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2004年10月 アーカイブ

2004年10月02日

『Sincere』と『菊坂文庫』

ここ何日か、こちらからの暑中見舞いやGOLDONI開業四周年のmailへの返信を戴いている。その中には、『月面からの眺め』(毎日新聞社刊)の著者で、地域計画や現代美術の推進役としても著名なP3の芹沢高志氏からのmailも。「蔡國強氏のプロジェクトで、台湾金門島に行っていたり、これから釜山行き。戻ったらゆっくり」。先ほどのラジオでは、七大陸最高峰登頂で有名な石川直樹さんが、この蔡氏のプロジェクトの報告をしていた。ボストン美術館のコンサルタントをしている長谷川仰子さんからは、名古屋ボストン美術館の『オキーフとその時代展』絡みの知らせ。雑誌『装苑』の最新号に寄稿したものを読んで欲しい、と。ベケット実践の鈴木恵理子さんからも。「硫酸紙に包まれた本、美味しいお茶が店主を物語っていた。GOLDONIはまさにあなたの作品なのだと得心」。お言葉忝し。夜、たらば蟹の缶詰、卵1パック、ねぎ1本を、本や紙ごみ(?)で膨らんだ鞄に詰め込み、小石川の知人宅へ急ぐ。音楽企画の『Sincere』のメンバーが設けてくださった懇親の一夜。既に彼らの手料理は用意されていて、私の到着を待つばかり。先に集まっていたメンバーの協力で、無事に好物(だけれども初めて作る)「蟹玉」ができる。ほかのメンバーや、NPO法人の「粋塾」を運営、近々には本郷に「菊坂文庫」を開設する志村氏夫妻も駆け付ける。お開きの23時まで、よく話し、よく食した。メンバーはよく聴き、よく準備し、よく片付けた。忝し。

2004年10月03日

東京国立近代美術館『RIMPA展』

最近はほぼ毎日GOLDONIに出ている。日曜と月曜は休業にしているが、神保町に来ないことはない。昼間までの打合せや食事の約束などで外出の時でも、取り敢えずは神保町に寄り、夕方に店を閉め外出した後も深夜11時頃までならば店に戻ったりしている。「いつ休んでいるの」「健康なんですね」と言われることがままあるが、普段から、「GOLDONIはビジネスでも趣味でもない使命・務め」「演劇という悪行だけで充分なので、飲酒、喫煙、夜遊びに関心がない」ので、元気なのかもしれない。ただ、観劇が続くと、かえって気分が塞ぎ、偶のクラシック鑑賞や日曜ごとの美術館めぐりでそれを癒し、英気を養わなければならない。昼過ぎ、神保町から雨の中の散策、竹橋・東京国立近代美術館へ。『RIMPA展』の最終日。子供の夏休みの宿題ではないが、展覧会はぎりぎりにならないとなかなか行けない。雨模様でも、十分待ちの行列が出来ていた。「琳派」中心のものなのに、なんでこんなに人が来るのだろう。主催の東京新聞が購読者に入場券をばら撒いたとしても、こんなに込むものだろうか。テレビを見ないので知らないが、天晴れのフジテレビかで、足りなそうな少年タレントたちがサッカーやバレーボールの大会のように、「僕たちがRINPA展を応援しています」なんて言っているのかと訝っているうちに入場。第1室の宗達、光琳の作品には黒山の人だかりで観られず、化政期の酒井抱一あたりから観ることが出来た。今回はとくに浅井忠の蒔絵文箱が面白かった。つい最近も、東京国立博物館での『万国博覧会の美術』で観た彼のカルタ図案に興味を惹かれた。日本の近代洋画の祖のひとりだが、油彩画以外にも関心があったのだろう。浅井の人生がどんなものだったのか、全く知らないが、気になる美術家のひとりだ。常設展を覗いたが、こちらは見事な鑑賞環境。たぶん、『RIMPA展』に来た人の1、2%しか観に来ていないのではと思えるほどガラガラ。先週行った東京都現代美術館で、常設展を覗いていた観客の大半は、『花と緑の物語展』で見掛けた人ばかりで、『ピカソ展』の観客らしい人はほとんど居なかった。いったいこれはなんなのだろう。美術館を出たら、前庭の正面にバスが出発するところで、車内は満員の乗客。新丸の内ビルから国際フォーラムなど丸の内一帯を巡回する無料シャトルバスだった。なるほど、新観光名所・丸の内の、観光施設としての近代美術館か。六本木ヒルズ観光における森美術館と同じありようか。美術館はシンコク、いや進化している、か。 

