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2011年05月 アーカイブ

2011年05月14日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2011年5月の鑑賞予定≫

[演劇]
*14日(土)から29日(日)まで。              浜松町・自由劇場
『ジーザス・クライスト=スーパースター』<ジャポネスク・バージョン>
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/


[能楽]
*14日(土)                     千駄ケ谷・国立能楽堂
 『普及公演』
 狂言:船渡婿(大蔵流) 大蔵 千太郎
 能 :東岸居士(観世流)山本 順之

 
[歌舞伎]
*25日(水)まで。                   東銀座・新橋演舞場 
『五月大歌舞伎』
 <夜の部>「籠釣瓶花街酔醒」「あやめ浴衣」
 出演:吉右衛門 芝翫 梅玉 魁春 段四郎 東蔵 歌六 芝雀 錦之助 ほか


[演芸]
*24日(火)                     赤坂・赤坂区民センター
『平成特選寄席』
 出演:柳亭市馬 立川志らく 春風亭一之輔 古今亭菊六 ほか 


[音楽]
*16日(月)                 吉祥寺・武蔵野市民文化会館
≪公演中止≫
『アレキサンダー・ロンクィッヒ ピアノ・リサイタル』
 演奏曲目:シューベルト:ピアノ・ソナタ第15番「レリーク」
      シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番 D959

*21日(土)                    赤坂・サントリーホール
『ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノ・リサイタル』
 演奏曲目:J.S.バッハ:イギリス組曲第5番 ホ短調 BWV810
      ショパン:マズルカ
      J.S.バッハ:イギリス組曲第6番 ニ短調 BWV811


[展覧会]
*22日(日)まで。         六本木ミッドタウン・サントリー美術館
 開館50周年記念「美を結ぶ。美をひらく」Ⅰ
『夢に挑む コレクションの軌跡―新収蔵品初公開と名品勢揃い』

*6月19日(日)まで。             日本橋・三井記念美術館
『三井記念美術館蔵品展』

2011年05月15日

推奨の本
≪GOLDONI/2011年5月≫

『現代日本私注』 加藤 周一著
 平凡社 1987年
 

 不条理劇
 近松に後れること半世紀ばかり、十八世紀の後半に、今日まで上演回数の多いという意味で代表的な「三大歌舞伎劇」が作られた。『仮名手本忠臣蔵』、『義経千本桜』、『菅原伝授手習鑑』、そのどれもが緊密に構成された劇ではなく、全体のすじとの関係がきわめて薄い多くの場面を併列した見世物である。したがってその全体から、好みの一場面を描きだして演じることができる。たとえばお軽勘平、忠信の早替り、寺子屋など。
 全体のすじは、『忠臣蔵』の場合には、討ち入りへ向かう敵打ちの話として一応通るが、『千本桜』や『手習鑑』の場合には、複雑であると同時にあまりに不合理で、ほとんど意味をなさない。今日からこれをみれば、一種の不条理劇である。そもそも狐が忠信に化けたから役者が早替りの芸をみせるのではなく、早替りの見世物を作るために狐が忠信に化けたのである。話のすじとして、なぜそこに狐の出る必然性があるのか、と問うこと自身が、見当違いであろう。重点は、あきらかに、話の全体にも、場面相互の内容的な連関にもなくて、場面転換の効果と、それぞれの場面の情緒の密度にある。
そのために用いられた手段は、発達した舞台装置、三味線に乗せての歌と踊り、舞踊化された所作、様式化されてよく響く科白などであり、殊にまた極端な状況の設定――主人のためにわが子を犠牲にする、夫の忠義のために妻が身を売る、そのほかさまざまの義理を通すために人情に逆らって行なわれる犠牲の諸類型――などである。
 今日からみての「三大歌舞伎」は、第一に、様式化された見世物であり、第二に、その情緒の濃密さを、人物の個性によってではなく、類型的人物相互の関係によって作りだすものである。もし何らかの事情によって、主人の息子を救うために自分の息子を犠牲にせざるを得ない状況に臨めば、特定の親ではなくて、どういう親でも感情の激動を経験するだろう。しかもその状況は、特定の親の特定の個性とは無関係に成立したものである。その状況に対する、あるいはむしろ、その状況を成立させる社会とその「イデオロギー」に対する批判は、歌舞伎にはない。「すまじきものは宮仕え」――それは例外中の例外として、幾らかの批判らしきものであるかもしれない。しかしそれだけでは、不条理劇を不条理でなくすることはできない。
 (「歌舞伎雑談」より)

