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「閲覧用書棚の本」其の十八。『人物評論』創刊號(三)

顔面解剖學 
正力松太郎―縛る男か縛られる男―

 この面がまへは、誰がみても、縛る方か、縛られる方かのどつちかで、ただの人間でないことは明らかである。縛る方でいへば、強力掛長か内鮮課長、縛られる方でいへば、強盗・強姦・殺人等の強力犯か、少くとも博徒の親分の貫禄は、十分具つてゐる。
 野心的な眼、物慾の旺盛さうな口、顔の眞中に、砂の中から半身を現したスフィンクスのやうに乗り出して、あたりを支配してゐる鼻、どこをみても、近代人らしいスマートなところはちつともない。それでゐて彼の支配下にある讀賣新聞は、新聞といふよりもむしろ日刊綜合文化雑誌に近いんだから、甚だ愉快だ。
 彼が社長として入社したとき、「前官房主事」といふ何となく不気味な肩書から、このよろよろの日刊雑誌が、一體どうなることやらと思はれたが、頽勢を一擧に挽回したばかりでなく、文化的要素も失はれるどころか、かへつて一層豐富になつた。その代り折々とんでもない失敗を演じる。いつか德富蘇峰が國民新聞で、深尾須磨子のことを現代の清少納言だとか何とか褒めたのを讀み、早速彼女の家へ自動車を乗りつけて、月給二百圓で招聘する契約を結んだといふ。當の須磨子さん、狐につままれたやうに、目をパチクリさせたことはいふまでもない。もちろん、長つづきはしなかつたが、正常ナンセンス子を雇ひ入れて政治家を訪問させたり、辯士くづれでも何でも引つぱりこんで、短期契約で面白さうなところを吐き出させる技術はなかなかうまいもの。これは文化なんてものに取引以上の關心をもたないものでないと眞似られない藝當である。
 とにかくこの顔をみていると、猛烈な支配慾といつたやうなものが、マザマザと感じられる。しかもその支配は、いはゆる「王道」でなく「覇道」である。彼は朝早くから夜遅くまで編輯室に頑張つて、一つ氣に入らないと、幹部級の人間でも、小僧のやうに叱りつけるばかりでなく、社内スパイを放つて、誰が社の封筒を浪費するかといふことまで知つてゐるさうだ。前身が前身だけに、さういふ噂も立つのだらうが、それでは現在以上の大をなすことはむづかしいといはねばならぬ。


生殺陣
――<文化時評>――

 非常時内閣のヴオーカリスト永井拓相、「赤旗」で送られた堺利彦の葬儀に参列して、貴族院で叱らる。悲しくもあり、目出度くもある。(A)

            ◇

 鶴見祐輔が久しぶりでメリケンから來朝した。(彼アメリカに行けば、「歸米す」といはれる)この俗物の大元締、今度は何をいふかと思つたら、「テクノクラシー」ときた。そんなことで、又代議士になるためのハクをつけやうなどとたくらんでゐるから、祐輔なんざ「土偶の法螺師」(デクノホラシー)だつてんだ。(E)

            ◇
 
 先月、ロンドンの客舎で、テオドラ夫人に永別し、遥々長文の「遺書」をファッショ日本に寄せた老萼堂、近く「生ける屍」を携へて歸る。彼の言、論旨に多くの矛盾を含みつつも、なほ傾聽に價す。現在日比谷座に禄を食む四百頭髗のうち、ブルジョア自由主義のために氣を吐く唯一最後の存在といふべし。

            ◇

 文壇反動化の最大の惡弊は、正宗白鳥の如き金利生活者的存在を跋扈させてゐることである。長い間かかつて蓄へた小金を抱きつつ、依姑地と退嬰性をもつてケチをつけて歩くことを老後の樂しみにしてゐる五十婆に似たり。例へば、大佛次郎の「手紙の女」を評して曰く、「『赤穂浪士』以後進歩がない」と。――いつたい、お手前の批評にしろ、作品にしろ、自然主義以来の進歩が、少しでもあると思つてゐるのか。(A)