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2012年02月02日

推奨の本
≪GOLDONI/2012年2月≫

『観劇偶評』 三木竹二著 渡辺保編   
2004年 岩波文庫

明治二十五年二月 深野座(新富座)
 「櫓太鼓成田仇討」
 「伊勢三郎」
 「吉例曾我礎」(対面)
   寿美蔵、芝翫、小団次、新蔵、女寅、福助、団十郎、猿之助、家橘、染五郎

 音羽屋丈(五代目尾上菊五郎。一八四四-一九〇三。現七代目は血縁関係無し。―引用者注)の多助どん歌舞伎座にて古今の大当りをなしたる後、高島屋丈(初代市川左団次。一八四二-一九〇四。二代目左団次の父。三代目、現四代目は血縁関係無し。―引用者注)につづきて浪花に往き、成田屋丈(九代目市川団十郎。一八三八-一九〇三。十一代目、現十二代目、現市川海老蔵は血縁関係無し。―引用者注)のみ踏住まりて、同座の三月狂言に出勤の噂とりどりなるところ、俄に深野座開場と聞えしには驚かぬものなかりき。こはけだしこの座改称以来とかく景気引き立たず、茶屋出方一同困難を極めし折から、今春の興行を頼まんとせし高島屋丈坂地へ乗込と定りしかばますます驚き、遂にこの事情を述べて成田屋丈に出勤を乞ひたるなり。同丈もとより義侠の人なれば快く引受、無報酬にて出勤すべしといひしかば、芝翫丈、福助丈も義に勇み、同じく無報酬にて出勤することを諾し、この開場に運びしはかえすがえすも感賞すべき美挙にこそ。
 この「伊勢三郎」は黙阿弥が屈指の名作と噂の高きものにて、去明治十九年十二月やはりこの新富座にて興行せしが、書き卸しにて大当なりき。この時の大名題は「莩源氏陸奥日記(みばえげんじみちのくにっき)」といひ、伊勢三郎隠家の場として出したりき。その後井上馨伯の邸内にて演劇天覧のときも、第二日目に取仕組みて演じたり。されば評判といひ名誉といひ、なかなかのお箱物なれば、この度の興行にて新歌舞伎十八番の内と題し、名題に「伊勢三郎」と主人公の名を取りたるも宜なり。(略)
 団十郎丈の伊勢三郎義盛役
 (略)妻に帰る期を尋ねられ、今まで君の御供せんと思ふ方にのみ心を取られたるが始めて心付きし工合、自然にて妙なり。腹に一ぱいの涙を飲み込みて曇声に後の事を言ひ聞する呼吸、情をわきまえし武士の切なる心見えて、思はず涙はふれ落ぬ。とど伴ひ行かれたしといふを叱りて「夫の恥をば思はぬか」といひこらすところも勇士の真面目なり。下り立ちて縋る妻を叱り、右手を延ばしていざと騎馬の義経を先へ進ましむる幕切まで、豪傑のありさま躍然として目の前に現れ、とりわけ高尚にて優美なる科白を高く朗なる調子にて自在に活かしていひこなさるる手際は、前代にも比なく、後世にも見らるまじ。


 忠臣蔵一日替の評(明治四十年十一月、歌舞伎座)

 忠臣蔵一日替の著しいのは、明治になつては、十一年の十二月新富座で守田勘弥の興行した時で、その折は団十郎、菊五郎、宗十郎、仲蔵、半四郎、左団次などいふ顏揃で、役の替り方も随分端役まで立者が替ったのだから、今日六二連の評判記を開けてみても、ぞくぞくするほどの興味がある。しかし今回のは役者の程度も下り、役替りもさほど広くないから、到底比べものにはならぬが、それでも今での歌舞伎俳優を網羅してゐるこの座のことであるし、ある意味において一種の試験的興行とも見なされるから、次に所見の大概を列記してみよう。(略)

 大星由良之助  市川八百蔵 市川猿之助 市村羽左衛門 中村芝翫
(略)芝翫のはこれも今度は見ず、東京座の時に見たのでほぼ別るが、顔が立派なだけで、歩き付、調子とも女離れのせぬ欠点があるから、到底好い気遣は無い。要するにこの優はある一瞬間の柄だけで、科白とも合格は覚束なく、八百蔵は手慣れてをるといふ条件の外には、柄調子ともそのものになり切らず、猿之助は柄調子とも八百蔵よりは見処があるが、品位の点に欠ける処がある。羽左衛門は初役、しかもその第一日に見物したのだから、熟さぬ点は大分あつたが、大体において品位のあるのは第一で、とりわけ調子は呼止めの処で成功し、少し手慣れて来れば、他の欠点を補ふだけの余裕が見えてをるから、自分はこの優を以て由良之助の第一と押すことを躊躇せぬ。次が猿之助、八百蔵、芝翫といふ順になる。
 概括すれば、今度の一日変で成績の最も優れてをるのは羽左衛門(十五代目)で、その多方面なる手腕は、遠からぬ将来において、歌舞伎劇派の牛耳を取る人たることを証拠立てた。これに次ぐのは猿之助で、これも劇界の故老として、永く一方に雄視することができるだらう。
 梅幸は立役に望があり、訥升はやはり若女形の人だ。芝翫、八百蔵は活歴畠の人なのがいよいよ明かになり、菊五郎(六代目)吉右衛門(初代)の存外発展せぬのには失望した。
 道具では大序に油画式の背景を使つたのが不調和千万、三段目四段目へ大欄間を下したのも、容らぬ手数をしたもので、「忠臣蔵」のやうな標準劇は、出来得る限、古式を保存して欲しいと思ふ。