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2004年11月 アーカイブ

2004年11月04日

常に驕らない謙虚さ

15時過ぎ、常連の茂木誠治さんが来店。この夏に立ち上げたばかりのアマチュア演劇グループの、先月の初めての公演でこれも初めて演出を手掛けた。そのことの結果報告を伺った。彼は仕事をしながら、慶應義塾中等部のラグビーのコーチを務めており、文学座の支持会会員でもある。最初に会った折、慶應大でラグビーをしていたと言うので、早稲田大の教授で監督を幾度かした人物が母のいとこにいると話した。普段テレビを見ない私に、「日比野弘さんは、先日のテレビ中継で解説をされていました」と教えてくれた。今期の慶應中等部は東京都で第二位、一位は國學院久我山中。久我山は強いかと訊いたら、「早稲田出身の監督が常に驕らない謙虚な方なので、強いのです」。電話や手紙、mailででもそうだが、帰りがけにはいつものように、「手伝いが必要なときは、仰ってください」。以前からこのブログに登場する「GOLDONI JUGEND」の面々も、たびたび「何かご用はありますか」と言ってくれる。彼らのその言葉に、目頭を熱くすることがある。

2004年11月05日

『劇場の記憶』と『演劇体験』

朝からのGOLDONIでの原稿書きに飽きて、11時過ぎに散歩と昼食のために駿河台方面に出掛ける。明治大の研究棟の手前で、神山彰教授と遭遇する。「先週の午後に伺ったけれど、閉まっていました」と仰る。先生の行き付けか、近くのレストランで1時間ほどランチをご一緒する。席に着くや、最近観劇したものについての合評会を始めたが、まもなくテンポも落ち、互いに溜め息まじりの会話に。「良い悪いは別にして、黒テントの公演に行くと、醸し出す雰囲気、若い俳優ばかりか製作者の顔までが昔のままのように感じられる」。何もかもが急激に変わってしまう昨今、演劇のことだけを指してではない先生のお言葉に、『劇場の記憶』を何より大切にしたい私は得心した。昼食を取りながらでも資料に目を通されるおつもりだったのか、先生の右手にはだいぶんのコピーがあった。うっかり勉強のお邪魔をしてしまった。午後に未來社の小柳暁子さんからmailを戴く。月刊誌『未来』の12月号が、千田是也や飯沢匡関連の演劇小特集のようになるので、是非書くようにと勧められた(『GOLDONI Blog』10月8日)が、要望された演劇出版事情などは書けないので、GOLDONIの4年を振りかえってのエッセーを書いて送った。てっきり書き直しを求めるmailかと思ったが、案に相違して採用の報告だった。小柳さんからのmailの一部を引用させて戴くと、『演劇は第一の文化的教養であったのだというのは、例えば法学や経済学系の著者の先生といった方から「実は若い頃演劇青年で、未來社の演劇書をよく読みました」などと嬉しそうにお声をかけていただくことがままあるということからも感じることがあります。学者になったけれども、その当時の夢は覚えている、というような。とても幸せな演劇体験があったのだなと思います。演劇というものを知らない人はいない、だけれどもとても遠いものになってしまったのはなぜなのでしょうか。』。GOLDONIのある路地に迷い込むように入ってきて、看板にある<演劇>の字に惹かれてか店を覗く団塊より上の世代の人々と、毎日のように出会う。今は演劇とは縁のない生活をする彼らが、懐かしそうに若い時分の演劇体験を聴かせて下さる。昨今の演劇が、今の観客を終生の『演劇の観客』とすることは出来るのだろうか。今の観客が、三十年後四十年後に、その『演劇体験』を語るのだろうか。