2004年10月05日

天王洲と西麻布で欧米を学ぶ

GOLDONIのご常連で、ワシントン大大学院で演劇を学ぶお嬢さんのご両親、V氏ご夫妻のお誘いで、ロシア国立アカデミー・マールイ劇場のアントン・チェーホフ作『かもめ』を観劇するため、天王洲のアートスフィアへ急ぐ。開場の18時半前に着いたが、劇場玄関のある2階フロアには、開場前の観客の賑わいが無く、一瞬、腕時計が狂ったか、あるいは約束の日を間違えたかと思うほど。定時に公演は始まったが、客席は、特設の回り舞台のための席潰しで客席数を大幅に減らしていたが、それでも1階は半分程度の入りか。アルカージナのイリーナ・ムラヴィヨーヴァ、トリゴーリンのユーリー・ソローミンなど老練・達者な演技。ドールン役のアレクサンドル・ミハイロフが出色。最終四幕の、ニーナとトレープレフとの再会と離別の場面の間中、下手奥の食堂で皆が夜食を摂っているシーンは、多くの観客には見えにくかったかもしれないが、下男、料理番に至るまでが緻密な演技をしていて、圧巻だった。休憩を挟んだ二時間四十分、退屈を覚えなかった。最近の私の観劇では珍しいこと。終演後は、西麻布に移動、ご夫妻も初めて訪れる西洋料理店へ。グルマンのご夫妻と健啖なだけの私の3人は、よく食べ、よく話した。ご夫君の「そうめんの薬味には大蒜が最高。今度試してごらんなさい」から始まり、欧米と日本の風土、近代史、演劇、政治、高等教育などの違いなどに及び、非常に楽しくまた教わることの多い3時間だった。拙宅まで送って戴いた車の中でも、寄付税制や支援のあり方など話し合った。秋の夜長、楽しく、充実した一夜を賜った。

2004年10月08日

『最後の開業記念日、か』(続)

先月の13日、GOLDONIは開業四年を迎え、その日のBlogでも『最後の開業記念日、か』で、「来秋には舞台芸術図書館か廃業かで、どちらにしても5周年はないのでは」と書いた。先月末に、岡山で演劇やダンスの公演やワークショップ・講座などを運営する、おかやまアートファームの大森誠一氏が見え、GOLDONIで4時間ほど話し込んだ。この図書館と、関連する事業について説明させてもらったが、構想を断念した場合の、蔵書の整理やその後の身の振り方についても、逡巡・困惑も隠さずお話した。今はここでは詳しく記さないが、氏から励ましと発想の転換に繋がるような示唆を戴いた。魅力的で、検討する価値のあるテーマだった。
ここのところ、本についての雑誌やカタログ、単行本を発行する出版社から、店のデータの確認の連絡が続く。HPのURLやアドレスを変えたり、閉店時間を18時に変えたりしたので、そのことは知らせたが、来春からは隔日営業にするとか、来秋には閉店の可能性が大きいということまでは伝えていない。今日は未来社の小柳暁子さんから、同社のPR誌『未来』に書店人として演劇と出版について書きませんか、とのお誘い。千田是也や飯沢匡についてのページも予定している号になるので、とも。なんとも優しいお心遣いで忝い。数年前にも、演劇製作論の序章のようなものを書くように誘われ、今は実践だけでコメントしないことにしている、とお断りしたこともある。このblogタッチで、との教示も有難いが、演劇書の出版についても、今はコメントしづらく、また真っ当な書店人でもないのでお受けするのはつらいところ。

