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「新国立劇場の開館十年」を考える(六)
≪国立劇場の理事だった大佛次郎の苦言≫

 今から三十九年前の昭和四十三(1968)年十二月に、三十四歳の若さで亡くなった東京新聞の演劇記者・石原重雄の著書『取材日記 国立劇場』(1969年、桜楓社刊)を久しぶりに読んだ。暫くはこの本から引用しながら書いていこうと思う。
 石原は特殊法人国立劇場の理事を引き受けていた作家の大佛次郎を劇場に訪ねた。

 ―理事(非常勤)は三人で、理事室は大企業の社長室のように広く清潔だったが、ふだん使ってないせいか、ヒンヤリとした感じだった。
「ここではなんだから、出ましょう」社の車で帝国ホテルへ。国会議事堂を右手にみるあたりで、
「理事就任の要請があったとき、自分の仕事ができなくなるからと断わったんですけど、面倒なことはわずらわせぬからとくいさがられましてね。引き受けてみれば会議の連続、それも演劇のことなんかちっとも議論されない。すでに決めていることについて、責任のがれのため、われわれの同意を得ようということなんでしょうねえ。間違いをおこさぬように―、国会から叱られないように―と、それしか考えていないんだな」「目先のことばかり気をとられている感じですねえ」ときびしい批判のことばがとびだしてきた。人事にまつわるこっけいなかけひきは以前にも書いたが、理事になりたくて猛烈に運動した人は、みなしりぞけられた。要請を受けてことわった人もいる。評論家のT氏もその一人。「理由は簡単なんです。新聞批評ができなくなりますからねえ」―それが当然であろう。T氏も含めて、文部官僚が理事に選んだ顔ぶれは、いまの演劇界の、興行界の外にいる人たちばかりであった。見識とほめたいところだが、その後の理事の遇し方をみていると、「クロオトにかきまわされちゃあかなわない」といった、セクショナリズムがチラチラしている。わが尊敬する作家もいささか立ち往生の感じだ。
(略)「いまあるかぶきは、あるものとして認める一方、新しい国民劇をつくるべきじゃありませんか。脚本本位のね。それに、新しい脚本をこなせる専属劇団の育成ですね。劇団員には月二、三回の稽古芝居をやらせるようにして実力をつける。それしかないでしょう」さらにことばをついで、
「いまのように大過なく興行のフタさえあけばよしということではいけませんね。国立劇場に必要なことは、今の時点でなく、これから十年、百年先のことを考えたビジョンを持つこと。そのためにはどんなぜいたくでもすべきだと思います」   
 時間にして約一時間、淡々として語る口調に重みがあった。私の予想通りの識見であった。それにしても、こうした意見が通らぬ理事会のあり方に問題があるのではないかなどと考えてみたりした。―

 国立劇場は、「わが国古来の伝統的な芸能の公開、伝承者の養成、調査研究等を行い、その保存及び振興を図り、もって文化の向上に寄与することを目的」(国立劇場法第一条)として、昭和四十一年十一月一日に開場した。当時は、国立劇場法の下に「特殊法人国立劇場」として設立、今は独立行政法人日本芸術文化振興会の六つの劇場のうちの中核劇場である。著者の石原重雄が大佛次郎にインタビューしたのは、開場の翌年である昭和四十二年(1967)年九月。今からちょうど四十年前のことであるが、大佛の話している国立劇場についての問題点は、ほとんどそのまま、開場準備時から現在までの新国立劇場のあり方についての疑念とそっくりである。文部官僚、演劇人、評論家などの登場人物はみな変わった。無論のことだが、古典芸能と、オペラ・舞踊・現代演劇という具合に、上演する対象は違う。劇場の組織も、国立劇場は開場当時は特殊法人であり、新国立劇場は財団法人新国立劇場運営財団として設立し、独立行政法人日本芸術文化振興会の劇場の一つである新国立劇場の運営を委託されている法人である点も違う。にもかかわらず、官制劇場の実態は、呆れるほどに変わらない。
 因みに、国立劇場の開場時の役員は、会長(日本芸術院院長・高橋誠一郎)、理事長(元文部官僚・寺中作雄)のほかには理事が大佛次郎、演劇評論家・三宅周太郎、元大蔵官僚・三井武夫(昭和四十三年に自死)の三名、監事(元文部官僚・柴田小三郎、後に常任理事)一名。新国立劇場は、財団法人新国立劇場運営財団として設立し、会長(日本経団連会長・御手洗冨士夫)、理事長(元文部官僚・遠山敦子)、常任理事三名(元文部官僚、トヨタ自動車社員、元日本経団連職員)、理事(非常勤)二十七名という具合である。ここにも劇場運営の専門家はいない。「クロオトに掻き回されてはかなわない」。今も昔も文部官僚は変わらない。学習効果が高い、ということかもしれない。

 ―東京新聞政治部では「官僚さま・役人気質」のシリーズで国立劇場をとりあげ、次ぎのエピソードを伝えている。やはり『鳴神』公演中のこと。劇場の最高幹部であるA氏(文部省から転出)が、尾上松緑の楽屋口を、松緑の許しも受けずにあけ、招待した知人に「あれが松緑だよ」と指さしたため、松緑が「今月の出演はやめる」と怒ったという。政治部記者でさえ、「かぶき俳優にとって楽屋はわが家も同然、それを招かれざる客にのぞかれ、指までさされては、松緑氏が感情を害したのもムリはない。お役人特有の公私混同というか、官尊民卑というか、そんな気質がありありとうかがえる」と評している。―

 同著に私の縁戚のひとりが登場した。懐かしくて取り上げた。それは、主役を演ずる劇場最高幹部A氏、ではない。