2004年11月07日

旧西原町を歩く

朝10時、文京区千石の図書館に用があり、そのついでに近くの旧西原町を歩く。幼少時分の数ヶ月通った保育園(かすかな記憶がある。拙宅の近所のひとつ年上の綺麗なお姉さんといつも一緒に行っていて、同じ組の男の子と諍いを起こし、それこそボコボコにしてしまい、放園処分を受けたような気がする。小学生の時だったか、母と当時の話をしていて、『おばあさんのお迎えがあった』と言ったら、『亡くなったから、行かせた、の!』。それくらいだから、まったくあてにはならない記憶だが。)は、この辺りかと、近くを探し歩いたが見つからない。商店街の案内図を直している六十過ぎの小父さんに伺う。「憶えがないなあ。ここで35年靴屋をしてるけれど。店に戻って調べましょうか」と言ってくださったが、作業の途中でもあり断っていたら、巧い具合に通りかかった老婦人に声を掛け訊いてくださる。「そう言えば、大鳥神社の先の、今は新興宗教の施設が、先は保育園だったんじゃないかしら」。さすがに、新興宗教の道場を訪なう立派な心掛けも、周囲をうろつく勇気も無いので、諦めて小父さんと立ち話。閉店廃業した飲食店の名の書かれたプレートを、大きな案内図のボードから剥がす手を休めて、「こうしてどんどん店屋が無くなっていくんですよ。見てください、歯の欠けたような地図でしょう。スーパーやコンビニ、外食産業におされて、商いが成り立たなくなるんです」。(思わず、スーパーのハウスカードや外食産業の株主優待券の入ったバッグを隠すように持ち替えた。)何軒かあった靴屋も次々になくなり、今は自分のところだけが細々店を開けている、とも。山手線の内側で、都心回帰の昨今はマンションが建ち、全国で問題になっている『シャッター商店街』とは違う現象だが、これも淘汰という厳しい現実。礼を言って別れたが、百メートルほど先の角を曲がる時に振りかえると、とんだ闖入者に邪魔されて中断していた心弾まない作業を再開した、靴屋の小父さんの淋しげな姿が小さく見えた。

2004年11月10日

アドレス削除は寂しい作業

昨日今日と、GOLDONIのホームページのコンテンツのひとつである『劇場へ美術館へ』では取り上げなかった企画のお知らせや、余分に持っている美術展のチケットや、私か同伴予定者が行けなくなった演劇公演や音楽会のチケットを差し上げようと、『11月のご案内 演劇書専門GOLDONI』と題したmailを二百名ほどに送信した。電子メールをしない方への連絡は無論郵便を使うが、暑中や寒中の御見舞、新年の御挨拶も、日常の連絡も、経費の節減と速報性の有利さもあり、電子メールにしている。今回のご案内も、内容を記した基本の文面とは別に、一通ごとに一言書かせて戴いているので、二日で延べ二十時間ほどは費やしている。受信される方の中には、同報一斉メールで送っているmailだと思っている方も多いようだ。また、商売屋からの宣伝のmailだろうと、まともに読んではくださらない方も多いのだろう。不要な、あるいは迷惑メールのようなものだとしても、その旨を書いて返信することもしないだろうから、せめてこちらでは数回送信して、電話でなりmailでなり返信がなければ、その方のアドレスを削除するようにしている。これはなんとも寂しい作業だ。以前、返信を寄越さないある演劇人とホールで出会った折、「毎日百通くらいmailが来ちゃうので、なかなか返信が出来なく…」と、言い訳にもならないことを言われた事がある。まさか、ロビーで制裁を加える訳にもいかず、夜公演の終演後に、この御仁のアドレスを削除するためだけにGOLDONIに戻ったこともあった。

