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2011年04月 アーカイブ

2011年04月07日

劇場へ美術館へ≪GOLDONI/2011年4月の鑑賞予定≫

[演劇]
*4月13日(水)から5月7日(土)まで。        浜松町・自由劇場
『ジーザス・クライスト=スーパースター』<エルサレム・バージョン>
劇団四季HP http://www.shiki.gr.jp/


[能楽]
*15日(金)                    千駄ケ谷・国立能楽堂
 定例公演
 狂言:鞍馬参り (大蔵流) 善竹 忠一郎
 能  :小塩 (宝生流) 金井 雄資


[音楽]
*14日(木)  江戸川橋・トッパンホール
≪公演延期・公演日未定≫
『モザイク・クァルテット』
 エーリッヒ・ヘーバルト(第1ヴァイオリン)
 アンドレア・ビショップ(第2ヴァイオリン)
 アニタ・ミッテラー(ヴィオラ)
 クリストフ・コワン(チェロ)
 演奏曲目:ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ長調 Op.33-6 HobIII-42
      モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K458<狩>
      シューベルト:弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D810<死と乙女>

*17日(日)
『ギドン・クレーメル(vn)ギードレ・ディルヴァナウス(vc)
 ヴァレリー・アファナシエフ(pf)                  サントリーホール
   演奏曲目:シュニトケ:ショスタコーヴィチ追悼の前奏曲
         J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏パルティータ 第2番 BWV.1004より)
         ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 第3番 op.108
         ヴィクトリア・ポリェーヴァ:「ガルフ・ストリーム」
         ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 op.67


*19日(土)          吉祥寺・武蔵野市民文化会館小ホール 
≪公演延期・公演日未定≫
『クリストフ・コワン チェロ・リサイタル』
    金子陽子(フォルテ・ピアノ)  
    マリア=テクラ・アンドレオッティ(フラウト・トラヴェルソ)
  演奏曲目:ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番
      ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番
      ハイドン:フルート・トリオ へ長調
      ハイドン:フルート・トリオ ニ長調


[展覧会]
*5月22日(日)まで。           目黒・目黒区美術館
『包む―日本の伝統パッケージ展』 

*7日(土)から5月29日(日)まで 上野・東京藝術大学大学美術館
『香り かぐわしき名宝」展

*23日(土)から6月26日(日)まで。 六本木一丁目・泉屋博古館別館
『近代洋画と日本画』

推奨の本
≪GOLDONI/2011年4月≫

『建築家坂倉準三 モダニズムを生きる|人間、都市、空間』 
   アーキメディア 2009年

 1937年巴里萬國博日本館の建築は、作者の理解による斯くあるべき新しき日本建築の一作例である。
 作者は將來あるべき日本建築をかく理解する。
 西欧のあらゆる建築に於ける新しい運動は、いち早くこの日本に傳つた。殊にこの十數年以來、過去の死したる建築の破壊と新しき建築の樹立のためのいろいろの新運動は、次から次へと傳わり來つて、この國の若い建築家たちを喜ばし勵ました。
 フランク・ロイド・ライトの過去の様式破壊運動に始まり、ウオルター・グロピュースの合理主義國際建築運動を經て、ル・コルビュジヱの新建築様式樹立の途に至る、これらの必然の新建築運動の本質と眞の役割は、しかし、この國の建築家たちに、よく理解咀嚼せられたのであらうか。
 少數の眞面目なる建築家の努力にも拘らず、これらのあらゆる新運動は日本の建築界には新しさの故に一つの新しき流行として登場し、その本質を理解される事なしにこの國の建築の生展進歩する眞の榮養となる充分なる暇もなく消え去つた。
 近來我が國の建築界に所謂日本主義建築の新潮流擡頭し來りたるは、過去十數年來のいろいろの新建築樹立のための輝しき諸運動がこの國の建築界の大部分に少しも理解されることなく單なる流行として迎えられ送り去られた何よりも明らかな證據である。
 グロピュースを代表者とするバウハウス一派の運動として日本に傳へられた合理主義國際建築運動が新建築樹立の十字軍運動の前駆として爲した功績は大きい。しかしそれはあくまでも次に來るル・コルビュジヱの新時代の建築樹立の運動の前駆としての功績である。
 我が國に於いては不幸にしてグロピュースからコルビュジヱに至る新建築樹立運動の歴史性は何ら理解されるところとならなかつた。
 この無理解が近年に至つて、生長する世界日本の眞の新建築樹立の運動に凡そ逆行する所謂日本主義建築思潮の時代錯誤的登場を許すに至つた。
 
 時代の進歩に取り殘された過去の形骸に粉飾されたる建築を破壊し、新しい時代の建築を樹立せむとする諸運動の役割を一語の中に含む有名なるコルビュジヱの「家は住むための機械なり」はしかし、この國においては正しく理解されることなくして餘りにも有名なる一流行語となり終わつた。
 我が國の建築界に理解されたるが如く「家は住むための機械なり」ではなくコルビュジヱの云はんとしたのは「家は住むための機械なり」であった。
 機械といふ言葉のうちに盛られたる意味はあらゆる近代科學の成果を新しい建築のために總動員して、醜き一切の不必要なる粉飾を洗ひ落し、不健全なる粉飾點に換へるに粉飾なる科學點を建築にもたらさんとすることである。これはすでにグロピュースの名に代表せられる合理主義国際建築運動の標識であつた。この運動には大いなる功績と同時に少からぬ缺陥或は危険が同時に蔵されてゐた。その機械のうちに住むものが人間であると云ふことを忘れ勝ちであつたと云ふことである。
 
 (略)新しい時代の建築はあくまでも新時代の科學の成果を總動員したる合理的建築でなければならないと同時に、更にその上に生理し心理する動物としての人間が住むためのあらゆる條件を具へたものでなければならない。ここに始めて世界の各國の地方性を滿足せしむる新時代の建築が生まれ得る。
 更にもう一つ最も肝要なることは建築はそれ自身一つの有機體でなければならないといふことである。建築を構成する各要素は有機的に結合して一つの全體を形成してゐるものでなければならない。過去の眞にすぐれたる建築は、すべてかかる有機的構成であつた。「一寸の蟲にも五分の魂」といふ如く、小さくは一つの住居から大きくは大都市に至るまで有機體としての一つの魂の通つたものでなければならない。一つの「生き物」でなければならない。(略)
 (「巴里萬國博日本館について」坂倉準三執筆.[日本工作文化連盟『現代建築』1939年6月創刊号より再録]より)