推奨の本
≪GOLDONI/2009年7月≫
『丸山眞男 音楽の対話』 中野 雄著
文春新書 1999年
「(略)日本やアメリカでは、コンペティトアで下積みの修業をして、それから地方の歌劇場でじっくりレパートリーを仕込んで、というような地道な人材育成のプロセスを実行してゆく場がない。学校やコンクールで促成栽培された小器用な指揮者ばかりが幅を利かせる安易なシステムが、社会的制度として出来上がってしまっている。ぼくが恐れるのはその結果です。
世の中の人がそういう音楽ばかり聴かされて、『それでいいのだ』ということになってしまうと、音楽界全般のレヴェルが低下します。何と言っても、音楽の品質を決めるのはその土地の聴衆のレヴェルですからね」
最近、「フルトヴェングラー以来の大器」と鳴り物入りで登場して来たドイツの若手指揮者クリスティアン・ティーレマンはコレぺティトアあがりの、いわゆる「叩き上げ」である。一九九八年来日時のたび重なるインタヴューにおいても、常に修業過程の重要さを強調していた。ウィーン・フィルの第一コンサート・マスターであるライナー・キュッヘルに会ったときも、彼は「丁稚」という、いまではもう死語になった日本語を用いて同じ問題を語っていた。ちなみに、キュッヘル夫人は日本人で、彼もたいへんきれいな日本語を話す。
「古い」と一蹴されかねない丸山の意見であるが、画一的な学校教育とコンクール偏重の世の中に対する危機感は、この国でも識者の間に少しずつではあるが広がりつつある。丸山がこんな話をしはじめたのは一九七〇年代の終わりの頃からであった。遺稿となった『自己内対話』にも、同じ時期に書かれたと覚しき次のような一文がある。
[「スキル」の習得は、知識の暗記とちがって、熟練した経験者に親近して「見えざる」教育を受ける過程を必要とするという。 当然の事理がコンピューター時代にあまりにも忘れられていないだろうか。この徒弟制的な教育は、他のあらゆるプロフェッショナル・トレイニングに共通する。(弁護士・教師・研究者・特定の新聞記者)徒弟制の「永遠性」が! そうしてこのことは日本における保守主義の欠如と無関係ではない]
(「音楽と教育について―フルトヴェングラーへの思い入れ」より)
(略)しかし、丸山眞男を喪ってみると、何か大切な「指針」をなくしてしまったような、人生の方向感覚に狂いを生じたような思いにとらわれることがよくある。遺稿に書かれた「北極星」がわれわれにとって丸山眞男であったということに、没後発見されたこの一文を読んで気付いた。
「教訓めいた言葉をほとんど耳にしていない」と書いたが、振り返って二度だけ、「教えを受けた」と思ったことがある。 一度は銀行員から会社経営者に転じた時。当初の担当が財務であると話したら、いきなり、「研究所にあまり金を出してはいけないよ」と言われた。
「研究者に金を与えると、材料と情報でものを作りたがる。自分の頭で考えなくなる。大企業の中央研究所がロクな成果を挙げえないのはそのためです。日本が最も独創的な文化を生み出したのは江戸時代――鎖国の二百数十年間でした。明治開国以来この国が世界に誇る文化を一つでも創造しましたか!」
私の転職先はエレクトロニクス、今でいうハイ・テク企業であった。それだけに丸山の教えは身に堪えた。実行するには満身創痍の覚悟が必要であった。
そのあと、例によって音楽談義になった。
「音楽のなかでもっとも純粋で、内容が高度なのは弦楽四重奏でしょう。弦だけのアンサンブルというのは絵で言えば墨絵かデッサン、モノクロームの世界です。だから高度な精神的内容が要求される。ベートーヴェンのような人の最高傑作が弦楽四重奏になるのは必然と言っていい。管やピアノは色彩の要素でしょう。他の楽器が入ると作曲者はそれの効果に頼ろうとする。面白い曲は出来るけれど、中身がどうしても薄くなる傾向があります」
もう一つ。私がコンサートやレコードの制作に関わるようになったある日、持参したCDを聴きながら丸山が私の方に顔を向けた。
「日本の評論界にはけじめが欠けているね。評論家がプログラムやCDの解説書に筆を執っている。お礼をもらうんでしょう。原稿料の形で……。書けば対象に情が移る。冷静不偏な批評など、期待できないんじゃないかな。もっとも、頼む方はそれを計算に入れてのことでしょうが……。
ぼくが好きなニューヨーク・タイムスのハロルド・ショーンバーク――。この人は絶対に解説文は書かなかった。評論一本です。イギリスのタイムスは、たしか社則で禁じているんじゃないでしょうか。もちろん、その代償は新聞社が評論家に払っていると思いますけれど。日本は、会社も個人も、そこまで行っていないんですね。まだ、何かが違います。
君はプロデューサーで、よく解説文を書いていますね。だから、批評文は仮に頼まれても書いてはいけません。評論はしない方がいいです。」
丸山の生き方で学ぶべき最大なるもののひとつは、このけじめ――精神の貴族性ではないか……。その瞬間、心が引き締まるのを覚えた。
(「あとがきに代えて―北極星のたとえ」より)