2004年10月09日

『近松と文楽』から考えたこと

昨夕は18時にGOLDONIを閉め、台風前夜の風雨の中、池袋・東京芸術劇場五階会議室での、日本舞台技術総合センター主催のセミナーに急ぐ。文楽の演出・監修の第一人者である山田庄一氏による『近松と文楽』講義。前半は近松、義太夫、藤十郎の時代、歌舞伎と文楽との盛衰を、簡潔に説明。後半は近松作の『心中天網島』『傾城反魂香』と、後の時代の作者による改作との違いの分析。氏のお蔭で久しぶりに近松さんに出会えた。あっという間の二時間だった。山田氏は79歳、谷崎潤一郎の『細雪』に描かれる、典型的な大阪・船場の商家のお生まれか。幼少より文楽に親しんだ、ほんまものの素養のある、選ばれた人。学生時分に近松・出雲を教えて下さった乙葉弘先生は、大正初年の東京の下町(日本橋だったか) のご出身。家の周りの長唄や清元、三味線の音で育った本物の研究者だ。戦中・戦後、そして現代までの六七十年は、大阪、京都、そして東京(江戸)も、山田氏や乙葉先生が育ったような環境はなくなった。育ちの中で、バックグラウンドを持たない、この時代の古典芸能実演家、研究者、愛好家というのは、不思議な存在、かもしれない。このセミナーの主催である、日本舞台技術総合研究センターは、舞台美術製作関連の七事業者が作った、伝統芸能に従事する舞台技術者の育成、知識向上を図る団体だそうだ。会場には、裏方らしき高齢者も十人前後見られたが、大半は教養講座などと同様に女性が目立った。若い世代の、とくに男性の舞台技術者らしき人はほとんどいなかった。舞台技術者の減少がいわれているそうだが、歌舞伎座や国立劇場あるいは文楽劇場や古典芸能を手掛ける商業劇場は、若い舞台技術者を集められなくなっているのだろうか。だとすれば、これは大変な事態だ。民間の事業者だけでこの打開が図れるはずはない。独立行政法人日本芸術文化振興会はどんな対応をしているのだろうか。新国立劇場の演劇研修目的で予算要求をしているようだが、そんなことは今の演劇状況の中で急務ではないはず。至急対策を打つべきだ。現代演劇の方には、演出も含めて俳優やアートマネジメントの希望者が掃いて捨てるほどいる。大学生き残りの新手で、姑息な演劇系の学科作りが展開されているが、そこで生まれるのは、演劇の素養も、教養も、本格的な技術も、演劇人としての自覚も身に付かない、最初からの負け組だ。無駄に多い演劇希望者を、これ以上量産してどうするのだろう。どこぞに目賢い大学関係者はいないか。『総合舞台技術学科』の新設は時宜に適っている。カルキュラム・プログラムなら作ってあげるから。

