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推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年9月》

 『直観を磨くものー小林秀雄対話集ー』
 小林秀雄ほか著  新潮文庫2014年刊


小林 僕は伝統主義者ではないので、文学はやはり西洋ものを尊敬しております。自分の為になるもの、読んで栄養がつくものはどうしても西洋人のものなんです。若い人でやっぱり西洋文学をどんどんやるのが正しいと思います。なんと言っても近代文学は西洋の方が偉いです。併し物を見る眼、頭ではない、視力です。これを養うのは西洋のものじゃだめ、西洋の文学でも、美術でも、眼の本当の修練にはならない。日本人は日本で作られたものを見る修練をしないと眼の力がなくなります。頭ばかり発達しまして。例えば短歌なんかやっている方は、日本の自然というものを実によく見ている。眼の働かせ方の修練ができているという感じを受けますが、西洋風な詩を作る詩人のものを読むと、みな眼が駄目です。頭だけがいい。(略)
 僕は伝統というものを観念的に考えてはいかぬという考えです。伝統はものなのです。形なのです。妙な言い方になりますが、伝統というものは観念的なものじゃないので、物的に見えて来るのじゃないかと思うのです。本居宣長の「古事記伝」など読んでいて感ずるのですが、あの人には「古事記」というものが、古い茶碗とか、古いお寺とかいう様に、非常に物的に見えている感じですな、「古事記」の思想というものを考えているのではなくて、「古事記」という形が見えているという感じがします。

折口 宣長がしたところを見ると、漠然と出来ている「古事記」の線を彫って具体化しようとして努力している。私等とても、そういう努力の痕を慕い乍ら、彫りつづけている。だが刀もへらも変って来た気がする。も一度初めから彫りなおしてもよいのではないかという気もします。

編輯部 日本の演劇なんか見る機会がございますか。

小林 僕はよく歌舞伎を見ました、学生のときに、その後は余り行きません。(略)

折口 私は若い時から無駄に見て居るだけです。今でも、若い仲間が行きますから、つい誘惑せられまして。だから結果は、何十年も見ていても、何一つ見ていないのと同じことです。

編輯部 芝居は時代物の方が好きですか。それとも世話物の方が好きですか。

小林 何でも好きでしたね。あの頃は築地小劇場のあった頃です、私は新劇の方はあまり見ませんでした。僕は歌舞伎ばかり見ておりまして。新劇の方は芝居を見るより書物を読んでいた方がいい様に思いましてね。この間、随分久し振りで真船(豊)君の「黄色い部屋」を見て面白かったです。日本の新劇もやっとのん気に見ていて面白い処まで来た、という様な気がしました。観衆もいろいろで、新劇ファンという様なものではなかった様です。いつまでも新劇ファンを相手にしていて、新劇が発達するわけはないと思います。中国の新劇も日本の翻訳劇からもともと発達したのですが、どんどん大衆化しております。向こうの方が現実派です。日本人は理想派です。

折口 支那に行ってあちらの舞台を見ると、新劇もなかなか盛んなようですが、構成を改めたりしたことはありませんか。ーー古典的なものから新劇までみんなありますか。

小林 みんなあります。いろいろのものをやっております。

折口 技術や工夫は、そのまま出て来ますか。

小林 僕は、上海で洋画の展覧会を見ていましてね、日本人が実に理想主義者だという事を痛感しました。中国には西洋の技術だけがはいっているのです。日本の洋画運動は技術がはいったというよりも、新しい思想がはいった、思想運動だった。ゴッホが耳を切ったと聞けば、鼻を切る画家が出て来るという調子なのです。新劇だってそうなのですよ。西洋の第一流の近代劇の忠実な再現でなければ承知しない。芝居が経済的に成りたたなくても、それでなければ承知しない‥‥。
 (〈「折口信夫 古典をめぐりて」。昭和25年2月、『本流』に掲載。〉より)