先月、浜松町の自由劇場で、劇団四季の『ヴェニスの商人』を観ていた時のこと。前半の幕切れ、二百人ほどの客席の殆どが、ここでいいのだろうかと戸惑いながらの拍手をしていた。劇の流れからすれば、というより、ストレートプレイの場合、ただでさえ休憩で中断することで、観客の劇への没入感高揚感が減退することは否めないが、そこに持ってきての拍手は困りもの。11日に観た、北千住のTHEATRE1010での『エリザベス・レックス』では、凄まじい光景に出くわした。観客の半数はエリザベス役の麻美れいのファンのようで、宝塚歌劇団時代からの贔屓なのだろう。一幕が終り、溶暗する舞台から静かに下がっていく麻美れいへの、短い時間だが、強い調子の、慣れた人々のあげるぶち壊しの拍手だった。一瞬、東京宝塚劇場に来てしまったのかと呆けてしまった。先日の新国立劇場での『喪服の似合うエレクトラ』では、第1部の終幕に拍手があがった。戯曲の指定(二十三歳、長身、角張った体つき、かさかさして単調な声、母クリスティンと同じ平静状態における異様な生きた仮面のような表情、などなど)とは全く違うラヴィニア役の大竹しのぶへの拍手だ。途中に出演者へのぶち壊しの拍手が起きるような、テレビ芸能タレントが生で見られる大衆演劇ショーに変質しているとは。泉下のユージン・オニールに対する憐憫の情深く、涙する。現代のこの国のストレート・プレイは、ミュージカルや、タカラヅカや、テレビ芸能界からの素材とそれらのファンからでしか成り立たない。悲しいものだ。