2004年10月10日

本居宣長に会いに行く

13時、東急東横線の武蔵小杉駅に着く。長年の友人で、当方のボランティアweb班のひとり、N氏と落ち合い、川崎市市民ミュージアムでの『21世紀の本居宣長展』へ。初めて降りる武蔵小杉の街を知ろうと、駅の周辺を三十分ほど見て回る。予定外の行動にのっけから付き合わされるN氏の「相変わらずの旺盛な好奇心ですね」との冷やかしにも、「賢くないし、教養も、経済的、時間的余裕もないから、ついでの時に足と五感を活用して出来るだけの事をして、短時間に脳に焼き付けようとしているだけ」と真面目に応える。天才の「宣長さん」との出会いを意識したわけではないが、私の好奇心は、凡庸過ぎる人間が例えば宣長のような人物に少しでも近づくために必要なもの。学生時分から月に十回十五回の観劇や音楽鑑賞、美術鑑賞、街歩きをしてきたが、滅多に演劇の鑑賞機会すら持たずに、観たがりでない、ただの遣りたがりの、素養も蓄積も乏しいままの現役のつもりの演劇人が跋扈しているこの時代でも、そこまで賎しく、さもしくもなれない理由は、育ちや品格や矜持の故ではなく、この好奇心のせい、か。14時からの担当学芸員による展示解説に間に合い、15時40分までは学芸員の話を伺いながら、十数人の鑑賞者と一緒になって展示室を一周。
日本近世の思想に詳しく、宣長の暮らした伊勢松坂の隣町出身のN氏の解説を聴きながら再度観てまわる。このミュージアムは、バブル経済時代の典型的な箱もののひとつで、なんとも交通の便の悪い、江戸東京博物館に負けないほどの寒々しい、金は掛けたが貧しい施設だが、この展覧会は興味深かった。ネットワークや出版などの専門家にも、人を教えている大学の教員たちにも、刺激的で示唆を与えられるもの。鑑賞をお勧めする。

2004年10月12日

宣長さんの『借書簿』

10月9日は台風のため、GOLDONIは久しぶりの臨時休業。当初は夕方早めに店を閉め、天王洲・アートスフィアに、マールイ劇場『三人姉妹』を観に行こうと思っていたが、これもご破算。『かもめ』を誘ってくださったMarlie Vさんから、「Typhoon night」で始まる『三人姉妹』観劇記mailが届く。10日の朝、大手新劇団のT氏からも、観てきました、との電話。今日は、若い友人の、Bastaの長谷川仰子さんからも、「久しぶりにお芝居を拝見したという気持ち」とのmail。「終幕で降らした雨だけがよくわからなかった」とも。その直後、大阪外国語大学教授の堀江新二氏が久しぶりに立ち寄られる。マールイの芸術監督ユーリー・ソローミンに会っている氏に、「雨はなんですか」と伺うと、「ソローミンは姉妹に泣かせる訳にはいかないので、空に泣かせたと言っていました」。堀江氏の後は、一見のお客が続き、15時ちょうど、約束の三浦明子さんが来店。大学を出て数年働き、今はアルバイトをしながら、デザインの学校に通っている。昨日の16時過ぎから、私が行けなくなった14日のバレエ公演のチケットをどなたかに使ってもらおうと、平日の午後でも時間的な余裕がありそうで、mail‐addressを伺っている12人ほどを選び、次々にmailでご案内した。休日の午後ということもあり、20時までの間で最初に連絡を戴いた方に差し上げることにした。送信した直後から、札幌公演中です、当日は大阪出張です、先約があります、などのNG連絡があり、18時過ぎに三浦さんからの「行きたいのですが」の電話で決まり。その直後に続いてお二人から、行きたい、一番乗りでしょうか、とのmail。
4年前の開業前には、GOLDONIの運営がランニングで多少でも黒字が出たり、資金面での協力者があれば、年に幾人かを航空券代を援助して海外観劇の旅に行かせたり、月に一、二本の公演を選んでチケットを求め、総見でも出来たらと思っていた。残念ながら、初期投資費用を含め8桁の累損を出している現状では、まったくの夢物語。昨日のように、自分の行けなくなった公演や展覧会のチケットを差し上げることぐらいが、今は精一杯のこと。あとは本を買いたいが、持ち合わせが無いという一見の人にも掛売りをしたり、非売品にしている私の蔵書でも、売り物の本でも新刊でなければ貸して差し上げることくらい。本居宣長が積極的に本を貸していたことを、一昨日初めて宣長の貸し本の手控である『借書簿』を観て知ったが、『こんなところも宣長さんに宮島さんは似ている』と独り言ちた同行の友人N氏の言葉が、GOLDONIの運営やこれからの図書館作りも含めて、この数年が徒労に終るのかと沈み勝ちにもなるこの頃、労いと慰めと励ましだったのかと、いまになって気付いた。 