 現代芸術の諸問題
 技術文明に特徴的な価値の体系は、世俗的である。その内容を消費面からみれば、物質的な「快適さ」であろう。可能な最小限度の努力で得られる「快適さ」が理想とされる。たとえば、ボタンを押し、「つまみ」を廻しさえすれば、番組が出るテレビの機械は、その理想に近い。椅子から立って「つまみ」を廻す努力も省き、遠隔操作で番組を変えることができれば、なおさら理想的であろう。病人用でないテレビの機械がそういう方向に「進歩」することと、番組そのものが、知的または想像的にかける負担の最小限度で、楽しみをあたえるように(つまりどんなばかにもわかるように)工夫されることとの間には、あきらかに並行関係がある。このような価値が、芸術家にとって容易に受け入れがたいのは、当然だといわなければならない。芸術家がもとめるのは、「快適さ」ではなくて、表現だからであり――自己表現は快適であるとはかぎらない――また努力の最小化ではなくて、おそらくは大きな努力や注意を通じてのみ得られるだろうところの楽しみの最大化だからである。
 他方、生産の面で、技術的、工業的社会に特徴的な価値は、最小の手段で最大の目的を達成すること、つまり「効率」のよさである。目的と手段を鋭く区別し、「効率」を標準として、手段を合理化するとき、重要な役割を演じるのは、「方法」という概念である。ここで「方法」とは、あらかじめ明瞭に定められた手続きで、その手続きさえ習得すれば――習得は一般に容易である――だれでも確実に特定の目標に達することのできるようなものをいう。その意味での「方法」は、「熟練」と対照的である。図工がコンパスを用いて円を描くのは、方法的手続きであり、画家が絵筆で円を描くのは熟練の手続き(職人的手続きともいえよう)である。熟練による仕事は、その能力を獲得するために長い訓練を必要とすること、仕事に当事者の感じる喜びが大きく、しばしば制作の過程そのものが目的とみなされる(その意味で、手段と目的が鋭く区別されない)ことなどの点で、方法的な仕事と異なる。芸術家は、方法化された工業生産によって支えられる社会に生き延びたところの、数少ない職人の一種であり、この社会が生みだした「能率」や方法的合理主義に抗して、自己の人格をその仕事において実現しようとするものである。
 かくして社会の支配的な価値と、芸術家のよりどころとする価値とは、鋭く対立せざるを得ない。物質的な快適さに対しては、精神的な表現、方法に対しては熟練、効率に対しては自己目的としての生産過程。このような対立は、価値の水準での、芸術家の現代社会における疎外の内容である。
 (「芸術と現代文明」より)

