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推奨の本《GOLDONI/劇場総合研究所 2020年9月》

 『直観を磨くものー小林秀雄対話集ー』
 小林秀雄ほか著  新潮文庫2014年刊


小林 僕は戦争後、映画も芝居も見ないが、先日諏訪根自子の演奏をきいて大変面白かった、感動した。そして色々な事が考えられたよ。よくあれまでやったものだ。まるでヴァイオリンの犠牲者と言ったような顔つきをしている。お辞儀をしてとってつけたような笑顔をするが笑う事ももう忘れて了ったようなあんばいだね。ヴァイオリンの為に何も彼も失ってしまったのだ。あの人から楽器を取上げたら何が残るかね。僕はあの人が自動人形だといっているのではない。確かに間違いのないセンチメントを持っている、実に純粋な。聞いていてそれがよくわかる。然しそのセンチメントは、カメンスキイならカメンスキイという先生の着物を着ているものだ。あの人は、自分の人間性をこれから回復しなければならんところにいる、しかも日本では恐らく出来ないよ。恐らく悪い環境が、あの人を汚して了うよ、今が一番美しいのだろう。そんなことを考えていると、実に気の毒な気がした、他人事ではない気もしたね。ともかくあの人の演奏には西洋文化にぶつかった日本文化の象徴的な意味合いがある。(略)

横光 日本の環境は芸術を育てない、殊に伝統のない外国芸術は美術だって同じだ。日本の悪い環境と戦って自分を推し進めてゆくことは大変なことだ。パリで日本人が勉強するには、まず遊ぶより手はないと思う。諏訪根自子は遊んだことがあるのかね。詩でも文でもそうだが、永井荷風が芸にならないところを芸に吸い込んでやっているのはなかなかできないことだと思う。コチコチのものになってしまうのを、うまくとかし込んでいる。しかしあの溶かし方は過去へ行っていて賛成できない。ああすると後の僕らは困るばかりだ。

小林 永井さんの「踊子」を読んだが少しも面白くなかったので他は読まない。永井さんは人生に負けた、それでは芸術に勝ったかというとそうとも思えない。

横光 永井さんの戦後のものは面白くない。落ちた熟柿の味で酸っぱいね、酢になっている。(略)演劇になるが久保田(万太郎)さんにいわすと芝居と演劇はちがうという。真船豊という人は演劇の方だがどうですか。

小林 これはあの人自身から聞いた話だから、確かな事だが、真船という人はシングをやったのだよ、シングに夢中になって芝居の魂をつかんだ人なのだよ。野人の鋭敏をもっている。あの人は文士や文壇につき合わぬ処がよい。先日久保田万太郎の「或る女」を見せられたが、痩せてカサカサの女が寝巻きを着て寝台に腰かけていた。あれでもう、あの芝居は落第だ。あの芝居は肉体的の色気が一つでもある女主人公をつかめば成功する。杉村春子がどんなに技巧をこらしても肉体的の貧弱さを掩うことは出来ない。小説はいいが芝居ではあの女で全部駄目になる、これを知らないで万太郎が営々と脚色しているのが気の毒になる。
 (〈「横光利一 近代の毒」。昭和22年1月、『夕刊新大阪』に掲載。〉より)