2004年10月14日

『舞台芸術図書館』について

朝10時過ぎ、京王井の頭線駒場東大前駅に着く。東大教養学部やアゴラ劇場に行く時には東口で降りるが、西口から出るのは二十年ぶりか。俳優の谷昌樹氏が初めてGOLDONIに見えた時の話。私を昔から知っている、と仰る。二十年ほど前に駒場小劇場で公演を観た帰り、駅のそばの喫茶店にいたら、(今は世田谷パブリックシアターにいる高萩宏氏か新潮社の岡田雅之氏か、と一緒に)私が入ってきたそうだ。関心を持って私たちの話に聞き耳を立てていて、話の次元、打合せの仕方、指示の出し方、風貌などで、『ほかが敵う訳がない、レヴェルが違う』とその時に思ったそうだ。兵たちの夢の跡、感慨がないわけではない。駒場きっての高級住宅街を抜け、日本近代文学館へ。16日まで催されている『チェーホフ展』がこの朝の目的。この展覧会に協力されている内山崇氏に解説して戴きながら一時間ほどゆっくり観ることが出来た。今年はチェーホフ歿後百年、これに因んだ企画が続いたようだが、どこまでチェーホフに、百年前のロシアに迫れたものか、内山氏がメリホポ・チェーホフ博物館から選んで借りてきたチェーホフの書斎の机や椅子、外套や帽子などを観ながら思った。東洋一の劇場・日生劇場を作った日本生命の弘世現、銀座一のクラシックの王子ホールを作った王子製紙の河毛二郎など舞台芸術に貢献した偉大な先人について、短い時間だったがお茶を戴きながら内山氏と話した。私が夢見る『舞台芸術図書館』には、一般の方をも対象にした公開講座の開けるセミナー室、舞台関連の展覧会が開ける小さなギャラリー、来館者が憩えるカフェがある。そんな舞台芸術の研究・実践・鑑賞理解のための施設を作りたい。今は亡き弘世現氏、河毛二郎氏に代わって、同じ夢を、同じ思いを持つ方はお声を掛けて戴けないだろうか。

2004年10月23日

マゼールの『ニューヨーク・フィル』

昨夜は半年振りくらいにNHKホールへ。NHK音楽祭2004のロリン・マゼール指揮の『ニューヨーク・フィルハーモニック』。演奏曲目は、ベートーべン「エグモント」序曲、リスト「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」、ドボルザーク「交響曲第9番ホ短調『新世界より』」。マゼールはクラシック通でもない私でも幼い時分から知っているほどの巨匠で、レコード、CDではよく聴いていたが、生で彼の指揮を見るのは初めて。一昨年の9月に、このニューヨーク・フィルの音楽監督に就いたが、年に2百近いステージのニューヨーク公演がある地元のオケなので、ニューヨーカーには大層な人気だそう。『新世界より』では、トライアングル、ティンパニーが見事だった。金管も非常に繊細で、感心した。アンコール曲の『アルルの女』は、新鮮、絶品だった。隣の席の老夫婦が盛んにシカゴ・フィルとの比較をしていたが、どうやらシカゴに次ぐ全米第2位の交響楽団になったようだ。
一昨日までの一週間で5本の演劇を観たが、残念ながら1本も感心しなかった。このGOLDONIBlogでは作品の批評らしいことはしないことにしているが…。酷いにもほどと言うものがあろうが、東京の演劇はどうしてしまったのだろう。この5本のうちのひとつは、俳優や製作者の知り合い3人から、あまりの酷さに堪えられなくて幕間で劇場を出てきたとmail、電話で知らされたもので、いつもの好奇心、怖いもの観たさも手伝って観てきたもの。確かに凄まじいもので、客席の4割、2百人に満たない観客のうち、三組、6人は幕間に帰っていった。終演後、大げさな言い方だが、どうやってGOLDONIまで戻ってきたか判らないほど。この作品に限らないが、呆然、憮然、悄然となって劇場・ホールを後にした一週間だったが、昨夜のNHKホールで救われた。お騒がせの海老沢会長の天晴れな姿を観ることもなく、心地よく愉しい秋の夜長だった。