2011年05月27日

久しぶりの『提言と諫言』

  カラ超過勤務手当の支給、職員全員への背広支給、給与・手当・年金のお手盛りなど、役所ぐるみの不正、職員厚遇を長年繰り返していた大阪市役所の呆れた実態が報じられたのは、もう6、7年ほど前になろうか。その当時、大阪・梅田の街頭でテレビ(毎日放送だったか)の取材に答えた市民の声の中に、「恥ずかしいから大阪市役所は大阪から出て行け」というのがあり、その見事な諧謔に感心したものだ。
 3月11日の東北地方太平洋沖地震、福島原発事故の直後だったが、フジテレビの報道番組ではNHK出身の木村太郎、東京12チャンネルの番組では同じNHK出身の池上彰が、「国会議員は、せめて復旧・復興の邪魔だけはしないで欲しい」と異口同音に語っていたが、まったく同感である。
 震災以来、与野党を問わず、幾多りかの国会議員から送られてくる活動報告のためのチラシ、タブロイド新聞、冊子は、被災地での首長との会見写真、瓦礫を背にした風景写真などを大きく載せ、予算獲得や政府への助言など、いかに積極的に活動しているかの自己宣伝に溢れている。被災自治体の首長、職員が対応にどれほど忙殺されているか、瓦礫の下にも行方不明者が無惨に埋もれているか、その想像もつかない虚け者ばかりである。そんなに積極姿勢を見せたいなら、休みなしで働いている福島原発の警戒地域9市町村の職員に代わって、避難者の一時帰宅時の世話をしたらよいだろう。それではアピールが弱いと言うなら、被曝覚悟で警戒地域での瓦礫撤去に出向くか、9万トンを超えた福島原発の放射能汚染水を処理施設のある柏崎刈羽まで運ぶ手伝いでもすればよい。
 4月からの半年間、議員歳費の3割を削減する法案提出に与野党が合意したと聞いたのは2カ月も前だったが、政治利権、議員特権、党内抗争、政局こそが政治だと心得る日本の恥ずかしい「選良」たちに、この小額の手形すら落とさせることは難しい。
 街頭取材する場所として、マンネリ、知恵の無いテレビ局がワンパターンで選ぶ新橋駅前広場で、ほろ酔いのサラリーマンにマイクを向ければ、「恥ずかしいから国会議員は日本から出て行け」などとの声も拾えそうだが、ジャーナリズム、批判精神は無論、諧謔を解せないテレビから、それが放送されることはないだろう。

2011年05月31日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2011年6月の鑑賞予定≫

[演劇]
*5日(日)から26日(日)まで。             浜松町・自由劇場
 劇団四季公演
『ヴェニスの商人』
 作:ウィリアム・シェイクスピア  訳:福田 恆存  演出:浅利 慶太
   装置原案:金森 馨  美術監督:土屋 茂昭  照明:沢田 祐二
      音楽:松村 禎三  衣裳:レッラ・ディアッツ
 出演:平 幹二朗 ほか
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/

*7日(火)から21日(火)まで。          信濃町・文学座アトリエ
 文学座6月アトリエの会公演
『にもかかわらず ドン・キホーテ』
 作:別役 実  演出:藤原 新平
 出演:金内 喜久夫  飯沼 慧  三木 敏彦 ほか

[歌舞伎]
*26日(日)まで。                  東銀座・新橋演舞場 
『六月大歌舞伎』
 <夜の部>「夏祭浪花鑑」「吹雪峠」「色彩間苅豆」
 出演:吉右衛門 仁左衛門 歌六 段四郎 友右衛門 時蔵 芝雀 ほか


[演芸]
*28日(火)                  六本木・麻布区民センター
『柳家三三独演会』
 

[音楽]
*6日(月)                      銀座・王子ホール
『インターナショナル・コミュニティー
 エンゲージメント・プログラム 2010ラオス&2011日本
 活動報告コンサート』~五嶋みどりと若き演奏家たち~
 演奏曲目:ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第5番 イ長調 Op.18-5
        シューマン:弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 Op.41-3

*27日(月)                赤坂・ドイツ文化センター
『ライプツィヒ弦楽四重奏団コンサート』
 演奏曲目 ハイドン: 弦楽四重奏曲第77番ハ長調op.76-3「皇帝」
   メンデルスゾーン: 弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 op.13
    ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲 第15番 イ短調 op132

[展覧会]
*6月19日(日)まで。               丸の内・出光美術館
『花鳥の美―珠玉の日本・東洋美術』

*7月24日(日)まで。      六本木ミッドタウン・サントリー美術館
 開館50周年記念「美を結ぶ。美をひらく」Ⅱ
『不滅のシンボル 鳳凰と獅子』