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『劇場の記憶』と『演劇体験』

朝からのGOLDONIでの原稿書きに飽きて、11時過ぎに散歩と昼食のために駿河台方面に出掛ける。明治大の研究棟の手前で、神山彰教授と遭遇する。「先週の午後に伺ったけれど、閉まっていました」と仰る。先生の行き付けか、近くのレストランで1時間ほどランチをご一緒する。席に着くや、最近観劇したものについての合評会を始めたが、まもなくテンポも落ち、互いに溜め息まじりの会話に。「良い悪いは別にして、黒テントの公演に行くと、醸し出す雰囲気、若い俳優ばかりか製作者の顔までが昔のままのように感じられる」。何もかもが急激に変わってしまう昨今、演劇のことだけを指してではない先生のお言葉に、『劇場の記憶』を何より大切にしたい私は得心した。昼食を取りながらでも資料に目を通されるおつもりだったのか、先生の右手にはだいぶんのコピーがあった。うっかり勉強のお邪魔をしてしまった。午後に未來社の小柳暁子さんからmailを戴く。月刊誌『未来』の12月号が、千田是也や飯沢匡関連の演劇小特集のようになるので、是非書くようにと勧められた(『GOLDONI Blog』10月8日)が、要望された演劇出版事情などは書けないので、GOLDONIの4年を振りかえってのエッセーを書いて送った。てっきり書き直しを求めるmailかと思ったが、案に相違して採用の報告だった。小柳さんからのmailの一部を引用させて戴くと、『演劇は第一の文化的教養であったのだというのは、例えば法学や経済学系の著者の先生といった方から「実は若い頃演劇青年で、未來社の演劇書をよく読みました」などと嬉しそうにお声をかけていただくことがままあるということからも感じることがあります。学者になったけれども、その当時の夢は覚えている、というような。とても幸せな演劇体験があったのだなと思います。演劇というものを知らない人はいない、だけれどもとても遠いものになってしまったのはなぜなのでしょうか。』。GOLDONIのある路地に迷い込むように入ってきて、看板にある<演劇>の字に惹かれてか店を覗く団塊より上の世代の人々と、毎日のように出会う。今は演劇とは縁のない生活をする彼らが、懐かしそうに若い時分の演劇体験を聴かせて下さる。昨今の演劇が、今の観客を終生の『演劇の観客』とすることは出来るのだろうか。今の観客が、三十年後四十年後に、その『演劇体験』を語るのだろうか。