2004年11月12日

ヤンソンスの『コンセルトヘボウ』

18時50分、渋谷・NHKホールに滑り込む。『NHK音楽祭2004』のロイヤル・コンセントへボウ管弦楽団の第二夜。演奏曲目は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ぺトルーシカ」、チャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」。創立116年のヨーロッパ有数のオーケストラ。若い時に聴いた憶えがあるが(ハイティンクの指揮だったか、それも虚ろだ)、マリス・ヤンソンスが首席指揮者に就任してからは初の来日。幾度か聴いている「悲愴」だが、これほどに深く重く響く演奏に出会えた憶えがない。ここ数日、友人や知人が今週来週のベルリン・フィルや、ウィーン・フィルを聴きに行く予定だと知らせて呉れる。羨ましいがこちらにはそこまでの余裕もなく、この日のコンセルトへボウで辛抱するしかないと思っていた。それが聴いた今は、マリス・ヤンソンスを知ったことで充分に満足している。17日のサントリーホールでのワレリー・ゲルギエフ指揮のウィーン・フィルで演奏される「悲愴」を聴き比べたくはなったが。
今日のNHKホールでのこと。「悲愴」の第三楽章の終りで、数十人規模だと思うが、ぶち壊しの拍手があがった。そして第四楽章では、最後の最後に、プラスチックの筆箱でも床に落としたのか凄い音がした。フライングの拍手も不快なものだが、物を落としたり、飴の袋を開ける音や、パンフを開く音など、マナー違反が気になる。そうでなくとも「体育館のよう」と、クラシック音楽ホールとしては評判の芳しくないNHKホール、聴衆のマナーまではホールの非では無いが、「やはりここでは聴きたくないな」、と思った聴衆は私一人ではないだろう。

2004年11月16日

『終わりの始まり』其の一

最近、毎日のように遭遇する光景。電車の中で化粧をしたり、パンやおにぎりを食べたりの若いものたち。彼らを擁護する気は毛ほどもないが、日本全体に見られる公共空間の認知能力の欠如、マナーの無さは、このサルたちの親や祖父母の世代が作ったものだ。電車の中での最初の雑音、マナー違反は、ソニーの『ウォークマン』に代表されるヘッドフォン型のテープレコーダーから漏れる音だった。バンダイ製の『たまごっち』からも、音が漏れていなかったか。そしてここ数年は、携帯電話の着信メロディ、ゲームやメールを作る時の音だ。騒音・雑音を作り出す製品のメーカーは、『ウォークマン』『ゲーム機』『携帯電話』と大活躍のソニーを始めとして、現代の日本の代表的企業ばかり。店の前や横で、座りこんでパンやおにぎりに食らいつくサルたちも客にしなければならないコンビニを経営するのは、大手流通業者や大手の商社だ。騒音・雑音の問題ひとつ取っても、この国の経済成長・豊かさが、どんな企業が、どんな人間たちが、何を失って、いや、何を失わせて作ってきたか判ろうと言うものだ。GOLDONIでは、携帯電話を鳴らしたり、話したりしたら外に出るように注意している。先日は、ついにカメラ付携帯電話で書棚を撮ろうとしたものが現れた。叱りつけたが、誰何したら、旧知の人物に教わる演劇系大学生だった。こんなものたちを稼ぎのためだけに教えているのが、私が批判する「ヤッテルつもりのエンゲキ人」だ。そう言えば、先日、歌舞伎座で吉右衛門の『関扉』を観た帰りに寄った常連の学生の話を思い出した。ある中堅の劇団の演出家が受け持っている大学の舞台総合実習の授業は、実習に集中できず、教室に寝そべって携帯メール、ゲームに熱中する学生が出始め、「学級崩壊」しているそうだ。なけなしの技術や知識で演劇を教える前に、演劇で稼ぐ前に、遣るべきこと務めるべきことがあるだろう。即席の演劇教師のつもりの、ヤッテルつもりのエンゲキ人たちよ。