2004年10月28日

高階秀爾氏の講演会

18時半過ぎにGOLDONIを閉め、隣町の大手町の三井物産本店に急ぐ。今晩は、東京都美術館で開催中の『フィレンツェ-芸術都市の誕生展』の協賛事業である、高階秀爾氏の講演会。最初の案内では、会議室での開催だったが、聴講希望者が予想以上に多かったのか、急遽地下の多目的ホールに変わった。高階氏の講演は、前半がイタリア、わけても都市国家フィレンツェの特性、織物などの加工産業の出現や金融の発達などを詳述。成功した織物組合やメディチ家などが建築・美術の有力スポンサーになった背景について判りやすく説明。後半は、大量のスライドをつかって、フィレンツェの政庁舎や教会、そして今回の展覧会に出品している作品の解説。齢七十を越す高階氏、ほぼ2時間を立ち詰めで通される熱演ぶり。新国立劇場小劇場新企画の3、4ステージ分に匹敵する2百人近い聴衆の大半は、三十代から五十代までの女性。とくに目に付いたのが、物産の女性社員らしい人たちと社員の夫人らしき人々。高いイタリア観光人気も手伝ってだろうが、さすがは日本を代表する商社が主催する企画だけに、巷のカルチャーセンタや大学の公開講座とはひと味違う高級な文化講演会だった。広報部社会貢献室の担当者は慣れなさそうな司会進行に終始したが、ホール入り口で彼女を見つめる、彼女の上司と思われる女性は、私が知っている大学、財団、劇団、劇場、NPOなどこちらも日本の教育・文化を代表しているらしい団体の人々に、ついぞ観たことの無い、感じたことの無い厳しい表情をしていた。

2004年10月29日

ニューヨーク舞台芸術図書館

16時、早稲田大学に。演劇博物館21世紀COEプログラム「演劇の総合的研究と演劇学の確立」芸術文化環境研究コース・公開研究会、という長いタイトルの会合。この日の研究会テーマも、「芸術振興の基盤を担う文化機関のあり方-ニューヨーク舞台芸術図書館の使命と運営」と非常に長いもの。一見智慧の無さそうにも見えるこのタイトルのつけ方あたりも、COEプログラムには重要、か。ニューヨーク公共図書館(NYPL)の舞台芸術図書館館長ジャクリーン・デイビス女史のレクチャーと質疑応答の2時間。聴衆は演劇博物館館長始め早稲田大関係者を除けば十人ほど。このような企画をGOLDONIが主催すれば、今でも五十、百人は集めるだろう。女史は公共性、舞台芸術そのものへの貢献、そして使命などを語る、真っ当な発言で好感したが、質疑では、岩波新書の菅谷明子さんの著書『未来をつくる図書館』を、あるいはその中のこの図書館を書いた30頁ほどの章だけでも読んでいれば判るような質問が続出、閉口した。研究会の担当者からの案内でも、この本を参考文献にあげているので、読んで参加するのがマナーだろう。質問者の大半は、図書館情報学の専門家や図書館司書、美術館学芸員、アーツマネジメントを学んでいる人たちだそうだから、当然読んでいなければならないものだ。昨秋に経済産業省の外郭団体である経済産業研究所が催した菅谷さんのランチ・セミナーには、経済産業省ばかりか他官庁や大学や図書館、企業の情報関係の人たちなど、新刊で出たての同書を読んだばかりの百人ほどが駆け付け、刺激的なセミナーになった。