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『終わりの始まり』其の二

ここのところの日曜日は、舞台を観ると身も心も休まらないことが多く安息日にはならないので、観劇を避けて努めて展覧会を覗くようにしている。28日の日曜日は、朝からGOLDONIでホームページの原稿書き。午後には、表参道の青山劇場で「ダンスビエンナーレ2004」の、スペインとドイツから出品のダンスを観て(禁は破るものではなかった)、GOLDONIに戻ったので、展覧会には行けなかった。そんなこともあって、今朝は幸いに午前の約束がなく、10時に上野の東京都美術館の『フィレンツェ-芸術都市の誕生展』に行く。三井物産の本社ホールで十月末に催された高階秀爾氏の講演を拝聴していたので、無理をしてでも覗きたかった展覧会。平日の朝なので、並ぶこともなく入り、大した混雑もなく、ゆっくり見て回ることが出来た。展示そのものはごった煮、寄せ集めの印象が強く、真贋、とまでは言わないが玉石混交か。鑑賞者の大半は連れ立ちの婦人たち。最近のことは知らないが、以前住んでいた鎌倉に日帰りで訪れる奥さんグループと酷似したもの。増殖する公共空間認知能力のない人たちは、電車内であろうが美術館であろうがお構いなし。騒がしいこと極まりなし。ほんの1時間2時間の鑑賞時間も、お喋り無しでは耐えられないほどの、他者への配慮は無論、美術への関心も集中力もない。演劇への関心ではなく、ただ芸能人を生で見る機会としている、そんな人たちやその予備軍に占められている新国立劇場など、テレビタレント演劇ショーの劇場・ホールも、早晩、劇中に客席から私語が平気で交わされる場になるのだろうか。