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本居宣長に会いに行く

13時、東急東横線の武蔵小杉駅に着く。長年の友人で、当方のボランティアweb班のひとり、N氏と落ち合い、川崎市市民ミュージアムでの『21世紀の本居宣長展』へ。初めて降りる武蔵小杉の街を知ろうと、駅の周辺を三十分ほど見て回る。予定外の行動にのっけから付き合わされるN氏の「相変わらずの旺盛な好奇心ですね」との冷やかしにも、「賢くないし、教養も、経済的、時間的余裕もないから、ついでの時に足と五感を活用して出来るだけの事をして、短時間に脳に焼き付けようとしているだけ」と真面目に応える。天才の「宣長さん」との出会いを意識したわけではないが、私の好奇心は、凡庸過ぎる人間が例えば宣長のような人物に少しでも近づくために必要なもの。学生時分から月に十回十五回の観劇や音楽鑑賞、美術鑑賞、街歩きをしてきたが、滅多に演劇の鑑賞機会すら持たずに、観たがりでない、ただの遣りたがりの、素養も蓄積も乏しいままの現役のつもりの演劇人が跋扈しているこの時代でも、そこまで賎しく、さもしくもなれない理由は、育ちや品格や矜持の故ではなく、この好奇心のせい、か。14時からの担当学芸員による展示解説に間に合い、15時40分までは学芸員の話を伺いながら、十数人の鑑賞者と一緒になって展示室を一周。
日本近世の思想に詳しく、宣長の暮らした伊勢松坂の隣町出身のN氏の解説を聴きながら再度観てまわる。このミュージアムは、バブル経済時代の典型的な箱もののひとつで、なんとも交通の便の悪い、江戸東京博物館に負けないほどの寒々しい、金は掛けたが貧しい施設だが、この展覧会は興味深かった。ネットワークや出版などの専門家にも、人を教えている大学の教員たちにも、刺激的で示唆を与えられるもの。鑑賞をお勧めする。