17日(金) 錦糸町・すみだトリフォニーホール
『セドリック・ペシャ ピアノ・リサイタル』


[美術]
*2月19日(日)まで。 両国・東京都江戸東京博物館
『徳川将軍家の婚礼』

*3月12日(日)まで。 六本木・サントリー美術館
『コレクターの眼ーヨーロッパ陶磁と世界のガラス』

*2月19日(日)から3月15日(水)まで。 上野・東京都美術館
『都美セレクション 新鋭美術家2017』