2004年11月21日

『明治維新と平田国学』

京成上野駅を10時前に発ち、11時前に佐倉駅に着く。タクシーで向かったのは、『国立歴史民俗博物館』。再来週には終ってしまう『明治維新と平田国学展』。着いた時には、既に宮地正人館長によるギャラリートークが始まっていたが、一行の最後尾に着き、拝聴しながら観てまわる。寝不足と朝食抜きの体調不良で、途中で館長を囲む一団から離れ、ベンチで一休み。30分ほどの休息で快復したので、今度はひとりで観てまわる。この展覧会は、東京・代々木の平田神社伝来の平田家資料の調査・整理を進めている同館研究チームの成果発表でもある。江戸後期、幕末、明治維新までの激動期、国学者・平田篤胤、銕胤、延胤の三代に亘る活動と、最大時には全国で四千人まで広がった平田門人たちの、とくに明治維新前後の動向を紹介。「皇国神道の大立者」「大東亜戦争の超A級戦犯」のような扱いを受ける篤胤だが、それがいかに不当なものかが理解できた。戦後の日本の再生は、政治制度、経済・税制、教育制度ばかりか演劇も、そして思想の領域でも、ひどく歪んだところから始まったかを痛感した。

2004年11月26日

『ぶち壊し拍手』は『終わりの始まり』

先月、浜松町の自由劇場で、劇団四季の『ヴェニスの商人』を観ていた時のこと。前半の幕切れ、二百人ほどの客席の殆どが、ここでいいのだろうかと戸惑いながらの拍手をしていた。劇の流れからすれば、というより、ストレートプレイの場合、ただでさえ休憩で中断することで、観客の劇への没入感高揚感が減退することは否めないが、そこに持ってきての拍手は困りもの。11日に観た、北千住のTHEATRE1010での『エリザベス・レックス』では、凄まじい光景に出くわした。観客の半数はエリザベス役の麻美れいのファンのようで、宝塚歌劇団時代からの贔屓なのだろう。一幕が終り、溶暗する舞台から静かに下がっていく麻美れいへの、短い時間だが、強い調子の、慣れた人々のあげるぶち壊しの拍手だった。一瞬、東京宝塚劇場に来てしまったのかと呆けてしまった。先日の新国立劇場での『喪服の似合うエレクトラ』では、第1部の終幕に拍手があがった。戯曲の指定(二十三歳、長身、角張った体つき、かさかさして単調な声、母クリスティンと同じ平静状態における異様な生きた仮面のような表情、などなど)とは全く違うラヴィニア役の大竹しのぶへの拍手だ。途中に出演者へのぶち壊しの拍手が起きるような、テレビ芸能タレントが生で見られる大衆演劇ショーに変質しているとは。泉下のユージン・オニールに対する憐憫の情深く、涙する。現代のこの国のストレート・プレイは、ミュージカルや、タカラヅカや、テレビ芸能界からの素材とそれらのファンからでしか成り立たない。悲しいものだ。

2004年11月29日

演劇関係者の立ち寄らない『お茶の水』

昨28日の読売新聞日曜版の1面、「駅」という企画記事の中で、GOLDONIを取り上げて戴いた(ぜひ読売新聞オンラインでお読みください)。片手間ながら、四年前にGOLDONIを始めて以来、経済紙、一般紙の都内版、女性誌、建築雑誌、本のムックなどではたびたび取材して戴く。ある一般紙の社会部の記者の話では、「GOLDONIは、本の街の神保町でも、これほどの小規模店で、新店にしては尋常ではないほど認知度が高い。ただ、古書組合には入っていないので、記事にすると他店からクレームが来る」そうだ。ところが、演劇雑誌の編集者や、ライター、劇評に手を染める人たちや、全国紙の文化部の記者にはとんと無名のようで、全くといってよいほどご来店もなく無論記事にもならない。日曜版の記事を読んで、場所や営業時間の問合せが十件ほどあるが、その大半は地方の方からのもので、東京の「演劇業界関係者」らしい人は今のところいない。読売、で思い出したが、読売演劇大賞の審査委員くらいは熱心な読売読者だろう。そうでなくとも、義理でも購読はしているはず。せめてはこの方たちからの問合せを待つことにしよう。